マダムポタージュはスープがお好き
この人物を覚えていますか?
「マダム。今日もポタージュですか?」
「ええ、そうね。今日はなにかしら?」
「カボチャのポタージュでしたよ」
「あら嬉しい!大好物だわ」
数人の学生に声をかけられながら食堂の入り口をくぐる。
この学園の食堂は、学生だけでなく教師にも開放されており、自由に利用することができる。
寝食を蔑ろにしては、できるものもできなくなる、という国の方針によるものだ。
朝食から夕食まで利用することができ、持ち帰りのオーダーまでできる至れり尽くせりのサービス体制が整っていた。
私に声をかけた学生たちは「うふふ、やっぱりだわ」と楽しそうに笑いながら食堂を出て行った。
少し離れてもまだ声が聞こえている。
(楽しそうでなによりだわ)
揶揄われたことがわからないわけでないけれど、ちっとも気にならない。
だってこれから、今日のとびきりのポタージュをいただくのだから。
私はマダムポタージュ、ーーと皆に呼ばれている。
理由は食堂でポタージュばかり頼んでいるせいのようだ。
本名はもちろん別にあるけれど、私はこの呼び名をとても気に入っている。
(カボチャのポタージュと言っていたわ。本当かしら?だとしたら最高だわ)
心なしか胸を躍らせながら注文カウンターへ向かい声をかける。
「ごきげんよう」
「やあ、マダムポタージュ。今日もポタージュですか?」
「ええ、もちろんよ。今日は何かしら?」
「今日はカボチャですよ」
「まあ嬉しい!私の大好物なの」
「もちろん存じていますよ。バゲットもおつけしますね」
「ありがとう。いただくわ」
変わらぬやりとりに付き合ってくれる食堂のスタッフに感謝しつつ、カボチャのポタージュの乗ったトレーを受け取った。
(たまには外でいただこうかしら)
学園の食堂は、掃き出し窓から直接出たところにバルコニーがあった。
最近まで夏の日差しとあまりの暑さに利用するものがほとんどいなかったが、日差しよけの傘を設置しているので、お昼時の混雑時には利用するものも少なくない。
ちらほらとテーブルを囲む学生が見えて、ちょっといいなと思い立ち、誰もいないテーブルがいくつかあったので外へ出ることにした。
外に出ると、柔らかい風が頬を撫でた。
涼しいとはまだ言えないけれど、夏の暑さはだいぶ落ち着いてきたようだ。
学生たちから少し離れた位置のテーブルに腰を掛ける。
大きな傘の日差しよけの影に体がすっぽり入ると、少しだけ暑さが和らぐような気がする。
(また、季節が巡るのね……)
私は温かいうちに、と早速今日のポタージュをいただくことにした。
よく磨かれた銀のスプーンが黄色いスープにもったりと身を鎮める。
少量掬い上げて、こぼさないよう慎重に口に運んだ。
(焦ってはダメ。ゆっくり、ゆっくり……)
スッ
音を立てないようそっと啜り上げると、よく裏漉しされた甘くなめらかな液体が口の中を満たし、流れていった。
(ああ、やっぱり美味しい)
ポタージュといえばコーンスープが多いようだが、私はこのカボチャのポタージュがいちばん好き。
だって、亡き夫との思い出の味だから。
食べることは命の基本だ。
それがままならなくなった夫は、急激に痩せていった。
体を動かすことが好きな夫は騎士の職に誇りを持っていた。
大きな戦はなくとも、鍛錬だなんだと小さな傷をいくつも作って帰ってくる。
私はそれを少々の文句を言いながら介抱しては、背中を叩いて送り出した。
夫は毎日元気に家を出て、毎日元気に帰ってきた。
そんな夫が体を壊した。
ちょっと当たりどころが悪かった。
大した怪我ではないはずだった。
しかし、顎を怪我したことで、通常の食事がとれなくなった夫は液状のものしか口にできなくなった。
固形物を口にできなくなった夫のため、私は毎日スープを作った。
柔らかく煮て、何度も裏漉しをして作った最初のスープの感想は「美味しくない」だった。
急ぎ自分の口に運んだ私は衝撃を受けた。
こんなものを夫に食べさせようとしていたのか。
いつものスープをただ裏漉ししたものは、ドロドロとした何かでしかなく、味がぼやけたり、薄かったり、逆にクドすぎたりと到底美味しいなどと言えないものだった。
しかも顎の動かせない夫は液体を吸うことにすら体力を消耗するようだった。
毎日美味しい、美味しいと作るご飯を端から食べていた彼とは似ても似つかない状況に、目の端が滲んだ。
それからの私は研究の日々だった。
干し肉やきのこを徹底的に煮詰めて出汁を取ってみたり、ハーブを使うことで味に複雑さを足してみたり、バターを加えて口当たりをなめらかにしたり。
四六時中彼に付き添い、そっとスプーンを口に近づけるものの、ほんの少ししか口にできない。
思うように栄養が取れない日々が続き、目に見えて痩せ細った彼はそのまま帰らぬ人となった。
それからしばらくのことは、あまり記憶にない。
ある日、誰かが差し入れてくれたスープを口にした途端、涙が溢れた。
そう言えば、彼を見送ってはじめての涙だった。
現実味がなくて、それでもすべきことが多すぎて、泣いている暇すらなかった。
いいえ。
何を泣くのかがわからなかった。
頭が拒否をしていた。
涙が一雫、スープの中に落ちた。
私がふがいないせいで、彼は逝ってしまったのではないか?
もっとなにかできたんじゃないだろうか?
後悔の念が押し寄せるも、なにもかもが遅い。
ふと、彼の言葉を思い出した。
「ああ、うまい。これはうまい」
それはカボチャのポタージュに成功した日のことだった。
あれから、私は人の健康に関する学びを深め、養護教諭となった。
彼のように食事のままならない人に、どうしたら栄養を届けられるか研究し、飽きるほどにスープの飲み歩き、自分でもたくさんのスープを作った。
その研究成果は、一冊の本にまとめられ、まもなく店頭に並ぶ。
誰もが手に取ることができ、困った人たちの手に届くように。
私は器に残った一掬いを口に納め、味わうようにゆっくりと飲み込んだ。
「今日も、大変美味しゅうございました」
秋の近づく空は、どこまでも青く、遠くまで広がっていた。




