僕が厩舎に行く理由
クリストフの側近、クラウスのお話です。
「今日も付き合ってくれてありがとうな〜」
迷いもせずニンジンに食らいつく馬の首をさすり、練習に付き合ってくれた労を労う。
体の大きい馬にとって、ニンジンなんておやつみたいなものだ。
ボリボリと噛み砕きながら、もっとと頭を振ってねだる様に苦笑しながら、ニンジンをいれた小さめの飼い葉桶を持ち上げる。
(さすられるより、ニンジンがいいか)
僕はクラウス・リヒター。
ひとつちがいの王太子殿下の側近に選ばれたのが昨年のことだった。
クリストフ殿下にはすでに宰相の息子が側についていたから、すっかり気を抜いていた。
というより、あまり気にしていなかった。
それが、学園祭の準備期間が入る少し前に、「生徒会の手が足りない」と呼ばれたかと思ったら、王太子殿下の側近候補になっていたから驚いた。
だって僕の家はしがない子爵家だ。
まさか声がかかるなんて思うわけないじゃないか。
(文官仕事を頼みたいっていうから、それだけだと思っていたのに……)
僕は、早く次!とねだる馬のため、次のニンジンを手のひらに乗せた。
よくニンジンをやる時に、指で掴んでやろうとしている光景を見るが、あれは間違いだ。
そんな持ち方をしたら、指ごとガブっといかれったって文句は言えない。
馬にそんなつもりはなくたって、こっちの指を考慮して食べるつもりは向こうにはないのだ。
あの歯にやられたら、人間の指なんて簡単にもっていかれる。
そんなことを、馬にさせちゃいけない。
だから、手のひらに乗せてあげるのが正解だ。
大丈夫。この方法ならガブっとはいかない。
ちょっとペロッとはされるかもしれないが。
こうして馬の扱いを知ったふりして説明できるのも、馬に乗れるようになるよう厳命されたせいだ。
「クリストフ殿下の無茶振りは、いつなんどき、なにがあるかわかりません。対応できるようにしておいてください」
王太子側近候補を集めてそう言い放ったのは、幼い頃からクリストフ殿下についていると聞いていたトビアス様だった。
ともに横に並んだのが、側近候補だろう。大柄で騎士希望のディートリッヒ様、華やかな見た目のカール様が首肯した。
「あの……それは、具体的にどのようなことでしょうか?」
なにがあるかわからないと言われ、対応できるようにと言われても、なにをどうしたらいいのかわからない。
僕は恐る恐る、小さく手を上げた。
「良い質問ですクラウス。わからないことは必ずすぐに確認するようにしてください。わからないことを咎めるような主人ではありませんから。 さて、質問の答えですが……そうですね。その時によって変わってくるのですが、例えば私の場合だと、よく走らされます」
「走らされる?」
「ええ、しょっちゅう走り回っていますよ」
「それは校庭とかでしょうか?」
「あ〜はは、面白い冗談ですね。そういうの、クリストフ殿下はお好きですよ。でも違います。どちらかというと、王城の中や外やそこかしこ、もうとにかく走りますよ」
えええ〜。
「伝達のために馬を走らせることもあります。あなたは馬は?」
「実はあまり経験がなく……」
「おや、そうでしたか。おふたりはどうです?」
トビアス様が残りの二人に問いかけると、ディートリッヒ様は自信満々に答えた。
「騎士を目指す中で馬上の鍛錬も行ってきました!」
「ほほう。いいですね。カールは?」
「僕も結構得意かも。いろんなところへ行くのに、馬は欠かせないからね〜」
うう、どうやら僕以外のふたりは得意のようだ。
なんてことだ!
王太子の側近なんて務まらない以前に、馬に乗れないために仕事にあぶれる危険もあるなんて。
「では、クラウスには馬術の鍛錬をお願いします。王城に来れば準備を整えておきますよ」
「あ、ありがとうございます。おねがいします」
そういう経緯で王城の馬を借りて、馬の扱いを習うようになったのだ。
あれから半年、僕もすっかり乗馬に慣れた。
それでもこうして馬術の鍛錬を言い訳に厩に来るのは、馬の可愛さにやられてしまったからだ。
「うわ、すごい高い」
最初の感想がこれ。
大きいとは思っていたけれど、王城で管理している馬は毛艶もよく、僕の知る馬より二回りくらい大きく思えた。
案の定、その上からの視界は想像以上に高く、ちょっと怖さすら感じた。
そしてその日から、怒涛の特訓の日々が始まった。
初めの頃は馬の背に鞍を載せるのも一苦労。
その鞍に乗るのもやっとだった。
馬術の教師としてつけてくれたのは、厩舎の人員の中でも厳しいと有名な人だったの後から聞いた。
どおりで、練習のたびにお尻が割れるように痛くなるし、手綱の握りすぎで指が痛くて学園の授業も集中できなかった。
しかし、学園の卒業まであと2年を切り側近として本格的に働き始めるまで時間がないことを考慮すると、あの時スパルタ特訓をされたおかげで早々に馬にも慣れることができた。
乗馬特有の筋肉痛と皮膚擦れに毎日泣きそうだったのも、懐かしい思い出だ。
ある日厩舎に顔を出すと、一頭がブルルッと鳴いて挨拶をしてくれているように聞こえた。
その瞬間、あ、僕のこと待ってくれていたのかな?と思えて、愛しさが爆発した。
その日はもちろんその馬に練習に付き合ってもらったのだが、次の日からは厩舎中の馬がブルルッ、ブルルッと呼ぶので練習相手を選ぶのにも苦労した。
(なんか嬉しかったんだよな〜)
それからは、鍛錬のための厩舎通いが、楽しみになった。
さて、と今日の練習に付き合ってくれた馬に次のニンジンをあげようとすると、隣の方からブルルッと声が聞こえてくる。
まるで、自分にも寄越せと言っているようだ。
「ああ、はいはい。お前にもあげるよ」
僕は手のひらの一本を食べさせてから、催促をしてきた馬の元へ移動する。
早く早くと前足を鳴らすのは、苛立っているというよりも甘えているように思えてならない。
「ほら、次はお前に頼むからな」
もはやねぎらいのニンジンではないが、おやつの前借りのようなものだろうか。
まあいいんだけど。
すると、今日の仕事を終えた馬以外にももらえると思ったのか、厩舎の中の他の馬も催促をし始めた。
「えええ〜、おまえたちもかよ」
王城の馬を借りて練習をしていたころ、一頭のみに決めずいろんな馬に乗せてもらっていたせいか、皆顔見知りのようなものだ。
なんで今日は自分じゃないのか、と文句を言われているような視線を感じるし、毎度みんなにおやつをねだられる。
わかってて多めに持っていっている僕も僕だ。
ちょっと嬉しくて、はいはいなんて言っているのは口だけ。
顔はニヤついて、首をぽんぽんと叩いてやる。
ああ、楽しい。
こいつらと楽しい時間を過ごせているだけでも、側近になれた甲斐があったってもんだ。
その頃、王太子の執務室ではクリストフとトビアスがやりとりをしていた。
「この案件はクラウスに頼むか」
何枚かの書類束をトビアスに渡したクリストフは、少し深めに腰掛けて背もたれに体を預けた。
「まだ戻っていませんよ」
「またか」
「ええ」
「いいなあ、俺も遠乗りしたい」
「これが済んだらいくらでも」
馬の扱いに慣れるよう厳命した手前、その鍛錬を咎めるわけにもいかない。
羨ましそうに漏らす主人に対し、トビアスは淡々と次の仕事を渡した。
「「……」」
無言で視線を交わすふたり。
「さっさと終わらすぞ」
「もちろんですよ」
しばらくして、王城の馬場を飛び出していく一向が確認されたのだった。




