向き合うこと
(no side)
裏庭、裏庭。
空は戸高に言われた場所を目指して走っていた。
戸高は『不良』と言っていたが、それは神山のことで間違いないだろう。
つまり今、裏庭で海と神山が顔を突き合わせて何かやっているということだ。
裏庭と言えば神山のテリトリーの一つ、もしかしてそこに誤って入った海に対して神山が怒っているのかもしれない。
二人の親衛隊にどちらかと言えば腕っ節の強い生徒が集まっていることからも分かるように、空と海は強くない。
神山に一度殴られただけでも目も当てられないことになる。
ここまで走ったのは久々で、何だか胸が痛くなってきた。
でも、海を失うことに比べれば全力疾走なんて何てことはない。
もう直ぐだ、と校舎を曲がろうとしてその先に見えた光景に空の全てが言い様もない感情で埋め尽くされた。
そこには親衛隊隊長と、尻餅をついた弟、そしてその弟の頭に手を乗せている神山。
弟は、海は、必死に顔を拭っていて──泣いている、ようだった。
「──海ッ!!」
悲鳴に近い声でその名を呼ぶ。
そして空は弟と神山の間に割り込んだ。
「神山お前…海になにしてるんだよっ!!」
「そ、空…」
「空様、これは」
「お前たちもだ、坂木!! 寒川!! どうしてお前たちが居ながら海は泣いてるのっ!!」
屈みこんでいた神山は静かに立ち上がり、それを見据えながら空は怒鳴った。
親衛隊とは名ばかりか、どうして海を泣かせた。
空は後ろを振り返って海を見て、気付く。
額が赤くなっていることに。
「神山が、やったの…これ」
「空、あの、これは違くて…」
「俺が頭突きかましてやった」
「!!」
キッと神山を睨み付け、神山の赤くなった額を見た。
確かに、神山が海に頭突きしたことは紛れもない事実だ。
この時、空がもう少し冷静であったのなら、額よりも薄く赤くなった神山の頬に気付けたかもしれない。
先に手を出したのが、弟の方である可能性に気付けていたかもしれない。
しかし今、弟を傷付け泣かせた神山への怒りと、本当は良い奴なんじゃないかと思っていたことによる幻滅が、空の中を満たしていて。
「取り敢えずお前ら、二人腹割って話し合え。俺との話はそれから…」
「…話すことなんて、ないよ」
「…あ?」
「海を傷付けた奴と話し合い? …笑わせないで」
ぐっ、と何かを堪えるような表情で神山を睨み付け。
「神山が…そんな奴だとは思わなかった…っ!!」
そう叫んだ空に、坂木と寒川はサァッと血の気がおりた。
確かに今の状況だけを見ると一方的に海が傷付けられたように思えるが、その実先に神山を排除しようとしたのはこちら側だ。
それに手を出したのも海が先で、頭突きだって海の目を覚まさせるためにやったと言っても過言ではない。
喧嘩両成敗だと言うが、これは喧嘩にも満たないただの説教。
それなのに勘違いで神山の神経を逆撫でしてしまうようなことを言い放った空に、今度こそ神山は最恐不良の名を思うままにするだろうと予想した二人は咄嗟に謝ろうとした。
しかし、二人は神山の表情を見て目を見開く。
そこには顔を強張らせ、瞳を不安げに揺らし、僅かに唇を震えさせる神山の姿があった。
「神山君…?」
「だ、大丈夫か?」
坂木と寒川の言葉にハッとし、神山は反射的に片手で自身の震える唇を覆った。
『おまえが…そんな奴だとは思わなかった』──その声が、かつての友人のものと重なった。
その表情が、もう一人の友人のものと重なった。
幻滅させてしまった、かつての友人たち。
言い訳すらしなかった、かつての自分。
「海、大丈夫? おでこ、冷やさないとね」
「そ、ら…空違う、違うんだよ。神山は、悪くないんだよ」
「…どういう意味?」
神山は呼吸を整えながら二人の兄弟を見詰める。
彼らは自分とは違う、そもそも選択肢が違うのだ。
自分が選んだものは、最初から海には存在しなかった。
だからこそ、二人が自分たちのようになることはない。
海は泣きそうなのを我慢しながら目の前の兄に訴える。
「僕が坂木と寒川に頼んだんだ、神山を排除してって」
「…え? 排除って…どうして」
「この前、神山と生徒会室で会ってから空の様子がおかしくなったでしょ…?」
「そ、れは」
「だから僕は、神山のせいで空が困ってるんだと思って、神山がいなくなればまた空が笑ってくれるかもって」
海の告白に空は目を見開く。
いつも通りにしていたつもりだったのに、海に気付かれていたのか。
確かに神山のことが気掛かりではあったけれど、それは自分が嘘を吐いて怒らせてしまったからだ。
決して神山を排除して良い理由にはならない。
「でも偶然神山に聞かれてて…神山が言ったんだ。僕と空はどこまで行っても別の人間なんだからどうしようもないって」
「…っ!!」
「それで僕、頭に血が上って…神山を殴っちゃったんだよ」
「え…」
空が神山を振り返って見上げると確かにうっすらと頬が赤くなっていた。
「そしたら神山が、自分でしたことには自分を賭けててでも責任持てって頭突きしてきて」
「…うん、それで?」
「ちゃんと、空の気持ちを言葉で聞いてから、それに沿えるように行動しろって」
「海…」
「僕…っ、ずっと、空にしか分かってもらえないって…空しかいないって…!! 空を失うのが怖くて、今回だけじゃない、ずっと今までいろいろやってきた…っ」
自分と同じ顔が涙で濡れている。
必死に伝えようとしていた。
空はそっと海の手を握って優しく先を促す。
「でも、その度に…っ独りになっていってる気がして…! お願い、お願い空、僕を独りにしないでよ。母さんも父さんも誰にも分からない、空にしか『海』が分からないんだ…っ」
縋るように海は空の手を握り返す。
ボロボロと涙を流し、声は掠れる。
こんなに泣くなんていつぶりだろう、泣くことすら出来なかったのに。
空はコツンと海の額と自分の額をくっつけた。
あぁ、なんだ、海も僕と同じだったんだ。
「うん…海って案外おバカさんだったんだね」
「な…っ」
「僕も、怖いよ。海がいなくなったと考えるだけで吐き気がする」
「空…」
「僕のことは海にしか分からない」
「…僕のことも空にしか分からない」
「「僕らにはお互いしかいない」」
心の暗い部分を吐露する。
双子らしくあるために、二人で一つとしてあるために幾度となく同じ言動を意図的にしてきた。
しかし今は、お互いの想いを聞くために、知るために言葉にし、結果的に同じことを口にする。
手段と結果が逆であるだけでこれ程までに意味が違う。
「だからこそ僕は怖かった。海と違うことが。成長するに従って海との違いを自覚する度に」
「違い、って…?」
「僕はね、海の他人様に迷惑を掛けるような悪戯は止めた方が良いと思ってたんだ」
「悪戯…」
「自分も他の人も楽しめる悪戯が良いなと思ってた。他人に迷惑を掛けていたらこの先絶対に疎まれることになると思ったから」
空は包み隠さず考えていたことを口にした。
これを言った時、海との関係は崩壊すると思っていたけれど今の海は大人しく耳を傾けている。
「そして…優馬とのこと。僕は海のことを応援したいけど、恋愛にかまけてかいちょー達に全てを押し付けるのはどうかと…」
「ま、待って!! 違う!! 誤解だよっ。というかそれは空の方じゃないのっ!?」
「な、何が?」
「僕は、空が優馬のことが好きで、だから優馬に空が取られちゃうと思ったから、優馬と空を引き離そうと…っ」
「え? 僕、優馬のこと好きじゃないよ。面白いなとは思ったけど。海こそ、優馬のことが好きでずっと一緒に居たいから仕事サボってたんじゃないの?」
二人は額を離してお互いの顔をパチクリと目を瞬かせて見る。
そして二人同時に坂木と寒川、神山を見上げた。
その三人も何が起こっているか分からないというように目を瞬かせている。
そして再び顔を見合わせ、同じ方向にことりと首を傾げた。
「「…あれ?」」
「…ったく、結局お前らも言葉が足りなかっただけじゃねぇか」
「神山…」
「つまり海は兄貴がマリモに取られそうになって焦って。兄貴はそんな海の言動がマリモに執着しているように見えて、いけないと思いながらも海の反応が怖くて言えなかったってだけだろうが」
「ちょっと待って、神山君。マリモって何?」
「あ? 何って、転校生の井川のことだろ。もさっとしてんじゃねぇか」
「…ブッハ!!」
神山の言葉に坂木と寒川が噴き出した。
すると笑いが伝染したのか、空と海もクスクスと肩を震わせ始め、あはははっ!! と笑いだす。
「言い得て妙だね、空っ」
「もうそれにしか見えなくなっちゃうね、海っ」
「「マリモだなんてっ」」
いつも通りのやり取り、しかしその心は晴れやかだ。
暫く笑い声が響いた後、空と海はすくっと立ち上がった。
そして二人は神山の前に立つ。
「殴っちゃってごめんなさい。反省してます」
「俺も頭突きしたし、お互い様だろ」
「僕も誤解してヒドイこと言ってごめん。あと…嘘吐いてごめんなさい」
「……」
「僕、スレたこと思ってたんだ。どうせ誰にも…神山にも、僕と空の区別なんてつかないだろうって。だから僕は、樋口海って自己紹介したんだ」
それを聞いて、海はハッと気付いた。
「じゃあもしかして、生徒会室で空に向かって『海』って言ってたのは…」
「うん。僕と神山にとって、間違いじゃなかったんだ」
「神山司…僕らの見分けが付くの…?!」
見分けられるのは井川だけだと思っていた海は、驚きの表情で神山を見詰める。
すると神山は少し黙って、はぁと溜息を吐いた。
「言っておくけどな、…そこの二人もお前らの見分けついてんぞ」
「え!?」
「坂木と寒川も…っ!?」
「…どうして、そんなこと分かるんだ? 神山君」
「ここに呼び出された時、寒川は言った。空様はどこだって。しかも事ある毎にきっちり二人の線引きをして各々行動に移ろうとしてた」
そんなのは二人の見分けが付いていなければ出来ないことだ、と。
続けた神山に、二人の隊長は諦めたように頭を掻いた。
「神山君の洞察力には恐れ入るわ」
「じゃあ、本当に…?」
「そもそも二人の見分けが付いていなかったら、樋口空親衛隊と樋口海親衛隊なんて二つの組織出来てない」
「樋口兄弟の親衛隊が一つ出来てる」
「あ…」
「そう言えば…」
親衛隊が各々一つずつある、それすなわち空個人の、海個人の親衛隊ということだ。
「オレだけじゃない、海様の親衛隊には海様の悪戯をフォローしたいって奴らが集まってる」
「俺を含む空様の親衛隊は、兄であろうとする空様を支えたいって奴らで出来てる」
「正直な所、二人は似すぎていて見分けるのに時間掛かったり間違えたりすることもある」
「だけどよく見ていれば分かるもんなんだよ、二人は」
突如明かされた事実に空と海は呆然とする。
今まで独りだと、お互いしか居ないと思っていたのに。
親衛隊のほとんどが時間を掛けながらも二人を見分けられると言う。
空個人を、海個人を、見てくれているのだと言う。
言葉を紡げない二人に、神山は口を出す。
「あとな、お前らの家族。多分ちゃんと見分けられてると思う」
「え…」
「母さんと父さんも…?」
「見分けられないふりをしてんのは…お前らにとってそれが最善だと考えたからじゃねぇのか」
「どういう、こと?」
「坂木と寒川が今まで見分けられると言わなかったのと同じ理由だろ」
「君はどんだけ察しが良いの神山君…」
尊敬を通り越してどこか呆れたように神山を見る坂木と寒川は、降参というように軽く手を挙げた。
「二人がお互いに依存してるのは見てて分かったから、俺たちもそれに倣おうとしたんだ」
「二人が一人として見られたいのであれば、わざわざ見分けられると言わない方が良いと思った」
「お前ら、ちゃんと親に言ったか? 個人として見てくれって」
神山の問いに、空と海は首を横に振った。
言ったことはない、言えるわけがない。
だってそれで見分けてもらえなかったら、本当に独りになってしまうじゃないか。
母にも父にも愛されたいのに。
そんなことが頭を過ると、ぽんと頭に手が乗った。
顔を上げると神山がわしゃわしゃと撫でて来る。
「怖がり過ぎだ。今度ちゃんと言ってみろ。きっとお前らの望む答えが返ってくるはずだから」
「神山…」
「それでも万が一、億が一、見分けられないってんなら俺の所に来い。俺がお前らの見分け方レポート書きまくって樋口家に送り付けてやる」
「…ふっ、見分け方レポートだってよ海」
「ふふっ、それは是非見てみたいね空」
「神山ってば、大胆、だなぁ…ぅっ」
「ほんと、だよね…っひっく」
笑い声が揺れ、ついには涙声となって二人の口から漏れだした。
神山は少し笑ってポンポンと頭を叩くと、うりゅと顔を歪めた二人に抱き付かれる。
「うわぁぁんっ、神山のばかぁ…!!」
「たらしぃぃっ、神山司のあんぽんたぁぁん!! うえぇぇぇん」
「怒るぞおいコラ」
「神山君…」
「俺らも抱き付いて良い?」
「あ? って何でテメェらまで泣いてんだよ…」
神山は視線を落として腰に抱き付く双子を見て、少し迷った様子を見せて腕を広げた。
「ほら、来い」
「お父さぁぁぁんっ!!」
「お母さぁぁぁんっ!!」
「父親は百歩譲って許すが母親は許さねぇ。言った方しばく」
「うぐっ…寒川が言った」
「うぅ…坂木が言った」
「お前ら何か兄弟レベルに似てんぞ…」
「従兄弟です…」
「家族ぐるみで仲良しです…」
「なにそれ僕ら知らない…ぐすっ」
「そういうことは早く言ってよ…ひぐっ」
何カミングアウトしてんだよ、とどこか疲れた表情の神山は、暫く黙って涙を流す四人に抱き締められていた。




