#13 たたみかけるように口説いていくスタイル
モンザ・ケビーラの物語。
ひとびとの積み重ねてきた歴史、生活。そこから自分たちは何を学び、どこを目指すべきか。後世に何を示し、何を残すのか。
幼かったリーにはまだ難しくて父の話はほとんど理解することができなかったが、その膝にのって物語を聞くのが、リーは大好きだった。何をたずねてもすらすらと返してくれる父を尊敬していた。
父と同じ考古学者になるのだと言ったこともあったような気がする。けれど父は笑って、自分は学者ではないのだと返した。
では、父は何のために考古学を学び、研究をしているのか。リーがたずねたとき父がいったいどんな表情をしていたのか、リーは覚えていない。
*
(ひさしぶりに、昔の夢を見たな)
思いながらリーが目を開けると、なぜかアーシェに抱きしめられていた。より正確に言うなら、アーシェを下敷きにしていた。
なぜこんな状況になっているのか。リーは記憶を起動しここまでの経緯を整理する。
(そうだ、落とし穴)
リーはこちらに向かって腕を伸ばすハーディの姿を思いだした。いったいどれくらいの高さから落下したのだろう。心配になって、リーはアーシェの心音を確認する。
ここはどこなのだろう。規則的に上下するアーシェの胸とすこし高いくらいの体温に安堵の息をつき、リーは身じろいだ。いつまでも載っていては負荷をかけてしまうので抜け出そうとするのだが、リーを拘束するアーシェの腕はびくともしない。
くあ、とまもなくリーはあくびをした。見た目よりもはだが硬いので寝心地はけしていいとは言えないが、すぐそばから聞こえてくる心音と布越しにつたわってくる体温にどうしても眠気を誘われてしまう。幼い日の記憶が喚起されたのも、おそらくこのために違いなかった。
(いけない)
まどろみかけた意識を引っ張り上げ、リーは頭に働けと命じる。ここは安全なベッドのなかでもなければ、外敵のない楽園でもない。いつ、何がどこから出てくるのかわからない、おそろしい古代遺跡なのだ。
アーシェ、とリーは声に出して呼んでみた。あたりは暗く、上の通路以上に生臭い空気がよどんでいる。もしもここにいるのがタトラだったら臭いで気絶してしまうだろうなとリーは考えた。そのうちに暗さに目が慣れてきて、あたりがぼんやりと緑をともなって光っていることに気づく。
「起きて、アーシェ」
「ん…?」
何度かくりかえすと、ようやくアーシェが声をかえした。アーシェの意識が再び眠りに落ちてしまわないように、大丈夫? とリーは続けて声をかける。
「んー……」
アーシェが身じろぐように膝を動かした。リーを抱き寄せている腕がいったん緩み、だが、位置が変わったことでさらに密着度があがる。
「あー、…ええ抱き枕やんなあ、腕にすっぽりやん、ええにおいするし……」
最後に聞こえたのは誰かの名前だろうか。愛撫するように何度かリーを抱きなおし、アーシェがすりすりと頬ずりをはじめた。それから手が、ゆっくりとリーの髪をなでる。
「しばらく見いひんうちにえらいやらかくなって、このままずっと――」
この上なく幸福を感じているらしい声が、だが、にわかに止まった。弾かれたようにそのひとみが開き、おそるおそるといった風に眼球が下方へくだっていく。
「あ、」
アーシェ、と呼んだリーの声はしかし、アーシェの声なき悲鳴によってかき消された。
「すまんっっっ!」
丁寧に、しかしすばやくリーを解放し、アーシェがその場に額をうちつける。
「ほんま、すまん! かんにんや! いや、もうなんて謝ったらええかわからへんねんけど、ほんまごめん! やらしいこととかふしだらなことはアンタの親父とオカンに誓って一切考えてへんから! 考えてないねんけど、すまん!」
「えっと、…」
前にもこんなことがあったような気がするが、放っておくとそのまま火でも起こしそうな勢いだ。ゴリゴリと地面に額をこすりつけるアーシェを止めるべく、リーは言葉を探す。
「びっくりはしたけど、…アーシェがかばってくれなかったら、こんなふうに無事に済まなかったよ」
アーシェはただリーを守ろうとしただけなのだ。頭を上げるように求めるが、アーシェは「やさしくしたらアカン!」とますます自分を責めているようだ。
この言い方では駄目らしい。さらに考え、リーは言葉を変えてみる。
「嫌じゃなかった」
言いながら、腰をあげた。靴底にあたる感触は浅い草のうえを歩くようにやわらかい。アーシェの声の響きから考えるに、そこそこ広さのある場所のようだと見当をつけた。目覚めたときに見えた緑色の光の正体を見つけ、リーはかがんでそれを手に取ってみる。どうやら自ら発光しているコケのようだった。
続ける。
「アーシェに触られたの、別に嫌じゃなかった。だから気にしないでいい。それより、どこも痛くない? 結構高いところから落ちた感じがしたから」
「痛ないけど、――」
顔を上げたアーシェの額は泥とコケが付着していた。まるで目を開けたまま夢を見ている人のようにぼんやりとしている。リーの言葉をもう一度自身のなかで再生し、咀嚼するような間だった。我に返ったアーシェが猛然とかぶりを振る。
「あかんて!」
よろよろと立ち上がり、リーに近づくと、青ざめた顔でリーの手をとった。
「あかんで、女の子が野郎にそんな――そんな、嫌じゃないとか、…かわええこと言うたらあかん! それに、す、好きとかも――あんなかわええ顔して簡単に言うたらあかん! 男はみんな野獣やねん! 獣やねん! パクッと喰われてまうで!?」
「“パク”…?」
「パク、や! オレやったからええけど、いやよくはないねんけど、ええかリー、またもしこんな状況があっても問答無用で嫌や言うんやで!? 間違っても嫌やないなんて言うたらあかん、絶対あかん! ええな?」
「でも、」
「ええな!?」
アーシェの圧に負けるようにリーがうなずくと、アーシェは重大な仕事を終えたように脱力した。疲れたような横顔が「あのおっさんは何を教えてんねん」「魔性や…」とぼやく。
「そういえば、アーシェ」
「なんやー?」
「わたしの名前、初めて呼んでくれたね」
「やから、それやってェ!」
なぜかアーシェがうずくまってしまった。
「教えてもらって放置してたオレも悪いねんけど、別にずっと女の子おらへんとこおったから恥ずかしかったとかやないねんで!? オレに名前呼ばれて嬉しいみたいに聞こえるからあかん!」
「わたしは嬉しかったけど……」
友だちになれたみたいで。
続けようとした言葉を、リーはとりやめる。さっきよりも強くなった水の腐ったようなひどい臭いに眉を寄せた。後ろ、あるいは前の暗がりからズルズルと、時折何かを落としながら音が近づいてくる。
そういえば、とアーシェがことさらに明るい声を出した。
「結構高いとこから落ちた気がしててんけど、なんでオレら無事なんやろな」
それはリーも思ったことだ。だが、思い当たることはひとつしかない。
(ハーディ)
おそらく彼がなんらかの方法で助けてくれたに違いなかった。リーはリュックからランプを出し、ベルトにつるす。言う。
「囲まれてるね」
「言わんといて……!」
せっかく現実逃避していたのに、とアーシェが両手で顔を覆う。目標との距離をはかりながら、リーはツールバッグに指を伸ばした。「火気類はやめてな!?」とアーシェが先手を打って釘をさしてくるのへ「む」とうなる。
だが、この火によって一度はアーシェを死の淵へ至らせてしまった。リーはしぶしぶ別の武器へ持ちかえる。
先ほど拾った光源を正面の暗がりにむかってつきだした。
「ヒエッ」
アーシェが悲鳴をあげる。リーたちを包囲していたのは黒いワニだった。ただしくは、騎手と同化したワニ。上にのっているのはカエルともトカゲともつかない生き物だ。途中聞こえた何かを落とすような音は、どうやら騎手の部分から落ちていたもののようだった。手とも顔ともつかない位置からねっとりと糸をひきながら、体の一部が崩れているのだ。
ぶるぶるとアーシェが水からあがった動物のように体を震わせた。
「チョウチョ以外にもアカンのができそうや…生理的にアカン」
「大丈夫。アーシェには触らせないよ」
言って、リーは地面を蹴る。最初に飛び跳ねてきた一体を斬り、それから次々と突進してくるワニを宣言通り、アーシェに近づけることなく斬り捨てた。ベシャ、ベシャ、と攻撃がヒットするたびに水袋のつぶれたような耳障りな音が響く。
「音がスプラッタすぎひん? いやや~触りたくない!」
ほとんど泣き声で言いながら、アーシェがにわかに体を半転させた。彼の蹴り飛ばされたワニがべしょ、と地面にたたきつけられ、さらに悲鳴が伸びる。
リーは前、アーシェはその後ろ。
互いに背中を守りあうようにしてワニとの戦闘を続けるも、だが、リーはいまいち攻撃のてごたえがないことを感じていた。おそらく体の一部を斬ったり潰すだけでは致命傷を与えることができていないのだろうとリーは考える。
(かといって正しい倒し方を探すには数が多すぎるし、このままじゃ共倒れだ)
一番簡単なのは火気攻撃であたりを薙ぎ払うことだが、すでにアーシェに禁止されているし、効果がなかった場合、リーたちも一緒に蒸し焼きになってしまう。
どうしたものか。思案しながら、リーはふと、じわじわとあたりが明るくなっていることに気づく。真珠色のきよらかな光。
アーシェの花の紋が服の上から光を放っていた。見て、とアーシェがリーを呼ぶ。
「連中、光に弱いんや! 逃げてくで!」
ゾゾ、ゾゾ、とワニたちが後退をはじめていた。一転して強気になったアーシェが「オラオラ!」とそれを追いかける。
「リー、こっちや」
気が済んだらしい、アーシェが戻ってきて言った。曰く、この奥には地底湖があって、出口はその先にあるということだ。
「そのへん岩がつきでとるから気をつけてな」
前に立って歩きながらアーシェが言う。遺跡の下は天然の洞窟になっているらしく、地面から生えるように伸びた柱がコロネード状に並んでいた。天井、壁。光るコケとアーシェの胸の紋の放つ光が洞内で反響して幻想的な光景を作りだしている。
(…きれい)
歩きながら見入るリーの足もとが危うくならないよう、アーシェが戻ってきて手をとった。そうして洞窟を抜け湖をのぞむころ、リーはランプの発する微弱な赤い光に気づく。
(ハーディ?)
まるで呼ばれているような気がして、リーはランプを手に取った。




