穏やかな日常と傍観者
王城の庭の一角、開けたところで一人、剣をふるう少年の姿があった。
「ふ……っ」
短く息を吐きながら、そこに敵がいることを想定した動きを繰り返す。手にしているのはいつも使っている自前の剣で、むしろ彼よりそちらが視界に強く映るほど大振りなものである。
傍目には踊っているようにみえるその動きを。
「ヒューゴ君は熱心だなぁ……」
離れたところから見ている、黒髪の女性がいた。
彼女はアシュリーという騎士で、現在は休憩時間である。手には細長い棒のようなパンに切れ込みを入れて、そこに野菜や、味をつけて炒めた肉を挟んだ軽食がある。飲み物はコップに入った無色透明の液体――つまりは水だ。それらを携え、庭の隅にある椅子に腰掛けている。
他にも休憩をとっている騎士や兵士は多く、アシュリーと同じように、一人鍛錬を続ける少年を眺めていた。多くの視線は侮蔑――英雄殺しが、といったものではあるのだが、真剣な太刀筋を描き続ける彼には、さほど痛いものでもないのだろうと思われた。
それに、今の彼には大事な存在がいる。
一番近いところで、じっと見守っている一人の女性。
フィメリの名を捨てたニカ・レウラディーネ。二人分の食事を手に、彼の鍛錬が終わるのを見守っているようだ。今は凛々しいあの少年であるが、彼女の前だとただの『子供』だ。
――まぁ、そこがかわいいんだけど。
アシュリーは小さく、くすり、と笑った。
「このまま受け入れられてくれたらいいんだけど」
「騎士の多くが遠巻きに見てるし、むしろ無視ってるからな、すぐは無理だろう」
「カイ」
アシュリーがこぼしたつぶやきに、背後から答える声。
振り返ると赤みの強い茶髪の青年が、アシュリーが手にしているものと同じものを手に歩いてくるのが見えた。彼――カイ・ベルフェームは、彼女の隣に腰掛けて。
「まだまだ課題は多いからな、あいつのことは」
「お兄ちゃんは心配?」
「まぁ、な……」
とはいえ、とカイは弟を眺めながら続け。
「しかし貴族以外から上がってきた騎士や、あの時、一人で大立ち回りしてるあいつを見てた兵士なんかからは、羨望の眼差しが送られてるみたいだし。これを計算に入れてヒューゴを一人で戦わせてたんなら、グレイはまじクリスさんの息子だわ。容赦と迷いがまったく無い」
「危険な賭けに出たがるところも、ね」
くす、と笑うアシュリー。幼なじみである彼女も知っているが、クリス・カルティールという女性はとにかく規格外だった。ほとんど強制的に夫であるキオをモノにしたこともそうだったのだが、子に対する愛はあるが容赦はない剣術の鍛錬などは周囲が心配になるほどだった。
まぁ、それに平然とした涼しい顔でついていったのがグレイであり、泣きながらもついていけたのがエリルであったのだが。だが基本的にクリスは、愛情の深い良き母親だった。
それこそ、子供をかばって死ぬほどに。
だからこそグレイは、無理をしてでもヒューゴを救おうとしたのかもしれない。
同じように守られて生き延びた彼に、居場所を与えたい。
きっと、それだけヒューゴを信頼していたのだ。彼ならあの場でたった一人でも戦ってくれるはずだと、そうして与えられた居場所で立派に立って歩いて行ってくれるはずだと。
そう、信じているのだろう。
「俺なんかはさ、黄玉持ちじゃないからこの国ではどうか知らないが、一族の中では基本的に重要な立場じゃないんだよ。……まぁ、ベルフェームの一族なんて二家しかないんだけどさ」
むしろ一族ではない、外野の方がそこにこだわる。
こちらは気にもしていないのに。
とはいえ、気にならないのかと言われたら、それはやはり気になるものだ。
ましてや父が黄玉持ち、弟もそう。そして父とその兄は、この国でも有名な騎士と、騎士だった男だ。おそらくいずれは弟も自分を越えていくのだろうとわかっているから、気にしないでいられるほどバカにも図太くもなれない。まぁ、卑屈な思いをもつわけではないのだが。
何にせよ、とカイは言い。
「やっぱヒューゴには頑張ってほしいよ、兄としても」
そんな願いを口にする。
そうだね、とアシュリーは笑って。
「兄さんのように、なってほしい」
「ん?」
「死んだ兄さんのように立派な騎士になってほしいな、ヒューゴ君には。そうしていつか誰かを守り生きる騎士になってくれたら、きっと兄さんは……英雄フィルは喜ぶと思う」
かつて、一人の子供を守って死んだ偉大な兄――フィルを、思う。
未だに、ヒューゴに英雄の死の補填をという者は多く、正直に言えば彼の兄であるカイとの付き合いについても、あれこれ言ってくる人は今も一定数存在する。英雄の妹は、それにふさわしい相手と付き合うべきで、だから英雄殺しの身内など言語道断ということらしい。
ふざけている、と言ったのはクリスだった。
彼女が一番の味方になってくれた。
今も一部の貴族――例えばフィメリ家といった、かつて娘や親類をフィルと結ばせようとしていたような家などは、あれこれと口を出してくる。特にフィメリ家には次男がいて、騎士をしていることからしつこい。幸いなのはその次男、アシュリーに興味が無いことだろうか。
そういえば彼には、従姉妹でもあるあのニカとの縁談話もあったらしいが、彼女がヒューゴにプロポーズしたことで話は流れてしまったのだろう。そのせいかずいぶんと荒れていたが。
「まぁ、そういうのも含めて何とか踏ん張ってほしいよ、ほんと」
軽食を半分ほど食べ終わり、水を飲みながら。
「――現状、ルイとまともにやりあえるの、俺かあいつぐらいしかいないしなぁ、ここ」
未来の王より弱い騎士ってどうよ、とカイはため息をこぼした。
その視線の向こう、ヒューゴがぴたりと動きを止める。
■ □ ■
兄らに見守られているとも知らず、剣を振るい続け。
はふ、と息を吐いたヒューゴは、そのままぱたんと倒れるように崩れ落ちた。
やはり、体力がどうにも足りていない。あるラインを超えるとどうしても身体が動かなくなってしまって、こんな風に倒れてどうにもならなくなってしまう。問題は、そのラインがとても低いところだ。普通の人よりは高いのかもしれないが、兄や父や伯父と比べれば足りない。
そもそも、魔術を使っていくら重量をいじっているとはいえ、ここまでの大物を振り回すのはそれだけで体力を消費する。何より手数が勝負なのでとにかく動き回るため、もうどうにもこうにもまずは体力なのだ。このままでは、誰より早くバテてしまう役立たず状態である。
――やっぱ毎日走りこむべきかもなぁ、これ。
ふぅ、とため息をこぼしていると、視界に影が差し込んだ。
「おつかれさまです」
傍らに膝をついて、ニカが覗きこんできたからだ。
そしてぐったりしたヒューゴの身体を、軽々と抱き起こして。
「はい、お水をどうぞ」
と、おいてあったコップを差し出した。
流れるような動作で行われた、わりと重い力仕事。しかし平然とこなされ、ヒューゴはすこしばかり心が傷つく。何というかなさけない。女性に軽々と扱われる自分の身体が。
とはいえ喉は乾いているので、今日も大人しく介抱されることにした。
「あ、ありが、と」
と答えるものの、腕が上がらない。
小さくニカが笑って、コップをヒューゴの口元につけてくれる。そのままコクコクと飲み干しながらふと視線を上げると、目を細めて笑っているニカと目があってしまった。
「毎日がんばっていますね、ヒューゴ君」
「まぁ、ね。俺はまだまだだから」
「だけど加減をしないと倒れてしまいますよ」
ニカの言葉に、うん、としか答えられないヒューゴ。
一応、わかってはいるのだ。無理をしたからといってどうなるわけでもないと。だけど何かをせずにはいられないところもあって、その結果が体力を底まで使い切るこの鍛錬なのだ。
とはいえ若さゆえか、体力の回復は比較的早い。
じっとしていれば、昼休みが終わる頃には満足に動けるようになっているだろう。だからベンチにでも移動したいところなのだが――ニカが、ヒューゴを離そうとしてくれなかった。
「昼休みはもう少しありますし、少し休んでいてもいいんですよ」
「いや、でも、このままっていうのは……」
「いいからいいから、私がちゃんと起こします」
「う……」
抱き寄せられたまま、ヒューゴは固まって動けなくなる。
いや、これは体力が底をついているせいだ。
決してこの状況を受け入れているわけでもないし、望んでいるわけでもない。いい匂いがするけど香水かななんて思ったりもしないし、柔らかくてあったかくていいなとも思わない。
そのはずだ。
■ □ ■
「……いちゃいちゃ、してるね」
「本人は保留にしてたけど、まんざらでもないな、あれは」
「ニカも、かなり本気で迫ってるしね」
「でもヒューゴはヘタレだからなー。案外子供が先かもしれないぞ? 戦いとなると凛々しいところもあるのに基本的には抜けてるから、うっかり寝込み襲われてある朝起きたら裸で横に寝てて明らかに……とか。何よりおとなしい令嬢に見えて、ニカも騎士家系だし」
「そ、それは……ないこともないのかなぁ」
「いっそその方がいいんじゃないか、あの二人の場合は」




