第16話 神代家、緊急家族会議
店に着くまで、蒼真はほとんど喋らなかった。
窓の外を流れていく夜の街を眺めながら、右手にはまだサングラスを握っている。
「……なぁ」
隣から蓮の声がした。
「何」
「それ、本当に持ってくの?」
「…………」
蒼真は手元を見る。
麗華と買い物へ行った時に選んでもらったサングラス。
「持ってく」
「マジで?」
「胸ポケット入れとく」
「お守りじゃねぇんだぞ」
「今の俺にはお守りなんだよ」
「メンタル弱すぎんだろ」
「うるせぇ」
運転席の悠真の肩が揺れた。
「悠真」
「笑ってないっす」
「まだ何も言ってねぇよ」
「先に言っとこうと思って」
「お前ら後で覚えてろよ」
車がゆっくりと速度を落とすと窓の外は、見覚えのある店の前だった。
完全個室。
神代組で、外へ漏らせない話をする時に使う店だ。
「…………」
蒼真はサングラスを胸ポケットへ差し込んだ。
蓮がそれを見る。
「本当に持ってくんだ」
「行くぞ」
「誤魔化したな」
二人が車を降りると悠真が声を掛けた。
「終わったら連絡ください」
「ああ」
悠真へそう返し、蒼真と蓮は店の中へ入った。
◇
案内された部屋の前で、蒼真が一度立ち止まった。
「…………」
「何」
「蓮」
「ん?」
「先入って」
「何でだよ」
「いいから」
「嫌だよ」
「何で」
「お前が呼ばれた原因だろ」
「お前のスマホに連絡来たんだろ」
「お前が原因だから俺に来たんだろ」
「…………」
「…………」
二人で襖を見つめ、覚悟を決めた。
「……一緒に入るか」
「そうしよう」
蒼真が襖を開けた。
「失礼します」
中にはすでに天音が座っており、煙草を吸いながら二人を見る。
「遅ぇ」
「すみません」
「座れ」
「はい」
蒼真と蓮は並んで座った。
なんとなく、正座で。
「…………」
「…………」
天音は何も言わず煙草を吸い、灰皿へ灰を落とす。
蒼真も蓮も口を開かなかった。
やがて天音が蒼真を見る。
「で?」
「…………」
「何だ」
「何が?」
「何がじゃねぇよ」
「…………」
天音が煙を吐く。
「今日のお前だよ」
「俺?」
「他に誰がいんだ」
蒼真は一度、蓮を見た。
蓮は前を向いたまま、目だけでこちらを見る。
――俺を見るな。
そう言っている。
「…………」
蒼真は天音へ視線を戻した。
「別に、何も」
「蓮」
「はい?」
突然振られ、蓮が顔を上げる。
「お前は?」
「…………」
「何か知ってんだろ」
「…………」
蒼真が蓮を見ると、蓮も蒼真を見る。
「お前」
「何」
「自分で言えよ」
「裏切んなよ」
「親父相手に隠せるか」
「努力しろよ」
「何の努力だよ」
「お前ら」
天音の低い声が飛ぶと二人の肩が揺れ、同時に黙った。
「俺の前で相談すんな」
「…………はい」
「すみません」
天音は短く息を吐いた。
「蒼真」
「はい」
「今日、大和の娘見て固まっただろ」
「…………」
「返事も遅れた」
「…………」
「会合中も何回見た?」
「数えてねぇよ」
「そういう話してんじゃねぇ」
「…………」
天音が灰皿へ煙草を押し付ける。
「知り合いか?」
「…………」
蒼真は少し黙った。
ここまで来たら、もう誤魔化せない。
誤魔化す意味もない。
「……知ってる」
「いつから」
「少し前」
「どういう知り合いだ」
「…………」
また、蒼真は止まり、蓮を見ると一瞬目があった。が、蓮はすぐに天音へ向き直った。
そして、天音を見ながら口を開く。
「言え」
「分かってるよ」
「じゃあ言えよ」
「今言おうとしてんだよ」
「遅ぇんだよ」
「うるせぇな」
「蒼真」
「はい」
天音に呼ばれ、蒼真は姿勢を戻し一度、息を吐く。
「……付き合ってる」
蒼真の言葉に、天音の動きが止まった。
「…………」
「…………」
蓮も黙っていた。
「誰と」
「……麗華」
「誰の娘だ」
「東雲大和さん」
「…………」
「…………」
天音はしばらく蒼真を見ていた。
蒼真も逃げずに見返した。
「お前」
「うん」
「今日知ったのか?」
「そう」
「麗華ちゃんが東雲の娘だって?」
「うん」
「知らずに付き合ってた?」
「うん」
「名字は」
蓮が俯き、肩を振るわせた。
蒼真は眉を寄せた。
「……聞いてなかった」
「は?」
「だから、名字聞いてなかった」
「お前、女と付き合うのに名字も知らねぇのか」
「親父までそれ言うの?!」
ついに蓮が耐えきれず、吹き出した。
「お前は笑うな!」
「だって親父さんも同じこと言ってるwww」
「普通そう思うだろ」
「いや、麗華も俺の名字聞かなかったし!」
「神代は知ってたぞ、麗華ちゃん」
「…………何で知ってんの?」
「今日のお前ら見てりゃ、そのくらい分かる」
「分かんねぇよ!」
「蒼真」
「何!」
「声」
「…………」
蒼真は口を閉じた。
完全個室とはいえ、確かに声が大きすぎたと反省すると、天音は呆れたように息を吐く。
「蓮」
「はい」
「お前はいつから知ってた」
「二人が付き合ってることですか?」
「ああ」
「付き合う前からです」
蒼真が勢いよく蓮を見る。
「言い方!」
「事実だろ」
「お前それじゃ全部知ってて黙ってたみたいじゃん!」
「けど、麗華ちゃんが東雲の娘なのは今日知りましたよ」
蓮が天音へ続ける。
「蒼真が麗華って名前の女と会ってることは知ってました。付き合う前から相談されてたんで」
「相談じゃねぇよ」
「相談だろ」
「報告」
「どっちでもいい」
天音は二人を見ながら、新しい煙草を取り出し火をつける。
「どこで知り合った」
蒼真が答える。
「街」
「街?」
「麗華が男何人かに絡まれてた」
天音の眉が僅かに動いた。
「それを助けた」
「ああ」
「その時は?」
「何も知らねぇよ。東雲どころか名字も」
「名字くらい聞け」
「だから!!」
「www」
「蓮!」
天音が煙を吐きながら、小さく笑った。
「お前ら、いつまでやってんだ」
「親父が名字言うからだろ」
「普通聞くだろ」
「もういいよ!」
蒼真は足を崩すと、煙草を取り出し火をつけた。
深く吸って、吐く。
天音がそんな蒼真の様子を静かに見ていた。
最初は怒鳴られるとでも思って来たのだろう。
入ってきた時とは違う蒼真の様子に天音は少し安心した。
会合中とも違う、いつもの蒼真だ。
「で」
「何」
「遊びか?」
天音の問いに蒼真の目が変わった。
さっきまでの気の抜けた空気が消えた。
「違う」
蒼真の返事は早かった。
「女遊びしてた頃とは違うってことか」
「ああ」
「本気か」
「ああ」
蒼真の返事に、迷いはない。
「俺は麗華が好きだよ」
蓮が僅かに口元を緩め、天音は黙って煙草を吸った。
「……そうか」
それだけだった。
蒼真が少し眉を寄せる。
「何」
「何が」
「怒んねぇの?」
「何に」
「いや……東雲の娘と付き合ってること」
「知らなかったんだろ」
「知らなかった」
「知って近付いたわけでもねぇ」
「ああ」
「だったら、そこに怒る理由はねぇよ」
蒼真の肩から僅かに力が抜けた。
「ただし」
すぐに天音が続けると、蒼真の肩に力が戻る。
蓮が横で笑った。
「笑うな」
「何も言ってねぇよ」
天音は二人を無視して話を続けた。
「今日からは違う。お前は神代の若頭だ」
「ああ」
「麗華ちゃんは東雲大和の娘だ」
「……ああ」
「お前ら二人が好きだ嫌いだだけじゃ済まねぇ話になる」
「分かってる」
「本当に分かってんのか?」
「分かってるよ」
蒼真は煙草を灰皿へ置いた。
「今、東雲との繋がりを探ってるのも俺だ」
天音の目が細くなる。
「それも考えたか」
「車でな」
「遅ぇな」
「今日知ったんだから仕方ねぇだろ」
「で?」
「だから、今は組の連中には言わねぇ」
蓮も頷いた。
「俺もその方がいいと思います」
「理由は」
天音が蓮を見る。
「余計な憶測を生むからです。破門者が東雲と繋がってる可能性を探ってる時に、若頭が東雲の娘と付き合ってるって話が広がれば、話が混ざる」
「ああ」
「まだ破門者と東雲が本当に繋がってるかも分かってません」
「そうだな」
「だったら今は、必要な人間だけ知ってればいい」
天音は少し考え、頷いた。
「俺もそう思う」
蒼真が息を吐く。
「ただ」
また天音が言う。
「まだあんの?」
「ある」
「…………」
「大和には話す」
天音から出た名前に、蒼真の動きが止まった。
「…………」
蓮が蒼真を見る。
「親父」
「あ?」
「それ……今?」
「今夜はしねぇよ」
「…………」
明らかに安心した蒼真を見て、蓮が笑う。
「何安心してんだよ」
「うるせぇ」
「娘と付き合ってるなら、いつか話すだろ」
「分かってるよ!」
「じゃあいいじゃん」
「お前は他人事だから言えんだよ!」
「俺は今日巻き込まれてここにいるんだけど?」
「龍虎だから」
「またそれかよ」
「お前ら」
天音が呆れた顔をする。
「本当に三十四か?」
「三十四」
「俺も」
「聞いてねぇ」
蓮が笑うと天音も小さく笑い、煙草を灰皿へ押し付けた。
「大和とは俺から一度話す」
蒼真の表情が少し真面目になる。
「親父」
「何だ」
「俺も話す」
「…………」
「俺が麗華と付き合ってんだ。親父だけに話させる気はねぇよ」
天音が蒼真を見る。
先ほどまでサングラスを握って怯えていた男とは違う。
神代組若頭としてでもない。
一人の男として、そこに座っている。
「……そうか」
「ああ」
「なら、まず俺から大和に話を通す。その後、お前も来い」
「分かった」
「麗華ちゃんにも話しとけ」
「ああ」
天音は頷いた。
「それでいい」
部屋の空気が少しだけ緩んだ。
蒼真は榛原に置いた煙草を手に持ち、吸いながらようやく背もたれへ少し身体を預ける。
「……終わった?」
「何が」
「話」
「だいたいな」
「帰っていい?」
「まだ飯来てねぇだろ」
「飯食うの?」
「ここ料亭だぞ」
「事情聴取だけだと思ってた」
蓮が笑う。
「俺、腹減った」
「お前は気楽だな」
「俺、何もしてねぇもん」
天音が蓮を見る。
「お前」
「はい?」
「こいつが女で浮かれて仕事疎かにしたら殴れ」
「了解です」
「おい」
「親父の公認」
「何が公認だよ、クソッ」
襖の外から声が聞こえ、料理が運ばれてくると、蒼真は煙草を消し、少し身体を起こした。
その時天音がふと、蒼真の胸元を見る。
「…………」
「何?」
「それ何だ」
「何が?」
天音が指を差す先の胸ポケットから、サングラスの端が僅かに覗いていた。
「…………」
蓮が口元を押さえた。
「蒼真」
「…………何」
「夜だぞ」
「知ってる」
「何でサングラス持ってんだ」
「…………」
蒼真は黙ると、蓮の肩が震える。
「蓮」
「無理www」
「笑うな!」
「だってwww」
天音が不思議そうに二人を見比べた。
「何だよ」
「何でもねぇ!」
「麗華ちゃんに選んでもらったやつです」
「蓮!!」
天音の眉が上がった。
「へぇ」
「親父、その顔やめろ」
「どの顔だよ」
「今の顔!」
「別に何もしてねぇだろ」
「絶対面白がってんじゃん!」
蓮は完全に俯き、笑っている。
「お前、何でそんなもん持ってきた」
「…………」
「蒼真?」
「…………心の支え」
数秒、天音が黙り、蓮も黙った。
「…………」
「…………」
そして天音が口を開いた。
「お前、本当に三十四か?」
「うるせぇよ!!」
部屋に蓮の笑い声が響いた。
天音まで笑い始め、蒼真は不貞腐れたようにサングラスを胸ポケットの奥へ押し込んだ。
今日だけで、何度笑われただろう。
それでも手放す気にはなれなかった。
麗華が選んでくれたものだから。
「……笑いすぎだろ」
蒼真が呟く。
蓮はまだ笑っていて、天音も煙草を吸いながら、僅かに口元を緩めていた。
「まぁ」
天音の声が聞こえ、蒼真が顔を上げる。
「大和に殴られそうになったら、それで顔守れ」
「サングラスで守れるか!刺さるだろ、顔にも拳にも!」
また蓮が吹き出し声を出して笑った。
今夜の話は、まだ終わっていない。
けれど少なくとも。
神代の中で、蒼真が一人で抱える必要はなくなった。




