13.俺の王女様
退職を伝えると、店主は残念がったが、シュリの思いつめた表情を見て、何も聞かずにいてくれた。挨拶を済ませ、部屋にあった荷物も全て処分した。
明日の朝、身一つで出て行けるところまで支度を終えた頃には、夜もすっかり更けていた。
そして、最後の散歩に出た。
「やぁ、シュリさん。今日はいつもより遅いですね!」
大通りに出た瞬間、警邏隊の隊長が部下たちを引き連れて、駆け寄って来た。深夜で心配されたのか、表情がいつになく険しい。
「支度に手間取ってしまって」
「何のです?」
「実は⋯⋯お店を辞めたんです。ここを出ていこうと思って」
子細を聞かれると辛くなって決心が鈍りそうだったから、店主には口止めをしてあった。全て片づいた今なら、もういいだろうとシュリは思ったが。
警邏隊全員の顔から、なぜか一気に血の気が引いた。
「な、な、なぜですか?」
「冗談ですよね?」
隊員たちから口々に尋ねられ、シュリはうつむいた。だが、隊長も黙ってはいられないと言った様子で、更に尋ねてきた。
「当然、カイゼル様はご存じですよね?」
「⋯⋯何も言っていません」
すると、今度は絶望的な顔をされ、一斉に叫んだ。
「貴女は、正気ですか⁉」
シュリはぐっと言葉に詰まる。
「そ、そうですね⋯⋯カイゼル様は色々買ってくださったお得意様でしたし、何も言わずに出ていくのは失礼でした」
すると、全員が顔を引きつらせつつも、揃って大きく頷いた。
「えぇ、えぇ! それはもう、全財産を注ぎ込む勢いで⋯⋯っ」
「お得意様とは言わない方がいいですよ⁉ そんないいものじゃないですから!」
「とにかく今すぐ話をしにいきましょう! ね⁉」
顔面蒼白になった警邏隊の面々は、半ば強引にシュリを連れてカイゼルのいる城へと向かった。道中の「お仕事はいいんですか?」というシュリの疑問は、さらりと受け流された。
そして、城に着くと、城内の人々が何事だと目を丸くするのをよそに、彼らは廊下を突き進み、カイゼルの私室に無事にたどり着くと、問答無用でシュリを部屋に押し込んで扉を閉めた。
カイゼルの部屋に一人放り込まれたシュリの目に飛び込んできたのは、机の上に置き去りにされた沢山の酒瓶だ。どれも全て封が切られていて、中身は空だった。
やけ酒でもしたのだろうか。
だが、彼の姿はどこにもなくて、シュリは部屋を横断すると、隣の部屋をそっと覗いて、頬を染めた。寝室だったからだ。しかも、カイゼルは部屋の真ん中に置かれた大きな寝台の上に仰向けで寝ていた。
人の気配を感じたのか、ゆっくりと身体を起こす。
シュリの姿を見て、彼は軽く目を見張ったのち、小さくため息をついて、ベッドの端に座ると、軽く手招きした。シュリは気まずくて仕方がなかったが、彼の手前まで歩み寄ると、足を止めた。
「⋯⋯ちょっと待て」
カイゼルは薄いシャツとトラウザーズだけの軽装だった。胸元のボタンをいくつか開けていて、少しばかり頬が赤い。寝台に倒れ込んで寝ていたところをみると、かなり酔っているようだ。頭を軽く振る彼に、シュリは短く告げた。
「お別れを⋯⋯言いに来たわ」
「⋯⋯なに?」
怪訝そうに問いかけるカイゼルは、それ以上何も言わないシュリを見つめ、苦々しげな顔をしながら、乱れた髪をかき上げた。
「店は」
「⋯⋯辞めたの」
「どこに行く気だ」
「⋯⋯どこかに行くわ」
「答えになっていない」
鋭い声で言われたが、シュリはそれ以上言えなかった。天涯孤独の身であるから、あてはない。でも、ここにはいられないという想いが、失言を招いた。
「⋯⋯貴方がいないところよ」
カイゼルの目が軽く見開かれ、そして大きく息を吐くと、彼は唸るように告げた。
「俺がどれだけ我慢して、待っていたと思っている」
カイゼルはそう言うや否や、シュリの腕を掴み、自分の膝上に横抱きにした。
「なにをするのっ⋯⋯貴方⋯⋯酔っているわね!?」
そうでもなければ、カイゼルが自分にこんな真似をするはずがない。シュリが頬を赤く染めて詰ると、カイゼルは冷笑した。そして、枕もとに転がっていた酒瓶を取り、口で栓を開けた。
「お前も飲むか」
「え⋯⋯っ?」
戸惑う間にも、カイゼルは瓶に直接口をつけて酒を口に含んだ。そのまま身を屈めてきたので、シュリは手を伸ばして押し退けようとしたが、彼のほうが力が強い。
昔は喜んで額にキスをされていたが、今は違う。
「いやっ!」
シュリは短い悲鳴をあげたが、無駄な抵抗に思えた。すると、ごくりとカイゼルが喉を動かし、飲み干した音がする。目を瞠り、恐る恐る見返すと、カイゼルは冷たい笑みを浮かべていた。
「口移しで、いきなりされると思ったのか? ――そんなもったいねぇこと、しねえよ」
そう言うと、今度は直接瓶に口づけて、一気に飲み干した。
自分にやる酒は無いということだろうが、それにしても心臓に悪いと、シュリは思った。
唇の端から雫が滴り落ち、なんだか艶めかしい。相当酔っているらしく、カイゼルの頬はまだ薄っすらと赤かったが、シュリは自分がその倍は赤くなっている気がした。
「いらないんだろう?」
「えぇ⋯⋯」
お酒の匂いがして嫌だ。でも、カイゼルから仄かに薫る甘い香りは、くらくらする。そんなことを考えながら、彼を見返すと、情熱をはらんだ瞳が向けられた。
「可愛すぎるだろ⋯⋯なぁ、俺の王女様」




