#21 ランプと鍵より、親愛なる友へ
――そういう顔されると俺がつらいだろ、馬鹿
黄金色の光につつまれながら、海色のひとみがわらう。ハーディ、とリーが呼ぶと、彼がかがんで、リーの額に親愛の証をくれたのだった。
――俺の名をおまえにやる。もうこれくらいしかやれるモンがねーからな
その場所が今急速に熱を持ち始めているのを、リーは感じていた。積み重なってきた疲労が、痛みが、潮の一気に引くように消えていく。
何が、いったい自分に起きたのか。
わからないまま、リーは己の確信に従って跳躍した。斬られて力の入らないはずの足だ。それが思いきり地面を蹴り、体がかろやかに宙をかえる。くっきりと目標が見える。
石像の手のひら。それこそ細かく刻まれた手相から、石肌の粒ひとつひとつまでだ。ひねりを利用し、リーはそこへとブーツのかかとを叩きこむ。
「せい!」
突進の勢いにくわえた石像自身の重さ、それからリーの足刀の威力が相乗して、石像の中指と薬指、人差し指が飛んだ。着地して両の拳を引けば、黄金色の光が熱した飴のように宙へと糸を引く。ハーディやアーシェをつつんだのと同じあたたかな光。
まるでハーディがそばにいるような高揚だった。勇気が胸に満ちていく。
行け。心の奥から響いた力強い号令にうなずいて、リーは石像との間合いをさらに詰めた。飛び回るハエを払うような石像のめちゃくちゃな手の振りにひるむことなく、右の肘、ついで左の肘を砕く。
まぐれでもなければ奇跡でもない。確信しきったリーの動きに、石像がひるんだように後退する。逃がすものか。追撃しようとしたリーを止めたのはアーシェの両腕だった。
「リー!」
タックルするようにしがみついたアーシェがぎゅっとリーの腰を抱く。
「あんまりこわいことせんといて、心臓が止まったでほんまに」
「…アーシェ、あのね、」
リーはイオール・ビアーマと対面したほんの数瞬間に起きたできごとを説明した。それから全身に充溢するあたたかな力を。
「…“王嫁のしるし”やな」
紫色のひとみがじっとリーのひとみを見据えた。
神秘的な色のなかに黄金色の光を見つけながら、リーはくりかえす。王嫁のしるし。
「アーシェ、わかるの?」
「わかるっちゅーほどわかるわけでもあらへんけど、なんやろなあ。うまく説明できひん。ちょっと気まぐれな人みたいやねん」
アーシェが具合をたしかめるように胸の紋をなでた。裸の胸には、もともとあった奴隷紋が消えて、黄金色の花紋だけが残っている。
つまり、とアーシェが続けた。
「そうやなあ、おまもり、っていうたらわかる? リーが大事ってことや」
「“大事”」
アーシェの苦いものを噛んだような表情から察するに、かなりかみ砕いた意味をつげられた感はあるが、リーは満足する。
(大事…)
思えば「さよなら」とは、ハーディはリーたちに言わなかった。あるいは彼なりの再会の約束のつもりだったのかもしれない。額を手で押さえ、リーは感動をかみしめる。
「そしたら、オレからも贈らなな。リーには二度も命救われとるわけやし。てかオレ二回も死んだんやな。死にすぎちゃうん?」
笑いながら、ハーディがしたのと同じ場所へ、アーシェがふれるかふれないかのキスをした。夜明けのほんの一瞬、宙にひろがる神秘の色がきらきらと光をたたえて言う。
「イムラーンから、親愛なる友でありモンザ・ケビーラ最後の王嫁リヴェリアへ、祝福を」
ふわりと風が、アーシェの言葉に呼応するようにリーの前髪を揺らした。驚いて見つめたリーから逃げるように、「なんてな」とアーシェが笑む。顔が赤い。
「…あんま見んといて」
両手で顔をおおったのち、きりかえるようにアーシェが前を向く。手負いの獣のようにこちらを睨んでいる石像を示し、気合を入れるように拳をうちあわせた。言う。
「ほな、片付けてさっさと帰ろ」
*
ぐらりと世界が生き物のように波打つ。天の大火の名を持つ石像の四十数余ある腕、アーシェと手分けしてそれらを砕き、ようやく残すところ数本となったときだっただけに、完全に不意をつかれてしまった。自在に上下するブロックのように地面が高く隆起し、あるいは陥没し、リーたちは別々の方向へ投げ飛ばされてしまう。
イオール・ビアーマが暴れたことによる地盤沈下とは違う、文字通りの“世界の崩壊”。最後の王族であるハーディがいなくなったことと何か関係があるのだろうかとリーは考える。アーシェとフリーマンは無事だろうか。
段差をようやく這い上がりながら、リーは目をあげる。周囲はまるで渓谷のように岩盤の壁があるばかりだ。もっと高い場所から見なければ。
揺れに気をつけながらそのうえに立とうとするも、足もとが突然音をたててくだけてしまう。きっと地盤のやわらかい場所なのだろう。かろうじて突起部分に指をかけることに成功し、リーは顔を下方へと向ける。
(これは)
息を呑んだのは、自分が蟻地獄の中にいることに気づいたからだった。中央の黒い穴へむかって、周囲の地盤がさながら漏斗をすべっていく水のように流れ落ちていく。見れば、つかまっている突起もかたむきだしていて、今にも抜けてしまいそうだ。
(液状化だ)
リーはぞっとする。壁を蹴って抜け出そうとするが、なぜか接触した部分がそこからぴったりとくっついて離れない。驚いたリーがなんとか足を救い出そうと力を入れれば入れるほど壁にくいこんで、そのまま壁の中に呑まれてしまいそうだった。
そのうちにずるりとリーの目線が下がる。見れば、突起がさっきよりもかたむいていた。このまま自分はあの穴へ落ちて、二度とあのきれいな瞳を見られないのかもしれない。
いやだ、と思う。だけど、どうすることもできない。
もうだめだ。希望から指を放そうとしたリーを叱ったのは低い声だった。
「何をしている」
下を向くな、うつむくなというように、ひたりと何かがリーの頬を濡らす。
その正体が血液と気づき、リーは眉根を寄せた。
「離して」
自分を見下ろすひややかな赤銅色の瞳へ言う。母に対しても娘に対してもかわらないそれが、唯一考古学の話になるときだけ熱を帯びる。平素はほとんど動かない表情が一個の感情をもった人間のように変化をともない、淡々と用件のみを語る声がよろこびと興奮にたかぶるのが、リーは好きだった。言う。
「穴の周囲が液状化してる。このままではあなたまで落ちてしまう」
片目なのは左のまぶたを切っているからだ。官衣のあちこちが裂け、血に濡れている。彼がここにいるということは、石像兵を二体とも破壊したからなのだろう。くやしさと父に対する尊敬の念を喉につかえさせたまま、リーは今度こそはっきりと告げる。
「手を、離して。マハラ・ヴィーラは、あなたを喪うことを望んでいない」
「おまえが思うほど、当代の王はおろかでも無知でもない。マハラ・ヴィーラの民も」
「じゃあどうして、イオール・ビアーマを手に入れようと?」
フリーマンが唇の端で笑った。
「…その質問は人類に対して、なぜおまえたちは布をまとうのかとたずねるのと同じレベルの問いだぞ、リヴェリア」
「む、…」
ふくれつらになったリーを、フリーマンが笑った。こんなふうにおだやかに父と会話をしたのは何年ぶりだろうとリーは思う。笑った父を見るのも。
ぽろりと言葉がリーの口からこぼれる。
「いつか、わたしがあなたをモンザ・ケビーラに連れてくるのが、夢だった」
「……」
アーシェがまもなくリーたちを発見した。足が抜けないのだとリーはうったえるが、アーシェはなんでもないようにリーをひっこぬいてしまう。ひっこぬいたというよりも、リー周辺に堆積していた泥がリーからしりぞいたような簡単さだった。
イムラーンとしての力を自在に扱えるようになったのかと、しかしたずねる間もない。リーたちを見つけた石像が両腕を失いながらもこちらへ這いずってくる。左目を失い、頭部を割り、大地に揺られながらも少しずつ少しずつ近づいてくるさまは狂気的で、アーシェが「キモ!」とコメントを述べた。
リーたちが恐怖に硬直する前、石像の砕けていびつな口がニヤリと笑う。さらに這い進もうとしたが、石像の後方で大地が高く、板をはじいたように起伏した。膨大なエネルギーがバネとなって、空中へと石像の巨体をリンゴのように放りだす。放物線を描いた石像の体はリーたちの頭上をはるかに超え、蟻地獄の中へと落下した。




