17.好きすぎる
カイゼルは盛大な溜息をつき、なんとか邪念を振り払うと、シュリに声をかけた。
「なぁ、シュリ。一人で行こうとするな」
「⋯⋯⋯⋯」
「お前は飛竜の中では弱いほうかもしれない。でも、お前には俺がいる。俺と一緒に戦えばいい」
「⋯⋯⋯⋯」
「俺はお前の番なんだろう?」
シュリがようやく足を止めてくれたので、カイゼルはほっと胸を撫で下ろす。そのまま彼女の前に回って、顔を見つめ、目を和らげる。
泣き虫な飛竜の瞳から、ぼろぼろと涙が落ちていた。その雫を、カイゼルは竜紋が刻まれた手で優しく拭った。
「俺がこれを見て、どれだけ嬉しかったか、分かるか? お前が傍にいてくれたから、死ぬ時も怖くはなかった。生まれ変わっても孤独じゃなかった」
王都が陥ち、王女ティナがルーフス軍の手に落ちたのは百年も昔だ。
近衛騎士だったカイゼルもまた、激しい戦闘の末に、ルーフス兵によって斬り捨てられた。四方を敵兵に囲まれ、多勢に無勢だったのだ。仲間の騎士達も倒れ、飛竜も空から落とされていた。
彼の傍に最後までいたのが、シュリだ。
空を飛ぶことができなかった彼女は、戦に加われば飛竜の中で真っ先に命を落とすと思われたが、彼女はカイゼルのために死力を尽くし、カイゼルもまた共に戦った。
だが、地上で圧倒的な強さを持つ地竜の前に、どちらも力尽きた。
「⋯⋯お前を守れなくて⋯⋯すまなかった。俺がいたから、逃げられなかったんだろう?」
王城から国旗が引きずり下ろされ燃やされるのを見て、生き残っていた飛竜は国ごと見捨てるかのように都から飛び去って行った。国の終わりを悟り、自分達の種を存続させようと図ったのか、中には瀕死の仲間を背負って、戦場を離脱させた飛竜もいた。
シュリも飛竜の中でも小さいほうだったから、抱えられないものではない。しかも、子を孕める貴重な雌である。そんな彼女を逃そうとやって来た飛竜も多くいたが、シュリは仲間を全て拒絶した。カイゼルがいたからだ。王女の護衛である彼は、祖国や仲間を見捨て、一人逃げるわけにもいかなかった。
黙っていたシュリは、ようやく再び人へと変わった。カイゼルは少し安堵して、また上着を身体にかけてやると、今度は我慢できずに抱きしめた。
小さな体がびくりと震えた後、縋るようにしがみついてきて、「ごめんなさい」と何度も繰り返した。カイゼルは微笑んで、昔のように額にキスをした。
そして、シュリが泣き止むのを待って、優しく尋ねた。
「俺が死んだ後、魂を守ってくれたのか?」
シュリは小さく頷いた。
「⋯⋯貴方は、私の番だったから⋯⋯」
シュリとカイゼルは、共に瀕死で倒れた。王女ティナの捜索に血眼になっていた敵兵は、すでにどちらも死んだと思って、そのまま去っていった。
シュリは朱に染まった体で、カイゼルを包んだ。少しでも敵兵の眼から隠すために。体温が下がっていく彼に温もりを与えるために。
だが、カイゼルはそのまま息絶えてしまった。
王都にティナが処刑されたという報が響き渡るのと、彼の命が終わるのは、ほぼ同時だった。国王が戦死し、他の王族は我先に王都を捨てて逃げた先で打ち取られるなか、ただ一人王都に残り、騎士達を鼓舞して徹底抗戦した彼女は、ルーフス軍の罵倒を一身に浴びた。
そして嘲笑いながら降伏しろと揶揄するルーフス軍に毅然とした態度を崩さず、助命を求めもせず、最後の王族として誇り高く散ったという。
カイゼルも、彼が敬愛していたティナ王女も、自分のような飛竜を彼と共に迎え入れてくれた騎士達も、皆逝ってしまった。
深い悲しみと絶望のなかで、シュリは彼の手の甲に紋章が薄っすらと現れていることに気づき、彼が自分の番だったと、すぐに理解した。
竜族の間でもそういう人間がいることはよく知られており、シュリもまた耳にしていた。
無我夢中だった。
何をどうすればいいのか、誰かから習ったことはない。だが、シュリは彼の身体から去ろうとしていた魂を体内に取り込めた。竜の本能というものかもしれない。
そして、自分の体が動くようになると、夜の闇に紛れて王都を離れた。
それからは、ずっと一人だった。
地竜がのさばった祖国に居場所はなく、仲間の飛竜も散り散りである。森に深く身を隠し、傷が癒えても、消して人里へと降りようとはしなかった。
ただただ、カイゼルの魂が癒え、転生できる日を待った。そして、百年の月日が経ったある日、彼の魂はシュリの身体から飛び出して、赤子の姿になって生まれた。
喜びと共に、シュリの胸に強烈な不安が生まれた。
親に捨てられた自分には、子供の育て方が分からない。ましてや、人間の子である。竜語は伝わらないだろうし、魂を守る事だけで精いっぱいだったシュリの体は、ひどく衰弱していた。
占領軍であるルーフスは、逃げ散った飛竜を目の色変えて探している事も知っていた。飛竜の自分と一緒にいるだけで、彼の身に危険が及ぶ。
シュリは悩んだ末に、人間の夫婦に彼を預け、去る事にした。彼が再誕する数年前に偶然自分を見つけ、以来、何かと世話を焼いてきた。カイゼルの養父母となった城主夫妻である。
「いつから⋯⋯前世の記憶があったの?」
「物心ついてすぐだ」
「えっ⁉」
「死に物狂いでお前を探したが、見つからなかった――」
僕は竜を探しに旅に出ると言い出した幼児を、城内の者達は総出で止めていた。カイゼルは前世の両親も絶叫させていたが、実は現世の養父母もよく困らせている。
「――俺を養父母に預けた後、お前は姿を晦ましただろう? どこに行っていた」
「谷底でずっと⋯⋯一人で休眠していたわ。力があまり出なくて、森の中にいてもすぐに獣に負けてしまったから、居場所もなかったの」
「お前という奴は⋯⋯もっと早く来い! 昔のように、いくらでも俺が世話をしてやったぞ⁉」
昔からカイゼルは、それはもうシュリを猫可愛がりしていた。
薄汚れたシュリを拾った時は、躊躇なく上着で怯える小さな飛竜を包み、実家に連れ帰った。飛竜を浴室に連れて行って、自らの手で優しく洗い、お湯に浸からせた。気が緩んだのか、風呂の縁にぺたりと頭を置いて目をきゅっと閉じた愛らしい姿に、胸を撃ち抜かれた。
真っ赤になって胸を押さえよろけた自分に、遠くでこわごわ見守っていた侍女達が大騒ぎしたものである。
飛竜は生肉を好むと聞いて新鮮な肉を与えたが、シュリは嫌がった。兄弟のおこぼれしか貰えず、半ば腐ったようなものしか貰えていなかったことの影響だ。ならばと焼いて、カイゼルが美味しそうに食べるのを見せてやると、ようやく焼いた肉を食べてくれた。
果物や木の実は最初から好んでいたから、カイゼルはしょっちゅうシュリと共に山へ入り、彼女が好みそうな物を一緒に探した。
シュリが日に日に大きくなり、カイゼルのベッドに入らなくなると、彼女のために用意させた間口の大きな広い部屋に自分の寝具を持ち込んで一緒に寝た。
あまりに度が過ぎた、シュリ愛である。
そして、王都に行ってからは、シュリの竜の絵姿を画家に描かせて自室に飾り、逢えない寂しさを埋めたものだった――。




