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巨大なシリンダーの自転がもたらす、ゆっくりとした星々の動き。
カイは宇宙空間に放り出されたまま、自らの質量と慣性のベクトルだけを頼りに、第4隔壁のエアロックへと向かって滑空していた。
視界の端で、窒素ガスの残量ゲージが神経質な赤い点滅を繰り返している。
『警告:推進ガス残量2パーセント。自力帰還が困難な水域です』
無機質な電子音を脳内でミュートし、カイは冷静に物理法則を計算した。
現在の初速と、エアロックまでの距離。そして船体の回転によるコリオリの力。全ての数値を弾き出し、カイはわずかに軌道がずれていることを悟る。このままではエアロックの縁に数メートル届かず、永遠に宇宙の暗闇を漂うことになる。
「……軌道修正」
カイはスラスターのスイッチに指をかけた。
ゲージはすでに1パーセントを割り込んでいる。噴射できるのは、あと一度、長くても〇・二秒が限界だ。
星々の冷たい光が、カイのヘルメットのバイザーを滑っていく。
彼は焦燥を感じることもなく、ただ機械の摂理に従い、最も効率的なタイミングを待った。エアロックのハッチが、自転によってゆっくりと視界の正面に近づいてくる。
今だ。
カイはスイッチを押し込んだ。
プシュ……。
ノズルから吐き出された最後の窒素ガスが、心細い音を立てて宇宙空間に霧散した。
タンクの圧力が完全にゼロになり、ゲージの赤い光が消灯する。推進力を完全に失ったカイの身体は、修正された軌道に乗って、静かにエアロックの縁へと迫っていった。
だが、足りない。
ガスの圧力が規定値を下回っていたせいで、計算上の推力よりわずかに弱かったのだ。カイの身体は、エアロックの開口部から数十センチ外側へ逸れようとしていた。
事実を認識した瞬間、カイは空中で身体を捻った。
伸ばした手は虚空を掴む。ハッチの縁をかすめることすらできない。
カイは両足の重力錨に意識を集中させた。
エアロックの分厚い装甲板の縁、そのわずかな金属面がブーツの射程圏内を通過する、コンマ数秒の瞬間。
「喰らいつけ」
カイは磁力リミッターを最大まで引き上げ、踵のスイッチを強引に蹴り込んだ。
ガキンッ!
右足の重力錨が、エアロックの縁の金属板にギリギリで吸着した。
時速数十キロで漂流していた質量百キロ以上のスーツの運動エネルギーが、右足のジョイント一箇所に集中する。骨が軋み、関節のシーリングが悲鳴を上げた。
カイは強烈な衝撃に耐えながら、振り子のように身体を振って左足の錨も装甲板に叩きつける。
ガゴン、という重い音が骨伝導で頭蓋を揺らした。
一・五トンの磁力が、カイを宇宙の深淵から船の表面へと縫い留める。
静寂の中、カイは壁面に張り付いたまま、荒い息を吐き出した。ヘルメット内に充満する自分の呼気が、ひどく熱く感じられた。
手動でハッチの開閉レバーを引き、ゆっくりとエアロック内へと身体を引きずり込む。
内扉が閉まり、減圧室に空気が急速に充填されていく。
鼓膜を圧迫する空気の流入音と共に、ウンディーネの重低音と、換気ファンの甲高い悲鳴が戻ってきた。再び熱の淀みの中へ引き戻される。
カイが息絶え絶えで床に倒れ込んだ瞬間、内扉が乱暴に開かれた。
「カイ!」
血相を変えたガルドが駆け寄ってくる。
彼はカイのヘルメットのロックを荒々しく外し、その顔を覗き込んだ。
「てめえ、タンクが完全に空じゃねえか! あと一秒遅れてたらチリになってたぞ!」
怒声と共に、ガルドの汗と脂の混じった生々しい臭いがカイの鼻を打つ。
カイは肩で息をしながら、ゆっくりと身を起こした。
「……計算内だ。圧は、足りてた」
減らず口を叩くカイの右手は、無意識のうちにスパナの柄をきつく握りしめていた。
その網膜には、まだあの完璧な幾何学模様の傷が、鮮明に焼き付いている。
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