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第十二話 プロジェクト・ホープ

 螺旋階段を登りきると、世界が一変した。

 先ほどまでの「設計書の間ブルー・プリント・ホール」が、深海のような陰鬱な青と闇に支配されていたのに対し、この階層は、目が眩むほどの「白」に満たされていた。

 天井も、壁も、床も。

 すべてが純白の輝きを放つ素材で構成されている。

 まるで天国への入り口か、あるいは潔癖な衛生管理が施された無菌室のようだった。

「うわぁ……っ! 眩しいです!」

 リディア・クレセントは、あまりの白さに目をしばたたかせた。

 彼女は、腕の中のアビス(犬)を庇うように抱きしめながら、恐る恐る足を踏み出した。

「さっきの部屋とは大違いですね。ここは……なんだか、すごく神聖な感じがします」

(……神聖、か。ケッ)

 アビスは、不快げに鼻を鳴らした。

 確かに、一見すれば神殿のようにも見える。

 だが、漂っている空気は同じだ。

 ここにもまた、生命を冒涜し、理をねじ曲げた、古代魔導士どもの傲慢な残留思念がこびりついている。

(……俺様を作った連中が、対となる「もう一つ」を作らなかったはずがねえ)

 アビスは確信していた。

 下の階が「破壊の魔人」の製造記録なら、この階にあるのは、当然「それ」を止めるための存在の記録だ。


 ◇


 白い回廊の突き当たりに、荘厳な両開きの扉があった。

 扉には、リディアが背負っている「聖剣」と同じ意匠――交差する二本の剣と、それを包む光の翼の紋章が刻まれている。

「あ! 見てください、アビスさん! 私の剣と同じマークです!」

 リディアが背中の剣と扉を見比べる。

「ということは、ここはご先祖様に関係する場所なんですね! きっと、勇者の歴史博物館みたいなところですよ!」

 リディアは、期待に胸を膨らませて扉に手をかけた。

 ゴゴゴゴ……と重い音を立てて、扉が開く。


 中は、円形の広間になっていた。

 部屋の中央には、等身大の人形――いや、人体模型のようなものが、ガラスケースの中に安置されている。

 そしてその周囲を取り囲むように、無数のホログラム映像が空中に投影されていた。

 そこに映し出されているのは、筋肉の構造図などではない。

 螺旋を描く二重の鎖――遺伝子情報の配列図と、複雑な細胞分裂のシミュレーション映像だった。

「……えっ?」

 リディアの足が止まった。

 博物館だと思っていた彼女の目には、その光景はあまりにも異質に映ったのだろう。

「これ……血? なんだか、血の巡りみたいな絵がいっぱいです」

 アビスは、リディアの腕から飛び降り、スタスタと部屋の中央へと歩み寄った。

 ガラスケースの中の人体模型。

 のっぺらぼうの顔。

 だが、その体格、骨格のバランスは、アビスの記憶にある「ある人物」と酷似していた。

(……やっぱりな)

 アビスは、模型の足元にある説明文(古代語)に目を走らせた。


『―――プロジェクト・ホープ。対魔人用生体兵器「勇者」開発記録』


 その文字列を見た瞬間、アビスの胸中に冷たい風が吹き抜けた。

 やはり、そうか。

 あいつら(古代の魔導士ども)は、魔人という「最強の矛」を作った後、それが暴走した時のための「最強の盾」も同時に設計していたのだ。


『被検体コード:ブレイブ。……適合する遺伝子を持つ素体を選抜し、後天的な遺伝子改造によって、「種」としての形質を根本から書き換える』


 アビスは、次々と表示される仕様書を読み進めた。

 そこには、一人の人間を「英雄」へと仕立て上げるための、徹底的かつ冷酷な改造の記録が記されていた。

 だが、それはアビスが予想していたような「機械化」や「魔導部品の埋め込み」ではなかった。

 もっと根源的で、取り返しのつかない領域への干渉。


『魔力伝導率の低い「ヒト」の遺伝子配列を排除し、古代竜や精霊種など、高位魔力生命体の因子を組み込む』

『骨格、筋肉、神経伝達速度に至るまで、細胞レベルで再構築を行う』

『この形質変化は、被検体のDNAに深く刻まれ、後世の子孫へと遺伝情報として継承されるものとする』


(……なるほどな。だからか)

 アビスは、背後のリディアを振り返った。

 彼女が持つ、人間離れした怪力。

 毒を栄養に変える異常な代謝機能。

 そして、魔力を持たない身でありながら、聖剣の莫大なエネルギーに耐えうる肉体。

 それらは全て、初代勇者が受けた「遺伝子改造」の結果、彼の子孫たちに「勇者の血」として受け継がれたものだったのだ。

(……リディア。お前のそのデタラメな強さは、ご先祖様が人間をやめた結果の産物だったってわけか)

 だが、肉体の強化だけではない。

 アビスの目は、さらに下の記述に吸い寄せられた。

 そこには、五年前――「浄化者(ピュリファイア)」との戦いで、アビスたちが直面した「あの悲劇」の元凶が記されていた。


『特記事項:精神構造の最適化について』

『強靭な肉体だけでは不十分である。魔人と対峙する際の「迷い」こそが最大の敗因となる』

『解決策として、脳の深層領域、本能を司る部分に「滅魔衝動」を植え付ける』

『対象は、魔を感知した際、思考よりも早く殲滅行動を取るよう調整される。これは学習ではなく、生存本能としての書き込みである』


「…………はっ」

 アビスの口から、乾いた笑いが漏れた。

 笑うしかなかった。

 あの時の、あの男の行動の理由が、数百年越しに繋がったからだ。


 ―――初代勇者。

 かつてアビスを封印した後、彼は死んだのではなく、自らコールドスリープに入り、未来での再戦に備えていた。

 そして五年前、リディアによって封印が解かれた際、彼もまた目覚めた。

 だが、目覚めた彼は、もはやかつての英雄ではなかった。

 「魔」を感知するや否や、問答無用で全てを消し去ろうとする、殺戮マシーンと化していた。

 「浄化者(ピュリファイア)」の頂点に君臨し、魔族も、魔に関わった人間も、全てを「不浄」として焼き払おうとした、狂気の独裁者。

(……狂ってたんじゃなかったんだな、お前は)

 アビスは、かつての宿敵の幻影に語りかけた。

(お前は、壊れたんじゃない。……最初から、そう「設計」されていたんだ)

 『滅魔の本能』。

 それは、アビスに植え付けられた『破壊衝動』と対をなす、呪いのようなプログラム。

 コールドスリープによる長い眠りが、彼の人格という「蓋」を風化させ、植え付けられた「本能」だけを剥き出しにしてしまったのだ。

 あの時の彼は、ただ忠実に、この設計図通りに動いていただけだったのだ。

(……なぁ、勇者よ。お前、知ってたのか?)

 アビスは、虚空に問いかけた。

(お前のその正義が、誰かに植え付けられたものだって。お前が命をかけて守ろうとした世界が、実はお前を「兵器」として利用していた連中の掌の上だったって……知ってたのか?)

 もし知っていたなら、あまりにも悲劇だ。

 もし知らなかったなら、あまりにも滑稽だ。

 かつて、アビスは勇者を憎んでいた。

 自分の邪魔をする目障りな虫だと。

 そして「浄化者(ピュリファイア)」の戦いでは、変わり果てた彼の姿に激しい怒りを覚えた。

 だが今、アビスの胸にあるのは、憎しみではなかった。

 それは、同じ「呪い」を背負わされ、同じ盤上で踊らされた者同士の、奇妙な連帯感。

 あるいは、哀れみにも似た、複雑な共感だった。

(……俺たちは、どっちもどっちだったってわけか)

 「魔人」と「勇者」。

 世界の命運をかけた壮大な戦いは、古代人たちが演出した、史上最悪のマッチポンプだったのだ。


「……アビスさん?」

 リディアの声が、アビスを現実へと引き戻した。

 彼女は、一枚のホログラム映像を食い入るように見つめていた。

 そこには、手術台のような場所に拘束され、無数の管に繋がれた青年の姿があった。

 苦悶の表情を浮かべながらも、その目は決して光を失っていない。

 初代勇者の、遺伝子書き換え手術中の記録映像だ。

 全身の血管が浮き上がり、血液が沸騰するかのような激痛に耐えている様子が生々しく記録されている。

「これ……ご先祖様、ですよね?」

 リディアが、震える声で言った。

 アビスは緊張した。

 彼女が真実に気づくか?

 「ご先祖様は、改造された偽物の英雄だったんだ」と絶望するか?

 あの「浄化者ピュリファイア」の戦いで、我々を殺そうとしたあの狂気が、実は「本能」だったと知って、彼女はどう思う?

「……痛そうです。すごく、痛そうです」

 リディアは、映像の青年の頬に触れるように、空中に手を伸ばした。

「でも……見てください、アビスさん。ご先祖様、笑ってます」

(……あ?)

 アビスは、目を凝らした。

 苦痛に歪む顔。

 だが、その口元は確かに、微かに笑っているように見えた。

 いや、それは「不敵な笑み」か?

 それとも、精神操作による「虚ろな笑み」か?

「きっと……『これでみんなを守れるなら』って、そう思って耐えてるんです」

 リディアは、ポロポロと涙をこぼしながら、それでも誇らしげに胸を張った。

「すごい……。すごいです、ご先祖様。こんなに痛いのに、逃げ出さないで……。自分の体を作り変えてまで、世界のために戦う覚悟を決めたんですね」

(……!)

 リディアの解釈は、またしてもアビスの予想の斜め上を行っていた。

 彼女は、「勇者への改造」を、「自ら望んだ自己犠牲」と受け取ったのだ。

 あるいは、彼女の「勇者としての本能」が、そう感じ取らせたのかもしれない。

「ここに書いてある文字……なんて書いてあるか分かりませんけど」

 リディアは、残酷な真実が書かれた仕様書を見上げた。

「きっと、ご先祖様の『決意表明』みたいなものですよね? 『俺は人間をやめてでも、絶対に魔人を倒す!』みたいな!」

(……まあ、当たらずとも遠からず、か)

 アビスは、苦笑した。

 『滅魔の本能』。

 それを「洗脳」と呼ぶか、「決意」と呼ぶか。

 それは、見る者の心次第なのかもしれない。

 少なくとも、リディア・クレセントという少女の目には、初代勇者は「操り人形」ではなく、「鋼の意志を持った英雄」として映っている。

 そして、アビスは思い出した。

 「浄化者ピュリファイア」の最後の戦い。

 暴走した初代勇者と戦い、最後にはリディアの手によって彼を討ったあの瞬間。

 消滅の間際、正気を取り戻した彼が、リディアに向けて言った最期の言葉を。

 『ありがとう。……私の、可愛い子孫よ』

 あの言葉は、プログラムされたものではなかったはずだ。

 遺伝子を書き換えられ、本能を植え付けられ、それでも心の奥底に残っていた、彼自身の「魂」の言葉だったはずだ。

(……救われたな、お前は)

 アビスは、心の中で亡き宿敵に語りかけた。

(お前の血を引くこの娘は、お前のことを「狂った兵器」だなんて思っちゃいねえ。……お前が命を削って繋いだ血脈は、こんなにも馬鹿で、眩しいぞ)

 初代勇者よ。

 俺様とお前は、同じ「作られた存在」だった。

 だが、お前が遺したものは、プログラムでも偽物でもなかった。

 現に、ここにいるリディアは、誰に強制されるでもなく、自分の意思で(勘違いも含めて)笑い、怒り、進んでいる。

 それが、お前がシステムに抗って勝ち取った、「勝利」の結果なのかもしれないな。


「……よし! 私も負けていられません!」

 リディアは、バシッと自分の両頬を叩いて気合を入れた。

 涙を拭い、いつものポジティブな笑顔に戻る。

「ご先祖様がこんなに努力して強くなったんですから、その血を受け継いだ私が弱音を吐いてちゃダメですね! もっともっと特訓して、私もご先祖様に負けないくらい強くなります!」

(……お前はもう十分に怪物だ。これ以上強くなってどうする)

 アビスは、呆れつつも、尻尾を振ってやった。

「行きましょう、アビスさん! この上にも、まだ何かあります!」

 リディアは、部屋の奥にある螺旋階段へと走った。

 その背中を見送りながら、アビスは振り返り、もう一度だけガラスケースの中の模型を見た。

(……あばよ、宿敵(とも)よ。お前の分まで、このじゃじゃ馬娘の面倒を見てやるよ。……それが、生き残った俺様の、せめてもの手向けだ)

 アビスは、短い声を喉の奥で鳴らし、リディアの後を追った。

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