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3.大きくなったシュリ

 カイゼルが実家を出て行ってから、置き去りになったシュリは寂しさのあまり毎晩のように泣いた。カイゼルの両親から『うるさい!』と怒鳴られてしまったので、必死で声を殺したが、それでも叱られて落ち込んだ。


 彼らが日増しに苛立ちを募らせた理由も、シュリは察していた。

 国境を護っていたカイゼルの叔父が戦死したのだ。


 カイゼルの父は弟の死を深く嘆きながらも、高位の者でありながら戦場に出るからだと非難し、ルーフス軍が国内へ侵攻したことに不安を募らせていた。


 元々シュリにあまりいい顔をしていなかったカイゼルの両親は、次第にその態度が顕著になった。『カイゼルがいないうちに、シュリをどこかにやれないか』と相談している声も、何度か耳に挟み、シュリはいずれまた捨てられるのだろうと覚悟した。


 騎士団に在籍している時はそれでも時々実家に帰って来ていたカイゼルには、何も言えなかった。


 彼は幼少期から両親との折り合いは良くなかったが、年々険悪になっていた。騎士団で剣の腕を上げて、慕っていた叔父とともに戦いたいと願っていた彼にとって、両親が暗に叔父を非難するのも敏感に察知していたようだ。普段からルーフス軍の猛攻に晒され、日々神経を尖らせているであろう彼に心労をかけたくなかった。


 美味しく感じなくなった食べ物も無理に飲みこんで体形を維持していたし、『変わりないか?』と心配してくれるカイゼルにいつものように懐いて、明るくはしゃいだ。


 そんな日々も、僅か十八歳の若さでカイゼルが力量を認められ、王都を護る近衛師団に招聘されたことで終わりを告げた。


 彼が暮らすのは遠く離れた王都となり、日々戦況が悪化しているなかで、実家に帰っている場合ではなくなったのか、カイゼルは姿を見せなくなったのだ。


 カイゼルの居ない場所に留まることに我慢ができず、シュリは彼の実家を飛び出した。


 彼の両親は嬉々として見送ってきた。

 息子の手前追い出せずにいた彼らにしてみると、シュリが自ら出て行ったと言えるから万々歳なのだろう。それでも恩を仇で返すような真似をしたことに代わりはなく、申し訳なさを感じ、カイゼルはきっと怒るだろうと思いながらも、シュリは自制できなかった。


 十五歳になっていたとはいえ、単独行動など殆どしたことがなかったシュリだったが、道中で旅芸人達に出会えたのは不幸中の幸いだった。各地を放浪する彼らは、シュリを温かく迎え入れてくれたのだ。


 シュリは彼らと共に旅に出た。

 陽気な彼らは行く先々で芸を披露して金を稼ぎ、シュリも学ぶことが多かったが、芸を覚えて披露する前に、彼らは解散することになった。戦禍は広がる一方で、人々はとても楽しむどころではなくなっていたからだ。


 相次ぐ敗戦により士気は下がり、脱走兵も後を絶たず、我が子を軍へと送った貴族達も、王都から返すよう求める者が増えた。自分達の領地で陣頭指揮をとらせ、徹底抗戦させるという名目だったが、危険が迫る王都から逃れさせたいという親心が透けて見える。それを拒むだけの力は、もう政府には無かった。


 旅芸人と別れたシュリはまた独りぼっちになり、放浪の末――最終的に城塞都市に辿り着いた。風の噂で、カイゼルが暮らす地だと聞いたからだ。戦火を逃れて移住した彼の両親と共に暮らしているという話だったが、シュリはカイゼルに一目でも会いたかった。



 城塞都市を囲む高い塀を遠くに見つめ、シュリは胸を高鳴らせていた。昨夜の雨でできた大きな水たまりに、自分の姿を映してみる。


「⋯⋯おかしくないかしら」


 最後にカイゼルと別れてから長い年月が流れ、シュリの姿は劇的に変わっていた。


 長い髪に豊かな胸、くびれた腰に小ぶりながら形のいい尻。道中で行き違った多くの男性達が『色っぽい』と褒めてくれたから、カイゼルもどこかしら気に入ってくれるかもしれないと期待を抱く。


 手足に視線を落とすと、細い手足は見るからに弱々しい。着ている袖なしの地味なワンピースの色は暗褐色であるぶん、色白さが際立った。あれじゃあ痕を付けたら目立ちそうだと野卑な男の声も届いていたから、カイゼルにか弱く見られてしまうだろうかと、シュリは少し不安にもなる。


 ただ、少なくとも大人の女の体になった。泣いてばかりいた弱虫な子供は、もういない。


「とりあえず、私が()()()()()()ことは確かだわ!」


 シュリは自分を励ますため、無理矢理ながらも笑顔を作った。そして大好きなカイゼルと再会を果たすべく、城塞都市へと向かった。


 外門は開かれており、旅人も多く出入りしていたため、シュリは番兵に呼び止められることなく街中へと入ることができた。遠くに臨む大きな城に、カイゼルが両親と共に暮らしていると思うと胸が弾み、同時に一本たりとも旗が掲げられていないことに、シュリは表情を曇らせる。


 シュリが旅芸人達と別れて放浪してから二年後の冬、王都は陥落し、国は滅びていた。


 今や領土は全てルーフス軍の手に落ち、主だった貴族達の多くは処刑されるか亡命し、あるいは多額の金を払って命乞いした。カイゼルの実の親は後者だっただろう。


 ――カイゼルは⋯⋯どんなに歯がゆい思いをしたかしら。


 今更のこのこ自分が会いに行っても、彼はそれどころではないかもしれない。それでも、せめて一目だけでも無事な姿が見たい。


 シュリは意を決して街中へ足を進め、城へ向かおうとした時――。


 往来を数人の部下らしき若者たちを伴って、先頭を歩いてくる男の姿が目に留まった。


 質素な服に身を包んでいたが、彼の美貌は際立っていて、隠しきれるものではない。端正な顔立ちに、凛とした眉、すっと通った鼻筋に切れ長の瞳。緩く開いた胸元からは鍛え抜かれた胸板が見え、機敏な動きと見るからに使い込まれた剣は、今なお彼は戦いに身を投じていることが分かる。

 それでいて、町行く子供達を見る目は優しい。


 子供の頃は男女の美醜などよく分からなかったし、今もさして興味はないが、カイゼルだけは別に思えた。色気が漂う強く優しい男。ずっとシュリを魅せて止まず、今は何故か胸がどきどきと跳ねた。

 かっと身体が熱くなって、これも大人になった証だろうかと内心思いながら、恐る恐る彼の元へと歩みを進めて、前を遮るようにして立った。


 カイゼルも足を止めた。周りの者達も同様で、彼らはシュリを見て眦を下げる。シュリはそっと彼を見上げ、息を呑んだ。


 かつて自分に向けられたことのない、他人を見るような冷めた眼差しが返ってきたからだ。


「何だ?」

「あ⋯⋯あの、私⋯⋯」


 しどろもどろになる自分を情けなく思いながら、黙って自分を見返すカイゼルに訴えた。


「――シュリよ! 貴方に会いにきたわ!」


 とうとう言った、とシュリは安堵の息を吐く。だが、カイゼルは僅かに不快そうに眉を顰めたうえ、冷淡な声で言った。


「知らねぇな」

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