日本語は読むと書くとは大違い
今は、パソコンが普及して小説を書くのも楽になりました。
ワードを使えば、てをにはの連続使用のエラーや送り仮名の間違いを教えてくれます。
漢字もある程度までは、意味を教えてくれたりする。
なかなかに優れもの。
手書きの頃は、ものすごい勢いで、書けなくなってエタらせてました。
電子化はスゴいなぁとしみじみ思う今日この頃。
ワードなら教えてくれる。
それにかなり助けられました。
昔は手書きのときに、語尾が「のだ」で統一されていて、読みにくいと言われたことがあります。
そのときは、話の内容でコメントしてよ、と思いましたが、あとで自分で読み返すと、読みにくい読みにくい。
話の内容なんて入ってこないです。
今ならその指摘は、ごもっともと受け取れますが、あのときは怒りを覚えていました(笑)
読みやすくないとエタります。
これも経験からです。
校正をしようにも、読みにくい話は、作者でも読むのに疲れます。
作者が疲れるなら読者はもっと疲れます。
そんなときは、設定はそのままに、いちから話を書きましょう。
校正をしてやると考えてはいけません。
そんなことをすれば疲れて、才能が無いと落ち込んでフェードアウトすることになります。
無いのは、文章構成能力で、設定構成能力ではありません。
文章を作る力は、繰り返せば身に付きます。
元々の天才で、はじめからスゴい文章を作る人はいるでしょうが、文章構成は努力で身に付けられる能力だと信じてます。
そうでなければ、趣味でも書き続けるのは、きついです。
やっぱり上手になりたい。
エタりたくないなら、校正も必要だなって思います。
前は、文章は正しく書けてるから大丈夫と思い込んでました。
落とし穴は、ストーリーの矛盾(笑)
日本語は難しいなぁと思います。
読んでも矛盾に気づかないこともあるので、校正するのも難しいのですけどね。
でも、最後まで書いてから校正するより、途中で校正する方が、私にはあってます。
長編、超大作を目指すならこまめにした方がいいです。
大量の校正は、紙でするのがあってるので、電子化電子化と叫んでいるのが矛盾してます。
仕方ないんです。
仕事では、紙で校正するので。
赤ペン持ってやってます。
でも、校正がメインの仕事ではないので、文章に関しては、アマチュアです。
書くことを楽しむのが、一番のモチベーションを保つ秘訣だと思います。
産み出した彼らが動いているのを見るのが幸せかも知れないです。
そこを楽しめたら、話は、終わっても、きっとどこかで彼らに出会って、また新しい話が始まると思います。
エタらせたことがあるから、同じような作者に、また挑戦して欲しいので、エッセイを書いてみました。
これで、エッセイは終わります。
読んでくださった方、ありがとうございました。