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最恐魔人、勇者(♀)のペットになる3 ~ 古代文明の謎 ~  作者: 神凪 浩
第一章 魔人と勇者の奇妙な旅路
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第二話 野宿と「森の妖精」

 隠れ里を旅立ってから、半日が経過していた。

 太陽は西の地平線へと傾き、空は茜色から群青色へとグラデーションを描き始めている。

 リディア・クレセントと、その背中のリュックサックに収まった魔人アビス(犬)は、人里離れた獣道を進んでいた。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 リディアの力強い足音が、静寂な森に響く。

 彼女の足取りは軽い。

 背中には自分自身の旅道具に加え、アビス(犬)という重量物、そして伝説の聖剣二本を背負っているにもかかわらず、息一つ乱していない。

 さすがは、勇者の血を引く脳筋である。

「ん~っ! 空気が美味しいですね、アビスさん! やっぱり外の世界は広いです!」

 リディアは、大きく伸びをしながら、リュックの中の相棒に話しかけた。

 だが、相棒の機嫌はすこぶる悪かった。

(……おい、小娘。そろそろ休憩にしろ。俺様の三半規管が限界を訴えてる)

 アビスは、リュックの揺れに耐えながら、不機嫌極まりない思考をリディアの脳内に送りつけた。

 犬の体というのは、人間が思う以上に揺れに弱い。

 特に、リディアのような「無駄にバネのある歩き方」をする人間の背中では、常に震度4の地震が起きているようなものだ。

「ええ? もうですか? まだ日は沈んでませんよ?」

(テメエの体力基準で物事を測るな。普通の人間ならとっくに野垂れ死んでる距離だぞ)

「むぅ……。アビスさんは甘えん坊ですねぇ」

 リディアは「仕方ないなぁ」といった顔で苦笑すると、手頃な開けた場所を見つけて足を止めた。

 道から少し外れた、小川のほとり。

 野営には絶好のロケーションだ。

「分かりました! じゃあ、今日はここでキャンプにしましょう!」

 リディアがリュックを下ろす。

 アビスは、ようやく解放された大地の上で、「ふぅ」と人間臭い深いため息をついて(犬の鼻息で)身震いをした。

(……やれやれ。やっと地面か)

 アビスは、凝り固まった四肢を伸ばした。

 本来ならば、魔人である彼は、瞬間移動も飛行も可能だ。

 それが、こんな徒歩の旅を強いられるとは。

 すべては、あの呪いのせいだ。

 その時。 リディアの腰につけたポーチから、ピロロロロ……という、間の抜けた音が響いた。

「あ! お父様からです!」

 リディアは慌ててポーチから、青く光る宝石――「対の伝言石ペア・メッセージ・ストーン」を取り出した。

 バルドルが、涙ながらに持たせた通信機だ。

 リディアが魔力を通すと、石からバルドルの立体映像ホログラムが、手のひらサイズで投影された。

『―――リディア! 無事か!? 怪我はないか!? お腹は空いていないか!?』

 バルドルの必死な形相が、空中に浮かび上がる。

 その背景には、なぜか大量のハンカチが積み上げられているのが見えた。

 まだ泣いているらしい。

「大丈夫ですよ、お父様! まだ出発して半日しか経ってませんから!」

『半日も、だ! お前がいない屋敷は、火が消えたように静かで……父はもう寂しくて死にそうだ!』

「もう、大袈裟なんだから……。ちゃんとご飯も食べて、夜更かししないで寝てくださいね?」

『ううっ……なんて親孝行な娘なんだ……! ところで、その犬コロは役に立っているか? もし役立たずなら、すぐに捨てて……』

 アビスは、ホログラムのバルドルに向かって、無言で牙を剥いてみせた。

 (……聞こえてるぞ、クソ親父。テメエの娘が野垂れ死んでないのは、誰のおかげだと思ってやがる)

「あ、あのっ! アビスさんも元気ですよ! ねっ?」

 リディアがアビスを抱き上げて、ホログラムに見せる。

 アビスは「チッ」と舌打ちしつつも、とりあえず「ワン(生きてるよ)」と短く吠えてやった。

『そうか……。まあいい。リディア、暗くなる前に戸締まり……いや、結界を張るんだぞ! 変な男に声をかけられたら、すぐに聖剣で斬り捨てるんだ! いいな!』

「はいはい、分かりました~。じゃあ、また明日連絡しますね!」

 ブツン。

 通信が切れると、リディアは「ふぅ」と息をついた。

 アビスは、呆れたようにジト目で彼女を見上げた。

(……過保護な親父だ。毎日これに付き合うのか?)

「ふふ、愛されている証拠ですよ。……さて!」

 リディアは気を取り直し、腕まくりをした。

 その瞳が、ハンターのそれに変わる。

「キャンプといえば、ご飯ですよね! 私、食材を探してきます!」

(……おい。嫌な予感がするんだが)

「待っていてくださいね、アビスさん! とびっきり栄養満点な『森の恵み』を獲ってきますから!」

 リディアは、聖剣を片手に、森の奥へとダッシュしていった。

 残されたアビスは、小川のほとりで独りごちた。

(……森の恵み、だと? ……あいつの味覚がまともだった試しがねえ)

 アビスの脳裏に、これまでの旅で振る舞われた数々の「殺人料理」の記憶が蘇る。

 ポイズン・フロッグのスープ。

 マンドラゴラの踊り食い。

 そして、正体不明のキノコの炒め物。

 リディア・クレセントは、勇者の血統ゆえか、異常なまでの「悪食耐性」を持っている。

 毒だろうが呪いだろうが、「栄養」として消化してしまうのだ。

 だが、アビス(犬)は違う。

 中身は魔人だが、肉体はただの小型犬だ。

 そんなものを食わされたら、普通に腹を壊す。

(……だが、今の俺様には「切り札」がある)

 アビスは、ニヤリと笑った(犬顔で)。

 彼は、自分の首輪の裏側に隠しておいた、小さな「亜空間ポケット」の術式を確認した。

 そこには、出発前に屋敷の厨房からこっそり拝借してきた、最高級の干し肉やチーズ、そしてワインが格納されている。

(……今夜は、久しぶりに「人間の食事」といこうじゃねえか)


 ◇


 数十分後。

 リディアが、満面の笑みで戻ってきた。

 その手には、巨大な……何かが、ぶら下げられていた。

「獲れましたー! 見てください、アビスさん! 特大の『泥沼大ナマズマッド・キャットフィッシュ』です!」

 ドサッ!

 地面に投げ出されたのは、全長一メートルはある、ヌメヌメとした茶色の魚類だった。

 体表からはドブのような異臭が漂い、ギョロリとした目は死してもなお怨嗟の光を宿している。

 間違いなく、魔獣の類だ。

(……オエッ。……なんだその、生ゴミの王様みたいな魚は)

「失礼な! これは滋養強壮にいいんですよ! さあ、さっそく調理しますね!」

 リディアは、手際よく(しかし豪快に)ナマズを解体し、持参した鍋にぶち込んだ。

 味付けは、道端で拾った謎の野草と、岩塩のみ。

 グツグツと煮立つ鍋から、紫色のアクと、鼻が曲がりそうな悪臭が立ち昇る。

「はい、できました! 『大ナマズのスタミナスープ』です! 召し上がれ!」

 リディアが、木皿になみなみと注がれたドロドロの液体を、アビスの前に置く。

 アビスは、後ずさった。

 本能が、全力で「否」と叫んでいる。

(……食えるかァ! 毒殺する気か!)

「えー? 美味しいのに……。ほら、あーん!」

(やめろ! 近づけるな! その紫色の湯気をこっちに向けるんじゃねえ!)

 アビスは、断固として拒否した。

 リディアは「もう、好き嫌いはダメですよ」と不満そうに言いつつも、アビスが食べないならと、自分でそのスープを啜り始めた。

「ん~っ! 泥臭さがクセになります! パワーが湧いてきますね!」

 彼女は、その地獄のスープを、一滴残らず平らげた。

 恐るべき味覚と胃袋だ。

 アビスは、それを見ているだけで胸焼けがした。


 ◇


 夜が更けた。

 満天の星空の下、焚き火がパチパチと音を立てて燃えている。

 リディアは、満腹と旅の疲れからか、早々に毛布にくるまって熟睡していた。

「……すー……すー……」

 無防備な寝顔。

 その口元には、うっすらとヨダレが垂れている。

 昼間の「勇者(の卵)」としての凛々しさはどこへやら、今はただの能天気な少女だ。 アビスは、その寝顔を確認すると、静かに立ち上がった。

 周囲の気配を探る。

 魔獣の気配はない。

 リディアの呼吸は深く、起きる様子はない。

(……よし。時間だ)

 アビスは、体内の奥底に意識を沈めた。

 「呪い」によって閉ざされた、異空間との接続バルブ。

 そこには、彼がこの数年間かけて解析し、こじ開けることに成功した、わずかな「抜け道」がある。

 二十四時間に一度、三分間だけ。

 リディアの「生命の危機」という条件なしに、自らの意思で解呪できる、秘密の裏技。

『……解呪(ディスペル)ッ!』


 カッ!


 音もなく、黒紫色の閃光が走る。

 犬の体が闇に溶け、再構成される。

 視点が高くなる。

 手足に力が満ちる。

 漆黒のコートが風になびき、銀色の長髪が月光に輝く。

「……ふぅ。……やはり、この姿が一番落ち着くな」

 魔人アビス(魔力百万分の一バージョン)は、自身の両手を見つめてニヤリと笑った。

 制限時間は三分。

 無駄にはできない。

 アビスは、素早く首元の「亜空間ポケット」を開き、中から包みを取り出した。

 最高級の熟成干し肉。

 濃厚なチーズ。

 そして、ボトルに入った年代物の赤ワイン。

 すべて、クレセント家の食料庫から「徴収」してきた逸品だ。

 アビスは、焚き火のそばに優雅に腰掛け(リディアの隣だが)、干し肉を齧った。

 口の中に広がる、肉の旨味とスパイスの香り。

 そして、ワインを一口。

 芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。

「……美味い。……これだよ、これ。これが『食事』ってもんだ」

 あの泥臭いナマズのスープとは雲泥の差だ。

 アビスは、至福の時を噛み締めた。

 犬の姿では味わえない、人間(魔人)としての尊厳を取り戻す瞬間。

 だが、食べているうちに、ふと、隣で寝ているリディアの寝顔が目に入った。

「……けっ。幸せそうな顔しやがって」

 アビスは、干し肉を齧りながら、忌々しげに呟いた。

 こいつのせいで、俺様はこんな不自由な生活を強いられている。

 昼間は重り扱いされ、変な歌を聞かされ、ゲテモノ料理を見せつけられ。

 その鬱憤が、ふつふつと湧き上がってきた。

「……ただ飯食って寝るだけじゃ、腹の虫が収まらねえな」

 アビスの瞳に、子供じみた悪戯心が宿った。

 残り時間、あと九十秒。

 何か、してやりたい。

 この無防備な寝顔に、魔人アビスの「恐ろしさ」を刻み込んでやりたい。

「……そうだ」

 アビスは、焚き火の燃えさしから、冷えた炭の欠片を拾い上げた。

 天然のチョークだ。

 彼は、音を立てないように慎重に、リディアの顔へと近づいた。

「……テメエのそのマヌケ面を、もっとマヌケにしてやるよ」

 アビスは、ニヤニヤしながら、リディアの額にチョークを走らせた。

 サラサラと、達筆な文字で。

 『肉』

 さらに、両頬には、猫のようなヒゲを三本ずつ。

 そして、仕上げに、まぶたの上に「目」の落書きを書き足した。

「……ブフォッ!」

 アビスは、自分で描いておきながら、吹き出しそうになった。

 完成したリディアの顔は、あまりにも芸術的(コメディ的)だった。

 額に「肉」。

 猫ヒゲ。

 そして、目を閉じているのに目が開いているように見える、偽の目。

 伝説の勇者の末裔にあるまじき、間抜けな面構えだ。

「……フハハハ! ざまあみろ! 明日の朝、川面に映る自分の顔を見て、絶望するがいい!」

 アビスは、心底スッキリした。

 これぞ魔人の復讐。

 陰湿で、矮小で、しかし最高にクリエイティブな嫌がらせだ。


 パリンッ。


 体内で、楔が砕ける音がした。

 時間切れだ。

「……おっと。宴もここまでか」

 アビスは、食料の残りを亜空間にしまい込み、炭を投げ捨てた。


 ―――プンッ。


 視界が低くなる。

 黒い毛玉に戻ったアビスは、満足げに尻尾を振って、クッションの上で丸くなった。

 心地よい満腹感と、復讐の達成感。

 今夜は、いい夢が見られそうだ。


 ◇


 翌朝。

 小鳥のさえずりと共に、リディアが目を覚ました。

「んん~っ……。よく寝ました!」

 リディアは、勢いよく上半身を起こした。

 アビスは、薄目を開けてその様子を観察する。

 さあ、気づくか?

 自分の顔の異変に。

 そして、驚愕と羞恥に顔を染めるがいい。

「さて、顔を洗ってきましょうか!」

 リディアは、何も気づかずに立ち上がり、小川の方へと歩いていった。

 アビスは、ワクワクしながらその後をついていく。

 リディアが、小川のほとりにしゃがみ込む。

 澄んだ水面に、彼女の顔が映り込む。

 額の「肉」。

 猫ヒゲ。

 偽の目。

「…………えっ?」

 リディアの動きが止まった。

 彼女は、水面を凝視し、自分の頬をペタペタと触った。

 そして、恐る恐る振り返り、アビスを見た。

(……フハハハハ! どうだ、驚いたか? 怒るか? 泣くか? 犯人が誰かも分からず、恐怖に震えるがいい!)

 アビスは、内心で高笑いをした。

 だが。

 リディアの反応は、アビスの予想(魔人の常識)を、遥かに超えていた。

「……す、すごいです……!」

 リディアの顔が、パァァァッと輝いた。

 頬を紅潮させ、目をキラキラさせている。

「アビスさん! 見てください! こ、これはきっと……『森の妖精さん』の仕業ですよ!」

(…………は?)

 アビスの思考が停止した。

 妖精?

 何を言っているんだ、こいつは。

「私、本で読んだことがあります! 森の妖精は、気に入った旅人に、夜の間に『祝福の印』を授けるって! ……見てください、この『肉』という文字!」

 リディアは、額の「肉」を誇らしげに指差した。

「これはきっと、『旅の途中で、美味しいお肉がたくさん食べられますように』という、妖精さんの温かいメッセージに違いありません! そしてこのヒゲは、動物たちと仲良くなれるおまじないかも!」

(……待て。待て待て待て)

 アビスは、脳内でツッコミの嵐を巻き起こした。

 ポジティブすぎるだろ。

 どう見ても落書きだ。

 しかも「肉」だぞ?

 漢字だぞ?

 妖精が漢字を書くか?

 だが、リディアの暴走は止まらない。

「なんて素敵なんでしょう……! 私、森に歓迎されているんですね! 勇者として認められた証拠かもしれません!」

 彼女は、落書きされた顔のまま、両手を広げて森に向かって叫んだ。

「妖精さーん! ありがとうございますー! この『祝福』、大切にしますねー!」

 大切にするな。

 洗え。

 今すぐ洗え。

 アビスは、ガクリと膝をついた(犬座り)。

 敗北だ。

 完敗だ。

 彼の渾身の嫌がらせは、この脳筋娘の圧倒的な「天然」の前に、ただの「ハッピーなイベント」へと変換されてしまったのだ。

(……もう、いい。勝手にしろ)

 アビスは、死んだ魚のような目で、空を見上げた。

 リディアは、ニコニコしながら戻ってきた。

 額には、まだ「肉」と書かれたままだ。

「さあ、アビスさん! 妖精さんの応援ももらいましたし、今日も元気に進みましょう!」

 彼女は、落書き顔のまま、アビスを抱き上げ、リュックに入れた。

 アビスは、リュックの底で、深く、深くため息をついた。

(……先が思いやられるぜ)

 魔人と勇者の旅は、まだ始まったばかり。

 そして、アビスの苦労もまた、始まったばかりだった。

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