7.猫の手も借りたい
俺には心に決めたものがいる。
きっぱりとそう言ったカイゼルの言葉に、迷いはなかった。
そして、その相手である例の王女――ティナは、あまりに有名な女性でもある。
この地をかつて治めていた国は、隣国ルーフスによって滅ぼされ、王族は根絶やしにされた。主だった貴族達も次々に捕らえられた。ルーフスの慈悲に縋って生き残れた者も、伝統ある姓名を奪われてルーフス流の名前にするよう迫られ、多額の金品や領地を差し出させられたうえで、小さな館や田舎の城に押し込められている。
自分達が国を見捨てて助命を願ったことを棚に上げ、それもこれも王家が戦に敗れたからだと恨む者もいた。しかし、ティナ王女を悪しざまに言う者は少なかった。
国王が戦死し、ルーフス軍が王都に迫るなか、徹底抗戦したのが王都の守護をしていた近衛兵団――かつて、カイゼルが所属していた騎士団である。主だった貴族の令息達は親の意向により去り、王族さえも逃げたにも拘わらず、ティナだけは王都に留まった。
やがて王都にいる最後の王族となったティナは、騎士たちの精神的支柱となっていたという。そして王都陥落後に敵軍に囚われ、その後すぐに処刑されたというのが通説だった。助命嘆願を一切せず、誇り高く散ったという彼女を、侮蔑できようはずがない。
一方で、逃げ延びて、どこかで密かに生きているという噂も絶えなかった。ルーフス軍は遺体を焼き捨てたと公表していたが、彼らがいつものように晒し者にしなかったことに疑念を抱かれたのだ。
ただ、最後の王族を失ったことで、国は亡び、占領したルーフス軍は、財貨や食料などをむしり取って母国に送ることしか考えていないために、政情は極めて不安定である。
無法地帯と化した地に、国も王女も存在しない。
カイゼルが愛した王女は、もういないのだ。
それにも拘わらず、カイゼルは今なおティナ王女を想っていた。近衛兵団の一員となって王女を護ったことが、いつまでも忘れられないに違いなかった。恐らく、壊滅した近衛兵団の中で、自分が生き残ってしまっていることも、心に強く刻み込まれている。
――なにも言えないわね⋯⋯。
傷ついたカイゼルの前に、のこのこと現れて、再会を喜んではしゃいでしまった自分が恥ずかしい。過去を語れば語るほど、彼はもっと心を痛め、失った王女を思い出すだろう。
シュリは、自分の事を思い出してもらうのをやめた。
ただ、行く当てもないのも事実だ。カイゼルに再会して、叶うならば昔のように傍に居たいと願っていたが、虫の良すぎる話だった。
どうしようか――そんな事を悩みながら、街を歩いていた時、中年の女性が店先に立って困った顔をしていた。
「あぁ⋯⋯人手が足りない。とっても大変。猫の手も借りたいくらいだわ!」
シュリは足を止め、ついじっと自分の細い手を見つめた。そして女性が自分に気付いて視線を向けてきたので、意を決して近付いた。
「あの、私は猫ではありませんが、それでもよろしいでしょうか?」
真顔でシュリが言うと、女性は少しばかり呆気にとられた顔になった。
★ ★ ★
一週間後、カイゼルは街の片隅にある小さな店の前に立った。部下は置き去りである。間違いなく鼻の下をまた伸ばすに違いないからだったが、女性物の衣服や装飾具を扱う店だからということもある。下着類も置いてあるというから、とても入りにくい場所だ。
――別の店を紹介すればよかったか⋯⋯。
と、少し後悔しながらも、カイゼルは足を踏み入れた。
カウンターで店番をしていたのは、シュリだった。カイゼルを見てぱっと顔を明るくした後、別れ際のことを思い出したのか、すぐに曇らせ、その後に怪訝そうになった。
「あの⋯⋯どうしたの?」
周りを全て女性の品で囲まれているカイゼルは、非常に居心地の悪い思いをしながらも、シュリに歩み寄った。相変わらず地味で質素なワンピースを着ていたが、今日は縁にレースがついた白いエプロンを着けている。なかなか似合うな、とつい思ったが、口には出さない。
「まずは、いらっしゃいませ、だろ?」
「貴方、お客様なの⁉」
「あー⋯⋯まぁ、そんなところだ。男が女の物を見て悪いか?」
紹介したことを伏せているので、様子を見に来たとも言えず、カイゼルはヤケクソ気味に言って、気まずさのあまり顔を背け、死ぬほど後悔した。たまたまだったが、視線を向けた先に、女性物の下着が山積みにされていたからだ。慌ててシュリに向き直ったが、もう遅い。
シュリは、真剣な顔で忠告してきた。
「私が言うのもおかしいけれど⋯⋯大っぴらにしないほうがいいわ。また変な奴だと言われるわよ?」
「⋯⋯うるせぇな。それより、俺に言うことがあるだろ?」
「あ、そうね。あの可愛い下着がご入用ですか⁉ まぁ、お目が高い!」
「色々と違うが、まず挨拶だ!」
「そうだったわ! いらっしゃいませ⁉」
慌てて言って、シュリはカウンターのテーブルに額が付きそうになるくらい、頭を下げた。おおげさすぎる。カイゼルはとても不安になった。
「お前、こんな調子で⋯⋯大丈夫なのか?」
「えぇ! 私、働けているわ! 親切な店主の方が人手が足りないからって、住み込みで働かせてくれたの」
カイゼルはちらりと店内を一瞥する。乱雑に積まれた箱、商品の陳列がぐちゃぐちゃな棚。お世辞にも、整っているとはいいがたい。シュリは働けていると言うが、役に立っているようには到底見えなかった。
「働くのは初めてか」
「そ、そうね」
「今までどうやって生きてきたんだ?」
「⋯⋯普通よ」
シュリの口調が途端に重くなり、どこか警戒するような眼差しを向けてきた。旅をしてきたと言っていたが持ち合わせがないところからして、かなり困窮した末に放浪してきたのだろうと察しがつく。それを詳しく聞かれて、また哀れみを受けたくもないからだろう、とカイゼルは思った。
そこに険しい顔をした店主が奥からやって来た。不機嫌そうな彼女を見て、シュリは目を伏せて小さくなったが、店主はカイゼルを見て笑顔になった。
「あら、カイゼル様! いらっしゃいませ。今日はどうされたのですか? 誰かいい人に贈り物でも? 隅に置けませんわね!」
「いや⋯⋯別に、そういうわけでもない」
カイゼルはシュリの手前、適当にごまかした。
店主は城に出入りしている者でもあったので、幼い頃から自分をよく知っている。おしゃべりな店主があることないことシュリの前で話しまくる前に、
「ちょっと話があるんだが、いいか?」
と先手を打った。店主はすぐに頷いて、奥の部屋へと案内した。




