宮廷からの書状
「最も美しい文字が、必ずしも優しい心から生まれるとは限らない。時にそれは、刀を握り慣れた手から生まれることもある」
朝の儀式が終わるころ、太陽の光は伊勢神宮の境内を完全に照らし出していた。
夜明け前から静まり返っていた回廊に、再び巫女たちの足音が響き始める。
ある者は空になった供え物の盆を運び、またある者は編み込まれた筵を丸めていた。
朝が儀式の片付けを行っていたその時、神社の外門の方から激しい馬の蹄の音が聞こえてきた。
その音を耳にした朝は、ふと手を止めた。
一人の警備の兵が、慌てた様子で主庭へと走ってくる。
「斎王様!」
兵は深く頭を下げた。
「平安京からの使者が到着いたしました」
朝はゆっくりと顔を上げた。
鳥居の向こうには、紫色の絹布に包まれた木箱を大切そうに抱えた、正装姿の騎馬の使者が佇んでいた。
その布の上には、天皇家を象徴する黄金の菊花紋の封印が施されていた。
客殿の広間では、宮廷からの使者が微動だにせず平伏していた。
彼の正装は深紫の装束であり、そこには金糸で美しい菊花の紋様が刺繍されている。
使者の前には、絹布に包まれた白檀の木箱が置かれていた。
朝は静かな足取りで部屋へと入ってきた。その場にいた者たちが一斉に頭を下げる
その場にいた者たちが一斉に頭を下げる。
使者は両手を上げ、木箱をゆっくりと前へ押し出した。
「斎王様」
「太政大臣様からの書状をお持ちいたしました」
部屋の中が、水を打ったように静まり返る。
数人の巫女たちが互いに顔を見合わせた。
書状の内容よりも先に、その送り主の名が一同の胸に響いた。
平清盛。
少し前、彼が太政大臣に就任したという報せは、この神聖な伊勢の地にも届いていた。
多くの神職たちがその噂を口にしていた。なぜなら、武士の棟梁がこれほど高い地位に登り詰めるなど、何世代もの間、前例がなかったからだ。
朝廷は依然として国の中心であった。
しかし今、御簾の向こう側には、確かに武士たちの影がちらつき始めていた。
神職の長が両手でその木箱を受け取った。
菊花の蝋封は傷一つなく、手つかずのままであった。
蓋が開けられると、松脂を含んだ上質な墨の香りが、ふわりと部屋を満たした。
最高級の和紙に書かれたその書状。
そこには、流れる水のように優美な筆跡で、見事な書が認められていた。
朝は読む前に、その文字をじっと見つめた。
一筆一筆の払いや跳ねが完璧に調和しており、まるで最初から計算し尽くされているかのようだった。
しかし、目を走らせ、行を追うごとに、その美しさの裏に隠された「ある意思」が明白になっていった。
言葉選びは最大限の敬意に満ちている。
手荒な言葉は一言もない。
だが同時に、拒絶の余地を一切与えない冷徹さがあった。
「国家および天皇家の大事に関わる思し召しにより、斎王様におかれましては至急平安京へと帰還し、到着後に下される命を受けられたし」
神職の長はゆっくりと書状を伏せた。そして、小さくため息を吐いた。
「言葉こそ宮廷の礼儀に包まれていますが、一言一言がまるで命令のようですな」
異論を唱える者は誰もいなかった。
皆、その言葉の真意を理解していた。
神職の長は朝をしばらく見つめ、やがて消え入るような声で尋ねた。
「斎王様、この書状は少し強引であるとはお感じになりませぬか?」
朝は顔を上げ、静かに微笑んだ。
「あのお方にも、きっと理由があるのでしょう」
「この国は今、変わりつつあります」
「もし私の力が必要とされるのであれば、その呼び出しに応じるのは当然のことではありませんか?」
そのあまりにも無欲な答えに、部屋全体が再び沈黙に包まれた。
夕暮れ時、使者は出立の挨拶をした。
去り際、彼はもう一度深く頭を下げた。
「太政大臣様は、斎王様が数日中に出立されることを切に望んでおられます」
朝はその願いを聞き入れた。
それからの数日間は、慌ただしく準備に追われた。
神聖な経典は白い布で丁寧に包まれた。
儀式の道具も、一つ一つ念入りに点検された。
周囲の者たちが「どうかお休みください」と懇願するのを余所に、朝は時折、奉納用の布を折る手伝いをした。
彼女にとって、伊勢を離れるからといって、これまで生活の一部であった小さな務めを止める理由にはならなかった。
そのころ、遥か北の地。平安京は静かに変貌を遂げていた。
朱雀門の雄大さや、碁盤の目のように真っ直ぐな都の通りの陰で、宮廷の周辺を騎馬で通り過ぎる武士の姿が目に見えて増えていた。
かつて政治の中心地では滅多に見られなかった甲冑の姿が、今や日常の景色となりつつあった。
貴族たちは相変わらず絹の装束を身にまとっていた。
歌人たちは和歌を詠み。
壮麗な殿内では、雅楽の調べが響いていた。
しかし、そのすべての華やかさの隙間から、
金属同士が擦れ合う微かな音が聞こえていた。
刀。槍。そして甲冑。
貴族たちの邸宅の縁側では、交わされる会話の内容が変わり始めていた。
彼らはもう、詩や季節の移ろいだけを語り合ってはいなかった。
武士のクラン(氏族)の名が、あちこちで囁かれ始めていた。
「平氏、源氏、そして太政大臣....」
それらの名は、春の風に乗って都に吹き荒れていた。
数日後。
朝たちの小さな一行は、ついに伊勢を出発した。
朝は一度だけ、社の方を振り返った。そして、深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
その二言だけで、彼女のこれまでの記憶のすべてを語るには十分だった。
....
平安京への旅路は平穏そのものだった。
山々、川、そして村々が、次々と後ろへ流れていく。
いくつかの宿場に差し掛かるにつれ、朝は神職よりも多くの兵士の姿を目にするようになった。
彼らは主要な街道を厳重に警備していた。
ある者は平氏の平家の赤旗を掲げ。
またある者は、それぞれの家紋を身につけていた。
朝はその姿をただ静かに見つめていた。
彼女にとって彼らは、ただ己の任務を果たしている人々に過ぎなかった。
しかし、同行していた神職の長は、隠しきれない焦燥感を募らせていた。
「数年前に比べ、街道を行き交う武士の数が明らかに増えておりますな」
朝はただ、遠い空を見つめた。
「彼らもまた、平穏を守ろうとしているのかもしれませんね」
旅の最後の日、太陽が西に傾き始めたころ、ついに平安京の外壁が見えてきた。
宮殿の屋根が、夕日に映えて黄金色に輝いている。
遥か彼方では、天皇家の御旗が穏やかに風に揺れていた。
門の前には、衛兵たちが直立不動で立っている。
宮廷の役人たちの装束に混じって、刀の柄に手をかけた武士たちの列が厳重に警戒に当たっていた。
朝は足を止めた。
何年もの歳月を経て。
彼女は再び、自分が生まれ育った都の前に立っていた。
ゆっくりと息を吸い込み、そして小さく微笑む。
「本当に、帰ってきたのですね」
一行は宮殿の門へと動き始めた。
そして、朝が長らく離れていた世界へと足を踏み入れるその直前。
赤金色に染まった夕焼け空が、まるで彼女の「過去」と「未来」を真っ二つに分かつかのように、美しく燃え広がっていた。




