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18.バシュリス

 そこまで愛した飛竜を前に、カイゼルの恨み節は止まらない。


「城下町にふらっと姿を見せたのはいつだ、言ってみろ!」

「に、二十年くらい後⋯⋯かしらね?」

「くらい、じゃねぇだろうが⋯⋯」


 恨みがましいカイゼルの怒気を感じて、シュリは慌てて話を進める。


「成長したせいか⋯⋯人の姿になれたのよ。これなら誰にも飛竜だと気付かれずに、貴方に会えると思って――」


 慣れない身体に戸惑いがなかったわけではない。でも、カイゼルと一緒に育ち、人の生活をずっと傍で見てきたシュリは、徐々に人の社会に溶け込むことができた。


 ただ、肝心のカイゼルは無反応だったものだ。


「――でも、貴方も気づかなかったわね」


 カイゼルは、転生したせいで記憶がなくなったのかもしれない。そう思って、寂しさを堪えた。シュリは微笑んだが、カイゼルの目が据わる。


「おい、よく考えろ。前世で俺と一緒に育ったのも、養父母に俺を預けて姿を消したのも、俺の記憶にあるお前は大きさは違えど、全て飛竜だ。いくら名前が同じだと思っても、どこからどう見ても人間としか思えない女に、何となくそんな気がするという理由で、初対面でいきなり『お前は飛竜のシュリか』なんて聞けると思うか?」


 シュリの目が迷子になった。人間として暮らして、彼らの感覚をより理解しつつあるから、カイゼルが躊躇した理由が今なら分かる。二十年という月日は、千年は優に生きるという飛竜にとっては短く感じるが、人間の感覚は違うのだ。


「⋯⋯無理、ねぇ⋯⋯変な人だわ」

「竜族は長寿かもしれないが、人間にしてみれば二十年は人生で大きな時間を占める。その間、ずっと放っておかれれば⋯⋯お前に見限られて、捨てられたと思うだろ。前世の俺は、お前を巻き添えにしたんだしな」


 カイゼルは小さく溜息をついて、シュリを抱きなおした。


 彼女がどういうつもりで、また姿を見せてくれたのかは分からなかった。だが、問いただすのも怖かった。だから、まず外堀を埋める事にしたのだ。

 シュリが住み込みで働けるように、手を回し、カイゼルは彼女の元に足繁く通った。

 会えば会うほど、シュリは前世で溺愛した飛竜としか思えなかった。自分の想いを告げる間を図ってもいたし、それにはまず、自分が転生した経緯について話すのが一番だろうと思った。


『一度死んだ人間が蘇るというのは、ありえる話か?』


 そう切り出したら、彼女は《番》の事を教えてくれた。死んだはずの自分が生き返ったのは、『だからか』と納得もしたが、自分が彼女の番であるという確証はまだ得られなかった。

 番に現れるという紋章は見た事がなかったし、彼女はそこまで言及しなかったからだ。現世の両親が目撃した飛竜は、カイゼルの知る彼女よりも遥かに大きいものだった。もしかしたら、自分を転生させてくれた飛竜は、彼女ではないのかもしれない。


 そうだとしたら――自分ではない、シュリに別の番がいる可能性だってある。


『番は竜に、すごく愛されるの』


 続けてそう聞かされたから、カイゼルは苦々しく思った。

 羨ましい。心底、妬ましい。シュリにそこまで愛される男を殺してやりたいくらいだ。


 そこまで思った時、カイゼルは自分の執着がどういう感情のものか、理解した。竜でも人でも、シュリはあまりに可愛らしくて、彼女しか欲しくないとさえ思った。


 それなのに、だ。


『いくら愛しても、敵わないわ』

 と、シュリは告げた。自分がどれほど彼女を愛しても、恋は叶わないと拒絶された気がした。

『そうとは限らないだろう。俺が想えば、もっと強くなれば、いつか叶うかもしれない。俺は⋯⋯王女の騎士になると誓った』


 諦め悪く言ってみたが、無駄だった。


『人間と竜よ? なにもかも、あまりに違いすぎる』


 種の壁は、彼女が人化できるようになって、超えられたような気がした。でも、彼女は人として愛されることを望んでいないのかもしれない。


 ――俺は竜になりたい。なんで生まれ変わっても人間なんだよ。


 誰もが絶賛する美貌の主カイゼルは、本気でそう思ったものである。

 カイゼルを思い悩ませていたと知ってシュリがまた腕の中で落ち込んでいるのが分かり、彼は小さくため息をついた。


「どうして何も言わずに出て行った? 俺と一緒にいると誓ってくれたのに」

「私は⋯⋯王女様じゃないもの」

「なに?」


 怪訝そうな声に、シュリは恐る恐る彼を見上げた。そして、戸惑った顔をしているカイゼルに、そう思った経緯を打ち明けると、彼は苦笑いした。


「確かに、昔の騎士の地位は高かったからな。功績を挙げれば、高位の者との婚姻も望めた。ティナ殿下の護衛を務める、『王女の騎士』であればなおさらだ」


 シュリの胸はずきりと痛んだが、カイゼルはもう悩ませたりはしなかった。


「お前の名はシュリだろう?」

「えぇ⋯⋯」

「祖国の古い言葉で、『王女』を『バシュリス』と言うのは知っているか」


 目を瞠り、小さく首を横に振るシュリに、カイゼルは優しく教えた。


「俺が子供の頃からあまりにお前に固執して、近衛兵団でも一緒にいてくれたお前を崇拝していたから、仲間からは『まるでお前の王女様だな』と、言われた。それは今もだが、俺に異論はない」

 前世の両親は、我が子が真顔で『俺は飛竜と結婚するんだ』と繰り返したので、正気かと言わんばかりだった。


 小さな竜が泣けばキスまでした上に、寝床に連れ込んで、一緒に寝ると言い張る。子供でも強いものは熊を易々と倒して餌にしてしまう強さがあるにも拘わらず、だ。

 だが、シュリは臆病で優しい子竜だったから、周囲の者達は黙認したというだけだ。子供の頃のシュリは熊を見て逃げ腰で、彼女を怯えさせたと激怒して熊に挑んでいったのが、カイゼルである。 

止めろ、と大人達は頭を抱えたものだった。


 ようやく意味を察して、見る見るうちに頬を染めたシュリに、カイゼルは微笑んだ。


「なあ、シュリ。俺を王女の騎士にしてくれないか?」


 もう言葉にならず、頭を何度も縦に振りながら泣く彼女に、カイゼルは心置きなく何度も口づけた。シュリもやっと応えてくれた事が、彼の心を喜びで満たした。


 彼が愛した子供は、もういない。小さな竜でしかなかった彼女は、大人になって身体も心も育っていた。

 彼が愛した王女も、もういない。手の届かない存在ではなく、愛し合い、交ることのできる人になってくれたからだ。

 今いるのは、頼もしい戦友であり、かけがえのない番であり――伴侶だった。


 カイゼルはようやく抱きしめていた腕をほどくと、裸体に上着一枚だけという寒々しい格好をしているシュリに告げた。


「城に帰るぞ。俺の部屋に、お前のために買いだめした服や装飾具一式があるから、どれでも好きな物を身に着けろ。こんな事もあろうかと思って、用意した」

「あ、あれは私の物だったの?」

「準備がいいだろう、お前なら全部似合う」


 澄ました顔で言うカイゼルに、シュリは頬を染めた。そういえば、昔、竜である自分を前に真顔で、『お洒落に興味はないか』と言っていた。特大リボンが何のために使うかも、ようやく理解する。飛竜は服を着ないし、リボンなんて付けないのだが、カイゼルは今も昔も真剣だった。


 彼の趣味は、大丈夫だろうか。


 ちょっと悩みつつも、シュリは頭を切り替えて、彼に告げた。


「早くティナ王女を探しにいきましょうね」

「なに?」

「この間、夜のお散歩のときに、竜族の声が聞こえてきたの。まだ確証はないけれど……もしかしたら、ティナ王女も番の竜が魂を守って、生き返らせたかもしれないわ」


 百年も前に滅びた国の王女である。今更蘇った所で出来る事などないようにも思われた。だが、王家の為に最期まで戦い、傍に仕えていた忠誠心の高い騎士であるカイゼルは、顔を綻ばせた。


「それは嬉しい知らせだ。姫殿下は高潔な方だった。処刑されたというのが通説だが、亡骸が見つからなかったという話も聞いている。竜の力によるものか?」

「可能性としては大きいわ。ね?」

「あぁ」


 カイゼルは頷いて、シュリの額にキスをすると、靴の無い彼女を慮って抱き上げた。そのまま森を進み、城へと向かったが、彼女の頭はもう昔慕った王女の事で頭がいっぱいである。


 カイゼルは、その事に不満はなかった。


 軍属になったシュリだが、飛竜の中でも一際小さくて目立ったせいか、ティナ王女はよく気にかけてくれた。

 自分以外の人間にはあまり近づきたがらなかったシュリも、ティナの事が大好きでよく懐いていたし、彼女がやって来ると、カイゼルをそっちのけにする時もあった。

 カイゼルは、シュリの言葉が分かるティナ王女が、羨ましくて仕方が無かった。通訳もしてくれたが、それでも直接会話が出来る方がいい。それでも、仲睦まじいティナとシュリを見て、カイゼルは微笑ましく思っていた。もちろん、嫉妬はしない。


 ティナ王女は女だからだ。


「お前は本当に姫殿下が好きだな⋯⋯」

 苦笑まじりにそう言った時までは、まだ彼の心に余裕があったが。シュリは頬を染めながら、興奮気味に言った。


「ティナ様の飛竜は、どんな方かしら。地竜をあっという間に倒したのだから、きっととっても強いわよ。頼もしいわね!」


 ぴくっとカイゼルの頰が引きつった。


 シュリは可愛い。弱い竜だなんて関係ない。その飛竜とやらが、浮気心を起こしてシュリを求めたらどうなるか。

 カイゼルは、悲しいことに、生まれ変わっても相変わらず人間である。

 どう足掻いても、竜にはなれない。同じ竜族の方が、彼女の感性に近い。強い竜のほうがいいと思われても困る。手の甲の番の証しは、薄くなったり濃くなったりして不安定なものに見えたから、またしても強烈な不安がこみ上げる。


 竜は番を奪われるのではないかという恐怖感がつきまとう。そのせいで独占欲が高いといわれていたが、カイゼルのシュリへの独占欲と執着はそんな本能とは比べ物にならない。


「どうしたの?」


 不思議そうな彼女に、カイゼルは唸った。


「⋯⋯お前をもう一度、念入りに愛してからだ。それくらいの時間はあるはずだ」

「どうして⁉ 急ぎましょうよ!」

「こっちが急務だ。そのために脱いでいるんだろ?」

「違うわ!」

「いいから、俺の寝室に直行だ」

「⋯⋯なんで、どうして、おかしいわ!」


 シュリの悲鳴は、空しく森に響いた。


【了】

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