第十七話 荒野の迷子
歯車の村を後にしたリディアとアビスの一行は、さらに西へと進んでいた。
目指すは、地平線の彼方に霞んで見える、巨大な影――かつての科学技術帝国の首都、「中央管理都市」だ。
だが、そこへ至るまでの道のりは、想像以上に過酷で、そして絶望的に遠かった。
通称「鉄の荒野」。
その名の通り、地面は見渡す限りの赤茶けた土と、風化した金属片で覆われている。
植物は一本も生えておらず、あるのは錆びついた鉄塔の残骸や、半ば砂に埋もれたパイプラインだけ。
空は金属の塵を含んだ雲に覆われ、太陽は鈍い光を放つのみ。
そして何より、風が止むことがない。
砂混じりの乾燥した風が、常に肌を打ち付け、体力を削り取っていく。
「……暑い。そして、埃っぽい」
アビス(犬)は、リディアの背負うリュックサックから顔だけを出し、不快げに鼻を鳴らした。
犬の身体にとって、環境の劣悪さはストレスに直結する。
特にこの一帯は、科学文明特有の「魔力の薄さ」に加え、微弱な電磁波が常に空間を飛び交っている。
まるで、壊れかけたラジオのノイズを延々と聞かされているような気分だ。
(……最悪だ。なぜ、この世界の覇者たる俺様が、こんな薄汚い砂漠をドッグフードのような気分で運ばれねばならんのだ)
「アビスさーん! 見てください、変な形のサボテンがありますよ!」
そんなアビスの憂鬱をよそに、勇者リディア・クレセントは元気そのものだった。
彼女は額の汗を拭うこともせず、道端に突き出した奇妙なオブジェを指差してはしゃいでいる。
「……ワン(あれはサボテンじゃない。錆びて曲がった排気管だ)」
「えっ? 鉄のサボテンですか? すごい生命力ですね!」
「ワン(だから生き物じゃないと言ってるだろ)」
会話が成立していない。
いつものことだが。
リディアの体力とポジティブさは、この過酷な環境において最大の武器であり、同時にアビスにとっては最大のイライラの種でもあった。
その時だった。
ヒュン……ヒュン……ガガッ……ヒュン……。
風の音に混じって、奇妙な駆動音が聞こえてきた。
アビスの耳がピクリと反応する。
生き物の足音ではない。
回転翼が空気を切る音と、劣化したモーターが軋む音だ。
「……ん? 何か聞こえますね」
リディアも足を止める。
二人の視線の先、瓦礫の山の陰から、その「物体」は姿を現した。
それは、一メートル四方ほどの大きさの、浮遊する箱だった。
四隅には回転するローターがついているが、そのうちの一つは折れ曲がり、回転が不安定になっている。
胴体部分は塗装が剥げ落ち、本来の色が何だったのかも分からないほど錆びついている。
正面には、カメラアイと思われる単眼のレンズが一つ。
それは、空中でふらふらと頼りなく揺れながら、リディアたちの方へと近づいてきた。
「わあ! UFOですか!?」
リディアが目を輝かせる。
(……違う。あれは……旧式の「自律配送ドローン」か?)
アビスは目を細めた。
かつて科学帝国が全盛期だった頃、広大な領土内の物資輸送を担っていた無人機だ。
だが、文明が滅んで千年。
こんなものがまだ動いていること自体が異常だ。
おそらく、太陽光パネルか何かで細々と充電しながら、目的もなく彷徨い続けているのだろう。
「攻撃してくるでしょうか?」
リディアが聖剣の柄に手をかける。
「ワン(待て。武装はない。ただの運び屋だ)」
アビスが止めるのと同時に、ドローンは二人の数メートル手前で、プスン、と音を立てて着地してしまった。
どうやら、飛ぶ力も残っていないらしい。
ウィィン……カシャ……。
ドローンのレンズが動き、リディアを見上げる。
そして、壊れたスピーカーから、ノイズ混じりの音声が流れた。
「……配……送……。……お届……け……」
途切れ途切れの言葉。
だが、その機械的な響きの中に、リディアはどこか迷子の子犬のような心細さを感じたのは、気のせいだろうか。
「……あらら。お腹が空いてるみたいですね」
リディアが、しゃがみ込んでドローンを覗き込む。
「何か食べるかな? 干し肉ならありますけど」
「ワン(機械が肉を食うか。……まあ、エネルギー切れだろうな)」
アビスは呆れつつも、少しだけ興味を抱いた。
千年もの間、メンテナンスもなしに稼働し続ける耐久性。
腐っても科学帝国の技術力の結晶だ。
(……少し、調べてみるか)
アビスはリュックから這い出し、ドローンに近づいた。
前足でボディに触れ、微弱な魔力(電気信号)を流し込む。
診断結果は、ボロボロだった。
バッテリー残量、三パーセント。
ジャイロセンサー、故障。
GPSモジュール、応答なし。
配送ルートデータ、破損。
まさに満身創痍。
いつ機能停止してもおかしくない状態だ。
だが、AIのコア部分だけは、奇跡的に生きていた。
そこには、ただ一つの命令だけが、頑固なまでに焼き付いていた。
『荷物を、中継ステーションへ』。
(……フン。愚直なもんだ)
アビスは、自身の魔力を少しだけ電気に変換し、ドローンの充電ポートに流してやった。
バチバチッ。
ドローンのレンズが、パッと明るく点灯する。
ウィィィィン!
ローターが勢いよく回り出し、ドローンが再び宙に浮いた。
「……充電……確認。……感謝……します……」
ドローンは、アビスの周りを嬉しそうにくるくると回った。
「わあ! アビスさんになつきましたよ! すごいです!」
リディアが手を叩いて喜ぶ。
「名前をつけましょう! うーん、そうですね……鉄でできてて、四角いから……『ポチ』はどうでしょう?」
「ワンッ!?(ふざけるな! ポチは犬の名前だろ! 紛らわしい!)」
アビスが抗議するが、リディアは聞いていない。
「ポチ! お手!」
ドローン(ポチ)は、リディアの声に反応し、ウィィンとアームを伸ばしてリディアの手に乗せた。
「すごーい! お利口さんですねぇ!」
リディアはポチの錆びた頭を撫で回す。
ポチも、なんだか嬉しそうにレンズを明滅させている。
(……機械に心を投影するな。ただの音声認識プログラムだ)
アビスは冷ややかに見ていたが、ふと、あるアイデアが閃いた。
(……待てよ。こいつは「配送ドローン」だ。つまり……)
数分後。
一行の移動スタイルは劇的に改善されていた。
宙に浮くポチの背中(荷台)には、リディアの重いリュックサックが積まれていた。
そして、そのリュックの上には、アビスが王様のように鎮座している。
「ワン(……悪くない。実に快適だ)」
アビスは、風に吹かれながら満足げに頷いた。
ポチの浮遊能力のおかげで、荷物の重さはゼロ。
リディアは身軽になり、アビスは揺れない特等席を手に入れた。
「ポチ、頑張ってくださいねー! 疲れたら言ってくださいね!」
リディアが横を歩きながら、ポチに話しかける。
ポチは『……配送……進行中……』と答えながら、健気に荒野を進んでいく。
◇
ポチとの旅は、思いのほか賑やかなものになった。
ポチは、ただ荷物を運ぶだけではなかった。
リディアが躓きそうになると、『……段差……注意……』と警告し、アビスが喉が渇いた素振りを見せると、どこからか隠しアームを出して水筒を差し出してくれた。
どうやら、長年の放浪の末に、初期プログラムにはない「学習」をしてきたらしい。
あるいは、寂しかったのかもしれない。
誰かの役に立つこと。
誰かと共に歩くこと。
それが、この迷子の機械にとっての喜びであるかのように、ポチは甲斐甲斐しく働いた。
夜、野営をする時も、ポチは眠らなかった。
焚き火のそばで、リディアとアビスが眠る間、ずっと周囲を警戒するようにレンズを光らせていた。
アビスがふと目を覚ますと、ポチがアームで器用に焚き火に枯れ木をくべているのを目撃した。
その光景に、アビスはかつての自分の部下(四天王)たちを思い出した。
あいつらは、ここまで忠実だっただろうか。
いや、全員、俺様の留守中に裏切って好き勝手やっていたな。
(……皮肉なもんだ。心を持つ部下よりも、心のない機械の方が信頼できるとは)
アビスは、こっそりとポチに近づき、再び魔力充電をしてやった。
礼を言うつもりはない。
ただ、明日も荷物を運んでもらわねば困るからだ。
あくまで、効率のためだ。
◇
そして、三日目の夕方。
荒野の先に、巨大な建造物が見えてきた。
だが、それは目的地である「中央管理都市」ではなかった。
都市はまだ、地平線の向こうに蜃気楼のように揺らいでいる。
目の前に現れたのは、巨大なコンクリートの壁に囲まれた、古びた施設だった。
無数のコンテナが積み上げられ、錆びついたクレーンが空を仰いでいる。
かつての「物流中継ステーション」の跡地だ。
「……目的地……周辺……到達……」
ポチがアナウンスする。
だが、その動きが鈍くなっている。
レンズの色が、青から警告色の黄色へと変わり始めていた。
一行が、ステーションの入り口ゲートに差し掛かった時だった。
ピピピピピッ!
ポチから、激しいアラーム音が鳴り響いた。
急ブレーキがかかったように、ポチが空中で停止する。
「あれ? どうしたんですか、ポチ?」
リディアが振り返る。
ポチは、見えない壁にぶつかったかのように、その場から一歩も進もうとしなかった。
「……警告……。第7配送エリア……活動限界……」
「……これより先……侵入……不可……」
(……そうか、ここは「管区」の境目か)
アビスは、リュックから飛び降りた。
このドローンは、旧時代の「広域配送システム」の末端だ。
それぞれの機体には、担当する「配送エリア」が厳格に設定されている。
ここから先は、別の管区。あるいは、都市直轄の特別管理区域だ。
地方配送用ドローンであるポチには、ここから先の通行許可(アクセス権)がないのだ。
千年前に設定された、今はもう意味のない「見えない壁」。
だが、機械であるポチにとって、それは物理的な壁よりも絶対的な「掟」だった。
「え? 入れない? でも、都市はまだあんなに遠いですよ?」
リディアが、遥か彼方の都市を指差す。
ここから歩けば、まだ何日もかかる距離だ。
「一緒に行きましょうよ! ここまで一緒に来たじゃないですか!」
リディアはポチのボディを掴み、グイっと引っ張った。
ウィィィン! ポチのローターが唸りを上げ、抵抗する。
いや、ポチ自身は行きたがっているようだった。
レンズは必死にリディアの方を向いている。
だが、プログラムが強制的に侵入を拒んでいるのだ。
「……エラー……。……行きたい……。……でも……ダメ……」
合成音声が、悲痛な響きを帯びる。
「そんなの、私が許します! 行こう、ポチ!」
リディアがさらに強く引く。
アビスが見るに、ポチの内部回路は限界だった。
「命令(行くな)」と「意志(行きたい)」の相克。
その矛盾が、老朽化した電子頭脳に致命的な負荷をかけている。
バチッ!
ポチの内部から、火花が散った。
プスン……。
ローターの回転が止まる。
ドサッ。
ポチは、地面に落下した。
動かない。
「ポチ!?」
リディアが慌てて抱き起こす。
だが、反応はない。
レンズの光も消えている。
「アビスさん! 直してください! お願いします!」
リディアが涙目で懇願する。
アビスは、静かに首を横に振った。
「ワン(……無理だ。バッテリー切れじゃない。基盤が焼き切れた)」
寿命だ。
千年間、孤独に荒野を彷徨い続け、最後にリディアたちという「依頼主」を見つけ、限界まで稼働した。
これは故障ではない。
任務完了による機能停止だ。
「そんな……。嘘ですよね? 起きてくださいよ、ポチ……」
リディアの涙が、ポチの錆びたボディに落ちる。
ただの機械。
ただの鉄屑。
だが、この数日間、確かに彼は「仲間」だった。
アビスは、ふう、と息を吐いた。
まったく、世話の焼ける勇者だ。
たかだかドローン一機に、ここまで感情移入するとは。
非効率的で、非論理的で。
……まあ、嫌いではない。
(……リディア、少しどいてろ)
アビスは、泣き崩れるリディアの肩を前足で叩き、ポチの前に進み出た。
そして、額をポチのレンズに押し当てた。
「アビスさん……?」
(……術式展開。「記憶抽出」)
アビスは、僅かな魔力を振り絞り、焼き切れた基盤の奥底に残る「データ」を吸い上げた。
配送記録。
荒野の風景データ。
そして、最後に記録された、リディアの笑顔の画像データ。
それら全てを、アビスは自身の脳内領域へと転送し、保存した。
カチャ。
アビスは、ポチのボディから離れた。
「ワン(……行くぞ、リディア)」
「でも……ポチが……」
「ワン(抜け殻だ。データは、俺様が預かった)」
「え?」
リディアが顔を上げる。
「ワン(いつか、もっとマシなボディが見つかったら、移し替えてやる。……こんなポンコツじゃ、荷物持ちの役には立たんからな)」
それは、アビスなりの最大の優しさであり、約束だった。
リディアの瞳に、光が戻る。
「……本当ですか? 本当に、直してくれますか?」
「ワン(魔人に二言はない。……ただし、俺様が元の姿に戻れたら、だがな)」
リディアは、涙を拭い、立ち上がった。
そして、動かなくなったポチのボディを、道端の岩陰に優しく安置した。
「待っててね、ポチ。必ず迎えに来るから」
リディアは、最後に一度だけポチの頭を撫で、前を向いた。
二人は、ゲートをくぐり、ステーションの構内へと入った。
そこには、荒涼とした風景とは不釣り合いな、巨大なレールが敷かれていた。
そして、レールの先には、黒い塊が鎮座していた。
全長数百メートルはあるであろう、巨大な「貨物列車」だ。
動力は止まっているが、まだ生きている気配がする。
このレールは、地平線の彼方にある「中央管理都市」へと真っ直ぐに伸びている。
「……アビスさん、あれは?」
リディアが列車を指差す。
「ワン(……旧時代の自動輸送列車だ。ポチがここまで運んだ荷物を、都市へ一括輸送するためのラインだろう)」
アビスはニヤリと笑った(犬の顔で)。
「ワン(歩くのはもう御免だ。次はあれに乗っていくぞ)」
ポチが命懸けで案内してくれた場所は、次の旅路への始発駅だった。
リディアは、もう一度だけ振り返り、ポチが眠る岩陰に向かって小さく手を振った。
そして、アビスと共に、静かに眠る鉄の巨体へと歩き出した。




