#17 パズルは自分で解くから楽しい
眠れない。
アーシェに押し切られるようにして天幕内を譲られたものの、しかし、横になっても眠気はやってこない。右から左へころりと転がりながら、最後にゆっくり眠ったのはいつだったろうとリーは考えた。
(魔法のランプからハーディが出てきて、市場でアーシェに会って)
たった数日前まで、リーは大学でゼノンの講義を聞き、灯台に通い、フィールドワークに励みながら将来について考えていた。考古学の道に進み、いつかはモンザ・ケビーラの存在を証明することができれば。そんなふうに考えていた。
ところが、物語の中にしかないはずの本物の魔法のランプに出会い、書物の中にしか登場しなかったイムラーンと出会ってしまった。
夢を見ているのだろうか。
横になったまま、リーは自分の頬をつまんでみる。
(眠れない。…)
たっぷりと食事をしてようやく緊張を解いたのだろう、体がまとまった休息を欲しているのがわかる。だのにリーの頭は「眠っている場合ではない」とうったえてくるのだった。
「へっくし!」
アーシェが盛大にくしゃみをした。こちらでも夜になると気温が落ちるらしく、天幕の中でもやや肌寒く感じる。外にいるアーシェはもっと寒いだろう。
(だから天幕使っていいよって言ったのに)
だが、外に出る口実ができた。敷き布をとり、リーは天幕から顔を出す。
『眠れねーのか』
「!」
ハーディだった。天幕の上から声をかけられて、リーは小さくうなずく。
「…何をみてたの?」
『空』
ハーディが短く返した。アーシェに布をかけてやり、リーは彼を踏まないようにまたぐ。
リーが歩き出すとハーディも黙ってあとをついてきたが、特に口は出さなかった。波の音。空を仰ぐと降ってくるような星がある。青い星、赤い星。なかでもリーの目をうばったのは、中央の紫がかった宙とそこを流れる光の大河だった。圧倒的な光量に、リーは息を呑む。
「寝たら、…全部消えてしまいそうで」
歩きながら告げた。
アーシェもハーディも、この場所も。
あまりにもここまでのことが現実から離れすぎていてリーに都合がよすぎて、実は夢のなかなのではないかと疑っているのだと。
実際、何度か見たことがあるのだ。大人になって考古学者になった自分がある日不思議な遺跡を発見し、通路を降りていくと、なんとそこはモンザ・ケビーラだった、というような夢を。
『夢の中でまで考古学かよ』
筋金入りだな、とハーディがわらう。言った。
『夢じゃねーよ』
「……」
『夢じゃねえ、残念ながらな。ここがモンザ・ケビーラだ』
海風が砂をまきあげて宙へとのぼる。ふと視界の端に灯光がはしったような気がして、リーはハッと顔をあげた。
リー、とハーディが呼ぶ。海へおちたのは流れ星の光だった。星を詰めたようなハーディの青いひとみがリーをまっすぐに見つめる。
『俺はモンザ・ケビーラの王族だ。今となっちゃ最後の王位継承者ってやつだな』
「…え?」
『王族。我ながらガラじゃねーが、王子サマって言えばわかるかよ』
言葉を失ったリーがそんなにおかしかったのか、ハーディが「くくく」と愉快そうに笑った。リーがむ、と頬をふくらませるのへ、「まあ、聞け」と手を振る。
『夢ン中でも話したが、あのセドリックって野郎はイムラーンでな。普段は地上人として暮らしてるが、隠し名ってやつだな。俺に名乗ったんだ。同時に、俺の名も』
「ハーディの名前?」
ハーディがうなずいた。
『どうやら、俺の名が俺の記憶を開ける鍵になっていたらしい。先祖代々で大事に大事に語り継いできたそうだぜ、いつの日か俺をかついで国を再興するためとか言ってたがあやしいモンだ。使い方を知ってるってのは、まあ、そういう意味だよ』
「……」
『俺の記憶に鍵をかけたやつの名はサハルっつってな、イムラーンだ。頭のいいやつだったから、いろいろ考えることがあったんだろう。ずっと“イムラーン”の在り方に疑問を持ってたって言っててな、なにしろイムラーンっていうのは、』
「待って、」
気づけばリーは片腕をつきだしてハーディの話を止めていた。本音を言えば聞きたい。この国に何が起こったのか。なぜ滅んだのか。なぜ今、誰もこの国に残っていないのか。
どんなひとびとが暮らし、どのような文明を築いていたのか。あふれてくる疑問を片っ端からたずねていきたい。
だけど。
リーは知りたい気持ちを抑え込む。
『なんで』
すでに答えを知っている顔で、ハーディが誘惑の言葉をかけた。
『モンザ・ケビーラの滅びたまさにリアルタイムを生きてきた証人の話だぞ。聞きてーんだろ? 知りてーだろ?』
「知りたいよ」
だって、リーの時代にはその輪郭やにおいを伝えてくれる媒体がほとんど残っていない。ただでさえ豊富ではなかったろうに、アマシス王を何度恨んだか知れない。
でも、とリーは拳を握る。
「難しいのわかってたから楽しかった。どんなに一生懸命追いかけても、わたしが神様からもらった時間だけじゃ足りないのかもしれない。そんなふうに思いながら、たくさんの人たちがきっとモンザ・ケビーラを追いかけてきた。自分じゃない、いつか“ここ”にたどりつく人のために一つ一つ地図に書き記してきた。それをここでわたしが終わらせてしまうのはくやしい。…嫌だ」
ハーディの言葉を疑っているわけではない。
生き証人。なんて甘美な響きだろうと思う。過去の研究者がもしリーと同じ場面にたちあっていたなら、何をおいても逃すまい。ハーディがどれほど音をあげようとも、彼の知る限りをしぼりつくしただろう。
リーだって本当はそうしたい。だけど同時に、リーの中のなにかがそれを拒むのだ。
『馬鹿』
うつむいたまま、子どものように唇を噛むリーに何をおもったろう。ハーディが声をだして笑った。
ばかだな、とくり返す。
『俺がでたらめ言ってるとは思わねえのかよ、リー。証拠は何もねえ、全部俺が勝手に作った勝手な妄想かもしれねーぞ』
「……」
『だって見ろよ、なんせ何も残ってねえ。現にこのがれきの山があのモンザ・ケビーラだっつって、誰が信じる? …誰が、』
宙からおりてハーディが砂浜に腰を下ろした。リーも彼にならって座る。ひとつ、ふたつ。仰いだ場所から、星がいくつもいくつもすべっては消えていく。
「ハーディは、」
雨のようなそれを数えるうち、小さくあくびがこぼれた。寝物語を求めるように、リーは彼に問う。
「ハーディがどうしてランプの精霊になったのか、思いだした?」
波が大きくしぶきながら柱にくだけた。そらがあかるいので、なおさらに海に残る遺構は不気味で、それ以上に見る者にかなしいような気持ちを起こす。滅び、かつ忘れられた文明の跡。
さァな、とハーディが返した。
『あいつは俺ってか王族を憎んでたはずだし、今でもわかんねーわ。とにかく頭が人間離れしてて、どんな学者も識者もあいつにはかなわなかった。イムラーンでさえなければって周りの連中がよく嘆いてたな』
「友だち?」
『おまえの定義に合わせるなら“ノー”だな。生まれが違ってたら、まあ、それなりに気の合うやつだったと思うけどよ』
「“サハル”?」
リーが口でとなえると、ハーディが目をまるくする。「そーいや言ったっけな」とまもなく納得したように息をもらした。
『縁起でもねえ話だが、現に俺は一度おかしくなってるし、あのセドリックって奴は、俺の名を手に入れたがってる』
「名前」
『故郷をとりもどしたいだけなら別に俺が王じゃなくたっていいはずだろ。てめーで王様やりゃいいんだ。じゃあなんで俺の名が必要なのか。簡単だ、イオール・ビアーマ。あいつが欲しいのさ。…馬鹿な奴。よりにもよってイムラーンの末裔が同じこと考えるなんざ、皮肉にもなりゃしねーよ』
「…イオール・ビアーマ」
波が砂浜を打つ。勢いづいたまま陸地をかけあがり、リーの靴底を濡らした。重くなってきたまぶたをぱちぱちとせわしなく動かしながら、リーは父のことを考える。はたして父がセドリックを見つけたのか、それともセドリックが父に近づいたのか。
『王家はイムラーンを使役してきたが、俺はあいつには勝てない。あいつの血はすでにイムラーンじゃねえからだ。だが、小僧は違う。…くそ、やっぱ今からでも殺しとくか?』
海を睨むハーディの瞳が憂いに揺れる。くやしさ。無念。もどかしさ。それらが入り混じっていっそう色を深くする。
それは己に流れる血の意味、生まれ持った義務について真に理解している者のひとみだった。王の血。その毅然とした横顔を、きれいだなとリーは思う。言う。
「イオール・ビアーマは、イムラーンの心臓を使うんだね?」
『…そうだ』
息を呑むように沈黙したのち、ハーディがうなずいた。実際に見たことはないが、そういった祭りが行われていた記録を、リーは文献で読んだことがある。自然科学についての神秘がまだ充分に紐解かれていなかったころ、干ばつや自然災害を神の怒りと考え、人びとはいけにえの心臓を捧げることでしずめようとしていた。
だからセドリックは、イムラーンの一族に生まれながらアーシェを――本物のイムラーンを探し求めたのだ。波に濡れないように少し離れて、リーは砂に寝転がる。
『連中は必ずここにくる。サハルのやろうに踊らされてるとも知らずにな。願い事はあとひとつだぞ、リー。おまえの友だちを守りたいなら、使いどころを間違えるなよ』
「わかった」
天頂から長い尾をひきながら星がすべって、水平線のかなたへと消えた。




