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第十三話 二つの聖剣の真実

 螺旋階段の果てに待っていたのは、虚無のような静寂と、吹き荒れる風の音だけだった。

 リディア・クレセントとアビスが足を踏み入れたのは、塔の最上階。

 だが、そこはこれまでの「研究室」や「資料庫」といった、管理された空間とは全く異なる様相を呈していた。

 ドーム状の天井の半分は吹き飛び、頭上には鉛色の空が広がっている。

 壁は崩れ落ち、そこから吹き込む荒野の風が、ヒュウヒュウと寂しげな音を立てていた。

 床には深い亀裂が走り、かつてここにあったであろう装置や調度品は、すべて風化し、瓦礫の山と化している。

「うわぁ……。ボロボロですね」

 リディアは、風に赤い髪をなびかせながら周囲を見回した。

 彼女の声が、伽藍堂の空間に虚しく響く。

「下の階はあんなに綺麗だったのに、ここだけ時間が経ちすぎているみたいです。……なんだか、悲しい場所ですね」

(……いや、違うな)

 アビスは、リュックの縁から顔を出し、鋭い視線を瓦礫の山に向けた。

 犬の鋭敏な嗅覚が、風化した石の匂いの奥に、微かな、しかし決して消えることのない「焦げ臭さ」を捉えていた。

 これは、単なる経年劣化ではない。

 壁に残るどす黒い染み。

 高熱で融解し、飴細工のように歪んだ金属の柱。

 そして、空間そのものに焼き付いた、千年の時を経てもなお漂う、凄まじい魔力の残滓。

(……ここは、「戦場」だったんだ)

 アビスの脳裏に、封印されていた記憶の蓋が、軋みを上げて開く。

 あの日。

 彼が「魔人」として覚醒し、暴走し、そして当時の魔導士たちによって封印される直前。

 最後の抵抗が行われた場所。

 それが、ここだったのかもしれない。

 壁に残る爪痕のような亀裂は、アビス自身の真空魔法の痕跡か。

 床を穿つ巨大な穴は、対魔人兵器による砲撃の跡か。

(……懐かしいじゃねえか。ここが俺様の「墓場」だったってわけか)

 アビスは、自嘲気味に鼻を鳴らした。

 自分を作った場所(培養室)を見た後に、自分が殺されかけた場所(最上階)に来るとは。

 なんとも趣味の悪い聖地巡礼だ。

「見てください、アビスさん! あれ!」

 リディアの声が、アビスを感傷から引き戻した。

 彼女が指差した先。

 瓦礫の山の中央、奇跡的に無傷で残っている円形の祭壇があった。

 そこには、二つの台座が並んでいる。

 今は空っぽだが、その形状は明らかに「剣」を突き立てるためのものだ。

 そして、台座の周りだけは、塵一つなく、神聖な空気が漂っている。

「あの形……私の剣とぴったり合いそうです」

 リディアは、背中に背負った二本の聖剣――「黒い聖剣」と「白い聖剣」を意識するように肩を揺すった。

 アビスの心臓がドクンと跳ねる。

 ここだ。

 ここに、全ての答えがある。

(……行くぞ、リディア。……真実の答え合わせだ)

 アビスは、リディアの背中を前足でポンと叩いた。

 リディアは頷き、瓦礫を慎重に乗り越えて祭壇へと近づいていく。


 ◇


 祭壇の前には、半ば欠けた黒曜石の石板が設置されていた。

 そこには、これまで見てきたどの記録よりも深く、強く刻まれた古代文字が残されていた。

 風雨に晒されながらも、その輝きを失っていない文字。

 それは、この塔を建造した者たちが、未来へ託した「遺言」であり、同時に「警告」でもあった。


 『聖剣システム・最終運用マニュアル』。


 アビスは、リディアの肩から身を乗り出し、その文字を貪るように読んだ。

 リディアは読めないが、アビスが真剣な表情(犬だが)で読んでいるのを感じ取り、邪魔をしないように静かに待っている。


『―――対魔人兵器「勇者」には、その力を制御し、かつ魔人を管理するための二つの「鍵」を与えるものとする』


 冒頭の一文だけで、アビスの喉が鳴った。

 やはり、あの剣はただの武器ではなかった。

 アビスという強大すぎるエネルギー体を管理するための、システムキーそのものだったのだ。

 アビスは、恐る恐る次の行へと目を移す。


『第一の鍵:「白き聖剣(ホワイト・デバイダー)」』

『機能:魔の遮断』

『この剣は、魔人の魂(魔力炉)と、その動力源である「異空間」との通路(パス)を強制的に切断する機能を持つ。対象を斬りつけることで、すべての「魔」を断ち、無力化することが可能である』


(……なるほどな。だから、あいつは俺様をこれで斬ったのか)

 アビスは納得した。

 数百年前、そして五年前の戦い。

 白い聖剣の一撃を受けた瞬間、体から力が抜けていった、あの忌まわしい感覚。

 あれはダメージを受けたのではなく、動力源を断たれた状態だったのだ。

 魔力という燃料を断たれた魔人など、ただの木偶の坊だ。

 白い聖剣は、アビスの「不死性」を殺すための特効兵器。


 そして、次だ。

 アビスが今、最も忌々しく思い、そして最も依存している剣。


『第二の鍵:「黒き聖剣(ブラック・バインダー)」』

『機能:魂の制御と固定』

『白き聖剣で断った「魔」は、時間が経てばいずれ復活する。この黒き聖剣は、魔人の魂そのものを縛り付け、特定の「器」へと固定する機能を持つ。魔人の強大すぎる自我と肉体を圧縮し、管理可能なサイズへと変質させるための「檻」の役割を果たす』


「……なんて書いてあるんですか?」

 アビスの殺気を感じ取ったのか、リディアが不安そうに背中の黒い剣に手を伸ばした。

「アビスさん……? なんだか、すごく怖い顔してますよ?」

(……ああ、そうだとも。怖い顔にもなるさ)

 アビスは、ギリリと歯ぎしりをした。

 檻。

 圧縮。

 固定。

 並んでいる単語のどれもが、アビスのプライドを逆撫でする。

 この剣がある限り、アビスはリディア(所有者)の命令に逆らえず、この無力な犬の姿に固定され続ける。

 まさに、見えない首輪とリードそのものだ。

 俺様は、この剣の中に囚われた囚人だったというわけか。


 だが、ここからが本題だ。

 アビスが知りたいのは、「現状の確認」ではない。

 「どうすれば、そこから抜け出せるか」だ。

 石板の記述は続く。


『特記事項:封印の完全解除について』

『二つの鍵が揃い、かつ正当な所有者が……(解読不能)……した場合、システムは……(欠損)……』


(……チッ! 肝心なところが風化してやがる!)

 アビスは焦った。

 石板の表面が削れ、重要なキーワードが読み取れない。

 「正当な所有者が何をすればいいのか」。

 そこが分からなければ、正規の手順での復活は不可能だ。

 だが、アビスは諦めなかった。

 正規の手順がダメなら、力技だ。

 彼は、石板の下部、赤字で警告されているような項目に目を留めた。


 『緊急時対応:鍵の破損について』。


 アビスの目が釘付けになる。

 これだ。

 もし、この「黒い聖剣(呪いの鍵)」自体を物理的に破壊してしまったら、アビスはどうなるのか?

 普通に考えれば、呪いが壊れれば対象は自由になる。

 リディアの背中にあるあの剣を、寝ている間にこっそり魔力で腐食させるなり、谷底に突き落として砕くなりすれば、俺様は自由になれるのではないか?

 アビスは、固唾を飲んで続きを読んだ。


『警告。黒き聖剣が物理的に破壊された場合、魔人の魂を固定するフィールドは崩壊する。その結果、対象は以下のいずれかの状態に陥る可能性が高い』


 可能性?

 確定ではないのか?


『ケース1:魂の解放。魔人は本来の姿を取り戻し、完全なる自由を得る』


(……これだ! これだよ!)

 アビスの心が躍った。

 やはり、剣を折れば自由になれるのだ。

 確率は不明だが、可能性はある。

 今すぐリディアの背中からあの剣を奪い取り、ありったけの魔力を叩き込んでへし折ってやりたい衝動に駆られる。

 だが、その下に続く記述が、アビスの熱狂に冷水を浴びせた。


『ケース2:魂の拡散。固定を失った魂が霧散し、自我を保てずに消滅する』


(……は?)

 アビスの思考が停止した。

 消滅。

 死ぬということか?

 いや、死ぬよりも悪い。

 自我が溶けてなくなるということは、アビスという存在そのものが宇宙から消え失せるということだ。

 輪廻転生すら許されない、完全なる「無」。


『ケース3:形状の固定化。破損の瞬間の状態(器)で魂が膠着し、二度と変身・解除ができなくなる』


(……待て、待て待て待て!)

 アビスは戦慄した。

 形状の固定化。

 つまり、今この「犬の状態」で剣が壊れたら。

 俺様は、死ぬまで、いや、永遠に「ただの犬」として生きることになるのか?

 魔人に戻ることもできず、魔法も使えず、ただ尻尾を振ってドッグフードを食べるだけの、寿命の長いマスコットに?


『結論:鍵の破壊は推奨されない。そのリスクは計測不能であり、制御不能な暴走、あるいは対象の完全な喪失を招く恐れがある』


「…………」

 アビスは、凍りついた。

 石板の前で、身動きが取れなくなった。

 リスクが高すぎる。

 「自由」か、「消滅」か、「永遠の犬」か。

 確率は不明。

 ロシアンルーレットだ。

 しかも、弾が何発入っているか分からない上に、当たりを引いても地獄かもしれない。

 もし「永遠の犬」になったら?

 あの屈辱的なボール遊びを、永遠に続けることになるのか?

 リディアに「お手」と言われ続ける日々が、永遠に?

(……ゾッとしねえな)

 アビスの全身から、嫌な汗が吹き出した。


「……アビスさん?」

 リディアが、石板とアビスを交互に見た。

 彼女には、古代語の詳細は読めない。

 だが、アビスが石板を読んだ途端に固まり、小刻みに震えだしたのを見て、そこに何か不穏なことが書かれていることは察したようだ。

「なんて書いてあるんですか? ……もしかして、怖いことですか?」

 リディアがアビスを抱き上げる。

 その温もりが、今は少しだけ恨めしい。

 この温もりに、永遠に囚われる可能性があるのだから。

「……もしかして」

 リディアが、ハッとした顔をした。

「この剣を壊せば、アビスさんは元に戻れるって書いてあるんですか?」

(……ッ!?)

 アビスは飛び上がった。

 なぜ分かった?

 野生の勘か?

 リディアは、背中の黒い聖剣に手をかけた。

 その瞳は真剣だ。

「もしそうなら……私、この剣を壊してもいいですよ?」

(……え?)

 アビスは耳を疑った。

 リディアは本気だ。

 彼女にとって、この聖剣は「勇者の証」であり、世界で唯一の強力な武器だ。

 それを、アビスが人間に戻れるなら、ためらいなくへし折ると言っているのだ。

「だって、アビスさんはずっと人間に戻りたがっていましたもんね。……犬の姿も可愛いですけど、やっぱり本当の姿の方がいいですよね?」

 リディアが、聖剣の柄を握りしめる。

 彼女の怪力なら、石の床に叩きつければ、あるいはヒビくらいは入れられるかもしれない。

 その純粋な善意が、今は死神の鎌のように恐ろしい。

(……やめろ! 早まるな!)

 アビスは、必死に吠えた。

「ワン! ワンワン!(ダメだ! 絶対にダメだ!)」

 アビスは、リディアの手を前足でペチペチと叩き、剣から引き剥がそうとした。

「え? ダメなんですか? でも……」

(当たり前だ! 確率が分からねえんだよ! もしハズレを引いたら、俺様は消えるか、一生犬のままだぞ!)

 アビスは、必死の形相で首を横に振った。

 リディアには伝わらないかもしれないが、全身全霊で「拒否」を示す。

 賭けには出られない。

 俺様は、支配者だ。

 運任せのギャンブルで運命を決めるなんて、三流のやることだ。

 確実に、一〇〇パーセントの勝算が見えるまでは、この剣を壊すわけにはいかない。

(……クソッ。皮肉なもんだ)

 アビスは、リディアの背中にある黒い剣を睨みつけた。

 あれは、俺様を縛る鎖だ。

 だが同時に、俺様の魂をこの世界に繋ぎ止めている「命綱」でもある。

 壊したいのに、壊せない。

 離れたいのに、離れられない。

 このジレンマこそが、古代人が仕掛けた最大の呪いなのかもしれない。

「……そうですか。壊しちゃダメなんですね」

 リディアは、アビスの必死な様子を見て、手を引っ込めた。

 少し残念そうだが、アビスの意志を尊重してくれたようだ。

「分かりました。アビスさんがそう言うなら、大切に持っておきます」

 彼女は、聖剣を背負い直した。

 その背中が、アビスにはひどく大きく、そして重く見えた。

 自分の命運を握るスイッチを、この天然ボケの少女が背負っている。

 そのスイッチは、いつでも彼女の気まぐれ一つで押されてしまう可能性があるのだ。

 その事実に、改めて胃が痛くなる思いだった。

(……情報は手に入った。だが、解決策は見つからなかった)

 アビスは、結論を下した。

 ここでは、これ以上進展しない。

 もっと詳しい情報が必要だ。

 このシステムを構築させた側の視点――おそらく、かつて魔導王国と敵対していた「科学技術帝国」の記録。

 あるいは、聖剣を作った鍛冶師の記録。

 それを見つけるまでは、現状維持だ。

 リスクを冒して剣を壊すより、リディアという「安全装置」付きの檻の中で、次の手を考える方が賢明だ。

「行きましょう、アビスさん」

 リディアが、アビスを抱き上げた。

「ここには、もう何もなさそうです。……でも、少しだけ分かった気がします」

 リディアは、石板を優しく撫でた。

 その手つきは、まるで墓標に触れるようだった。

「この剣も、アビスさんも……昔の人が、一生懸命考えて、悩んで、遺したものなんですね。……だから、私も一生懸命、向き合わなきゃいけませんね」

 その言葉は、アビスの胸に小さな波紋を広げた。

 一生懸命、か。

 千年前に俺様を作った連中も、必死だったのだろう。

 国を守るために。

 敵を倒すために。

 その結果が、この歪な魔人と、それを縛る残酷なシステムだったとしても。

 彼らの「想い」だけは、この少女に届いているのかもしれない。

(……フン。勝手な言い分だ)

 アビスは、鼻を鳴らした。

 だが、その響きには、以前ほどの刺々しさはなかった。

 少なくとも、リディアという「今の所有者」は、アビスを道具としてではなく、意志あるパートナーとして扱おうとしている。

 その事実だけが、今の彼にとっての唯一の救いだった。


 その時。


 ブゥゥゥゥゥン……!


 不意に、塔全体が低く唸り始めた。

 空気が振動し、床の亀裂から細かな砂が舞い上がる。

 祭壇の周囲の床に赤いラインが走り、天井からパラパラと瓦礫が落ちてくる。

『―――警告。システムへの不正な干渉を確認』

 無機質なアナウンスが、廃墟となった最上階に響き渡る。

 それは、前回聞いたものと同じ、だがさらに緊急度の高い警報だった。

『機密保持プロトコル、最終フェーズ始動。これより当施設を自壊させ、情報を完全隠滅します』

「ええっ!? じ、自壊ですか!?」

 リディアが慌てふためく。

(……チッ! やっぱりか! あいつらのやることは極端なんだよ!)

 アビスは叫んだ(心の中で)。

 用が済んだら爆破。

 証拠隠滅の基本だ。

 だが、中にいる俺たちのことを考えていない設計だ。

 この塔が崩れれば、俺たちは瓦礫の下敷きだ。

 アビスの「呪い」を解く手がかりも、永遠に闇に葬られることになる。

「アビスさん! 逃げますよ!」

 リディアは、アビスをリュックに放り込むと、出口へと駆け出した。

 背後で、祭壇が崩れ落ち、貴重な石板が瓦礫の下に埋もれていく。

 真実は再び、闇の中へ。

 だが、アビスの脳裏には、しっかりと刻まれた。

 「黒い剣を壊すリスク」。

 そして、「白い剣の役割」。

 この二つの情報を手に入れたことは、大きな前進だ。


 ズズズズズ……ドガァァァァァァン!


 背後で爆発音が轟く。

 崩落が始まった。

 足場が崩れ、天井が落ちてくる。

 絶体絶命の崩壊劇が、幕を開けた。

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