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香武庁  作者: かんから
軍事政権の時代
25/29

日清日露戦争

 復興した香武かんむ庁、実際は十和田とわだ元雪もとゆき率いる軍事政権は、国会とは別に”国軍協議会”を設置。各県の軍隊の代表者が一挙につどい、日本国の将来を話し合う機関だ。国会より上位に置かれ、軍事政権の様相を現した。同時に国民の言論も監視され、軍事政権に刃向う者は容赦なく監獄へと入れる。


 一方で国民を心服させるためには武威を示すことが重要と考えた。諸外国に目を向けると、翌年の1894年に隣国朝鮮で甲午農民戦争が勃発。李氏朝鮮は宗主国の清国へ助けを求めた。そこへ無理やり日本も介入する。


 朝鮮はまさか南からやってくる軍隊があるとも知らず、日本軍は連戦連勝。清国軍がやってくる前に京城(ソウル)を占拠してしまった。立場をつぶされた清国は、日本に宣戦布告。こうして日清戦争が始まった。結果は忠実と同じ。日本は大勝し、多額の賠償金に加え台湾や遼東半島を領土に加えた。



 ……ここで出てくるのはロシアである。ロシアら三ヶ国は遼東半島返還を要請。列強の力の前では屈せざるを得ず、求めに応じた。特にロシアは日本領函館を租借しており、さらには新庁府亡命政府もそこに存在している。ロシアへの恨みは増す限り。最低限なんとかして目の先のたんこぶである函館をつぶしたい……首脳部は悩む。


 そこで日本はイギリスに接近。互いの利害が一致し、1902年に日英同盟が締結された。忠実と異なっている状況といえば……特にイギリス植民地のカナダがロシア領アラスカと接している。油断すれば飲み込まれてしまうという危惧がある。なおさら日本に援助をしたことだろう。



 かくして1904年に日露戦争が勃発。日本海軍は手始めに函館を包囲した。2月の厳しい冬のさなか。ロシアも当然のこと、函館港の警戒を強化していた。すきあらば札幌や青森にも攻め入ろうと計画していたという。新庁府亡命政府はロシア側につき、ロシアに情報支援をもたらした。


 互いに激しい砲弾がいきかい、死傷者多数に及び、戦艦の沈む姿をしり目に、一万人もの人命が海に沈んだという。函館市街地は火の海に覆われ、逃げた者らは函館山に掘った避難穴へ難を避ける。ロシアも負けじと北海道渡島や青森県大間と田名部に砲撃を加えた。函館に関してはロシアが守り切った。


 他方では朝鮮北部および満州で大規模な戦闘が続く。……一進一退の末、日本側は資金不足、ロシア側は共産勢力の勃興により戦争継続が困難、アメリカの仲介で和睦に至る。忠実であれば日本の辛勝と記録されているが、あちらの世界では完全にドローである。朝鮮の勢力圏は日本に属したが、満州および函館はロシア指揮下のまま。得たところがなにもない。



 軍事政権および各県の軍閥は増税を指示。民衆は貧困に陥るが、反抗しようとすると殺されてしまう。心の中で新庁府復帰を待ち望んでいた。

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