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龍虎 壱 ー己が義を貫けー  作者: HANA


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第9話 ただ、君を選んだ

金曜の夜。

繁華街から少し離れた通りを、蒼真は一人歩いていた。

いつもなら何も考えずに歩く道なのに、今日は妙に落ち着かない。

「…………」

煙草を咥えようとして、やめた。

これから麗華に会って飯を食って、酒を飲む。

いつも麗華との時間にはタバコを無意識に吸わなくなっていた。

今日は、言う。

そう決めた。

『付き合ってほしい』

たったそれだけだ。

女に声を掛けることも、誘うことも、抱くことも今まで困ったことなど一度もなかった。

なのに——。


「……何でこんな緊張すんだよ」

蒼真は小さく息を吐いた、その時。

「蒼真」

顔を上げると少し先に、笑顔の麗華が立っていた。

「……おう」

「待った?」

「いや、今来た」

「本当?」

「本当」

麗華が蒼真の隣へ並ぶ。

「じゃあ行こっか」

「ああ」

歩き出した麗華の隣を、蒼真も歩く。

いつもと同じ距離。

いつもと同じはずなのに。

今日は、その距離が妙に近く感じた。


◇

「蒼真、今日静かじゃない?」

食事を始めてしばらく経った頃、麗華が言った。

「そう?」

「うん」

「普通だけど」

「嘘」

即答され、蒼真が眉を寄せる。

「何でだよ」

「いつもより食べてないもん」

蒼真が自分の前の皿に目を向ける。

いつも通り食べているつもりだったが、確かに少ないかもしれない。

無意識に箸を止める時間が多かった。


「……そう?」

「さっきからなんか上の空」

「そんなことねぇよ」

「……なんか、緊張してる?」

「してねぇよ」

蒼真の返しがいつもと少し違って、麗華が笑った。

「してるんだ」

「してねぇって」

「じゃあ何?」

「…………」


言おうと思えば、言える。

今言えばいい。

けれど、目の前で食事を楽しんでいる麗華を見ると、言葉が喉で止まる。

もし断られたら。

もう、こうして会うこともなくなるのだろうか。

この笑顔を見ることもなくなるのだろうか。

そんなことを考えた瞬間、自分でも驚くほど嫌だった。


「蒼真?」

「ん?」

「本当にどうしたの?」

「……後で話す」

「後?」

「ああ」

「今じゃ駄目なの?」

「今は無理」

「何それ」

麗華が笑う。

「怖いんだけど」

「怖い話じゃねぇよ」

「じゃあ今言えばいいじゃん」

「うるせぇな」

「やっぱり変」

「飯食え」

「はいはい」

麗華が箸を動かし始める。

蒼真はその姿を見ながら、蒼真も箸を動かした。


今日こそ言おう。

絶対に。


◇

店を出る頃には、夜も深くなっていた。

「今日も美味しかった」

「ならよかった」

「ご馳走様」

「おう」

二人で夜道を歩く少し先に、蒼真が停めている車が見えていた。

いつもなら、そのまま送る。

今日もそうするつもりだった。


「麗華」

蒼真が足を止めると、麗華も数歩先で立ち止まり、振り返る。

「ん?」

「…………」


言え。


自分に言い聞かせる。

若頭として何十人もの人間を前に話すことは出来る。

敵対する人間と向き合うことだって怖くない。

それなのに、たった一人の女を前にして。

どうしてこんなに、言葉が詰まる。


「……蒼真?」

麗華が首を傾げた。

「何?」

「…………」

「さっき言ってた話?」

「ああ」

蒼真はポケットから煙草を取り出しかけて、やめた。


逃げるな。


「麗華」

「うん」

「俺さ」

一度、息を吐く。


「お前のこと好きだわ」


麗華の目が僅かに見開かれた。

「…………」

「最初は、普通に可愛い女だなって思っただけだった」

蒼真は麗華から目を逸らさなかった。

「飯食って、話して」

「…………」

「気付いたら、また会いてぇって思うようになった」

麗華は黙って聞いてくれていた。

「他の男と歩いてたら多分ムカつくし」

「多分?」

「……いや、絶対ムカつくな」

麗華の口元が僅かに緩む。

「だから」

蒼真は一度言葉を止めた。


「俺と付き合ってほしい」


夜の街の音だけが、二人の間を通り過ぎていく。

麗華は何も言わなかった。

それでも目を逸らすことはなかった。

「…………」

「…………」

長い。

麗華は目を逸らさずに蒼真を見つめたままだった。

蒼真には、数秒が異様に長く感じた。

「……何か言って」

「ふふっ」

「何で笑うんだよ」

「だって」

麗華が蒼真を見上げ、微笑んだ。

「蒼真でも、そんな顔するんだなって」

「どんな顔」

「不安そうな顔」

「してねぇよ」

「してるよ」

「…………」

麗華は少し笑ったあと、静かに口を開いた。


「私も好き」


「…………」

麗華の言葉に今度は蒼真が固まった。

「え?」

「だから」

麗華がもう一度言う。

「私も蒼真が好き」

「…………マジ?」

「ここで嘘つく意味ある?」

「いや……」

蒼真は片手で口元を覆った。

思っていた以上に嬉しい。

それが顔に出そうで、隠したかった。

けれど。

「嬉しそう」

「うるせぇ」

「顔、緩んでるよ」

「緩んでねぇ」

「緩んでる」

「見るな」

「何で?」

麗華が笑うと蒼真も堪えきれずに笑った。

「……じゃあ」

「うん」

「付き合うってことでいい?」

「嫌なら好きって言わないでしょ」

「いや、ちゃんと聞いとこうと思って」

「意外と律儀なんだね」

「意外って何だよ」

「もっと強引なのかと思ってた」

蒼真の笑みが少し消えた。

「……麗華には無理」

「何が?」

「強引にすんの」

麗華が蒼真を見る。

「何で?」

「大事にしたい」

言ってから、蒼真自身が固まった。

今までそんな言葉を、女に言ったことなどあっただろうか。

いや、ない。

何人、何十人と遊んできても、こんな気持ちになったのは麗華が始めてだ。

「…………」

麗華は少し驚いた顔をして黙っていた。

蒼真はハッっと我に返って口を開いた。

「今の忘れろ」

「嫌」

「忘れろ」

「絶対忘れない」

「マジで忘れてくれよ…」

恥ずかしさで蒼真は片手で顔を覆った。

「蒼真」

「何」

呼ばれて、麗華を見ると笑顔だった。

「ありがとう」

「…………」

蒼真は視線を逸らした。

「帰るぞ」

「照れてる?」

「帰るぞ!」

麗華が笑いながら、その後を追う。

少しだけ先を歩いていた蒼真の右手に、柔らかなものが触れた。

「…………」

見ると、麗華の手だった。

指先が触れている。

蒼真が麗華を見ると、麗華は何も言わず前を向いていた。

「…………」

蒼真がその手を握ると、麗華も握り返す。

それだけだった。

それだけなのに。

二人の距離は、先ほどまでとは確かに違っていた。


◇

麗華をいつもの場所まで送り届けた後、蒼真は車を路肩へ停め、しばらくハンドルに額を預けていた。

「…………」

顔を上げる。

「……付き合った」

誰もいない車内で呟く。

「…………っ」

口元が勝手に緩む。

「やべぇ」

自分でも笑っているのが分かった。

三十四にもなってバカバカしいが、自分の感情はもう誤魔化せなかった。


スマートフォンを取り出し、蓮に電話を掛けた。

数回の呼び出し音の後で、蓮の声が耳に届く。

『何』

「どこ?」

『店。飲んでる』

「行くわ」

『おう』

通話を切った後も蒼真は笑っていた。

スマートフォンを助手席へ放り、車を走らせだした。


「なにー?どうした?」

「蒼真が来るって」

「テキーラやる?」

「やんねぇよwww」

蓮はグラスを傾けながら笑った。

電話の蒼真の声は明らかに機嫌が良かった。

今日は麗華ちゃんと飯に行くと話していたし、ようやく腹も決めたらしい様子だった。

きっと、その話だろう。

今夜はこのまま、蓮花と静かに飲んで、一緒に帰ろうと思っていたのに、騒がしくなりそうだ。


「あ、そうだ」

「ん?」

タバコに火を付けながら、蓮花が思い出したように呟いた。

「先週さ、他の子がついた客なんだけど…”俺は東雲組の者だ”って言ったらしいんだよね」

蓮花の言葉に蓮が眉を寄せ、グラスをテーブルに置く。

「確かか」

「うん」

「人相とか、名前は」

「そこまでは言わなかったみたい。他の店にも東雲の名前を語ってる客が増えてるみたいだよ、友達から聞いたけど」

「………」

「蓮?」

「……この店にまた東雲を名乗る奴が来たら、すぐに俺に連絡しろ。お前は無茶すんな?」

「分かった……」


その夜、神代蒼真はまだ知らなかった。

自分が選んだ女が、東雲組組長の一人娘であることを。

しかし、麗華は知っている。

蒼真が、何者であるのかを。

だが、それがこの先の自分と父の組の運命の歯車を回しだしたことはまだ、知らない。


ただ互いに惹かれ。

互いを選んだ。

それだけだった。


この夜は、まだ二人にとって、ただ幸せな夜だった。


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