火焔天
艦橋には、焼けた鉄と海水のミネラル成分が入り混じった重苦しい空気が流れていた。
遠くの海面では炎上する艦艇が黒煙を噴き上げ、その向こうから新たな日本軍機が次々と姿を現している。
ハルゼーは双眼鏡を下ろし、もはや数えることすら意味を成さなくなった損害報告へ目を向ける。
旗艦の周囲には護衛艦が辛うじて隊形を維持しているものの、通信は途切れ、各艦から上がってくる報告も次第に減っていた。
「……結局、こうなるのかよ……!」
ハルゼーが吐き捨てるように呟いた、その瞬間だった。
艦橋の窓の向こうが、真昼の太陽を何十倍にもしたような白い光で覆い尽くされる。
誰かが叫ぶが、その声すら光の中へ飲み込まれ、艦橋も、海も、燃え続ける艦艇も、すべてが一瞬で白く塗り潰された。
1945年10月24日、アメリカ合衆国海軍は崩壊した。
残存する大西洋艦隊と太平洋艦隊を統合し、日本本土への直接攻撃を目指した米統合艦隊の突撃は、日本海軍による迎撃によって完膚なきまでに叩き潰された。
日本海軍の潜水艦隊は進撃する艦隊へ漸減攻撃を仕掛け、水雷戦隊と航空隊は通常兵器と核兵器を織り混ぜた波状攻撃を行い、接近してくる米艦艇を一隻ずつ海の底へ沈めていった。
米艦隊は甚大な損害を受けながらも、撤退という選択肢を採ることができなかった。
本国へ戻ることも、攻撃を中止することも許されないまま、残された艦艇はただ前進を続け、その進路の先で待ち構える日本海軍の布陣へと次々に突き進んでいく。
斯くして、かつて「漸減邀撃作戦」と呼ばれた構想は、ほぼ完全な形で現実となった。
米艦隊は無謀の代償を払いながら、尚も前進を続けた……続ける他なかった。
やがて艦隊は小笠原諸島付近まで到達するが、しかし、その時点での損失は既に限界へと達していた。
BC兵器を登載した最後の航空母艦が日本軍の核自爆型潜水艇の攻撃によって消滅した瞬間、米艦隊は日本本土に有効打を与える能力を事実上喪失。
残されたのは、軽巡洋艦、駆逐艦を中心とする水上艦艇だけだった。
あらゆる方向から攻撃を受けた残存艦艇は、互いに助け合うことさえ難しくなり、やがて隊形そのものが崩壊していく。
最後まで戦闘を続けた艦艇も損傷して速度を失った末に、夜陰に紛れて離脱しようとしたところを日本海軍の戦艦を含む水上部隊に捕捉される。
こうして、アメリカ合衆国が太平洋へ送り込めた最後の大艦隊は、海の上から一隻残らず姿を消した。
日本本土への攻撃は、失敗した。
そしてアメリカ海軍には、最早それをもう一度試みるだけの艦隊も、航空戦力も残されていなかった。
1945年10月20日~24日
日本軍の攻撃により重巡洋艦「ボストン」が大破沈没。
乗艦していた艦隊司令長官ウィリアム・フレデリック・ハルゼー・ジュニア大将は戦死と判断される。
翌日、昼。
製鉄で有名な都市、ピッツバーグ。
しかし、眼下に犇めく工場の煙突から上がる煙は、以前のそれの半分にも満たなかった。
戦争は終わっていない……にもかかわらず、工場はまともに動いていなかった。
鉄鋼を作るための原料が届かない、石炭の輸送が滞る、機械を修理する部品がない、そして何より…………働く人間そのものが足りない。
米本土各地の都市が相次いで攻撃を受け、物資の移動や金融決済が寸断される中、ピッツバーグの巨大な工業地帯は設備だけを残してゆっくりと息の根を止められつつあった。
それでも、動かせる炉だけは動かしていた。
こういった大規模な生産設備群は、一旦完全に止めてしまえば再稼働に多大な労力が発生する。
そう考えて、残った作業員たちは必要最低限の設備を維持し、細々と生産を続けていた。
そんな工場の片隅で、作業員の一人が工場の外へ出て、空を見上げる。
青空のど真ん中、白い線が伸びていた。
雲ではない……高空から落下してくる何かが、大気を引き裂きながら急速に降下してきていた。
────大気圏外から落下してきた弾頭は強烈な抵抗となる空気の中を極超音速で突き抜け、その周囲にはプラズマ化した大気がまとわりついている。
地上から見れば、それは何の前触れもなく、どんな飛行機よりも速い。
そしてあまりにも高い場所から現れたため、何処にも迎撃する手段など存在しなかった。
次の瞬間、空が一面白色になった。
ほぼ同時、ピッツバーグ上空の異なる5つの地点で、200kt級の弾頭が連続して炸裂する。
閃光が街を覆い、昼間の太陽さえ掻き消えた。
窓ガラスが一斉に砕ける。
工場の巨大な鉄骨が軋み、クレーンが揺れ、建物の壁面の塗装が一斉に蒸発し、塗料の蒸気に包まれた。
そこにあった人体は……言うまでもないだろう。
そして数秒遅れて、爆風。
街全体の空気が一斉に殴りつけられたように震え、工場地帯の建物が次々と崩れていく。
工場建屋の屋根が吹き飛び、煙突が根元から折れ、巨大な製鉄設備が瓦礫の海へ沈んでいく。
積み上げられていた資材は道路へ叩き散らされ、貨車は線路から転がり落ち、工場そのものが製鉄炉の中に叩き込まれたかのように赤熱の中に消えていった。
五つの巨大な火球は急速に膨張した後その身を黒煙に変じさせ、互いに衝撃波をぶつけ合いながらピッツバーグの空を覆い始める。
1945年10月25日
ペンシルベニア州ピッツバーグ上空でMRV型ICBM(弾頭出力200kt、弾頭数5)が炸裂。
死傷者数不明。
五大湖工業地帯を支える一角である、ここオハイオ州クリーブランドの人々は、未だ街に残っていた。
幾つもの大都市が消えていってるという報せは届いていたが、それを聞いたからといって全てを捨てて逃げ出せるわけではない。
逃げようにも予備の食料や燃料は乏しく、鉄道は正常に動いていない。
そんな街に遥か上空から白い光が数本、垂直に近い角度で落ちてくる。
昼間の街が、一瞬だけ白一色の世界へ変わる。
窓は砕け壁面が引き裂かれ、道路を走っていた自動車が次々と横転する。
湖畔から市街地へ吹き込んだ衝撃波は、建物の内部まで侵入し、人々を地面へ叩きつけていく。
工場の屋根が大きくめくれ上がり、鉄骨が引き千切られ、倉庫が在庫ごと自然発火した炎を噴き上げながら崩れていく。
クリーブランドの工業地帯も既に本来の力を失ってはいたが、それでもなけなしの余力を振り絞りながら機械を動かしていた。
僅かな鉄鋼を作り、僅かな機械を修理し、僅かな物資を送り出すために。
その“僅かな生産”すら、五つの火球によって今この瞬間に消し飛ばされた。
鉄道施設が瓦礫に埋まり、貨物車両が吹き飛ばされていく。
積み上げられていた資材が崩れ、巨大な機械設備が床ごと剥ぎ取られる。
発展途上故の若さが湛える活気ある工業都市の景観が、一瞬の時間のうちに炎と粉塵まみれる廃墟へと変わっていった。
都市の基盤が業火と放射能の海に沈んだ事実が理解されたとき、クリーブランドに残っていた僅かな日常もまた、崩壊した。
人々は家を飛び出しながら避難先を探し、車を奪い合い、北へ、南へ、どちらにせよ街から離れる方向へ走り出す。
しかし、その中にどこへ逃げればいいのかを知っている者はいなかった。
1945年10月26日
オハイオ州クリーブランド上空でMRV型ICBM(弾頭出力200kt、弾頭数5)が炸裂。
死傷者数不明。
ミズーリ州セントルイス。
そこは、アメリカの中央に位置する大都市だった。
東にはミシシッピ川を挟んでイリノイ州、ひいては東海岸諸都市へ道が続いている。
西へ向かえばカンザスシティを玄関口とし、大農業地域であるグレートプレーンズ。
そして南に向かえば、油田地帯である南部地域が広がる。
北から南へ流れる長大な河川、そして東西へ伸びる鉄道網が交差しているここセントルイスは、シカゴが機能不全に陥った今こそアメリカ大陸の物流を支える巨大な結節点として期待されていた。
鉄道駅には貨物列車が入り、また別の列車が西へ東へ向かって出ていく。
川には艀が並び、石炭や穀物、鉄鋼、工業製品を積んだ船が上下流へ向かう。
その全てを、巨大な衝撃波が消し飛ばした。
鉄道駅の窓が一斉に砕け、貨物列車が次々と横転していく。
倉庫や埠頭が吹き飛び、岸壁に並んでいた艀は荷役の男達と一緒に炎に包まれた。
どす黒いきのこ雲が立ち上る中、オレンジ色の炎が映える川面に、幾分か焼け焦げた服と身体を引きずる者達が水飛沫を上げて落ちていく。
十、百、それ以上………生ける屍達の呻き声は幾重にも重なり、最期には弾ける水音と共に途切れていった。
1945年10月27日
ミズーリ州セントルイス上空でMRV型ICBM(弾頭出力200kt、弾頭数5)が炸裂。
死傷者数不明。
都市が破壊されるたび、その外側へ人が流れ出した。
車を持つ者は車で、持たない者は徒歩で……家族を連れて郊外へ向かい、さらにその先にある農村へ向かった。
確固たる目標の存在しない田舎こそが、日本の攻撃を免れる唯一の場所だと考えた者が多かったからである。
しかし、持てる物しか持っていけない逃避行は、やがて何も持たぬ困窮した者を大量に生み出すこととなる。
そして……その困窮した者はあまりにも増えすぎた。
教会、学校、空き家、納屋、町役場──使える場所には人が溢れ、食料の配給をめぐって争いが起きる。
仕事を求める人間も増え、もともと少なかった雇用を巡って地元住民との摩擦も生まれた。
最初は、地元の人々も同情していた。
自分たちと同じアメリカ人が住んでいた土地を焼かれ、街を追われてここまで逃げてきたのだ。
しかし、日が経つにつれて、その感情は変わっていった。
「これ以上余所者が増えたら、俺たちの食料までなくなるぞ」
そんな声が出始める。
やがて、農家や商店主を中心に男たちが集まり始めた。
彼らは物置から猟銃を持ち出し、古い拳銃を整備し、町の入り口に見張りを立てた。
それは、純粋な余所者への警戒心の発露だった。
だが避難民側からすれば、自分たちを締め出すための武装集団にしか見えない。
道路の向こう側に銃を持った地元住民が立っている。
その手前には、都市から逃れてきた人々がいる。
誰も撃ってはいない……それでも、双方の視線は互いの腰にある銃へ向けられていた。
ある夜、オハイオ州の農場で納屋の錠が静かに外され、数人の男が中へ入り込んだ。
小麦粉、缶詰、ジャガイモ、保存用の肉、家畜の飼料まで、目についたものを次々と袋へ詰めていく。
彼ら避難民は、数日前まで都市で普通に暮らしていたが、家を失い、仕事を失い、もはや日々の糧を得る手段を持たなかった。
そのとき、背後で床板が鳴った。
そこに立っていたのは農家の主人、手には猟銃が握られていた。
男たちは一斉に振り返り、動きを止める。
短い沈黙のあと、農家の主人が低い声で言った。
「それを置け」
男たちは数秒間動かなかったが………破れかぶれか、一人が懐から拳銃を抜いた。
銃声が納屋の中で炸裂する。
猟銃が火を噴き、拳銃が応じる。
狭い納屋の中で銃声が何度も反響し、壁に掛けられた農具が揺れ、積み上げられていた袋が弾けて粉塵を撒き散らした。
翌日、十人を超える避難民が徒党を組み、郊外の農場へ押しかけた。
家畜を連れ出し、穀物を袋へ詰め、保存食を車へ積み込む。
止めようとした農家の家族は押し退けられ、納屋の扉は蹴破られた。
「このまま飢えて死ぬくらいなら!」
被害は農場だけに収まらない。
避難民たちは近隣の小さな町へ流れ込み、食料品店や雑貨店の前に集まった。
店主が営業を続けようとしても、棚の商品はすぐに無くなる。
店の扉が破られ、棚が倒され、缶詰やパンが奪われる。
保安官が駆けつけても、相手が数十人、数百人となれば抑え込むことは難しい。
しかも保安官自身も燃料と弾薬を十分に確保できず、州や連邦警察からの支援も期待できなくなっていた。
町の人間は、店の前に立ってそれを眺めるしかなかった。
そうして日が暮れる頃、町の外れに集まっていた避難民たちの前へ、一台、また一台と車が現れた。
荷台には農家の男たちが乗っていた。
猟銃、散弾銃、古い軍用小銃、拳銃………それぞれが持っている武器は統一されていなかったが、人数だけは多かった。
農場を襲われた者、店を荒らされた者、家を奪われた者、そして自分たちの家族を守るために集まった地元の住民たちが、互いに声を掛け合いながら町へ入ってくる。
避難民の側も、それを黙って見てはいなかった。
銃を持った者がいることに気づくと、何人かが車の陰へ身を隠し、拳銃や猟銃を取り出した。
道路を挟んで、二つの集団が向かい合う。
誰かが怒鳴った。
「ここから出ていけ!」
別の場所から声が返る。
「俺たちには行く場所がない!」
それ以上、言葉は続かなかった。
一発の銃声、誰が撃ったのかは分からない。
だが、それを合図にするように、道路の両側から一斉に銃火が噴き出した。
猟銃の鈍い音に小銃の乾いた音が重なり、町外れの空に激しく響き渡る。
フロントガラスは砕けボンネットに弾痕が刻まれ、道路脇の木の枝が弾け飛ぶ。
避難民たちは車や建物の陰へ身を隠しながら撃ち返す。
農家側も道路脇の土手や荷車の陰から応戦し、散弾銃の発砲音が何度も夜の町へ響いた。
そこに軍隊のような指揮系統はなかった。
誰も全体を把握しておらず、誰が撃たれたのかも、誰が撃っているのかも分からない。
それでも、恐怖と怒りだけは双方に共通していた。
「撃つな!」
そう叫ぶ者がいたが、その声は無秩序な銃声に掻き消された。
「押し潰せ!」
誰かが叫ぶ。
弾幕の中を進む男達の中に、国旗を掲げた部隊はいない。
あるのは、自分たちの家族と土地、そして生活を守ろうとする人間達だけだった。
誰が勝ったかは分からない。
ただ、これで互いに一線を越えてしまったことだけは、全員が理解していた。
翌朝になれば、この噂は周囲の農村へ広がるだろう。
「避難民が農家を襲った」
「地元民が避難民を撃った」
どちらの話も、聞く人間によって少しずつ形を変える。
そして、その噂を聞いた別の町では、また新しい男たちが銃を手に取る。
都市を焼いた爆発は、田舎には届いていない。
しかし爆発によって生じた火災は、人の流れそのものを導火線にして、アメリカの至るところに燃え広がろうとしていた。
大統領保養地の一室は、重い沈黙に包まれていた。
机の上には、ここ数日の報告書が積み重なっている。
海軍戦力は消滅し、ピッツバーグ、クリーブランド、そしてセントルイスが立て続けに崩壊。
たった三日の間に、アメリカに残存する工業地帯と交通網を支えていた都市が相次いで消失した。
日本は、アメリカが戦争を続ける為……いや、国家を維持する為に必要なものを一つずつ潰しにきている。
トルーマンは報告書から顔を上げた。
向かい側には、リーヒ、マーシャルをはじめとする軍・政府関係者が座っている。
誰も、先ほどからほとんど身動きをしていなかった。
やがてトルーマンが、静かに口を開いく。
「では諸君……まだ、何か手はあるかね?」
返事はなかった。
リーヒは机上の資料へ視線を落としたまま動かず、マーシャルも腕を組んで沈黙している。
以前なら、この問いに対して何人もの軍人、閣僚が案を出しただろう。
新兵器の開発か、新たな方面への展開か……しかし、今は違った。
それらを実行するための物資や人員、そして時間が、アメリカには残されていない。
トルーマンはしばらく全員の顔を見渡していたが、やがて視線を落とした。
「……これまで、だろうな」
それは誰かへ話しかけたものではなく、自分自身へ言い聞かせるような声だった。
「日本本土には、手が届かない」
仮にアメリカが、どうにかして一発の原子爆弾を日本へ落とせたとしても、それだけで戦争が終わる事はないだろう。
むしろ、その一発を撃ち込んだ瞬間に日本から報復が飛んで来る。
十発か、あるいはそれ以上。
「一発を叩き込む為に全力を使ったとしても……日本は、それを何倍にもして返してくる」
室内が静まり返る中で、トルーマンは続けた。
「海軍は既に無く、使える航空基地も減っている。本土の都市は次々と破壊され、そして、頼みの綱の新兵器は……未だ机上の空論に過ぎない」
北米大陸のどこからでも日本本土へ到達する超大型のロケット兵器。
航空機より速く、絶対に迎撃されない投射手段。
それが完成さえすれば、日本の優位を崩せるかもしれない。
しかし、研究開発に必要な資材が手に入らない現状では、研究を続けることそのものが困難になっていた。
「………完成する頃には、アメリカ人は既に絶滅しているだろう」
窓の外には、国立公園の大自然が広がっている。
ここだけを見れば、戦争など起きていないようだった。
しかし、その穏やかな景色の外側では、アメリカという国家そのものが崩壊を始めていた。
都市は放棄され、田舎は内紛で疲弊していく。
そして、その上空を日本のロケット兵器が自由に飛び越えてやって来る。
トルーマンは椅子へ深く身体を預けた。
「……最早、選択肢は無い」
その言葉を口にしてから、しばらく沈黙する。
やがて彼は顔を上げた。
その表情には、怒りも焦燥もほとんど残っていなかった。
残っていたのは、何かが抜け落ちたような、一人の老人の顔だった。
「我々は、降伏勧告を………受諾する」
それは、十月の穏やかな午後だった。




