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8.カイゼルのお買い物

 奥の部屋は事務所と休憩を兼ねた場所となっており、小さなテーブルを挟んで向かい合わせにソファーも置かれていた。剣帯から剣を外して傍に立てかけ、ソファーに座ったカイゼルは、扉を締めて向かいに着席した店主の顔を見て、苦笑した。


 自分への文句が山のようにある、と書いてあった。


「シュリを預かってくれて、ありがとう。どんな調子だ?」


 よくぞ聞いてくれたとばかりに、店主は身を乗り出した。


「どういたしまして、と言いたいところですが、あの子はなんなんですの⁉ 言葉遣いは時々おかしいし、怪力なのか物はよく壊すし、接客もろくにできませんし、まるでなっていませんわ! はっきり言って、役に立ちません!」


「⋯⋯⋯⋯。すまない、あまり世慣れていないようだ。大目に見てやってくれ。店に損害を出したら俺が全額償うから、あまり落ち込ませないでくれないか」


「落ち込んでいるように見えませんわ! さっきだって、挨拶が下手すぎて厳しく叱ったのに、黙って俯いているだけでしたもの! どうせお説教が終わるのを待っていただけです」

「そうでもない、と思う」


 カイゼルは何とか店主を宥め、金も渡し、引き続きシュリを雇ってもらうように頼むと、部屋を後にした。シュリは店番を続けていたが、先程よりも顔が強張っているようにも見えた。カイゼルが見返すと、ふいっと顔を背けてしまう。


「じゃあな、しっかりやれよ」


 カイゼルはそう言って、出て行こうとしたが。


「あの⋯⋯カイゼル、下着はいらないの? あの半分透けている赤い下着とか、もしかしたら似合うかもしれないわよ⁉」

 と、尋ねられ、顔が真っ赤に染まった。シュリは真面目に接客をしようとしたようだが、的外れである。


「それは誤解だからな。いらねぇ!」


 慌てて店を後にして、しばらく進み、やがて足を止めて天を仰いだ。


「⋯⋯しまった、俺も怒鳴っちまった」


 多大なる誤解をされたことは悔やまれるが、それよりももっと気になるのは、シュリのことだ。顔を背けられたが、彼女の目にうっすらと涙が滲んでいたのに、カイゼルは気づいていた。


 どうしたものかと、カイゼルはしばらく往来をうろうろと歩き回り、やがて再び店へと戻った。ちょうど店主が店の入り口から出て来て、街へ向かう姿が見えた。店は終わりの時間に差し掛かっており、扉には閉店の看板がかかっていた。鍵もかかっていたので、中に入ることはできない。


 出直すかと考えて、踵を返したが、ふと足が止まった。


 店の裏口のほうから、勢いよく扉が閉まる音がしたからだ。考えられる者と言えば、シュリしかいない。カイゼルは店の脇の道を進み、角を曲がろうとして止めた。


 店の裏口の扉の側で、シュリが膝を抱えて号泣していたからだ。涙が堪えきれずに飛び出して、勢いのまま扉を締めてしまったのだろう。懸命に声を殺そうとしているようでもあったが、うまくいかないようでもある。


 店主に厳しく叱られて、酷くこたえていたのだろう。だが、人前では決して泣くまいと堪えて、俯いて我慢していたのだ。そして店主が出かけた今、涙腺が崩壊してしまったようだ。


 カイゼルはまず罪悪感がこみ上げた。


 よかれと思って働き口を斡旋したが、シュリには酷だったようだ。しかし、だからといって野垂れ死に寸前の彼女を見捨てるわけにもいかない。店番程度できなければ、きっとこの先も苦労する。

 慰めてやるのは簡単だが、人に弱みを見せたくないというプライドがありそうだ。


 森で見つけたあの子供もそうだった。


 幼くして親に捨てられたことが心の傷になったのか、彼女はかなりの泣き虫だったが、自分の前以外では決して涙を見せようとはしなかった。そして、『無能』や『役立たず』という声に、酷く過敏に反応した。恐らく親から言われていたのだろう。


 同じことをシュリも店主から言われているに違いなく、何だか無性に慰めてやりたくなる。しかし、彼女も容易に受け入れなさそうだ。あの子供も、最初はカイゼルにちっとも懐かなかった。全力で可愛がったら慕ってくれるようになったが、会って間もない女性にやることではないだろう。


 あれこれと考えているうちに、シュリが泣き止んで、店の中へと入っていった。ひとまずカイゼルはその場を離れ、往来へと戻った。

 さて、この状況をどう打開するか。考えた末に、一案を閃いた。


「⋯⋯売り上げに貢献してやるか」


 これも人助けだ、と自分に言い訳をした。


 翌日、カイゼルは再び店を訪れた。シュリはやはり店番をしていて、店主は奥の部屋で事務仕事をしているという。今日はカイゼルを見るなり、大きな声で挨拶をしてきたシュリに、カイゼルは優しく告げた。


「声が大きい、と言われなかったか?」

「え、えぇ。だから小声にしたら、聞こえなかったみたいで⋯⋯それも失礼だから、戻したわ」


「俺は元気がよくていいと思うが、店には雰囲気があるからな。男がよく集まるような酒場や食堂なら活気が必要だから大声で客を呼ぶが、この店の客層は女だ。しかも精巧な小物や繊細な織物が置かれた、落ち着いた静かな店だ。だから、声量は大きすぎても、小さすぎても困る。ちょうど、今俺と話している程度の声量でいい」

「このくらいが、ちょうどいいの?」


「そうだな。俺としばらく話して慣れるといい。それと気持ち、優しい口調で言ってやるといいな。笑顔があるとなお可だ。愛想笑いでもいい」

「⋯⋯愛想笑いって何かしら?」


「要するに、笑顔を作るってことだ。本心からのものじゃなくても、笑顔を向けられて嫌な気持ちになる者はいないからな。できそうか?」

「こうかしら」


 シュリは、ゆっくりと口角を上げた。大変ぎこちない笑顔であり、あからさま過ぎる。だが、カイゼルはこれでめげるような性格はしていなかった。なにしろ拾った子供に心を許してもらうため、三日間昼夜を問わず、死力を尽くした経験の持ち主である。


「そこまで頑張らなくていい。そうだな⋯⋯何か嬉しいことでも考えてみろ」

「⋯⋯嬉しいこと⋯⋯」


 シュリは少し考えて、じっとカイゼルを見返したかと思うと、柔らかく顔を綻ばせた。ごく自然な、喜びを前面に押し出すような、愛くるしい笑顔だった。練習だと頭では分かっていても、カイゼルは何故か心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


「それでいい⋯⋯」

「貴方、具合が悪いの? 顔が赤いわ」

「気のせいだ。続けるぞ――」


 カイゼルは即答し、シュリに接客のやり方を丁寧に教えた。話しているうちに、シュリも少し自分に慣れてきたのか、軽妙なやり取りが続き、表情も明るくなった。彼女のためだと思ってきたが、話し終える頃には、カイゼル自身も楽しさを感じていた。


 ただ、一つ難題があった。


 客に逃げられているというシュリに自信を付けさせるために、買い物をしようと考えてきたのだが、男の物が一切ない。さりとて、迂闊に女の物を買って妙な誤解をされ、店主のように良い人がいると思われても困る。噂の種にされて自分の大切な王女に、誤解されたくないからだ。


「――さて、今日来たのは他でもない」

「赤い下着ね、貴方のために、とっておいてあるわ!」

「だから、違う! いいか、俺は女装の趣味はない。そこは絶対に間違えるな?」


 これだけは厳しい口調で言ったカイゼルに、シュリは慌てて頷いた。


「じゃあ、誰かに贈り物かしら?」

「あぁ、母上にな。化粧品を入れる小箱が壊れたとか言っていたから、新しい物を贈ってやりたい。落ち着いた色合いの、飾りの少ない物が好みだ。選んでくれるか?」


「わ、分かったわ。何がいいかしら⋯⋯」

「迷うなら、もっと俺に聞くんだな。贈る相手の年齢、予算、包装はいるのか、とかな?」


 シュリは頷いて、カイゼルを陳列棚まで連れて行くと、ごちゃごちゃの商品を見て唸った。


「これは⋯⋯探しにくいわね」

「混ぜたのはお前か?」


「えぇ。色んな種類があった一カ所にあったほうが嬉しいかと思って」

「確かに飾るのならいいが、探すとなると手間取るだろうな。相手の状況をよく考えるといい」


「勉強になるわ」

「お前が素直に聞いてくれるからだ。偉いな」


 シュリは、柔らかく笑った。


「ありがとう。お母様への贈り物だったわね。仲が良くてよかったわ」

「⋯⋯あぁ、まぁな」


 カイゼルは軽く目を見張り、陳列棚に視線を戻したシュリの横顔を見つめた。


 ――仲が良くて、よかった?


 仲がいいのね、というのなら分かる。だが、どこか引っ掛かる言い方で、まるで自分がかつて両親と不仲だったとでも思っているかのようだ。確かに事実であるが、()()()()


 ――何故知っている。お前は何者だ?


 小さな疑念が、また膨れ上がった。

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