ローゼンベルクは今日も強火 (1)
ガタンッ
「なんだって?」
「それは本当か?」
「はい、間違いありません。確かにそう聞こえました」
「まさかお嬢様が……!」
「ああ、なんてことだ……」
崩れ落ちる使用人たち。
ひとりは膝をつき、またひとりは両手で顔を覆い天を仰ぐ。
頭を抱えて項垂れるものや、辛うじて椅子には腰掛けているものの、全身の力が抜けてひっかかっているだけの状態の者までいる。
あああ、と声にならない呻き声をあげるものや、ブツブツと小さくなにかを唱えている様子の者も。
ここはグランツフェルト王国建国三英雄の一翼、ローゼンベルク公爵家の厨房だ。
さきほど駆け込んできたヴァレッタ付きのメイドがもたらした情報によってそこに地獄絵図が広がった。
ローゼンベルクの愛され令嬢ヴァレッタ付きのメイドであるハンナは、厨房に駆け込むなり「お嬢様が!子爵になられるそうです!」と叫んだ。
子爵といえば、ローゼンベルク公爵が管理している爵位の一つにあったはずだった。
学園から帰るなり、公爵の執務室へ向かうというヴァレッタの荷物と上着を受け取り扉の前で姿を見送ったハンナは、部屋に戻ることなく、そのままその耳を扉へ寄せた。
そこで聞こえてきたのが、ローゼンベルク公爵に子爵位をねだるヴァレッタの声と、それを快諾する公爵の声だった。
その声を聞き取るや否や、すわ一大事と、なかなか部屋へ戻らないヴァレッタを探していた侍女のウルリケにヴァレッタの上着と荷物を預け、厨房へ駆け込んだのだった。
それを聞いた使用人たちの状態がこちらである。
うなだれ、身悶え、情報をもたらした達成感に鼻息荒く仁王立ちしたままのハンナ以外はみな正体をなくしているようだ。
死屍累々とはまさにこのこと、と言わんばかりの光景に、今し方厨房へ訪れたばかりの家令のコンラートは不思議そうな顔で声をかけた。
「何事です?」
それに応対したのは、血走った目で何かを呟いていた執事ルドルフ。
「何事?ではございませんよ、コンラート!お嬢様が子爵位をお受けになるとは本当ですか?」
「ああ、そのことですか」
その場の使用人すべてが衝撃を受け、それぞれが打ちひしがれているというのにどこ吹く風のコンラートを見やり、ルドルフは「信じられない!」と掴み掛かった。
「あなたはそれでいいのですか!?」
「ええ」
「お嬢様が子爵になってしまわれるのですよ!?」
「よろしいのではないかと」
「おのれえエエエ!コンラート!」
勢いのままに殴りかかるのではないかといったその時、「お?やっているな?」と言いながらまた一人厨房へ入ってくる者がいた。
熊を思わせるような大きな体に、艶やかで豊かな黒髪、にっかりと笑う目尻には深い笑い皺が刻まれ、体格そのままに大きな声で、わっはっはっはっと笑いながら厨房へ入ってきたのは、ローゼンベルクの主人その人だった。
「旦那様!」
主人の登場に慌てた使用人たちは、恥ずかしそうにしながら姿勢を正しはじめた。
その様子をにこやかに眺めながら厨房の中へ進み、使用人たちが食事をするときなどに使用している椅子にどっかりと腰をかけた。
「ウルリケがな、『またハンナが走った』というのでな。来てみればやはりなあ、お前たち、話半分に聞いているのではないか?」
厨房へ走ったハンナ本人は、なんのことやら?という顔で首を傾げる。
「話半分とはどういうことでしょうか?」
「おまえ、また聞き耳を立てていたそうだな」
「アッ、申し訳ございません」
「よいよい。ただし、もっとうまくやらんか。バレるようでは一人前にはまだ足りんぞ?」
「ハイ。精進します!」
本来であれば注意されるであろう行為を「もっとうまくやれ」と言う主人に、応える形の使用人の様子にふつうの人物であれば眉を顰めるところであろうが、ここローゼンベルクでは皆一様に頷き肯定の意を示す。
「それよりも、ハンナ。おまえ、みなに何を伝えた?」
「ハイ。ヴァレッタお嬢様が子爵位をお求めになり、旦那様がそれを許したと伝えました」
「ふむ。それ自体は間違いではない」
「では!!」
ハンナの情報に偽りがないことを知った使用人等は再びこの世の終わりのような表情で主人に詰め寄ろうとする。
「まあ待て。間違いではないが、ちと足りないようだ」
「足りないとは?」
「どういうことでしょうか?」
待てと言われて、待っているようで待てないのがローゼンベルク家の使用人。
必死の様相でじわりじわりと公爵の椅子との距離を詰めていく。
「ヴァレッタには学園卒業後、私が管理している子爵位を与えることとした」
それすなわち、ヴァレッタが学園卒業後にどこぞの馬の骨へ嫁入りをすることはなくなったものの、どこかのボンクラがローゼンベルク家の一員として、自分たちの主人格としてやってくるであろう未来をちらつかせる言葉だった。
これを聞いた時の使用人らは、大事なお嬢様が家を出ないことへの安心する者や、誰かと一緒になることはないかもしれないお嬢様の気持ちを慮って残念に思う者、不憫に思う者、気の毒に思う者と忙しかった。
「まだ確たるものではないがな、その先はヴァレッタの思うようにさせようと思っている」
主人の言葉を聞いても、己の嵐が収まらない使用人らは、その嵐が確定すると感じたのかそちらこちらで「ああああ」と声を上げ始めた。
それをにやにやと楽しげに眺めるローゼンベルク公爵は、使用人らの痴態を注意する気はないようだ。
むしろ、面白がっている気配すらある。
「屋敷を新たに用意したほうがいいかのお」
「あああああ!」
「つける使用人は新たに募ってみようかのお」
「ぐはあああ!」
「もしかしたら」の話で散々使用人に奇声を上げさせたローゼンベルク公爵は、愉快な使用人らに満足したのか、さて、と腰を上げて厨房を後にしようとした。
扉を出る直前に一言、とびきりの爆弾を落として。
「もしかしたら、誰か良い者を連れてくるやもしれんしなあ」
「んがあああああ!」
使用人らの様子を冷ややかな(に見える)様子で眺めるコンラートに後を任せ、公爵は退出していった。
そこに残るは、再びの地獄絵図。
ただひとり、公爵とヴァレッタ嬢のやりとりを目の前で見ていて事情を知るコンラートは、その後もたらされるであろう事態に、この者たちは次にどんな様子を見せてくれるのだろうと内心ほくそ笑んでいた。
その予想は、まさに翌日ヴァレッタが馬車に詰め込んで連れ帰った男の登場で実現するのだった。




