第177章:カニサの戦士
会場内に設営された、医療室。
そこには、大勢の医療スタッフが、参加した選手たちの治療にあたっていた。
「も、もう大丈夫…だ」
シンジョウは体を少し震わせながらもゆっくりと起き上がろうとして、止められていた。
「(負けちゃったねぇ…)」
サマーズはベッドの上で点滴をつけられ、力なく横たわっていた。
「レグが…フォーザを殺した…」
バケットは医療室に備えられている水晶のカラクリから会場の様子を見ていた。
「なんてやつなの…」
そして、レグの残虐さに前に小さく呟いた。
バケットは重症だった。
肩の大きな傷に、背中の裂傷。
普通ならば連戦なんてできる状態ではなかった。
「(今は少しでも傷を治さないと)」
それでも、一時間後に控える試合のために医療班の懸命な処置を受け、泥を啜るような思いで休息を取っていたのだ。
「バケットさん、紅茶です」
すると、医療スタッフがバケットに温かい紅茶を運んできた。
「ありがとう」
紅茶を受け取る。
琥珀色に透き通る紅茶の水面にバケットの顔が反射する。
「いい香り…」
バケットは香りを楽しむと、紅茶を一口飲む。
そして、そっと呼吸を整える。
「(私もレグを殺す覚悟で望まないといけないわね)」
バケットは心を落ち着かせると、静かに覚悟を決めた。
「…」
一方、東の控室ではデイジーはブランジェと共に仮眠を取っていた。
静かな寝息を立てる彼女は、深い意識の底でとある夢を見ていた。
20年前 ラヴィタ教主国内 シズスにて。
そこには、カニサ一族のキャラバンがあった。
色鮮やかな布が張られたテントが並び、焚き火の煙が青空へと真っ直ぐに昇っている。
「長老様!!今日も珍しいモンスターの話を聞かせて!!」
幼き頃のデイジーが『スグレマシラ』を連れた長老に話をねだる。
「ほほほ…では今日は『白鳳凰』の話でも聞かせようかのぉ」
白い長髪に顔に皺を寄せた好々爺が、穏やかに話そうとする。
その時だった。
「おい!!野蛮人共!!!いつまでこの地にのさばるつもりだ!!」
キャラバンの外から、平穏を切り裂くような騒がしい声が響く。
「…デイジー。すまぬ、話はまた今度じゃ」
長老はそう告げると、表情を引き締めテントを出る。
「何かあったのかな?」
デイジーはテントの外をそっと見る。
「以前もお話したはずです。我々は放浪の民。今はここを拠点にしているだけなのです」
長老が誰かに事情を話している。
「今はこの辺に逃げ込んだ『セキトウドラコ』の群れを追っているのです」
相手は、重厚な白い鎧に身を包んだ騎士のようだった。
「ダメだ。一切の例外は認めない。今すぐここを去れ。さもなくばラヴィタ神の裁きが貴様らに下ることになるぞ」
騎士は険しい顔つきで長老を威圧する。
「3日だけください…それまでにセキトウドラコを狩猟し、この地を去りますので…」
長老は騎士に懇願する。
それに対して、騎士は侮蔑を込めた視線で一考する。
「…3日だけだ。それ以降の滞在は認めない」
騎士は忌々しげに溜息をつきながらそう言い放った。
「ご理解くださり、ありがとうございます」
長老は騎士に深々と頭を下げる。
「(なんで長老様が怒られなきゃならないんだろう?)」
幼き頃のデイジーは、その状況に小さな首を傾げていた。
そして、3日後。
カニサ一族はセキトウドラコの群れを無事に狩猟し、テントを片付け、ラヴィタ教主国を去ろうとしていた。
荷車にモンスターの素材や、家財を積み込み、慌ただしく出発の準備が進められる。
「お母さん!これ荷物!!」
デイジーは絨毯を丸めると母に手渡す。
「ありがとう、デイジー。これでうちの荷物は全部ね」
デイジーの母は彼女の頭を撫でる。
あとは、移動するだけ…
誰もが、そう思っていたその時だった。
「業火魔法-緑炎の千刃-!!」
「水魔法-海塊弾-!!」
「影魔法-シャドウウィップ-!!」
突然、空を覆い尽くさんばかりの無数の魔法が飛来する。
それがキャラバンを容赦なく襲った。
「うお!!?」
「て、敵襲だ!!」
カニサの住人らは武器である鉈や弓を手に取り、爆炎と砂塵の中で臨戦態勢を取る。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
それと同時、白い鎧を纏った兵隊が、濁流のようにキャラバンへと雪崩れ込む。
「かかれ!!!目的はセキトウドラコの素材だ!!これは略奪ではない!!主神ラヴィタの天啓だ!!」
後方では、この前やってきた白い騎士が馬にまたがり、冷酷に陣頭指揮を執っていた。
「死ね!!」
「うがぁぁっ!!」
「この国の所有物は主神ラヴィタの物だ!!」
「ぐはっ!!」
兵士の練度は予想よりも高く、カニサの住人は瞬く間に斬り伏せられていく。
「騎士長殿!!これはどういうことだ!!?」
長老は兵士の攻撃を巨大な鉈で薙ぎ払う。
そして、馬に乗っている男を問い詰める。
「3日間待つとは言った。だが、この国の収穫物や戦利品は我々、主神ラヴィタの物だ」
男は淡々と語る。
「まさか…待つというのは、我々の戦果を奪うためか?」
長老は男の思惑に気がつく。
「略奪?」
男は近くにいた住人を斬り捨てる。
「ぐへっ!」
住人が地面に倒れる。
「違う。これは天啓だ。主神ラヴィタが『蛮族を狩りつくせ』と仰ったのだ。我々はそれに従っているだけだ」
男は冷酷にそう言い放つ。
「おのれ。よくもそんな口を…」
長老は怒りの眼差しを男に向ける。
「ぐはっ!」
「あぁっ…」
住民らは次々と屠られていく。
「(ここでカニサの歴史を終わらせる訳にはいかぬ)」
長老は拳を強く握ると、生き残った住人に向けて鋭く叫んだ。
「生き残った者らに命ずる!!セキトウドラコの素材を持てるだけもって『ソザン』の方へ逃げ延びよ!!ワシが殿を務める」
長老は襲いかかる兵士を鉈で一刀両断にし、凄まじい威圧感を放ちながら立ち塞がる。
「何を言ってるのですか!?」
「あなたは長老。あなたが死んだららカニサは終わりです」
「ですが長老…!!」
戦っていた住民らは反対の声を上げる。
だが、長老は近くの若者の肩に手を置いた。
「長老?」
槍を振るっていた黒髪の若者が、躊躇いがちに尋ねる。
「…ショウル。次のカニサを、貴様に託す。皆のこと頼んだぞ」
長老は若者に、慈父のような笑みを向けた。
そして、住人らに再度告げる。
「行け!!早く!!これは長老の命であるぞ!!ショウルの指示に従い、ソザンの方へ逃げろ!!!!」
大気を切り裂くような声。
それと、同時、長老が魔力を解放する。
「氷魔法-極寒氷河-!!」
次の瞬間、魔法の詠唱と共に、白い魔力が迸る。
「ドドドドド!!」
巨大な氷河が地面を突き破り現れた。
「なんだなんだ!?」
「地面が滑る!?」
「押しつぶされるぞ!」
兵士らは突如現れた氷河に目を丸くする。
「(長老…怒ってる?)」
デイジーはなんとも言えない表情で、光の中に立つ長老を遠くから見つめていた。
すると、母がデイジーを強く抱きかかえる。
「行くよデイジー!!!」
そして、逃げる住人らを追って必死に土を蹴る。
だが…
「ザシュッ!!」
「うぐっ!!」
母の鳩尾に一本の矢が突き刺さる。
勢いよく噴き出した鮮血がデイジーの頬を濡らし、母の体が力なく崩れ落ちる。
「お母さん!!」
デイジーが叫び、母の体を揺らす。
「デイジー…逃げて…」
母が息も絶え絶えに呟く。
「ギイッッ!」
その時、ノヴァアビスに乗った住人が通りかかる。
「おい!デイジー!早く乗れ!!」
住人はノヴァアビスを止めて、デイジーに乗るように促す。
「けど、お母さんが…」
デイジーの目には涙が溢れている。
「…デイジー…お母さんから最後のお願い聞いて?」
母が掠れる声でデイジーの手をつかむ。
「…生きて立派なカニサの戦士に…」
そして、大粒の涙を浮かべ、懇願する。
「お母さん…」
デイジーはそれでも躊躇う。
「ずっと…愛しているわ」
母は力を振り絞り、デイジーの頭を撫でる。
「いたぞ!!」
「逃がすな!!」
その時、背後から兵士たちが数人追ってきていた。
「限界だ。悪く思わないでくれ!」
それを見た住人が、デイジーを抱きかかえ、ノヴァアビスに乗せる。
「キィィィ!!」
ノヴァアビスは鋭くいななくと、追っ手を振り切る猛スピードで駆け出す。
「お母さん!!」
デイジーは母の方を振り向く。
視界が涙で滲む中、地面に倒れた母の姿がみるみると遠ざかっていった。
この事件は大陸内で公にされることなく、カニサ一族の襲撃と半壊は、モンスターの報復によるものとして処理されたのだった。
かつて東のダルサラーム一族と肩を並べたほどの力は、もはや彼らには残されていなかった。
そして、現在。
「…準決勝。第一試合、間もなく開始します!」
会場と控室にパジュンのアナウンスが響く。
「はっ…」
同時にデイジーは夢から覚める。
「キシャッ!!」
目の前には、先に起きていたブランジェが心配そうに顔を覗かせていた。
「おはよう。ブランジェ…」
デイジーはブランジェの頭を撫でると、大きく背伸びをした。
「お母さん。長老様。私、必ずカニサ一族を…」
デイジーは、そう固く決心すると、机の上の帽子を深く被った。
一方、西側の控室。
そこにはシェイとタピオンがいた。
「…(相手はデイジー。私の熱魔法と相性はいいけれども、油断はできないわね)」
シェイはソファに座り、膝の上で拳を握りながら武者震いをしていた。
「よっ!」
その時、陽気な声と共に、彼女の目の前に、炭酸水が差し出される。
「らしくないぜ!姉貴!」
差し出したのはタピオンだった。
彼の片腕には、先の戦いの傷がまだ残っているのか、白々とした包帯が巻かれていた。
「タピオン…!ありがとう!」
シェイは微笑むと、瓶に入った炭酸水を受け取る。
そして、タピオンと小さく乾杯し、弾ける泡と共に一気に飲み干した。
「どうだ?少し気合い入ったか?」
タピオンの、屈託のない笑顔が、室内の重苦しい空気を和らげた。
「ええ…スッキリしたわ。それより、アンタ腕の傷…」
シェイがタピオンの腕に視線を向ける。
その傷は、先の一回戦で彼女がつけたものであり、罪悪感を抱いていた。
「あぁ、気にするなって!医療班の腕前がよかったから殆ど塞がったぜ!」
だが、タピオンは気にも留めぬ様子で陽気にそう告げた。
「それならよかった…」
その言葉を聞いてシェイは安心した。
すると…
「…準決勝。第一試合、間もなく開始します!」
会場と控室にパジュンのアナウンスが響く。
「さ、出番だ。姉貴、頑張れよ」
タピオンがシェイの肩を力強く叩く。
「分かってるわよ!ここまで来たらなってやるわよ!S級傭兵!」
シェイはタピオンに凛とした微笑みを向けると、ゆっくりと立ち上がる。
そして、デイジーとシェイがそれぞれの控室から一歩を踏み出した。
準決勝の火蓋が今、切って落とされようとしていた。




