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14.愛した王女

 一気にシュリの頭が冷えた。


 かなり酔っているとは思ったが、あろうことか、彼は想い人と自分を見誤っているのだ。涙がこみ上げそうになって慌てて顔を背けると、カイゼルは口元に暗い笑みを浮かべた。


「相変わらず、意地っ張りだな」


 カイゼルは小さく舌打ちすると、自身の身体を捻って、シュリをベッドに押し倒した。我に返ったシュリが慌てて抜け出そうと上に身体をずらすと、すかさず追いかけてきて、今度は両手の手首を掴み、ベッドに縫いつける。


 カイゼルの目は、まるで獲物を狙う獰猛な獣そのものだ。


「俺に何をされるか、分かるな?」

「⋯⋯っだ、だめよ! 子ができてしまうわ!」


 シュリは必死で訴えたが、途端にカイゼルの目がギラリと光り、気配が一気に不穏なものになる。口角がゆっくりと持ち上がった。


 ――え。わたし、なにかまちがったこと⋯⋯いった?


「いいことを聞いた」


 カイゼルはまだ諦め悪く拒もうとするシュリを見つめ、身を屈めると、彼女の額に口づけた。


「あ⋯⋯」


 幼い頃、何度もされた行為だった。それをされると、シュリは弱い。

 額から、鼻の頭へ、両方の頰にも勿論触れて、最後に唇の端に軽く触れられる。

 そして、ゆっくりと離れていく彼を目で追って、縋った。

 シュリを長年捕えて離さない優しい目が、ふっと細められる。


「今度はどこにさせてくれる?」


 再び、カイゼルの唇が落ちてくる。その先がどこか理解したシュリの頬は赤く染まり、だが、彼は触れるか触れないか分からないくらいの距離まで来て、止まってしまった。


「最後までするぞ⋯⋯いいな?」


 これ以上いじめると本気で泣かれると気づいたらしきカイゼルが、今度は徹底的に甘やかしにかかってくる。

 髪を撫で、額や瞼にキスを落とし、あまり甘く優しい声で囁く。シュリを慰める間とやり方を察知しているらしき男の、変り身の早さは実に効果的だった。


 シュリの頬が赤く染まり、蕩けるような柔らかな眼差しを彼に向けた。無論、カイゼルは見逃さない。

「お前に触れるのは、俺だ。⋯⋯怖くないだろ?」

 シュリは小さく頷いて、カイゼルを受け入れてしまった。



 数時間後、シュリはカイゼルの腕の中で微睡んでいた。そんな彼女を包み込むように抱きしめて、カイゼルは額にキスを落とし、次いで唇にもそっと重ねた。

 シュリが僅かばかり応えると、安堵したように、また抱き締めてくる。


「これからも⋯⋯俺と一緒にいるよな?」


 シュリの答えはない。夢の中へと落ちていこうとしているのが分かり、堪えきれずに名を呼ぶと、また薄らと目を開けて、小さく頷いた。


「⋯⋯よかった」


 心底嬉しそうな声は、朦朧とするシュリの耳に届いていた。


「ずっとだぞ」


 見上げれば、カイゼルは子供のように無邪気に笑っていた。

 自分を拾ってくれた時と同じ笑み。迷いのない真摯な眼差しだった。あの日のように優しく、それでいて強く抱きしめられて、シュリは涙が出そうになって、そのまま目を閉じた。



 翌日、夜が明けきらないうちに、シュリは目を覚ました。カイゼルは傍らで深い眠りに落ちていて、起きる様子はない。シュリは彼の腕の中からそっと抜け出して、体を起こした。

 白い素肌の至る場所に、カイゼルの独占欲の証が刻まれていて、シュリは頬を染めた。そして、カイゼルを見つめ、目を潤ませた。

 カイゼルの手の甲に、竜紋が現れていたからだ。


 ――――カイゼル。貴方は私の番なのよ⋯⋯。


 シュリは、飛竜だった。


 時を同じくして生まれた兄弟も数頭いた。

 シュリは最後に生まれたこともあってか、一番身体が小さかった。餌を与えられても他の兄弟に押し退けられて、ずっと小さくて痩せていた。


 そして、飛竜でありながら、いつまでも飛ぶことができなかった。兄弟達が断崖絶壁をものともせずに飛んで下りたり、逆に上ったりしているなか、シュリだけは歩いて進むしかなかったのだ。

 呆れ果てた母竜は、次第にシュリに餌を与えなくなり――やがて、森に捨て去った。


 竜は時に子を見捨てる。

 多くの子供を産んだ時や、戦時下のような過酷な状況に追い込まれている時などは特にその傾向が著しい。より生き残る可能性が高い子供への世話を優先するのだ。シュリの兄弟のなかでは、長男がまさにそれだった。


 森の出口で弱って死ぬのを待つばかりだったシュリは、カイゼルに拾われた。

 当時の彼はまだ十三歳だった。


「お前は本当に可愛いな、シュリ」


 カイゼルは、両親を説得してシュリを保護してくれた。彼の両親は『猫や犬の子でもあるまいし』と渋っていたのも、無理はない。彼は飛竜の子を拾ってきたのだ。元の場所に戻してきなさい、死んじゃうから嫌だ、という押し問答が、延々と続いていたのをシュリは覚えている。


 両親を押し切ったカイゼルは、家族に見捨てられたシュリをまるで宝物のように大切にしてくれた。彼の優しさと温もりに、シュリはどれほど救われたか分からない。


 いつしか、シュリは彼に恋をしていた。


 自分は竜で、彼は人間。叶わない恋だと分かっていた。言葉を直接交わすこともできず、色々な想いを抱えても、ちっとも伝わらない。

 それでも、シュリはカイゼルの傍にいたいと願った。


 だから、彼が王都の近衛兵団に入って実家に近寄らなくなると、シュリは彼の実家を飛び出した。

 カイゼルの両親は、一切止めなかった。その頃のシュリはまだ子供とはいえ、カイゼルが甘やかして栄養満点にして育てたので、もういいだろうと判断されたようだった。

 そして、シュリには心強い味方も現れた。

 道中で見かけた旅芸人一行が、王都へ向かうと話しているのが聞こえてきたのだ。素晴らしい道先案内人を見つけたと、シュリは喜んで彼らに駆け寄った。

 彼らは飛竜のシュリに初めは驚いて逃げてしまったが、シュリが人によく懐いていて、言葉を理解しているようだとも気付いてから、旅の仲間に受け入れてくれた。


 カイゼルの家庭教師のおかげで、シュリは人間の様々な知恵を理解し、文字も分かっていたことも大きかった。尤も、竜の手ではどうしても字が書けなくて、一番書きたかったカイゼルの名を記すことも叶わず、悔しくて泣いてしまったのだが⋯⋯。


 シュリは彼らと共に旅に出たが、王都に近い町で、戦火の広がりを理由に旅芸人達は解散することになった。それでも王都はもう目と鼻の先で、シュリは単身放浪の旅となったのも長くはなかった。

やがて王都に辿り着き、駆けつけてきたカイゼルと再会を果たしたのだ――。


『シュリ、何故ここにいる⁉』


 騎士服を身に着けていたカイゼルは凛々しくて、シュリは見惚れると同時に再会を喜んで尻尾を振った。カイゼルは竜語を理解できないので、経緯はまるで分からない様子であったし、仮に説明しろと迫られても、シュリは困っただろう。

 なにしろ、彼の実家を飛び出してきていたからだ。そして、案の定ともいうべきか、カイゼルは護衛を付けて実家へ送らせると言い出したので、シュリは全力で拒否した。


 そもそも、シュリの巨体が乗るような馬車はない。シュリ自身が歩いて帰らなければ難しいうえ、『絶対に嫌!』と王都の町の柱にしがみついたのだ。一本へし折ってしまっても――飛竜は怪力である――諦めず、別の太い柱に抱き着いて、大声で泣いた。


 顔面蒼白で『頼むから大人しく家にいてくれ!』と『しがみつくのは、やめてくれ! お前の綺麗な体に傷がつくだろ⁉』と繰り返すカイゼルの悲鳴と、拒む飛竜の泣き声がしばらく王都にこだましたのは言うまでもない。


 結局、カイゼルが折れた。


 ルーフス軍が迫っていたこともあって、送り返すのは危険だと同僚達からなだめられたからだ。同僚達はたとえ飛べない飛竜の子供といっても、戦力の一つとみなしてもいた。カイゼルはシュリを軍属にすることも難色を示していたが、これもシュリが押し切った。


 カイゼルと同僚達の話の中で、王都にいた彼の二人の兄が既に死んでいたことを聞いたからだ。

 多くの貴族が騎士になった我が子を返してほしいと王室に望んだように、カイゼルの両親も同様に、王都にいる息子三人を返すように迫っていた。

 カイゼルだけは拒否して王都に留まり、彼の兄は実家へ戻ろうとしたが、従者達の裏切りに遭ってルーフス軍に引き渡され、処刑されたのだという。後に、彼の両親も国外逃亡を試みたが失敗して、命を落としたという話をシュリは聞くことになった。


 ルーフス軍の侵攻は迅速で、王都へ向かっている。

 もはや逃げ場もない。飛べないシュリは、真っ先にルーフスに捕まる。


 カイゼルはその現実を前に、シュリを軍属の竜にすることに決めた。


 軍にいた飛竜達は知能が低く言葉を交わせないか、もしくはシュリよりも力の強い飛竜ばかりだった。竜の子供の身体はあっという間に大きくなるが、成人してもシュリは小さいままだった。シュリは竜語を使えるだけの知能はあったが、さりとて身体は小さくて弱い。


 軍の中でシュリは中途半端な存在で、どうしても浮いた。

 カイゼルは、他の飛竜達から除け者にされているのを見て、


「俺がずっと一緒にいるからな」


 そう言って、いつもの優しさでシュリの孤独を埋めてくれた。彼のために出来ることは、なんでもやろうとシュリは胸に誓った。

 自分の想いは届かなくても、カイゼルが生きて、幸せでいてくれるだけでいい。

 日々悪化する戦況を感じ取り、彼が傍に仕えるようになった王女と仲睦まじく話し込んでいる姿を見て、シュリはそう思うようになった。


 成長して、人化できる力を手に入れても、それは変わらないはずだった。

 ただ、彼に求められた時、シュリは狂おしいまでの激情に襲われた。カイゼルが欲しいということばかりが頭を占め、どうにも我慢できなくなったのもそのせいだろう。

 今、自分の番だという確かな証を前にして、シュリは深く苦悩した。


 カイゼルの愛情に飢えていると自覚もしていた。これからは番の本能としてもカイゼルが他の人間と睦みあう姿が、どうしても許せなくなっていくだろう。もしも彼が今なお大切に思っているティナ王女が生きていて、彼女に危害を加えるような真似をしてしまったら――。


 想像しただけで、恐怖のあまり震え出し、シュリは涙が止まらなくなった。


 明け方近くになった頃、カイゼルは目を覚ました。

 寝ぼけ眼でぼんやりと空を見つめ、ふと自分の手の甲に見慣れぬ紋様が現れているのに気づき、一気に目が覚めた。

 そして、素早く周囲を見回して跳ね起き、寝台に自分一人しかいないことを確かめると、見る見るうちにカイゼルの顔色が変わった。


「おい⋯⋯約束しただろ」


 カイゼルが心から愛した彼女は、どこにもいなかった。

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