#10 考古学は努力・友情・勝利
短い仮眠を挟んで出発したものの、まるで一緒に目覚めたかのように、遺跡もまた活動を開始した。
リーたちを最初に襲ったのはリーの部屋の天井ほどもありそうな巨大な蛾だった。なるほどどうりでこのあたりには骨が多く落ちているわけだとリーが納得するかたわら、アーシェが前を向いたままバックダッシュをした。頭部と向かい合いそうになったところをわざわざ体の向きをかえ、頭を抱えてうずくまる。
「オレチョウチョはアカンねん! チョウチョだけはアカンねん!」
『…“チョウチョ”か?』
ハーディが半眼でつぶやいた。一見すれば巨大な蛾。しかしそう呼ぶには、あまりにも外見の毒々しい蛾だった。まずリーたちの知っている蛾は四枚の羽根ひとつずつにギョロギョロ動く目玉なんかないし、頭部もサルではない。できるだけ鱗粉を吸いたくないな、とリーは考える。
(手記では遺跡に放たれたのは殺し屋と飢えた獣って書かれてたけど…)
少なくともリーは見たことがないが、そういった奇術に試みた記録を読んだことがある。
神は地上に人間や獣を創造したもうた。ならば人によって合体された獣Aと獣Bはあらたに獣Cとなり、これを“魔物”と呼ぶ、というのである。これを考古学部の研究室にもちこんだのは理学部の男性教授だった。
「これを読み解けば巌のような装甲をもち体液は猛毒、少量の栄養で風のように砂漠を駆け、どんな攻撃にもひるまぬ生物兵器が完成する!」
普段は沈着冷静な彼が別人のように興奮しゼノンたちを急かしたが、ページの中ほどから後半まで血のようなものでべったりとかためられていたことと、どこから発見されたのかという情報が公開されなかったため、解析は不可能と判定された。くだんの教授はのちに三日ほど原因不明の高熱で生死の境をさまよったそうだ。
捕獲して持ち帰ったら理学部が解析してくれるかなと思いながら、リーは足もとの骨を数本拾った。一人だったならきちんと保存状態に配慮してしとめるが、アーシェに怪我をさせるわけにはいかない。
「口と鼻をふさいで!」
唾液をしたたらせながら、蛾がゆっくりと羽を動かして天井からくだった。鱗粉を吸わないよう自身も袖で鼻と口をまもりながら、リーは拾った骨をわざと外して投げる。サルが嘲弄するがかまわない、この後の本命を確実に当てるための伏線だ。続いてリーは腰のツールバッグから小瓶を引き抜く。
ふせて。
一言声を上げ、小瓶を蛾に向かって投げた。小瓶と蛾が衝突した瞬間、激しい爆発音とともに火炎が膨らみ、通路内を揺らす。
「火気使うなら使うて、ひと言いうて!」
爆風に飛ばされたらしいアーシェが煙にむせながらうったえた。一人すずしげなたたずまいを守りながら、ハーディが言う。
『遺跡は火気厳禁じゃねーのかよ』
「頑丈そうだったから大丈夫かと思って。壁も湿ってるから燃え広がることもないし」
ケホ、と小さくむせて、リーは体を起こす。蛾のいた地点には黒とも緑ともいえない不気味な液体が広がって、ひどい刺激臭が煙と一緒にたちのぼっていた。それらを吸わないように注意しながら、リーたちは進行を再開する。
そのあとも落とし穴や壁から飛び出してくる矢など、さまざまな罠がリーたちを襲った。先の蛾のようなものとも数体遭遇したが、これも難なく倒す。
ハーディが感嘆の声をあげた。
『考古学部ってすげーな』
「遺跡で孤独に死ぬことは美しいが一人で死ぬな、過程と発見を誰かに託してから死ねっていうのが先生たちの口癖だよ」
『前半はちょっとよかったよな』
「考古学者って少ないから。危険だしほとんどお金にならないって先生たちが言うよ。ゼノン教授が有名になるまではマイナー扱いだったし、考古学者だっていうと結婚を断られることも多かったとか。アルサラム大学でも、学生がいないからってしばらく学部自体がなかったこともあったそうだよ」
いつ後継者の絶えるともしれない恐怖。学者にとっておそろしいのは時の権力者による“焼き討ち”だと誰もが口をそろえて言う。ゆえにアマシス三世などは歴史関係の分野では親の仇のように憎まれているし、関係者同士の酒の席では禁句になっているのだそうだ。授業でなければ口にもしたくない、という教師もいるとかいないとか。
それでもこうしてリーたちが研究を続けることができるのは、生き残った者たちが自らの記憶をもとに記録を書き残し、あるいは他者に研究を託してくれたからなのだ。
先人の歩みを絶やすことは自身の道の絶えることを意味する。研究者にとって、自らの研究は子ども同然だ。歩みを守るためにけしてまもりに入ってはならない、常に攻めろ。
いわば後生への激励と切なる願いが“遺跡で孤独に死ぬことは美しいが一人で死ぬな、過程と発見を誰かに託してから死ね”という標語なのである。
『やべえ、なんか感動した』
ハーディがくやしそうに顔をふせた。なあ、とアーシェがリーに話しかける。
「さっき遺跡って言うたやんな、ほいでアンタは考古学部勉強しとる学生さんで、モンザ・ケビーラを研究しとる。もちろんここも攻略済みで通路も頭に入ってはるんやろ?」
リーは正直に答えた。
「ここは初めて来たよ。文献はいくつか目を通したから存在はしってたけど」
「せ、…先生も?」
「教授なら調査に入ったことがあるかもしれないけど、わからない。王家の霊廟って本来ごく限られた範囲の人しか入れないはずだから」
もともと王家に関してはわからないことの方が多い。代々の王の名前と系譜は公開されているが、その人数と霊廟で実際にまつられている王の数はおそらく合っていないと言われているほどだ。
だからそもそもこの遺跡の存在を王家が把握しているのかも、この遺跡がいつ、誰によってつくられたのかもリーは知らない。
『そのわりに足取りに迷いがねえよな』
「ここまでの道は覚えてるから」
返しながら、リーはアーシェの様子をうかがう。薄暗い中でもはっきりとわかるほど、アーシェの顔色が悪いのだ。
(もしかして蛾を倒したときの煙を吸っちゃったのかな)
リーも少々吸ってしまったが今のところ問題はない。アーシェはもともと疲労と怪我が重なって体が弱っているせいで、よりダメージを受けているのかもしれなかった。足を引っ張るまいと気丈にふるまっているようだが、いつ倒れてもおかしくないような状態だ。
(ちゃんと栄養を摂って休めば回復すると思うけど…。早く出口を見つけないと)
それまで自分が彼を背負ってはどうか。
我ながら名案を思い付いたときだった。
「止まって」
腕を伸ばし、リーはアーシェとハーディをさまたげる。壁がおかしい。言いながら、リーは前方の天井を指さした。
「何かいる」
それは遺跡において何かが起こる前の違和感に似ていた。そしてまもなく、一行の目の前で天井からぺろんと二枚の“舌”がはがれた。




