#16 ごはんは大切です
情報が少なく、存在がそもそも不確かであることが創作意欲を刺激するのだろうか、理想郷モンザ・ケビーラをモチーフにした絵は少なくない。文献で、あるいは実際に訪れた貴族の居間で、リーも目にしたことがある。後者の場合はモンザ・ケビーラそのものではなく、画家の名前や絵の価値で所有されているというケースがほとんどだったが。
「……」
起き上がって、リーはその景色を視界に入れた。まず目に映ったのはリーたちを囲むような白い柱。同じ長さに同じ太さ、同じかたちをしたそれが同じ間隔で音楽のような調和をともなって並んでいる。
柱の向こうに見えるのは空だった。リーが知っているよりも色の深い青。
ときおりそよりと風の気配を感じる。ヒトの息遣いが聞こえなくなってひさしい穏やかな静寂。ふらりと歩き出そうとして、リーは手に持ったままだったランプに気づいた。それからそばで倒れているアーシェへと移す。
「アーシェ、アーシェ、大丈夫?」
「ん、…」
かたわらに膝をつき、名前を呼びながら体をゆすって数度、髪と同じ色のまつげがふるえた。アーシェのひとみにハイライトが通ったのを見、リーは安堵の息をつく。
ぱちぱちと焦点をあわせるようにしばたたき、アーシェがあくびを漏らしながら上体を起こした。
「おはよう。えーと、なんやっけ、…」
「海底遺跡からビガンの大灯台までアーシェが案内してくれて、それからランプとアーシェの花紋が光って、」
「…ああ、あちこちぎょうさん光ったな」
うなずきながら、アーシェがこするように額を掻く。すっかり乾いたコケと泥がほろほろとそこから落ち、そこで初めてリーは昼であることに気づいた。
(灯台に着いたときは夜だったはずなのに)
アーシェの背中で運ばれていたときに見えた海には船のかがり火がなかったから、おそらく真夜中だったはずだ。マハラ・ヴィーラとは異なる時間が流れているのか、それともリーたちがこの時間まですっかり眠りこけていたのか。
「灯台全体が光に包まれて、とてもきれいな音が聞こえたところから覚えてないけど、…少なくとも、ビガンの大灯台ではないね」
「ほな、見てみよ。何かわかることもあるかもしれへん」
アーシェが膝に手をついて立ち上がった。そうして、ハーディの名前を出す。ひとみがちらりと、リーのランプを見た。
「きれいになったけど、…ならへん方がよかったかもわからんな。オレかて絵心ある方やないねんけどひどない?」
「…たぶんランプ自体、もともと絵はついてなかったんだと思う。既製品にあとから書き足したのかなって思ったよ」
「なんでそんなことするん?」
「わからないけど、…灯台で光ったとき、絵は何も反応しなかったから。文字を隠すために絵をつけたのかなって」
リーは眉尻をさげる。ハーディから聞いたことをアーシェにも話すべきか迷ったが、ハーディ自身まだ整理がついていないと言っていた。それにリーも、あまりにも思いもよらない告白の連続で、夢だったのではないかという気持ちの方が大きい。
(“先祖返り”って言ってた)
今すぐに殺した方がいいと言ったハーディの声がリーのなかに響く。生まれてはいけなかったのだという否定。イムラーンをさして滅びの鍵と、ハーディは表した。
イオール・ビアーマとイムラーンの関連についてはすでに確認している。だからこそハーディは強く危険性を示唆したに違いなかった。守れ、と。
(“本物”……)
あらためて復唱すると体が震えてしまう。海底遺跡から地上へ導いたという「声」とそのあとの不思議な光。ここがマハラ・ヴィーラではないとしたら、いったい「どこ」だというのか。
リーは林立する柱を、歩きながら観察する。白い柱に白い壁。建物全体が同じ石材でつくられていると考えて間違いないはずだった。天井のカーブや削り方、ひんやりとした石の冷たさ、白さに、リーはビガンの大灯台を思い出す。
(神殿か、…霊廟かな?)
そう思うのは、建物全体に満ちているような神聖な空気のせいだ。王城という場所に見られる華美な装飾品や訪れた者に権威を示すような宝飾類もいっさい見当たらない。
まもなく、白いレンガと赤いレンガを三層に組み合わせた柱の門がリーたちを迎えた。柱を彩る精緻な幾何学紋様。鑑賞するように一周しようとして、だが、柱の外側が焦げつき、表面が溶けていることにリーは気づく。それから、まるで頑丈な扉か壁を突破しようと躍起になった様子のうかがえる大きな石や丸太。矢。
だが、柱にはそうまでしてこじあけなければならないようなものが設置されていた痕跡は見当たらない。多くの人間がここで死に絶えたのだろう、武具と思われるかけらや白骨化したむくろが混ざり合いながら、足の踏み場もないくらいに堆積している。
最後はこの建物内に籠城し、戦ったのだろうか。だが、いったい何者に攻め込まれたのだろう。考えながら、リーは隣で青ざめ硬直しているアーシェをうかがう。今にも泡を吹いて倒れてしまいそうだ。
「た、…たたらんといてください」
ほとんど涙声で言って、アーシェが冥福を祈るように両手を合わせた。ぶつぶつと何事かを呟きながら知る限りの聖印を切っているようだ。
リーはむくろを追うように視線を動かす。建物は小高い丘の上に建てられており、眼下には丘を囲むようにして市街地がひろがっていた。白骨は建物へのぼる階段を下までびっしりと覆っていて、今なおひとびとの阿鼻叫喚が聞こえてくるようだ。
街の三方には山が位置しており、天然の要塞をつくりだしている。その向こう側は砂漠。近くでみないとわからないが、途中大型動物の肋骨のように突き出ている柱は物見櫓だったのかもしれない。
山のない方には玄関口のような海。付近には市場でもあったのか、建物が密集しているのが見える。山側の、丘の建物と対角線を描くように寺院らしい建物とストゥーパ。山肌には畑と、放牧をおこなっていたと思われる痕跡がある。
吹き上げてきた風がアーシェの月色の髪を乱した。滅び、国の名を失った土地。リーたちの前にあるのは、あとはただ忘却の地層に消えていくばかりの遺物だった。
学部柄こういった光景には慣れているとはいえ、真っ向から踏んでいくのはさすがにはばかられる。骨を踏まないように、ときにはアーシェのために避けてやりながら市街地への道をくだった。
(…きれい)
陸地にひろがる凄惨なありさまなどあずかり知らぬといったふうに海はしずかにそこにあって、昼間の陽光をきらきらと反射している。灯台からおりていくときも、こんなふうにリーは海を展望していた。
だからだろうか。目の前のそれに同じ景色を重ねてしまうのは。
*
ハーディがランプから出てきたのは夜になってからだった。
『うえっおまえらどうしたんだよ』
火を囲み、どんよりとうなだれているリーたちを見て開口一番、ハーディが言う。アーシェが力なくかぶりを振った。
「あらへんねんもん、…ここ。食うもん。何も。家探ししようにも、どこもかしこも砂に埋もれとるやん。掘っても出てくるのはミイラか副葬品って趣や…」
ぐう、と二人分の腹の虫が鳴く。再びリュックをあさろうとしたリーをアーシェが止めた。所有分の食料と水分はすべて海底遺跡のなかで消費したし、リュックの中身についてはリー自身が誰よりも把握している。体力の無駄遣いでしかないからだ。
沈黙したリーをなだめるように背中を軽くはたき、アーシェが続けた。
「昨日今日滅びたって様子やないのはオレかてわかるで。端からしらみつぶしに見てってもおそらく誰もおらへん。…おってもミイラ化したユーレイさんや」
ぶるぶるとアーシェが体を震わせる。陽が沈み星あかりに照らされた海岸。桟橋をこえてきた波がどこからかちぎれてきた海藻を新たに浜へ押し上げる。
沈みかけてはいたが、港付近には漁の行われていたあとがあって、当時のにぎやかで活気のある風景が目に浮かぶようだった。きっと新鮮な魚介類が毎日所狭しと並んでいたに違いない。
(ミディエドルマ、タワ、ハムール…)
市場で毎日のように見ていた屋台料理と香辛料のにおいを思いだしてしまい、ぐう、とまたリーの腹が切ない音を立てる。
「魚、獲れるかなって思ったけど、だめだった…」
あらゆるサバイバルを生き抜くためにと、授業で釣りをしたことはあるが、その道具がここにはない。さいわい遠浅になっているようなので素潜りにも挑戦したのだが、結果は現在の通りである。
アーシェがわっと両手で顔を覆った。
「突然目の前で脱ぎだすし、完全に男として認識されてへん。友だちやって言うとったしべつにええねんけど」
『リー、おまえさあ、……』
ハーディが気の毒そうにアーシェを見る。が、面倒くさくなったらしい。サッとアーシェから視線を外した。
「だからね、」
言いながら、リーはランプを手に持つ。リーに与えられた奇跡の回数は三つ。うち一つはアーシェの蘇生を起こした。
残りは二つ。
ならば使うべきはまさに今を置いてほかになかった。察し、ハーディが青ざめた顔で拒絶反応を示す。
『ふざけんな! 断固拒否すんぞ俺は!』
「? …なんやねん、」
アーシェが首をかしげた。ハーディが乱暴に髪をかきあげ、剣呑な口調で返す。
『あーあそうだったな、おまえあン時くたばってたんだもんなァ、この流れに覚えがなくて当たり前だよなァ?』
ぐるっとリーを向き、ハーディがリーの鼻先へと指をつきつけた。
『リー、おまえ自分でそこの小僧に話してたよなあ? そもそもあるかないかもわかんねー“魔法のランプ”を得るために、どれだけの王が金だの命だのを積んできたのか、人生が懸けられてきたのか! 羨望と憧憬をこめてどれだけの物語が作られてきたのか! それでもおまえでまだ二人目なんだぞ!』
「うん。ハーディ、『ご飯と水』」
『だああああああ! このアホ女があああああああ!』
ハーディが頭をかかえてのけぞると同時、リーたちの前にチキンライスやピザ、豆スープやサラダ、魚や鶏肉のグリルなどのご馳走が並んだ。皿の下には豪奢な絨毯、砂が料理に入らないように天幕まで張られている。
両手で顔を覆い、ハーディがしくしくと泣いた。
『ラザラスよりヒデェ…。あいつも相当だったが、まさか二人目にしてこんな扱いが待ってるなんて……。俺は召使じゃねえんだぞ』
「おいしい!」
リーはさっさと食事を始めている。頬袋をつくり、あれもこれもと手を伸ばしていくリーを、ハーディがあきらめたように見た。頬杖をつき、拗ねたようにはき捨てる。
『そーかいそーかい。そりゃーよーござんした。たんと食ってでっかくなれよチクショー』
「なんやオッサン、そう言うたかて、まんざらでもなさそうな顔しとるやん」
『うるせーよ。てめーもさっさと食え。リーに食いつくされて泣いても追加は出さねーからな』
言われて、アーシェがあわてて豆スープをのみこんだ。ある程度胃が満たされたころ、リーは昼間の探索結果をハーディに報告する。
「それでね、水路がすごく綺麗に整備されてた。上下分けられてて浴室もあったし、きっと衛生的な生活だったんだと思う。三層構造の水道橋もあって、」
そこまで語ったところで、不意にリーは口を閉じた。息継ぎもあとまわしにするような勢いだっただけに、アーシェとハーディがいぶかしむように互いに目を合わせる。
「ここが、モンザ・ケビーラ?」
誰にともなくつぶやいて、リーは天幕の入り口をめくった。
街を歩いてみてわかったのは、ここが高度な文明をもった国だったのだろうということだ。整備された道や建物からは景観に気を遣っていただろうことがうかがえたし、民家からはランプを含む、生活を補助していたと思われる道具や設備をいくつか発見することができた。
劇場のような娯楽施設、見上げるような高さの建物。道幅のある大通りには記号の描かれた標識が立ち、タイヤやひしゃげた車体などが散見された。これらはきっと日常的に道を行き来していたに違いない。リーの興味を引いたのは二輪の車体だったが、起こそうと握ったとたん、ぼろぼろに砕けてしまった。
挙げていけばきりがない。現在のハマラ・ヴィーラよりもはるかに文明の進んでいただろう国家。
だが、その高度な文明をもってしても敵の侵入を許し、ほとんど一方的に滅ぼされてしまった。というのも、市街地周辺を歩いてみたかぎり、たとえば丘の建物の外で見たような、応戦したようすが見られなかったからだ。
地理上にこれだけ有利な条件をもった土地だから、あるいは武器や非常時に戦う組織を所有していなかったのかもしれない。くわえて最大の疑問は、滅びた当時のまま放棄されていることだった。
リーの考える通り外敵によって「侵略」を受けたのであれば、過去の例に倣い、勝者による新たな歴史の上書きが行われているはずだった。なのにまるでただ破壊することだけが目的だったかのように捨て置かれている。
リーは冒険者オルドビス・デーンの絵を思い出す。都市を放棄する人間たち。地上はその子孫によって文明を興し発展してきたというのが彼の主張であり、リーもまたそれを支持してきた。
だが今、廃墟と化した街を見てリーは思う。戦いの終わったあと、誰一人として生まれ故郷に戻らなかったのだろうか。誰も故郷を再び立て直そうとは考えなかったのか。それはなぜ?
「リー?」
『どこにトリップしてんだ?』
アーシェをハーディがそれぞれにリーの顔をのぞきこんだ。かぶりをふり、リーは天幕の入り口を閉じる。誰がどこで寝るかという問答を挟みつつ、休むことにした。




