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「事務長、危ないぞ。また何か跳び出してくるかもしれないだろ」
「う、それもそうね」
クラウディオに言われて、ミレイアはそこから離れようとした、が遅かった。
またしても、虚空から出てきた相手にぶつかった。頭と頭が、ごつんとぶつかった。
「あいたっ?!」
額を押さえてミレイアが後退し、相手も後退する。相手の方は、また向こうに引っ込んでしまったので、見えなくなる。
と思ったら、またすぐ出てきた。痛そうに額をさすりながら。
「あ……」
ミレイアと、ぶつかった相手からミレイアを守ろうと動いたクラウディオと、それを後ろから見ていたリネット。その三人が、虚空から出てきた一人を見た。
純粋、という言葉をそのまま色にしたような、美しく澄んだ瞳。埃を被っているのにそれでも色あせない、黄金色のまっすぐな長い髪は、夜の天の河のよう。身に纏っているのは白くゆったりとした、聖職者らしき衣だ。おそらく、どこかの僧侶なのだろう。
歳はミレイアより少し下とみえる。可憐な顔立ちの中でも特に、宝石のような瞳をもつ丸い目からは、子犬のような無邪気さ、愛らしさが感じられる。
ミレイアたちと出くわしたせいか、怯えて言葉もなく、不安げな表情になっているのがまた、何とも可愛らしい。
その可愛らしさに、思わず毒気を抜かれたミレイアであったが、すぐに気を取り直した。
なにしろ、この僧侶? は今、麻薬製造密売の疑いのある場所、且つ普通の人間には出入りできないであろう場所から出てきたのだから。とにもかくにも、事情聴取をせねばならない。
今のミレイアは騎士団の一員、一小隊を率いる身。その権限と義務がある。
「クラウディオ! この子を逃がさ……」
すぐ後ろに来ていたクラウディオに、指示しながら振り向いたミレイアの、声が止まった。
クラウディオは、メいっぱいに目を見開いて、これ以上不可能なほど大口を開けて、固まっている。更にその後ろではリネットが、満面に笑みを浮かべてというか、笑みを浮かべすぎて溢れ出して流れ出してしまうぐらいに、とんでもなく嬉しそうな顔をしている。
「え。何、ちょっと。二人とも、どうしたの?」
戸惑うミレイアの耳に、落ち葉を踏む音が聞こえた。誰かが足を踏み出したのだ。
自分と、クラウディオとリネットは動いていない。ということは、この足音は、今虚空から出てきた子のものだ。
逃がすわけにはいかない! とミレイアは向き直って手を伸ばし、捕まえようとしたが、その手は空を切った。だが、逃がしたというわけでもない。
その子は、ミレイアから逃げて後退して、また虚空に入り込んだのではなく。前進したのだ。そしてミレイアとすれ違って駆けて、ぴょんと跳んで、
「クラウ兄っっ! 会いたかったああぁぁ! 会いたかったよおおおおぉぉ!」
クラウディオの首に、泣きながら跳びついて抱き着いたのである。
「ええぇぇっ?!」
何が起こっているのか解らないミレイアの目の前で、抱き着かれているクラウディオは硬直したまま何も語らない。幸せそうにスキップしてきたリネットがミレイアの背中を叩いて、
「ほら、見なさいお嬢ちゃん! これよこれ! アタシが改心させられた、至高の、美しき悲恋の二人! ああ、まさかこんなに早く、二人が揃うのを見られるなんてっっ」
と、歓喜狂喜している。
「悲恋? クラウディオの?」
「そぉよぉ。ま、何はともあれ、この子からはいろいろと話を聞く必要があるでしょ? だから、逃がしちゃダメよね。でも、逃げる心配はないわ」
確かに。今この子はクラウディオの首に抱き着いているのだが、身長がミレイアと大して変わらないので、完全に両足が浮いてぶら下がっている。それでも手を離さず、しっかりと抱きしめ続けており、放す様子はない。
「というわけでクラちゃん。一度山を下りて、宿に行きましょ。お風呂にでも入って落ち着いてから、みんなでじっくり話を聞く。まさかこの状況で、聞き取り調査するのがイヤだなんて言わないでしょうね? 事件の重要な手がかりよ?」
「……お前、楽しんでるだろ」
クラウディオは、ガリゴリと音がしそうな動きで首を回してリネットを見た。
言われたリネットは、力強く首肯する。
「当然。だってこれも、遊撃小隊としての仕事でしょ。仕事を楽しむことの何が悪いの? ってね。じゃ、ちゃんと連れてくるのよ。お嬢ちゃん、行きましょ」
「あ、う、うん」
リネットが先に立って歩き出し、ミレイアが後に続く。
「ねえリネット。一体何がどうなってるの?」
「お嬢ちゃんも、喜んでいいわよ。これから、と~ってもステキなお話が、本人たちの口から聞けるわ。アンタが今まで読んだ、どんな恋愛小説や恋の詩よりもステキなお話をね」
「それって、あの子とクラウディオの恋物語ってこと?」
「そ・の・と・お・り、よ。もっと詳しく言うと、悲恋の物語、ね。ふふっ」
だとしたら。そりゃあ、ミレイアだって年頃の少女である。そういう話に、興味が無かろうはずもない。はたして、筋肉の化身みたいな戦士クラウディオと、あの大人しそうな僧侶(?)との間に、どんな事情があったのか。
淫靡妖艶を極めた魔女といっても過言ではないリネットや、荘厳美麗なセルシアーヌ女王とは別の路線、清楚可憐な愛らしさにおいて、あの子はかなりのものだ。ミレイア自身、もし自分が男の子で、あんな子から好意を寄せられたら、喜んでお付き合いするだろうなと思う。
だがクラウディオの様子からして、話はそう単純ではなさそうだ。そのことがまた、興味をそそられる。
そしてリネットの様子はというと、もう、頬緩みっぱなしで。
「ふふ。あの子、何をしてたのかは知らないけど、なんだか薄汚れてるし、疲れてるみたいだからね。今、クラちゃんがあの子を冷たく突き放すことはない。とにかく宿へ連れてって休ませてあげる、というのはもう確定してるわ。そこで……うふふふふふふふふ」
リネットの笑みに不気味さを感じつつも、悲恋の物語と聞いたミレイアの胸には、好奇心と期待感が膨らんでいた。
『悲恋。何か事情があって、愛し合っているのに引き裂かれた、とかかな。それであの子がクラウディオを追いかけてきた? で、その引き裂かれた事情ってのもやっぱり深刻で、それと愛情との板挟みにより、クラウディオは素直にあの子を抱きしめられないでいる? うん、それっぽい! 昔読んだ小説によくあったパターンっっ』
リネットにつられ、いつしかミレイアもわくわく笑顔になって、二人でるんるんと山を下りていくのであった。
ミレイアたちが村に着いた頃には、もうだいぶ日は落ちていた。すっかり夕焼け空だ。
一行は、この村名物の、露天岩風呂のある宿屋に部屋を取った。幸い、他の僅かな宿泊客は外出していたので、事実上ミレイアたちの貸し切り状態だ。
宿のサービスで衣類を洗濯してくれるとのことなので、風呂上り用の簡素な部屋着を受け取って、浴場へ入った。




