ロシア革命
1907年、香武庁軍事最高指揮官である十和田元雪は70歳でこの世を去った。前年に条良義輝を大阪より追放しており、さらには天皇に禅譲を迫って自ら皇位につこうとした。彼にはそれを成し得るだけの力があったのだ。だがそれは味方であるはずの各県の軍閥より反対された。”皇位を求めるのは前時代的だ”との建前で、本音はこれ以上一人に権力が集まると、軍閥は発言力を失い、たんなる十和田の飼い犬に成り下がるとこを危惧したためだ。
十和田元雪が死去したのち、新たに最高指揮官についたのは長男の十和田輔兄。周りの重役を母方の内台家が占め、”血の商人”の欲をあらわにした。軍閥もそれぞれの地方で県政を左右し、県令は一種の名誉職に成り下がってしまった。昔の大名家の姿は跡形もない。国会も首相の条良義輝の追放後から閉鎖されたまま。
過酷な状況であるので、地方の民衆の有志らが果敢に抵抗。言論であれ暴動であっても結局は鎮圧されるのだが、必ず誰かが逃げてタスキをつなぐのだ。山に籠ってゲリラ戦を展開したり、夜道を歩いている役人を襲撃したり。……彼らを函館亡命政府は支援する。梅津氏の父である梅津平氏はこのころより新庁府に属し、函館と本土を行き来しては彼らを助けていたらしい。
一方で軍事政権は1914年の第一次世界大戦に参加。日英同盟を根拠に周りのドイツ植民地を確保した。
……ここで世界情勢を変える出来事が起きる。1917年、ロシア革命である。いくつもの段階を経るが、モスクワなどの主要都市へ軍隊を移動させたため、函館の防衛は手薄になった。十月になるとロシア中枢は赤く塗りつくされ、ロシア地方部では共産勢力に対抗するために兵を挙げた(ペラルーシ白軍)。これにともないロシアが赤化するのを恐れた諸外国は彼らを支援した。日本はというと……函館奪還を決意。再び大艦隊が函館を囲んだ。
ここで新庁府亡命政府は勝ち目ないと判断。函館に残って軍事政権と戦う者、中国のイギリス租借地の香港へ逃げる者、……さらにはこのままロシア本国へ移り共産派に属そうとする者。新庁府の面々は散り散りとなり、本流は香港で臨時政府の名前を掲げ続けた。この政権が梅津氏の属する組織であり、軍事政権崩壊後の日本を治めるという。
……こうして函館は陥落した。街は再び、火で覆われる。亡命政府総裁の近藤一郎も亡くなったらしい。




