第13話 知らぬは龍ばかり
神代組事務所の若頭室では、蒼真が机に積まれた書類へ目を通していた。
「…………」
一枚捲り確認して、判を押して次。
その横では、蓮がソファに座って煙草を吸っていた。
「なぁ」
「んー?」
「お前、今日機嫌いい?」
蒼真の手が止まった。
「普通」
「そう?」
「何で」
「いや」
蓮が煙を吐く。
「何か機嫌いいなと思って」
「普通だって」
「麗華ちゃん?」
「…………」
蓮が笑った。
「分かりやす」
「うるせぇな」
蒼真は書類へ視線を戻した。
「別に普通だよ」
「昨日デートだったんだろ?」
「うん」
「楽しかった?」
「楽しかった」
「よかったな」
「うん」
あまりにも素直な返答に、蓮が蒼真を見る。
「…………」
「何」
「いやお前……本当に変わったなと思って」
「何が」
「前まで女とどこ行ったとか聞いても、『別に』しか言わなかったじゃん」
「麗華は彼女だから」
「はいはい」
蒼真は少し笑って、また判を押した。
「……キスした」
「聞いてねぇよ」
「した」
「だから聞いてねぇって」
「信号待ちで」
「…………」
蓮がゆっくり蒼真を見る。
「何」
「お前から?」
「うん」
「へぇ」
「何だよ」
「いやぁ?」
「その顔やめろ」
蓮は笑いを堪えながら煙草を灰皿へ置いた。
「で?」
「何」
「信号は?」
「…………」
「まさか青になった?」
「…………」
「おい」
「後ろからクラクション鳴らされた」
その答えに一瞬、蓮が固まった。
そして声を出して蓮が笑いだした。
「っはははははは!!」
「うるせぇ!」
「お前何してんの!?」
「キスしてたんだよ!」
「それは分かってるわ!」
「じゃあ聞くな!」
「三十四にもなって信号でクラクション鳴らされんなよ!つーか、やる事、ガキじゃねぇか!」
「仕方ねぇだろ!見てなかったんだから!」
「運転中は信号見ろwwwあと車ですんなwww」
「うるせぇな!」
若頭室に蓮の笑い声が響く中、蒼真は不機嫌そうに新しい煙草を取り出した。
「お前に言うんじゃなかった」
「自分から言ったんだろwww」
「もう言わねぇ」
「はいはい」
その時、扉がノックされた。
「どうぞ」
蒼真が答えると扉が開き、悠真が顔を出した。
「兄貴」
「何?」
「親父が呼んでる」
「俺?」
「うん」
蒼真が時計を見る。
「今?」
「今」
「分かった」
椅子から立ち上がり、ジャケットを手に取り羽織る。
「蓮も?」
悠真が首を振った。
「兄貴だけ」
「行ってくるわー」
「おう」
扉へ向かうその背中へ、蓮が声を掛けた。
「蒼真」
「何?」
「親父にも信号の話してこいよ」
「死ね」
「なんすか、信号って」
「黙れ、悠真」
悠真が尋ねると蒼真が即答した。
扉が閉まると蓮は一人、また笑った。
◇
「親父」
蒼真が組長室へ入ると、天音は机に向かっていた。
「来たか」
「何?」
「座れ」
言われるまま、ソファへ腰を下ろす。
天音は手元の書類を一枚確認してから顔を上げた。
「来週の金曜、定例の会合あるだろ」
「ああ」
蒼真も知っている。
年に何度か開かれる、複数の組が集まる会合。
互いの縄張りや最近の情勢。
組同士で余計な揉め事を起こさないための確認。
表立って敵対していない組の幹部が、一つの場所に集まるその会合に神代も毎回参加していた。
「今回、お前も来い」
「俺?」
「ああ」
「別にいいけど」
「若頭なんだから、そろそろ毎回出ろ」
「今までも結構出てんじゃん」
「結構じゃなくて毎回だ」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい」
天音が煙草を咥えると、蒼真もポケットから煙草を取り出した。
「誰来んの?」
「いつものところだ」
「鷹宮さんは?」
「来る」
「蓮は?」
「連れてけ」
「分かった」
天音がライターで火をつけると、蒼真もそれに続いた。
「東雲も来るぞ」
「ふーん」
蒼真は何の反応もなく煙を吐いた。
天音が僅かに眉を上げる。
「何だ」
「何が?」
「いや」
「東雲がどうしたの」
「探ってんのか」
「続けてる」
神代と東雲は昔から近すぎず、遠すぎず、互いの領分へ必要以上に踏み込まない。
定例会合で顔を合わせることなど、珍しくもなかった。
蒼真にとってもその名前はただ、それだけのものだった。
だからこそ、火種は作りたくない。
白なら白に疑いは綺麗にしたい。
「時間は?」
「夕方六時」
「了解」
蒼真が立ち上がる。
「それだけ?」
「ああ」
「じゃあ戻るわ」
「蒼真」
「ん?」
「遅刻すんなよ」
「しねぇよ」
「お前この前――」
「してねぇって!」
「五分前に来るのは遅刻と同じだ」
「時間には間に合ってんだろ!」
「若頭なら先に来い」
「はいはい」
「返事」
「はい!」
蒼真は笑いながら組長室を出ていった。
天音は呆れたように煙を吐いた。
◇
同じ頃の東雲組の屋敷では────。
「麗華」
父に呼ばれ、麗華は大和の部屋へ入った。
「何?」
「ちょっと座れ」
「うん」
大和の向かいへ座ると、テーブルには数枚の資料が置かれていた。
「来週、時間あるか」
「来週?」
「ああ」
麗華は少し考える。
「何曜日?」
「金曜」
「夜?」
「18時から」
「……大丈夫だと思う」
「なら空けとけ」
麗華が首を傾げる。
「何かあるの?」
「定例会合」
「私も?」
「ああ」
「珍しいね」
これまでにも組の関係者が集まる席へ出たことはある。
だが、大和が出席する組同士の正式な会合へ連れていかれることはなかった。
「お前もいつまでも何も知らねぇままじゃ困る」
「別に何も知らないわけじゃないけど」
「なら来い」
「はいはい」
「返事は一回」
麗華が笑う。
「どこかで聞いたようなこと言うね」
「誰に言われたんだ」
「別に」
「…………」
大和が麗華を見る。
「何?」
「いや」
「何その顔」
「最近、機嫌いいな」
麗華の動きが僅かに止まった。
「そう?」
「ああ」
「普通だよ」
「そうか?」
「うん」
大和は少しだけ娘を見る。
だが、それ以上は聞かなかった。
「とにかく金曜は空けとけ」
「分かった」
「服もそれなりの格好してこい」
「分かってるよ」
「遅れるな」
「子供じゃないんだから」
「俺にとっちゃいつまで経っても子供だ」
「はいはい」
麗華が立ち上がる。
「誰が来るの?」
「いつもの連中だ」
「知らない」
「まぁ、来れば分かる」
大和が資料へ視線を落としながら答える。
「神代も来る」
「…………」
ほんの一瞬、麗華の足が止まった。
「……神代?」
「ああ」
大和は資料を見たままだった。
「神代天音。あとは本部長と若頭あたりだろ」
「…………」
麗華は何も言わなかった。
大和が顔を上げる。
「どうした?」
「ううん」
「何かあるのか」
「別に。なんで神代の名前だけ出たのかなって」
「あそこの若頭の蒼真はエラく男前だからな」
「何それ?……とりあえず来週の金曜ね、わかった」
「ああ」
麗華は部屋を出て廊下を歩きながら、少しだけ考える。
神代組。
蒼真が、その若頭であることは知っている。
なら会合に来る可能性は当然ある。
父が神代の名前を出したのも、先程の理由からだろう。
付き合い出しているなんてこと、分かっているはずもない。
「…………」
麗華は小さく息を吐いて、スマートフォンを取り出し、蒼真とのメッセージ画面を開いた。
『来週の金曜日、仕事?』
文字を打ったが、送信する直前で指が止まった。
「…………」
少し考えて、全部消した。
父の仕事のことを、軽々しく聞くものでもない。
まして、相手は神代の若頭。
「……まぁ、いっか」
その時が来れば、分かる。
麗華はスマートフォンをポケットへ戻した。
◇
蒼真は自宅のソファで煙草を吸いながら、スマートフォンを見ていた。
その傍らには茶トラがくつろいでいた。
麗華からメッセージが届いていた。
『今日仕事終わった?』
すぐに返す。
『終わった。今家』
『珍しい。早いね』
『俺だってたまには早く帰る』
『蓮さんと飲みに行かないの?』
『今日はいい』
少しして、返事がくる。
『何してるの?』
『麗華と連絡してる』
『それは今してるねwww』
『猫が隣にいる』
『猫?飼ってるんだ』
蒼真が笑いながら、茶トラを撫でる。
そしてメッセージを打つ。
『麗華は?何してる?』
『家』
それだけ来て、少ししてまたメッセージが届いた。
『来週父の仕事に付き合わされることになった』
『大変だな』
『蒼真は?』
『俺も来週親父の仕事』
『お互い大変だね』
『な』
「…………」
蒼真は何の疑問も持たなかった。
麗華も画面の向こうで同じように笑っていた。
『そういえば次いつ会える?』
蒼真が送ると返事はすぐに来た。
『この前聞いたでしょ』
『来週って言っただけじゃん』
『仕事の予定見て連絡する』
『早めに』
『何で?』
『会いたい』
送信。
既読から少し間が空いた。
『蒼真、付き合ってから本当に素直になったね』
『もう好きなのバレてるから』
『それ、この前も言ってたwww』
『じゃあ聞くな』
『私も会いたいよ』
「…………」
蒼真の口元が緩み、煙草を灰皿へ置く。
『じゃあ早めに予定決めて』
『はいはい』
『返事は一回』
しばらく既読がつかなかった。
やがて。
『天音さんみたい』
「…………」
蒼真は眉を寄せた。
父の名を話したことなどあっただろうか?
『何で親父知ってんの?』
すぐに麗華から返事が来た。
『前に聞いた気がする』
『そうだっけ』
『多分』
『まぁいいや』
深く考えず、蒼真は再び煙草を手に取る。
『ちなみに金曜は俺、仕事だから無理』
『私も』
『じゃあその後で会うか?』
麗華は少し考えてから返した。
『終わる時間分からない』
『俺も』
『じゃあ別の日』
『了解』
たったそれだけの会話だった。
同じ曜日、同じ時間帯。
互いに父親の仕事。
それでも二人は、まさか同じ場所へ向かうとは思わなかった。
◇
そして金曜日の夕方、蒼真は鏡の前でネクタイを締め直していた。
「これでいい?」
ソファに座っていた蓮が顔を上げる。
「何が」
「ネクタイ」
「普通」
「曲がってねぇ?」
「曲がってねぇよ」
「ならいい」
「お前今日細けぇな」
「会合だから」
「いつもそんな気にしてねぇだろ」
「今回は親父がうるせぇんだよ。これから毎回、出席しろって」
「若頭は大変だなぁ」
「他人事だな」
蒼真がジャケットを羽織ると、そこへ鷹宮が顔を出した。
「そろそろ出ますよ」
「はーい」
「返事が軽い」
「鷹宮さんまで親父と同じこと言うなよ」
鷹宮が笑う。
「組長はもう下にいます」
「マジ?」
蒼真が時計を見るとまだ時間にはまだ早い。
「まだ早くね?」
「だから先に来いって言われてるんでしょう」
「はいはい」
蓮が立ち上がる。
「行くぞ」
「分かったよ」
蒼真は煙草をポケットへ入れ、テーブルから持ち上げたスマートフォンの画面に麗華から通知が届いた。
『今から行ってくる』
蒼真は歩きながら返す。
『俺も。頑張ろ』
『うん。また後で』
『おう』
スマートフォンをしまおうとすると、蓮が覗き込んだ。
「麗華ちゃん?」
「うん」
「今日仕事だっけ」
「親父の仕事付き合うって」
「へぇ」
「終わったら連絡する」
「はいはい」
「蒼真の春かぁ~」
「鷹宮さん……」
三人は笑いながら階段を下りていった。
◇
ほぼ同じ時刻の東雲組。
「麗華、行くぞ」
「今行く」
麗華は鏡の前で髪を整える。
派手すぎず。
だが、東雲大和の娘として人前に出ても恥ずかしくない装い。
鞄を手に取り、大和のもとへ向かう。
「遅い」
「まだ時間あるでしょ」
「先方を待たせるな」
「分かってる」
「行くぞ」
「はい」
二人が歩き出し、麗華は一度だけスマートフォンを見る。
蒼真との最後のやり取り。
『おう』
それを見て少しだけ笑って、画面を消した。
この数十分後、その男が。
自分と同じ会場にいるとも知らずに。
――いや。
麗華は予感を、ほんの少しだけ抱いていた。
一方、神代蒼真は何一つ気付いていなかった。
「蓮」
「何」
「終わったら飲みに行く?」
「いいけど」
「麗華から連絡来たら帰るけど」
「最初から俺を繋ぎに使うなよ」
「いいじゃん」
「よくねぇよwww」
笑いながら車へ乗り込むと悠真が車を走らせる。
その先に待っているものなど。
何も知らずに。




