幕間 黒竜将軍は聖女に出会う
無敗の将、アンドレイ・スリコフ。
幸いにもおれはそう呼ばれている。
常勝将軍と呼ばれた義父のおかげでもあるが……おれは、おれの母親を傷つけた国の連中をどう見ていいのか、未だ心の中で決めあぐねていた。
かつて幼い頃は、憎しみも覚えていた。
だが成長するにつれわかっていく物事、理解してしまった気持ち、義父の心遣い……そういったものからおれ自身があの国に対して抱く気持ちと、母に向けている気持ちが複雑で手に負えないものになってしまったことは否めない。
(……聖女に会ってみればいい、か)
現段階でおれがあちらの兵たちに対し何か恨み言など、思うところがないかと問われれば難しい。
この戦争でおれは戦友を幾人も失ったし、その原因はあの第五部隊の隊長、アドルフ・ミュラーが相手だったからだ。
それでもおれたちが勝利したのは偏にあちらの国が弱体化して戦線を維持できなかったからで、もしも同じ程度の兵力と兵糧があればわかったもんじゃなかった。
おれはただ、勝ち馬に乗って相手国が疲弊しているときに将軍に抜擢され活躍する機会を得ただけの話だ。
「スリコフ将軍、約束は忘れずに」
「勿論です」
「王太子殿下には僕から話をしておきますので」
「……よろしくお願いいたします」
第一王子に釘を刺されて、とりあえずおとなしく頭を下げる。
別におれが望んだことではないが、王太子殿下に『隙あらば獣神部隊の人間、できればアドルフ・ミュラーに勝負を挑み屈させろ』という指示を秘密裏に出されていたことを第一王子はよく思っていない。
両国の中にある蟠り、それを解消したいという王太子殿下と両国がこれから平和に生きていくために小さな争いでも避けるべきだという考えの第一王子の間で齟齬が発生しているようだ。
(……だが、アドルフ・ミュラーに勝負を挑む挑まないに関わらずおれはあいつが何故持ち直したのかを知りたい。やはり、聖女なのか?)
アドルフ・ミュラーと戦場で剣を交えたのは一度や二度の話ではない。
光を失って命を惜しむことなくぶつかってくる相手に、何度恐怖を覚えたことか。
尊敬と同時に畏敬の念を抱き、そして哀れに思ったものだ。
獣化する兵士は、長生きできない……それはリンドーンに逃れてきた亡命者たちが口を揃えて言っていたこと。
聖女たちはそれを延命する方法があるということだが、逃れてくる者たちはほとんどが下級神官で、聖女でありながら亡命してきた者たちは大抵が心を病んで話にならなかったという。
中には捕虜として捉えた聖女もいたが、彼女たちは自決したという歴史もある。
こちらの国で戦争の恨みが……と言うならば、あちらも同じことを言うのだろうと思うと滑稽だった。
(……母上は、どういうお気持ちだったのだろうな)
母が亡命してきたのは、聖女として義務の結婚を強いられただけでなく、複数の人間との関係を強要された挙げ句に身ごもったからだという。
義父はおれにその真実を伝えないよう心を砕いてくれたが、母本人からおれは告げられている。
おれの中に宿る獣性は、母を虐げた連中と同じものだと。
憎い、恐ろしい、近寄るなと……あの人が正気である姿を、おれは見たことがない。
(獣性を持つ国民と、聖女。互いを助け合えるはずが、あのようにもなる……アドルフ・ミュラーが正気を取り戻したのが、結婚してからだというなら)
母と、あの女は何が違う?
ただそれが、気になった。
「お出ましだ」
ぽつりと第一王子が言う。
おれも大勢の中で、聖女だけを見ていた。
(あれがアドルフ・ミュラーの聖女。名前は……イリステラ、だったか)
特別な女には見えない。
今や王妃となった筆頭聖女と名高いアニータ王妃のように輝く姿とはほど遠い、言うなればどこまでも……町の中で働いている女たちと似ている姿がそこにある。
おれは近寄って確かめたいと、そう思った。
「麗しき聖女にも、ご挨拶を」
もしも、母のように。
強いられた関係の中で、ただ諦めて折り合いをつけただけなら。
(連れ出してやってもいいかもしれない)
おれはそれを思って、彼女を見る。
戸惑う様子の彼女は、やはり聖女と呼ぶよりもただの人間にしか見えなかった。




