七、八、九、十の嚢
1945年8月15日 オーストラリア
ダーウィン
乾いた大陸の空は、目に焼き付くような青さに覆われていた。
南半球は冬となる8月だが、年間平均気温が25度を超える赤道近いこの地域では、心地よい夏日となっていた。
滑走路の上に陽炎が揺らめき、その向こうに並ぶ機体の影すら歪んで見えるほどの熱気が地面から立ち上っている。
…………しかし、基地全体を覆う空気は暑さとは別種の張り詰めた緊張に満ちており、誰もがただ事ではない事態が迫っていることを肌で感じていた。
臨時司令部の内部では、地図や報告書が無秩序に広げられた机の上に汗が落ちそうになるほどの圧迫感の中で、ついに抑えきれなくなった怒声が空気を切り裂いた。
「────英海軍はどうした!」
机を叩きつける鈍い音が壁に反響し、その中心に立つかっちりと軍服を着込んだ将官…………カーチス・ルメイの視線は、報告を持ち込んだ将校を鋭く射抜いていたが、その怒りは単なる感情ではなく、戦況全体を一瞬で見通したうえでの苛立ちであることが明らかだった。
「日本艦隊が南下しているんだぞ!今、まさに!連中は何をしている!」
報告将校は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、それでも何とか声を絞り出し、事実だけを並べるしかなかった。
「……英艦隊は、現在シドニーを出撃し北上中です」
その一言を聞いた瞬間、ルメイの表情は明らかに変わり、怒りはむしろ冷えた形に転じていった。
「シドニーだと?」
吐き捨てるような声は低く、しかしその中に含まれる軽蔑は隠しようがなかった。
「ここはダーウィンだぞ、距離を計算したことがあるのか」
誰も答えないまま、室内の空気だけが重く沈み込む。
「イギリスは、この段階で日本軍が攻勢に出る事を想定しておらず───」
「間に合うのかと聞いている!」
「……現状では、ダーウィン到達前の阻止は困難と思われます……」
その返答を聞いた瞬間、ルメイは短く息を吐き、次いで喉の奥で笑うような音を立てたが、それは決して愉快さから来るものではなく、むしろ呆れと確信が混ざり合った乾いた反応だった。
「結構だ」
一言で切り捨てると同時に、彼はゆっくりと視線を机上の地図へと落とし、その上に広がる北オーストラリアから東岸地域にかけての配置を頭の中で再構成し始める。
「まったく結構だな、英国紳士の余裕と言う訳か!」
その言葉に誰も反応できず、ただ沈黙だけがその場に残ったが、ルメイ自身はすでに怒りを吐き出し終えており、思考は次の段階へと移行していた。
彼の視線はダーウィンに固定され、そこから北へ、さらに南へと滑るように移動し、やがて一つの結論に収束していく。
「……仕方あるまい」
低く呟かれたその言葉に、もはや怒りはない。
顔を上げたルメイの目は、完全に冷静さを取り戻しており、そこに迷いの色はなかった。
将校たちはその変化を敏感に感じ取り、誰もが次に発せられる命令を待つ姿勢へと移っていく。
「日本艦隊の目的は明白だ、この基地を叩いて航空戦力を潰し、更なる原爆投下を阻止することだろう」
否定の声は上がらず、むしろその推測が最も妥当であることが、場の全員に共通の認識として共有されていた。
ルメイは指先で地図を叩き、現在地を示す。
「つまりだ、ここは数時間後に攻撃を受ける」
そして、その指はゆっくりと南東へと滑った。
「よって、我が爆撃集団はタウンズビルに退避する」
その命令に、何人かの将校が思わず顔を上げるが、それが意味するところは明白だった。
「……タウンズビル、ですか」
「そうだ」
即答だ。
ダーウィンから東に1800kmに位置するタウンズビルの航空基地は、新型爆撃機による日本本土攻撃が決定された時から、その運用基地として拡張工事が施されたダーウィンに次ぐ第二の基地であった。
「B-36は、現状オーストラリアから日本本土に届く唯一の爆撃機だ。むざむざ失う訳にはいかん」
その言葉の意味を理解した者たちは、無意識に滑走路の方角へと意識を向ける。
そこには、従来の機体とは明らかに異なる、長大な機体が並んでいる。
「あれは虎の子だ、こんなところで日本人どもの餌にしてたまるか」
一拍の間も置かず、次の指示が続く。
「準備を始めろ、今、直ぐにだ!」
命令はすぐに伝達され、外では整備員たちが走り始め、燃料車が動き、滑走路には慌ただしさが満ちていく。
彼の視線の先では、爆装した英空軍と米陸軍の航空隊が長大な滑走路から次々と飛び立っていくのが見えていた。
同日 数時間後
ダーウィン基地から出撃した連合国軍航空隊は壊滅。
ダーウィン市街および航空基地は、複数発の核砲弾によって完全に崩壊した。
1945年8月20日 ビスマルク海
赤道直下の海上の空は、どこまでも澄み渡っていた。
その青さはむしろ不気味なほどに静かで、海面に映る雲の影がゆっくりと流れているだけの穏やかな光景の中……やがて、それを引き裂くように航空機の機影が空高く進入してきた。
飛来した英軍の艦載偵察機は、雲の縁をかすめるように高度を保ちながら、広大な海面を丹念に舐めるように捜索している。
彼は既に、ただの哨戒では終わらない何かを直感しており、視線の一つ一つに過剰なほどの集中力が込められていた。
やがて、パイロットがわずかに身を乗り出す。
「あれは………」
空気が張り詰める。
視線の先、雲の裂け目の向こうに、規則正しく並ぶ影があった。
「……艦隊」
その声は低く、しかしはっきりしていた。
高度を維持したまま機体はわずかに旋回し、視界を調整する。
そして、眼下の艦隊の全貌が露わになる。
日本海軍、雲龍型航空母艦が1隻と、金剛型戦艦が1隻。加えて、それらを取り巻く護衛艦群。
数は多くない。
とはいえその配置は無駄がなく、明確な戦闘隊形を維持している。
「間違いない……日本艦隊だ」
そして、緊張に乾いた喉で無線を握った。
────その報は、すぐさま英太平洋艦隊へと届いた。
洋上に展開する英国艦隊は、すでに戦闘配置に近い状態へと移行しており、波間に並ぶ艦影達は“迎え撃つ側”の構えを見せていた。
英太平洋艦隊、戦艦2隻、空母4隻。
それは、確認された日本艦隊に対して明確な優勢を誇る戦力であり、通常であれば勝敗はほぼ決しているはずの布陣だったが、この場にいる誰一人として、楽観している者はいなかった。
西太平洋、ニューヨーク、そしてモスクワ。
常識の外側で進行する戦争が現実のものとなっている以上、数の優劣は既に絶対的な保証ではない。
旗艦の司令部で、報告を受けた男………艦隊司令長官フィリップ・ルイス・ヴィアンは、わずかに目を細めた。
何か、悪い予感がする。
しかし、退くという選択肢は無い。結論は一つだった。
「────攻撃隊を出せ」
声は静かだったが、その場にいる全員にとっては、あまりにも明確な開始の合図だった。
「全ての空母から、第一次攻撃隊を上げろ。密集していたら例の新型爆弾の餌食になるやもしれない、多方向から攻撃せよ」
命令は即座に伝達される。
甲板では、すでに待機していた機体が一斉に動き出していた。
プロペラが回転を始め、風を巻き上げ、やがてそれが轟音となって空気を震わせる。
整備員たちが最後の確認を終え、手を振り、機体を送り出す。
一機、また一機と、艦載機が甲板を滑走し、空へと飛び立っていく。
バラバラと散会した航空機の群れは、やがて指示されたポイントへ殺到していき、最終的に一点へと集まる。
日本艦隊………そこへ向かって、すべてが収束していく。
数十分後 海上
プロペラの振動が、機体全体を細かく揺らし続けていた。
その一定のリズムはむしろ乗員たちの神経を研ぎ澄まし、単調な飛行の中に潜む異常を敏感に拾い上げるための薬のように働いていた。
英空母から飛び立った攻撃隊、その一角を担うTBMアベンジャーの機群は、編隊を維持したまま高度を保ち、水平線の向こうにあるはずの敵艦隊へと一直線に進んでいた。
機内に満ちる空気は静かでありながらも、決して落ち着いているわけではなく、むしろ全員が同時に息を潜めているような張り詰めた緊張に支配されていた。
「……もうすぐか」
操縦士が前方を睨みながら呟くと、後席の乗員が双眼鏡を構えたまま小さく応じる。
「この距離なら、そろそろ……見えた」
戦艦1隻と空母1隻を中核に構成された機動部隊、決して逃してはならない敵。
視界の先に日本艦隊を捉えた彼らは、編隊を維持したまま徐々に降下していく。
………そして、雲の薄い層を抜けた瞬間、視界が一気に開ける。
その時、何かが光った。
それは閃光というにはあまりにも強烈で、視界そのものを一瞬で塗り潰すような白が、空の一点で膨張した。
「────な、何だっ!?」
次の瞬間、光は強烈に爆ぜた。
衝撃波。
空気そのものが叩きつけられるように歪み、機体が横殴りに弾かれる。
「うわーーーーっ!!」
「畜生っ!!!」
操縦桿を必死に押さえつける。
台風を何十倍にも酷くしたかのような乱流を気合いで耐え、とにかく機体の姿勢を保つことだけを考える。
その、短くも永遠を感じる数秒間を耐え抜いた後、何が起こったのか辺りを見回す。
「………嘘だろ…………」
自分達とは別角度から突入していた友軍機編隊。
ほんの数秒前まで、確かにそこに存在していた機影が────消えていた。
部隊ごと、消失していた。
「やられたのか……?」
誰かが、信じられないというように呟く。
空に舞う、かつては航空機であっただろうモノの残骸。
何らかの巨大な力で戯れの如くバラバラにされた破片。
その事実が理解に追いつく前に、次の現実が襲いかかる。
「敵戦闘機!」
鋭い叫びと同時に、上空から影が突っ込んでくる。
日本軍の迎撃機。
速度を乗せたまま、編隊へと斜めに切り込んでくるその動きは、明らかに此方を狙っているものだった。
「回避!回避しろ!」
編隊が一斉に崩れ、それぞれが回避と生存のために機体を振り回す。
機銃が火を噴き、曳光弾が空を切り裂く。
「後ろにつかれてる!」
銃手が叫びながらトリガーを引き続け、背後に迫る影に向かって弾をばら撒くが、相手は巧みに軌道を変え、死角へと滑り込もうとする。
「仕方ない!このまま敵艦隊の懐に飛び込む!!」
操縦士は機首を一気に下げる。
後方では、味方機が炎を引いて落ちていくのが見えた。
その時だった。
敵駆逐艦から、白煙を曳く何らかのもの───大型のロケット弾が空へ向けて射出された。
そのロケット弾は自分達から見て正面側、つまり日本艦隊を挟んで丁度反対側に飛翔していき……次の瞬間、つい今しがた起こった強烈な閃光が再び煌めき、そこに居た友軍機を根刮ぎ消滅させる。
「そんなのアリかよ……」
だが、もう引けない。
「うろたえるな!爆撃コースに入るぞ!」
駆逐艦から対空砲火が上がり、黒い炸裂が空に無数の花を咲かせる。
その中へ、機体は突っ込んでいく。
「よーし…そのまま…そのまま……!」
機体が震え、破片が機体を叩く音が断続的に響く。
「……今だ!」
空母の真上へ到達し、爆弾倉を解放する。
「投下!」
抱えていた2000ポンド爆弾が切り離され、下へと落ちていった。
たが、その軌跡を追う余裕はない。
「うおおおっ!」
なおも機銃弾が飛び交っている中、操縦桿を引き、機体を無理やり上昇させる。
目まぐるしく変わる角度。
視界一杯に写っていた海面が下に流れ、空の青色に向かって上昇する。
「──命中!敵の空母が火を噴いてる!」
後方で銃手が歓喜の声を挙げた。
しかし、彼らに成果の余韻を感じる暇は無く、操縦士は激しい対空砲火が当たらないように祈りながら、乗機の速度を上げるのであった。
同時刻 イギリス太平洋艦隊上空
攻撃隊を送り出した後、英太平洋艦隊の各艦は対空戦闘配置を維持したまま、見えない脅威に対して神経を張り詰め続けていた。
空母の甲板では次の発進準備が進められ、戦艦の甲板では対空砲員たちが空を睨み続けているが、その視線の先には、まだ明確な敵影はない。
そうした緊張の時間は過ぎていき、やがて──
「上空に機影!」
見張りの声が響いた瞬間、複数の双眼鏡が一斉に同じ方向へ向けられる。
だが、そこに見えるのは、点にも満たないほどの微細な影だけだった。
………高い、高高度だ。
「……あの高度で、何をするつもりだ」
誰かが呟いたその疑問は、次の瞬間に裏切られる。
「来るぞ!」
直後、その機影から何かが切り離され、まっすぐに艦隊へと落下してきた。
「水平爆撃……たかが1機、1発で何故そんな事を………いや、違う……!!」
次の瞬間、海面近くでそれが炸裂する。
閃光。
そして、遅れて押し寄せる衝撃。
通常の爆発とは明らかに違う、大気そのものが膨張し、叩きつけられるように広がる爆発。
「うわあああーーーーっっ!」
至近距離でそれを受けた巡洋艦の一隻が、まるで見えない拳に殴りつけられたかのように横倒しに傾く。
そのまま復元することなく、船体から黒煙を噴き上げながら動きを止める。
「……一撃で……?」
呆然とした声が漏れる。
しかし、それを理解する暇すら与えられない。
「北側!新たな機影!!」
今度は、海面すれすれを滑るように接近してくる影があった。
日本軍の艦載機、その数は決して多いとは言えず、むしろ少ない。
だが…………その動きには迷いがなく、対空砲火を恐れていないかのように真っ直ぐ進入してくる。
「撃て! 撃て!」
対空砲が火を噴く。
曳光弾が空を埋め尽くし、砲火の壁が形成される。
だが………その壁の外側で、日本軍機は一気に機首を上げた。
「……何を────」
次の瞬間、機体下面から噴炎が迸る。
ロケット弾…………それも、通常のものより遥かに長射程の。
数キロ先から放たれたそれは、対空砲火の有効範囲外から一直線に飛来し、回避の余地もなく艦の至近へと到達する。
「まずい!伏せろ───!!」
空母の一隻、その甲板中央付近で閃光が弾けた。
空母HMSヴィクトリアスおよびインドミタブル、至近距離で核弾頭型ロケット弾(推定核出力2kt)が炸裂し大破。後に放棄される。
閃光。
一瞬遅れて、甲板上の航空機が吹き飛び、燃料と弾薬に引火し、炎が一気に広がった。
だが、それだけでは終わらない。
強烈な放射線は薄い鋼板を貫き、内部へと浸透するように広がって防護されていない人員を一斉に殺傷する。
空母HMSフォーミダブル及びイラストリアス、側面で炸裂した核弾頭ロケットの衝撃波を受けて大破炎上、後に放棄される。
フォーミダブルに乗艦していた艦隊司令長官フィリップ・ルイス・ヴィアンは作戦行動中行方不明となる。
「……これが、新型爆弾の威力……なのか…?」
信じられないものを見た時の声。
だが、28000トンの空母が巨大な松明に成り果てている光景は紛れもない現実だった。
「次、来るぞ!」
別の艦でも、同様の閃光が走る。
今度は戦艦………装甲に守られたはずの巨艦がその一撃で沈黙させられ、続いて全体から煙と炎を噴き出す。
戦艦HMSキング・ジョージ五世およびハウ、艦直上で投下型核爆弾(推定核出力150kt)が炸裂し、大破炎上。後に放棄される。
「そんな馬鹿な……!」
幸運にも未だに生き残っている誰かの叫びは、爆音にかき消された。
「……こんなもの、どう防げというんだ……」
呟きは、誰にも答えられない問いとなって消える。
海上には、まだ沈んではいないが、明らかに戦闘能力を失った艦が増えていく。
炎を上げる空母、動きを止めた駆逐艦、そして……沈黙した戦艦。
────而して、地獄の饗宴は、まだ始まったばかりだった。
1945年8月23日 タウンズビル
タウンズビルの航空基地は、ダーウィンとは違う種類の緊張に包まれていた。
退避してきた機体と人員が急ごしらえの設備の中で動き続ける一方で、誰もが次に何が起きるのかを掴めないまま、ただ時間だけが不自然に引き延ばされているかのような感覚に囚われていた。
滑走路の脇に並ぶ長大な新型爆撃機……B-36は、コンクリートに巨大な影を落としたまま沈黙しており、その存在そのものが切り札であると同時に、ここで失えばすべてが終わるという重圧を周囲に与えている。
仮設された司令部の中で、カーチス・ルメイは腕を組んだまま報告を待っていた。
その姿勢は静止しているようでいて、頭の中では複数の可能性が高速で検討され続けている。
扉が開き、連絡将校が駆け込んでくる。
「報告です、英艦隊についての………情報が入りました」
ルメイは視線だけで続きを促す。
「英艦隊は、ビスマルク海を南下していた日本艦隊を発見。これに対して大打撃を与え、日本艦隊を撤退に追い込む……ただし──」
一瞬、言葉が詰まる。
「……英艦隊は、壊滅状態です」
沈黙、だが、驚きは思ったより少ない。
むしろ、どこかで予測していた結果だった。
しかし、その“交換条件”の重さは、言葉として突きつけられることで、初めて現実としての質量を持つ。
ルメイはゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
小さく呟く。
「英国紳士も、言葉だけの存在ではないようだな……」
誰も言葉を返さない。
数で勝りながらも新兵器に叩き潰され、それでもなお敵に打撃を与えて退かせた。
その事実は、素直に称賛されるべきだろう。だが………
ルメイの視線は、すでに次へと向いていた。
「で、此方の海軍戦力はどれくらい残っているんだ?」
「……現状、西太平洋地域における連合国軍海上戦力は……事実上存在しません」
その答えに、ルメイはわずかに目を細める。
「だろうな」
あまりにも当然のように言い切る。
米太平洋艦隊の残存戦力が本土西海岸の封鎖に全力を挙げている今、英太平洋艦隊はこの地域において最後の有力な海上戦力だった。
「つまり、次に来るものを止める手段はない、ということだ」
誰も否定できない。
海は失われ、空も優位とは言えない。
そして───
「……オーストラリアで、これを運用できる場所はここだけだ」
視線が、再び外へ向く。
並ぶB-36と長大な滑走路、これまで登場した航空機の中で最高級の整備能力を必要とする巨躯。
この基地だけが、辛うじてそれを支えられる。
「ここを叩かれたら終わりだ」
言葉は淡々としている。
「しかし、それを防ぐ手段は無い……一度、本国へ引くか……?」
将校の一人がわずかに息を呑む。
それは撤退を意味する。
つまり、オーストラリアの前線……日本へ直接攻撃する手段の放棄。
「敵が次の一手を打つ前に、距離を取るには……それしかないだろう」
その時だった。
再び、扉が開く。
今度は、明らかに様子が違った。
駆け込んできた者の顔は、明らかに血の気が引いている。
「非常事態です!」
声が上擦る。
「沖合いに──日本海軍とおぼしき艦を確認!」
ルメイの目が鋭く細まる。
「なんだと……!」
言葉が途切れるその一瞬、誰もが同じことを考えた。
速すぎる。
撤退したはずの日本艦隊。
別の艦隊が後方に待機していたのか、それとも、健在な艦だけを抽出し突撃してきたのか。
「艦種は!」
「戦艦1、恐らく金剛型と推定────」
その言葉が発せられた、まさにその瞬間だった。
世界が、白に塗り潰された。
1945年8月23日
タウンズビル上空で複数発の核砲弾(推定核出力40kt)が炸裂。
同地の航空基地が壊滅し、第21爆撃集団司令官カーチス・ルメイが死亡。
軍人・民間人死傷者数は推定4万人。
キノコ雲。
それは空を押し上げるように膨張しながら、内側に渦巻く煙と光を抱え込んでいた。
その足元では都市の輪郭が歪み、崩れ、炎と衝撃の中に沈み込んでいくのが遠目にもはっきりと見て取れた。
タウンズビル市街地は、もはや街としての形を保っておらず、建造物は押し潰されるように崩れ、あるいは基礎ごと吹き飛ばされ、そこにあったはずの生活は一瞬で塗り潰されていた。
遅れて届く衝撃波が海面を叩き、巨大なうねりとなって外へと広がっていく。
その外縁。
まだ波が完全には届いていない静かな水面の上に、一隻の船が、孤独に佇んでいた。
金剛型戦艦3番艦──『榛名』
幾多の戦功を挙げた金剛型戦艦の一隻であるその艦は、もはや出撃時の威容を保ってはいなかった。
上部構造には黒く焼けた痕が刻まれ、対空機銃のいくつかは歪み、砲塔の一部には被弾の跡が残っている。
艦体の各所からは、細く煙が立ち上っていた。
それでも……………主砲は尚も敵方を向き、艦首はわずかな揺らぎも見せずに進路を維持している。
まるで、その背後に広がる破壊など意にも介さぬかの如く。
キノコ雲は未だ膨張を続け、榛名もまた南へと進路を取り、ゆっくりと動き出した。




