#19 最後の願い
「長かった」
声が響く。
地響きのような振動音にも負けず、だが荒げることもなく。長かった、と感慨深い声が言う。
姿を現したのはセドリックだった。恍惚とした表情で開眼した石像と、それからアーシェを向く。セドリックの手のなか、黄金のランプが鈍く光る。
「“ハーディ・アリ・ジッナー”」
「ハ、――ッ」
すかさずリーもハーディの名を呼ぼうとしたが、セドリックは同じ過ちを犯さなかった。ワシ頭が心得たようにリーの体を足でうちすえ、発声を封じる。
ヒト型の石像兵に応戦しながら、アーシェが「邪魔すな」と舌打ちした。
「リー! くそ、しっかりせーへんか、オッサン!」
接近戦を得意とするアーシェは、ヒト型石像兵の長さの違う長刀と短刀でつくられる間合いにどうしても入ることができない。リーもリーで一撃一撃が重いワシ頭にうかつに近づくことができず、防戦一方だ。さらに、騎士団の兵士たちがじりじりとアーシェの左右前後をとって距離を詰めていく。注意の逸れたリーの頬を、ワシ頭の拳がしたたかにうちつけた。
もう一発。ワシ頭が次の攻撃モーションをとり、リーは痛みを覚悟する。
『あんまりそのガキを痛めつけてくれるなよ、セドリック。今は小汚ねえ小僧にしか見えなくても、将来このモンザ・ケビーラの妃になるガキだ』
止めたのはハーディだった。伏したリーをかばうように立ちワシ頭を睨むと、ワシ頭が恐縮するようにその前へと片膝をつく。セドリックが失笑を隠すように喉奥で笑った。
「面白い冗談、と言いたいところですが、…いいでしょう」
セドリックが後方で待機しているフリーマンの反応をうかがうように目をやる。フリーマンは関心がないという風情で黙ったままだ。
やがてヒト型の石像兵の攻撃が決まり、アーシェが体勢を崩す。騎士団の兵士たちがすかさずアーシェを拘束し、祭壇へ運んだ。石像が待ちわびた表情でそれを見、獣のような唸り声をあげる。
幼い子どもや動物を愛でるようなまなざしで、セドリックがそれを仰いだ。
「自身の体内を流れる堕ち人の血に怒り、その証拠を隠滅せんとした愚かな王が地上に存在したが、彼はれっきとした地上人であった。なぜならばビガンとはもともと、我々地上のイムラーンを示す隠語だったのだから」
「隠語…?」
聞き返したリーを、セドリックの灰色の瞳が見下ろす。
「ビガンの大灯台。あれは我々イムラーンが築いたものだ。いつか来たる聖なる王と故郷の復活のために。それからヴァスラの書といったな、あれはもともと、地上におりたイムラーンが志の風化を恐れて書き残したものだ。何しろ、我らの悲願達成は気の遠くなるような時間の先に予言されていた」
「……」
「写本がどこからか流れたのだろう。…ただ待つのみの時間は多くの者からイムラーンであることの誇りと意味を奪い、我々から血を奪った。この地上にもはや、イムラーンの純血は存在しない。その最後の血の絶える瞬間、先祖の絶望はいかばかりだったか…」
祭壇にくくりつけられたアーシェの前に剣をふりあげた騎士兵が立つ。イムラーンの心臓を使うのかとたずねた自分の声とそうだと答えたハーディの声がリーを動かした。ハーディとワシ頭の間を抜けながら、リーは騎士兵たちに向かってナイフを放つ。
「アーシェに触るな!」
ワシ頭がリーに追いつき上からリーの首を打とうとしたが、リーはこれをかわした。ナイフの一本が騎士兵の甲をうがち、騎士が剣を落とす。
セドリックが怒鳴った。
「かまうな、続けろ!」
「アーシェ、アーシェ! ハーディ、アーシェを助けて!」
ワシ頭とヒト型の石像兵、それから騎士団の兵士たちがリーを止めようといっせいに動く。必ずアーシェを助け出す。背中の痛みも何もかもを忘れ、リーは走る。
つきだされた剣の壁へ躊躇することなくつっこみ、恐怖にゆがんだその顎を容赦なく蹴りあげる。来るなと叫ぶその両腕を斬り捨て、狙いもろくに定めずに放たれたナイフは男たちの額を、目を、それから胸を射抜いた。ドミノのように兵たちが倒されていくのを、だが、セドリックもフリーマンもかえりみもしない。
ハーディに心臓を握られ、苦しみながら、アーシェが血を吐くようにうったえる。
「オレはええから、はよ逃げろ、リー!」
「“ハーディ”!」
ヒト型石像兵の剣がリーの額を割いた。視界を失ってからしばらく生きている五感を頼りに動き続けていたが、足を斬られ、べしゃりと転んでしまう。
ハーディ。両腕を後ろからとらえられ、リーはめちゃくちゃに彼を呼ぶ。
「ハーディ、アーシェを助けて! 助けて、アーシェを殺さないで! わたしの心臓をあげるから、なんでもあげるから!」
「はは! ははははは! ついに、ついに心臓を手に入れたぞ!」
セドリックが哄笑した。彼の先祖をたたえ、血をたたえ、それから神をたたえる。
「“イオール・ビアーマ”!」
セドリックが声高に文句をとなえ、さらに洞内の振動が大きくなった。無理やりにひらいた視界のなか、リーは見る。
セドリックの頭上、赤い光が列となって三層の輪をつくっていた。その中央へ吸い上げられるように祭壇から、何かが浮上していく。
「!」
リーの呼吸が止まる。
祭壇から音もなく床へ落ち、広がっていく血だまりに意識がわんわんと音を響かせながらかしぐ。
(アーシェ、)
はじめによぎっていったのがアーシェの笑う顔。それから、怒った顔と照れた顔がリーにまばたきをさせる。生気に満ちた神秘色のひとみ。垢や泥に汚れてもなお光を放つ月色のうつくしい髪。手首から提げられた分銅に鎖。快活にわらう声。故郷を語るときのあたたかなまなざし。
まばたいて、涙の落ちていくたびにひとつひとつ泡となっていく。泡となって、リーの胸の中を過ぎていく。まるでお別れみたいに。まるでもう二度と彼と会うことができないみたいに。
彼が死んでしまったみたいに。
「やだ、……」
我知らず言葉がリーの口からもれた。やだ。今度ははっきりと音にしてかぶりを振る。
光によって吸い上げられたアーシェの心臓は浮上を続け、石像の口中に入りつつあった。極上のごちそうをほおばるように、石像が舌を伸ばす。
「あーっははははははは! やった、――やったぞ! ついに、ついに目覚めるのだ! 我が一族の悲願が! イオール・ビアーマが! 新しきモンザ・ケビーラの歴史が! 今度は我々イムラーンがこの世界の驕りを正し、神のように罰してやろう、我々を使役していた王族どもを道具のように扱ってなァ!」
セドリックが両腕を広げた。
砂程度だった雨に拳大の粒がくわわり、つぎつぎと棚から容器が落下する。はっきりと横揺れに変わった振動が、ついに左右の壁へといくつもの浅い亀裂を走らせた。
石像の両眼にハーディのそれと同じ光がかがやく。一本二本と背中の腕が動きだし、虫の足のようにそれぞれが上下した。開いたてのひらに同じ大きさの目玉が現れ、ぎょろぎょろとあたりを見回す。
『リー!』
セドリックの後ろ、それまで像のように直立していたハーディがリーを振り向いた。
アーシェはまだ生きている。驚くリーに、彼は合図する。
『言え! 俺にどうしてほしい!』
「黙れ!」
ハーディの反逆に気づいたセドリックがすぐさま黄金のランプをかかげ、文句をとなえた。ハーディの魂を拘束する呪いの言葉。苦痛の声をあげながらも、ハーディは求める。
『言っただろ、あとひとつだ、使いどころを間違えるなって! 言え!』
ハーディのひとみに狂気の光が再び点滅する。ワシ頭がリーの発声を封じるように両腕をしめあげ、リーの頭を後ろから床におしつけた。鼻がかたい地面にまともにぶつかって、リーは気を失いそうになる。
痛みで涙がにじみだす。土が入ってじゃりじゃりする口内を動かして、リーはつぶやく。
「…けて、」
『聞こえねーよ! ほしいのは一国の王座か? それとも千の男をとりこにする永遠の美か?』
違う、と心の中で答える。そんなものはいらない。リーはかぶりを振る。
顔を押しつけられているせいで声がくぐもってしまうのだ。肺が痛い。口の中の土や石を吐き出して、リーはもう一度試みる。
「たすけて、」
『聞こえねー、もっとでかい声で!』
横揺れが激しさを増す。今までで一番大きな揺れだ。壁から岩の塊が分離するほどの揺れだった。足もとをうしなったワシ頭が左右に揺さぶられ、転倒から自身の身を守るためにリーの腕を放した。セドリックの手から黄金のランプが落ちて球のように転がる。
両手をついて激しく咳き込み、それからリーはハーディに向かって身を乗り出した。ハーディの、赤と青の入り混じった夕焼けのようなひとみを見つめる。夕焼けの太陽みたいだとリーは思った。息を大きく吸う。
「『アーシェを助けて』!」
刹那、洞内に黄金色の光が爆発した。




