第14話 はじめまして、恋人です。
定例会合の会場となった料亭には、すでに何台もの車が停まっていた。
神代組の車が、その一角へ滑り込む。
後部座席に座っていた蒼真は、窓の外を見た。
「結構来てんな」
「ああ」
隣に座る蓮が答える。
前の車から天音と鷹宮が降りる。
「行くぞ」
「おう」
蒼真も車を降り、ジャケットの裾を軽く整え、煙草を携帯灰皿へ押し込む。
先ほどまでの気の抜けた表情は、もうない。
神代組若頭。
ここから先は、その顔だった。
「蒼真」
天音が振り返る。
「何?」
「今日は黙って座ってろよ」
「何でだよ」
「お前余計なこと言うから」
「言わねぇよ」
蓮が横から口を挟む。
「この前言ってたじゃん」
「お前はどっちの味方だよ」
「親父さん」
「裏切り者」
鷹宮がそんな2人を見て笑う。
「中へ入ったら静かにしてくださいよ」
「分かってるって」
四人は店内へ入った。
◇
広い座敷には、すでにいくつかの組の人間が席についていた。
天音が入ると、何人かが立ち上がり、頭を下げる。
「神代さん」
「おう。久しぶりだな」
「ご無沙汰しております」
天音が挨拶を交わし、蒼真もその後ろで軽く頭を下げた。
「神代の若頭も来たか」
「お久しぶりです」
「相変わらず派手な頭してんなぁ」
「地毛ですよ」
「分かってるよ」
座敷に笑いが起こり、蒼真も笑った。
いつも通りで何も変わらない。
天音の隣へ蒼真が座り、その後ろに蓮と鷹宮がそれぞれが決められた場所へ座る。
蒼真が部屋を見回すと、まだ空いている席がいくつかあった。
「東雲まだ?」
小声で蓮が囁いた。
「みてぇだな」
蒼真が答える。
「珍しい」
「時間前だから遅刻じゃねぇだろ」
「お前が言うな」
「何で」
「五分前は遅刻と同じなんだろ?」
「それ親父の理論だから」
「聞こえてんぞ」
前から天音の声が飛んできて、蒼真と蓮は黙った。
鷹宮は小さく笑ったその時、座敷の外から声が聞こえた。
「東雲組、東雲大和組長がお見えになりました」
蒼真は何気なく顔を上げた。
襖が開くと最初に入ってきたのは、一人の男だった。
東雲大和。
蒼真も何度も顔を合わせたことがある。
いつもと変わらない。
その後ろに若頭や本部長の数人が続く。
そして────。
「…………」
蒼真の目が止まった。
大和の少し後ろを一人の女が歩いている。
見覚えがある。
どころではない。
先週、隣にいて手を繋いで、車の中でキスをした。
「…………」
麗華
一瞬、頭が真っ白になり、何も考えられなかった。
なぜ、ここに麗華がいて東雲大和の後ろを歩いているのか分からなかった。
「…………」
麗華も目を見開く蒼真を見た。
目が合うと彼女の足が、ほんの僅かに止まった。
だが、なんでもないようにすぐに歩き出す。
「天音さん、ご無沙汰しております」
大和が天音へ頭を下げる。
「おう。久しぶりだな、大和」
天音もいつも通り応じ、頭を下げた。
蒼真は動かない。
いや。
動けない。
頭も中も、身体もいうことを聞かない。
ただ目の前にいる麗華が本人なのか、自分の目を疑い続けていた。
何度、瞬きしても、そこに居るのは、麗華だった。
「…………」
――嘘だろ。
蒼真は表情を変えずに、大和へ頭を下げた。
ここには天音も大和もいる。
鷹宮も。
それだけではなく、他の組の人間が何人もいる。
この場で何一つ、余計な反応などできない。
「今日は娘も連れてきました」
大和が言った。
「ほう」
天音が麗華を見る。
「娘さんか」
「はい。麗華です」
「…………」
名前を聞き、蒼真の喉が僅かに動いた。
麗華が静かに天音へ頭を下げる。
「東雲麗華と申します。本日はよろしくお願いいたします」
――知ってる。
名前も声も笑った顔も、キスした時の顔まで知ってる。
「そうか」
天音が頷く。
「神代天音だ。よろしくな」
「はい」
「こっちは倅の蒼真」
――紹介しなくていい。
知ってる。
「うちの若頭だ」
言わないでくれ。
「蒼真」
「…………」
「蒼真?」
「……ああ」
天音の呼びかけにほんの一瞬、返事が遅れた。
少しだけ不思議そうな顔をした天音だが、蒼真にはそれが見えていなかった。
蒼真が麗華を見ると、麗華も蒼真を見る。
視線が噛み合う。
「神代蒼真です」
初対面のように、麗華へ静かに頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「…………東雲麗華です」
麗華も頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
「…………」
「…………」
また、目が合い、蒼真が先に逸らした。
「?」
天音が僅かに蒼真を見たが。何も言わなかった。
◇
会合は複数の組が集まる定例の場だ。
最近の情勢や縄張りの確認、余計な衝突を避けるための話が進んでいく。
普段なら蒼真にとって何ということもない時間だった。
必要なら発言して、聞くべきところは聞く。
意見を求められれば答える。
今日もそのはずだった。
「神代の若頭はどう思う?」
他組の組長から声を掛けられる。
「…………」
「蒼真」
天音が小さく呼ぶとようやく、蒼真は顔を上げた。
「……ああ」
一瞬だけ間が空いた。
「すみません」
蒼真はすぐに表情を戻す。
「その件なら、神代としては今まで通りで問題ないと思います。ただ――」
いつも通り、話す。
声も口調も内容も、何一つおかしくない。
それでも、天音は隣に座る息子を一度見た。
「…………」
おかしい。
僅かに、本当に僅かだ。
いつもの蒼真ではない。
緊張しているわけではないのは分かる。
会合で緊張するような男ではない。
何度も出席させていて、慣れていない訳がない。
話を聞いていないわけでもないし、必要なところは聞いている。
だが時折、視線が一点に動く。
天音はその先を追った。
「…………」
東雲大和の隣に座る、娘の麗華。
天音の目が僅かに細くなった。
何だ?
蒼真は何か、隠しているのか?
◇
蒼真は煙草へ火をつけた。
一度、深く煙を吸い、吐き出す。
落ち着け。
今は考えるな。
今は仕事だ。
麗華が東雲の娘だった。
それだけ。
――それだけじゃねぇだろ。
付き合って、キスした。
いや、だから俺、今それを考えるな。
蒼真はもう一度タバコを吸い、煙を吐いた。
その瞬間、何となく東雲側へ目を向けた。
「…………」
麗華がこちらを見ていて、目が合った。
「…………」
「…………」
また、蒼真が先に目を逸らす。
――見るな。
そう思うのに、数秒するとまた目が向いてしまう。
麗華も、また蒼真を見ている。
「…………」
蓮は蒼真の少し後ろから、その様子を見ていた。
会合が始まってから、蒼真がおかしい。
本当に僅かだ。
長い付き合いでなければ分からない程度。
だが、俺には分かる。
こいつ。
さっきから東雲側を見すぎている。
蓮は蒼真の視線を追った。
その先には、東雲大和とその周囲の人間。
そして────娘。
「…………」
確かに綺麗な女だ。
今日初めて見るはずだ。
――ん?
蓮の眉が僅かに動く。
どこかで……いや。
見たことはない。
蒼真から写真を見せられたこともなかった。
だが……名前が一致している。
まさか────。
蓮が蒼真を見ると蒼真が、また麗華を見ていた。
麗華も蒼真を見て目が合うと、二人とも逸らす。
「…………」
蓮は蒼真の視線を追うのを辞め、黙って前を向いた。
――いや。
まさかな。
◇
一方、東雲大和も娘の異変に気付き始めていた。
「…………」
麗華は静かに座り、余計な口を挟まない。
姿勢も崩さず、初めて正式に出る会合としては十分だった。
ただ視線だけが、どこかおかしい。
「…………」
大和が何度か麗華を見ると、神代側を見ている。
より正確には神代の若頭を見ている。
蒼真が話せば見る。
蒼真が煙草へ火をつけても見る。
誰かが蒼真へ話を振れば、また見る。
「…………」
大和が僅かに眉を寄せた。
何だ?あいつが気になるのか。
神代の若頭だからか。
銀髪だから目立つだけか?
男前だからか?
初めてこういう場へ連れてきたのだ。
珍しいだけかもしれない。
そう思った時、蒼真が麗華を見た。
麗華も蒼真を見る。
「…………」
「…………」
そして二人がほぼ同時に視線を逸らした。
「…………」
大和の目が細くなる。
――知ってるのか?
◇
「そういや」
別の組の組長が、酒の入ったグラスを置いた。
「神代んとこの若頭は、まだ独り身だったか?」
「…………」
蒼真の手が止まった。
天音が答える。
「ああ」
「そうか。もういい歳だろ」
「三十四だ」
「なら、そろそろ身ぃ固めてもいい頃だな」
「本人に言ってくれ」
「余計なお世話ですよ」
蒼真が笑って返す。
いつもなら、それだけで終わる話だった。
「女はいるんだろ?」
「…………」
蒼真は笑ったまま、ほんの一瞬、止まった。
「まぁ」
「ほら」
座敷に笑いが起きる。
「神代の若頭なら選び放題だろ」
「そんなことないですよ」
「嘘つけ」
「本当ですって」
「龍虎の噂は聞いてんぞ?」
蒼真も笑った。
だが、東雲側から視線を感じる。
見なくても分かった。
麗華だ。
――今この話すんなよ。
蒼真は内心で悪態をついた。
自分が今、どれだけ平静を保つのに必死か、誰も知らない。
頼むから、この早くこんな話題、終われ。と願った。
「大和んとこの娘さんは?」
「…………」
今度は大和が顔を上げ、麗華も僅かに目を見開いた。
「麗華ですか?」
「ああ。綺麗になったなぁ。男の一人くらいいるだろ」
「さぁな」
大和がグラスを傾けながら笑う。
「俺は聞いてねぇ」
蒼真は煙草を吸った。
――います。
ここに。
「麗華ちゃん、どうなんだ?」
突然話を振られ、麗華が微笑む。
「ご想像にお任せします」
「上手く逃げたなぁ」
また笑いが起こる中、蒼真は前を向いたまま煙を吐いた。
蓮も周りに合わせ、笑いながら横目で蒼真を見る。
耳が、ほんの僅かに赤い。
「…………」
――おい、嘘だよな。
蓮の中で嫌な予感が、急速に形になり始めた。
「だったら」
先ほどの組長が、何の悪意もなく笑った。
「神代の若頭と麗華ちゃん、歳もそこまで離れてねぇだろ」
蒼真と麗華が同時に顔を上げた。
「一度飯でも行ったらどうだ?」
「…………」
「…………」
一瞬、妙な沈黙が落ちた。
天音が蒼真を見る。
大和が麗華を見る。
蓮が蒼真を見る。
鷹宮も僅かに眉を上げた。
「……はは」
蒼真が先に笑った。
「俺なんかじゃ、東雲のお嬢さんに失礼ですよ」
「何言ってんだ。神代の若頭だろ」
「肩書きで男選ばれても困りますって」
麗華が口元を僅かに緩めたのを、大和は見逃さなかった。
「麗華は?」
「え、私?」
「ああ。嫌か?」
「…………」
麗華は蒼真を見る。
ほんの一瞬。
「別に」
「ほら」
「機会があれば」
「…………」
蒼真は笑顔を保った。
――機会どころか何度も行ったわ。
「神代」
大和が天音を見る。
「若い者同士、今度飯でも行かせるか?」
「俺は構わねぇぞ」
天音が笑うと、蒼真の目が泳いだ。
一瞬、本当に一瞬だけだったが、天音は見逃さなかった。
「…………」
大和も麗華が笑いを堪えるように僅かに口元を伏せたのを見逃さなかった。
「…………」
そして、天音と大和の視線がふと、ぶつかった。
「…………」
「…………」
ほんの一瞬、二人の組長が互いを見たが、何も言わなかった。
だが互いに、同じことを考え始めていた。
――こいつら、何かある。
◇
会合は滞りなく終わった。
何事もなく、誰かが怒鳴ることも揉め事が起きることも、一切なかった。
それなのに蒼真は今日一日で一番疲れていた。
「お疲れ様でした」
「また次回」
それぞれの組が挨拶を交わし、部屋を出ていく。
神代も立ち上がり、蒼真はジャケットを整えた時だった。
「神代さん」
大和が天音へ声を掛けた。
「今日はどうも」
「おう。またな」
蒼真も大和へ頭を下げる。
「お疲れ様でした」
「ああ」
大和の目が一瞬、蒼真を見る。
「…………」
蒼真は表情を変えなかった。
その横を、麗華が通る。
「お疲れ様でした」
「……お疲れ様でした」
それだけ。
他人のようにすれ違う。
目だけがほんの一瞬、合った。
麗華は何も言わず、蒼真も言わない。
そのままそれぞれの組の人間について歩いていく。
「…………」
廊下を歩きながら、天音が隣の蒼真を見た。
「蒼真」
「何?」
「今日疲れたか?」
「別に?」
「そうか」
「何で?」
「いや」
天音はそれ以上言わなかった。
「…………?」
蒼真は僅かに眉を寄せる。
その後ろの蓮は、すべてを察したような顔で歩いていた。




