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第十六話 歯車の村

 魔導の塔が崩壊してから、さらに数日が経過していた。

 リディア・クレセントとアビス(犬)の一行は、西の果て、かつて「科学技術帝国」と呼ばれた領域へと足を踏み入れていた。

 そこは、生命の気配が極端に希薄な、赤茶けた荒野だった。

 空は常に鉛色の雲に覆われ、地面には草木の代わりに錆びついた鉄骨やパイプが突き出している。

 風が吹くたびに、キィキィ……カカカ……という、金属が擦れる不協和音がどこからともなく響いてくる世界。

(……うるさい)

 アビス(犬)は、リュックの底で耳を前足で塞ぎながら、心の底から呪詛を吐いた。

(……なんだ、この不快な音は。耳障りだ。癇に障る。いますぐ音源を特定して消し飛ばしてやりたい……!)

 魔人アビスは、聴覚が鋭い。

 特に、犬の姿になってからは、その感度は魔人時代の数倍に跳ね上がっている。

 この荒野に満ちる「機械の死に損ない」のようなノイズは、彼にとって黒板を爪で引っ掻く音を四六時中聞かされているような拷問だった。

 それに加えて、大気中の「魔力(マナ)」が薄く、代わりに「磁場ノイズ」が満ちている環境。

 アビスの機嫌は、地底を突き抜けてマントルに達するほど最悪だった。

「アビスさん? さっきから唸り声を上げてますけど、お腹痛いんですか?」

 対照的に、勇者リディア・クレセントは元気そのものだった。

 彼女は、錆びついて倒れた鉄塔の残骸をジャングルジムのように軽快に越えながら、背中のアビスを気遣った。

「ワン(違う。この騒音公害をどうにかしろと言ってるんだ)」

「そうですかー。あ、見てください! 遠くに煙が見えますよ! 村かもしれません!」

 リディアが指差した先。

 巨大な歯車のような形をした岩山(おそらく人工物)の麓に、白い蒸気が立ち上っていた。

 そこには、トタンや鉄板を継ぎ接ぎして作ったような、奇妙な家々が密集していた。


 ◇


 二人がたどり着いたのは、「歯車の村(ギア・ヴィレッジ)」と呼ばれる集落だった。

 村の入り口には、錆びた鉄パイプで作られたアーチがあり、そこには『安全第一』という、意味の失われた古代文字が掲げられていた。

 住民たちは、ボロボロの作業着のような服をまとい、頭にはゴーグル、首からは歯車やボルトを「お守り」としてぶら下げていた。

 彼らは、よそ者であるリディアたちを警戒の目で見つめていたが、リディアの背負っている「黒い聖剣」を見た瞬間、その態度を一変させた。

「おお……! その黒き金属の輝き……! まさか、伝説の『オリハルコン』か!?」

「え? いえ、これはただの呪いの……じゃなくて、聖剣ですけど」

「なんと! 『セイケン』とは、古代語で『制御権(セイギョケン)』のことか! ならば、あなたは都から派遣された『エンジニア』様に違いない!」

「えんじにあ?」

 リディアが首を傾げている間に、村人たちは歓喜の声を上げ、彼女を取り囲んだ。

 どうやら、この村では「金属=神聖なもの」「黒い金属=最高級の素材」という独自の信仰があるらしい。

 そして、黒い聖剣を持つリディアを、何か偉い技術者(司祭のようなもの)だと勘違いしたようだ。

(……くだらん。未開の猿どもめ)

 アビスは、リュックの隙間から冷ややかな視線を送った。

 科学文明が崩壊して千年《崩壊させたのはアビスだが)。

 かつての高度な技術は失われ、残された人々は、意味も分からず機械を崇める「積荷崇拝(カーゴ・カルト)」のような状態に陥っているのだろう。

「エンジニア様! どうか、我々の『神』をお救いください!」

 村の長老らしき、髭にナットを編み込んだ老人が、リディアに懇願した。

「神様が……数日前から『お怒り』なのです。不吉な悲鳴を上げ、高熱を発しておられます。このままでは村が焼き尽くされてしまう……!」

「神様が病気なんですか? 任せてください! 荒療治は得意です!」

 リディアは、エンジニアの意味も分からぬまま、自信満々に胸を叩いた。

(……おい待て。お前の荒療治じゃ、機械は壊れるだけだぞ)

 アビスの懸念をよそに、二人は村の最奥にある「神殿」へと案内された。


 ◇


 神殿――それは、かつての「工場(プラント)」の一部だった。

 崩れかけたコンクリートの建屋の中に、その「神」は鎮座していた。

 高さ五メートルはある、巨大な円筒形の機械。

 表面には無数のパイプと計器類が取り付けられている。

 それは、古代の「地熱発電機(ジェネレーター)」だった。

 だが、その状態は悲惨だった。


 キィィィィィィィン……!

 ガッ、ガッ、ガッ、ギュルルルル……!


 耳をつんざくような金属音が、ジェネレーターから響き渡っていた。

 内部の回転軸がブレている音だ。

 さらに、排気口からは黒い煙が吹き出し、筐体は高熱で赤く変色しかけている。

 明らかに、メンテナンス不足による暴走寸前の状態だった。

「おお、神よ……! どうかお鎮まりください!」

 村人たちは、ジェネレーターの前に祭壇を設け、そこで奇妙な儀式を行っていた。

 ドラム缶を太鼓のように叩き、リズムに合わせて「オイル」を祭壇に注ぐ。

 そして、数人の男たちが、長い棒でジェネレーターの側面をバンバンと叩いている。

「動けー! 動けー! 我らが祈りよ届けー!」

「聖油を捧げよ! 摩擦の悪魔を追い払え!」

(……やめろ馬鹿! 精密機械を棒で叩くなッ!)

 アビスは、リュックの中で絶叫しそうになった。

 あれは「打撃修理法」ではない。

 ただの破壊活動だ。

 しかも、彼らが「聖油」として捧げているのは、不純物だらけの廃油だ。

 あんなものを注げば、フィルターが詰まって事態はより悪化する。

(……嘆かわしい。あまりに非論理的だ)

 アビスは眉をひそめた。

 彼は魔導王国の生体兵器として生まれた存在だ。

 本来、科学技術とは敵対する関係にある。

 だが、アビスという個体の精神性は、感情的で曖昧な魔術師たちよりも、冷徹なまでに論理を突き詰める科学者たちの思想に近いところがあった。

 「効率」と「最適化」。

 アビスが好むその二つの概念が、目の前で蹂躙されている。

 かつての敵が残した遺産とはいえ、その設計には一点の無駄もない美しい「論理」が宿っているはずだ。

 それが、こんな原始的な方法で虐待されているのを見るのは、彼の美学が許さなかった。

 何より。

 キィィィィン……!

 この高周波ノイズが、アビスの耳を殺しにかかっている。

(……限界だ。このままでは、俺様の鼓膜が破れるか、ストレスで胃に穴が開くかだ)

 アビスは、殺意に満ちた目でジェネレーターと村人たちを睨みつけた。

「うーん、確かに熱そうですね」

 リディアは、ジェネレーターに近づき、腕組みをした。

「これは、風邪ですね。おでこ(?)が熱いです。冷やしてあげましょう!」

 リディアが、近くにあったバケツの水を手に取る。

(……待て。熱した金属に水をかけるな。歪んで破裂するぞ!)

「それと、叩く場所が悪い気がします! 私なら、もっと『ツボ』を突けますよ!」

 リディアが、聖剣の柄を握りしめ、ジェネレーターの重要パーツ(制御盤)に狙いを定める。

(……やめろ! そこは心臓部だ! お前の馬鹿力で叩いたら、この村ごと吹き飛ぶぞ!)

 アビスは、リディアの服の裾を必死に噛んで引っ張った。

「あれ? アビスさん? ダメですか?」

「ワン! ワン!(ダメに決まってるだろ! 全員下がれ!)」

 アビスの必死の制止により、リディアによる「トドメの一撃」は回避された。

 しかし、ジェネレーターの悲鳴は止まらない。

 村長は「エンジニア様の祈祷(?)を待とう」と言って、今夜は宴を開くことにした。


 ◇


 深夜。

 村人たちは宴で酔いつぶれ、リディアも「鉄板焼き」を食べて満腹になり、熟睡していた。

 静寂が訪れるはずの時間。

 だが、村には依然として、あの不快なノイズが響き続けていた。


 キィィィィン……。


(……寝れん)

 ゲストハウス(廃バスを改造した小屋)の中で、アビスは充血した目で起き上がった。

 ジェネレーターの悲鳴は止まらない。

 このまま朝を待つなど不可能だ。

(……やるか。不本意だが)

 アビスは、「三分解呪」を使うまでもなく、犬の姿のまま小屋を抜け出した。

 この科学文明の領域では、魔力は貴重だ。

 解呪に使うエネルギーすら惜しい。

 それに、細かい作業をするなら、人間の手よりも「魔力の糸」の方が便利だ。

 彼は闇に紛れて、神殿へと向かった。


 ジェネレーターの前には、見張りの村人が一人いたが、すでに夢の中だ。

 アビスは音もなく近づき、ジェネレーターを見上げた。

 近くで見ると、その惨状は明らかだった。

 主軸のベアリングが摩耗し、芯がズレている。

 冷却パイプの一部が詰まり、循環不全を起こしている。

 そして何より、制御プログラムがエラーを吐き続けている。

(……ひどいもんだ。千年持ったのが奇跡だな)

 アビスは、ため息をつきつつ、作業を開始した。

 魔法が効きにくい領域だが、精密操作に特化すれば問題ない。

 むしろ、魔力を「電気信号」に変換して内部回路に干渉するのは、アビスだけが可能な裏技だ。

(……術式展開。「念動力(サイコキネシス)」・極小出力)

 アビスの瞳が紅く光る。

 彼は、魔力の「手」を作り出し、ジェネレーターの内部へと潜り込ませた。

 錆びついたボルトを、魔力の潤滑油(自身の魔力を油状に変化させたもの)で包み込み、優しく、かつ正確に緩める。

 摩耗したベアリングには、即席の「硬化修復(メタル・パッチ)」を施し、ミクロン単位で芯を調整する。

 詰まったパイプには、圧縮した空気を送り込み、ヘドロを一気に押し流す。


 ガッ……シュゥゥゥ……


 ジェネレーターが、安堵のため息のような蒸気を吐き出した。

 ノイズが、少しずつ収まっていく。

(……次は制御系だ。このスパゲッティコードめ、誰が書いたんだ。美しくない)

 アビスは、外部接続端子に尻尾を接触させ、直接魔力パルスを送り込んだ。

 古代語(プログラミング言語)の羅列が、彼の脳内に流れ込んでくる。

 彼は、エラーログを瞬時に解析し、バグを潰し、非効率なループ処理を書き換えていく。

 「神の怒り」と恐れられていた振動の原因は、単なる「自動お掃除機能」の暴走だった。

 それをオフにする。

 ついでに、出力係数を最適化し、燃焼効率を三〇〇%向上させる。


 作業は、二時間に及んだ。

 アビスの額(毛)には、じっとりと汗が滲んでいた。

 魔力消費による疲労と、科学領域特有の頭痛。

 だが、彼の表情には、ある種の達成感があった。

 魔法使いとしては邪道かもしれないが、論理的な美しさを追求する者として、「完璧な仕事」をした後の充実感。

 目の前の機械は、もはやガラクタではない。

 理路整然と、無駄なくエネルギーを生み出す「美しいシステム」へと生まれ変わった。

 敵の技術だろうが何だろうが、優れた論理は美しい。

 それを証明した気分だった。

(……よし。これでいい)

 最後の調整を終え、アビスが離れると。


 フォォォォォォン……。


 ジェネレーターの音が変わった。

 不快な金属音は消え失せ、代わりに、滑らかで低い重低音が響き始めた。

 排気口からは、黒煙ではなく、透明な熱波だけが出ている。

 完全稼働。

 いや、新品同様、あるいはそれ以上のスペックでの再起動だ。

「……ふん。世話の焼けるガラクタだ」

 アビスは、満足げに鼻を鳴らし、ジェネレーターに背を向けた。

 これで、今夜は安眠できる。

 彼は尻尾を振りながら、寝床へと戻っていった。


 ◇


 翌朝。

 村は、パニック……ではなく、熱狂に包まれていた。

「奇跡だ! 神の奇跡だ!」

「見ろ! 神殿の明かりが、見たこともないほど輝いている!」

「お湯だ! 蛇口から、泥水じゃなくて、透明で熱いお湯が出るぞ!」

 村人たちは、ジェネレーターの劇的な変化に驚愕し、涙を流して喜んでいた。

 あの騒音は嘘のように消え、村全体に心地よい暖かさとエネルギーが供給されている。

 そして、その中心にいたのは――。

「むにゃ……? なんですか、朝から……」

 寝ぼけ眼で起きてきたリディアだった。

 村長が、彼女の足元に滑り込み、額を地面に擦り付けた。

「エンジニア様! いや、救世主様! あなた様が、寝ている間に神を鎮めてくださったのですね!」

「え? 私? 寝てましたけど」

「ご謙遜を! 寝ている間に『遠隔祈祷』を行ったのでしょう! さすがは伝説の聖剣使い!」

「はあ……。よく分かりませんが、神様が元気になったなら良かったです!」

 リディアは、状況を深く考えず、ニカっと笑ってサムズアップした。

 村人たちは、その笑顔に後光を見た気がして、一斉に拝んだ。

(……チッ。手柄は全部こいつかよ)

 アビスは、リディアの足元であくびをした。

 まあいい。

 正体がバレて騒がれるよりはマシだ。

 それに、あの不快なノイズがなくなったおかげで、今の彼は非常に気分が良かった。

 今日の空気は、少しだけ美味しい気がする。

「お礼に、我が村の秘宝をお持ちください!」

 村長たちがうやうやしく持ってきたのは、ドラム缶一杯の「最高級潤滑油」と、歯車の形をした金メダルだった。

「わあ! ありがとうございます! これ、黒いジュースですか? 美味しそうです!」

 リディアがオイルを飲もうとしたので、アビスは全力で吠えて止めた。

「ワン!(毒だ! 飲むな! 俺様のリュックに入れろ!)」

 リディアは不思議そうに首を傾げたが、アビスの剣幕に押されて、オイルを瓶に詰め替えてリュックに収めた。

 このオイルがあれば、アビス自身の魔導具の手入れに使えるし、何よりこの先、また科学兵器と戦う時の「火炎瓶」代わりにもなる。

 アビスは、ちゃっかりと実利を得ることに成功した。


 こうして、アビスによる「神の修理」は、誰にも知られることなく(リディアの勘違いの手柄として)完了した。

 一行は、村人たちの盛大な見送りを受けながら、次なる目的地へと出発した。

 背後で、ジェネレーターが快調な音を立てている。

 その規則正しいリズムは、まるでアビスを見送るエンジンの鼓動のように聞こえた。

「アビスさん、いいことをすると気持ちがいいですね!」

 リディアが、軽い足取りで歩きながら言う。

「ワン(お前は寝てただけだろうが)」

「あ、でもあのオイル、ちょっと舐めてみたかったなぁ……」

「ワン(死ぬぞ)」

 アビスは、リュックの中で、少しだけ上機嫌に目を閉じた。

 科学と魔法。

 相反する二つの力が混在するこの地で、彼は自分のルーツと向き合い始めていた。

 論理と効率を愛する自分と、非論理的で感情的な「相棒」と共にいる自分。

 その矛盾すらも、今の彼には心地よいノイズに感じられた。

 静かになった荒野を、一人と一匹は西へと進む。

 彼らの旅路は、遙か彼方の都市の廃墟へと続いていく。

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