第一話:伊勢から来た少女
初めまして、ご覧いただきありがとうございます。
本作は一一六七年の架空の日本を舞台にした、歴史ファンタジー&ガールズラブ(百合)の要素を含む物語です。遥かなる三百年の旅の始まりを、どうぞお楽しみください。
そびえ立つ杉の木々の間に薄い霧が立ち込め、社へと続く石畳の道を白い柔らかな毛布のように包み込んでいた。
朝の空気は、露に濡れた瑞々しい土の匂いを運び、何世紀もの時を刻んできた神聖な社殿から漂う檜の香りと混ざり合っている。
遠くからウグイスの鳴き声が聞こえ、それに続いて静寂を破るように、神社の鐘が一度だけゴーンと響き渡った。
白い袴を身にまとった巫女たちが、木造の回廊に沿って整然と列をなしていた。
それぞれが頭を垂れ、まだ姿を見せぬうちから自分たちの心を畏敬の念で満たしている「その人」の到来を待っている。
一人の若い少女が、鳥居の下をゆっくりと歩いていた。
彼女が身にまとう白い十二単は、都の姫君たちの華やかな衣装に比べれば、どこか素朴に見えた。
腰の下まで真っ直ぐに伸びた美しい黒髪は、差し込む陽の光を浴びてしなやかに輝いている。
その表情はあまりにも穏やかで、何を考えているのかを読み取ることは難しい。
金色の宝飾品も、きらびやかな髪飾りもない。ただ、白い絹 of 紐だけが、彼女の髪の一部を後ろで結わえていた。
彼女が鳥居をくぐり抜けた瞬間、すべての巫女と神職たちが一斉に深く頭を下げた。
「朝様、おはようございます」
少女は足を止めた。
一人ひとりの顔に視線を巡らせると、かすかに微笑んだ。「おはよう」その声はとても優しかった。「皆、よく休めましたか?」
巫女たちは互いに顔を見合わせた。
彼女たちはいつも不思議に思っていた。
毎朝、誰よりも先に自分たちの身を案じてくれるのが、この広大な神社の境内で最も尊ばれる高貴な女性なのだから。
皇女・朝。皇族から直々に選ばれ、天照大御神に仕える伊勢の斎王。
しかし、朝自身にとっては、それらの仰々しい称号はどこか遠いものに感じられていた。
彼女にとっては、裏庭の梅の花が咲いたかどうかや、神聖な森へとやってくる野生の鹿たちが十分に餌を食べられたかどうかのほうが、ずっと大切なことだったのだ。
「斎王様」年長の巫女が前に進み出た。「朝の儀式の準備が整いました」
朝は静かに頷いた。「それでは、始めましょう」
彼女たちは本殿へと向かった。
道すがら、春の風がそよぎ、石畳の脇に植えられた榊の葉を優しく揺らしていた。
一番後ろを歩いていた若い巫女が、何気なく顔を上げた。そして、息をのんだ。
先ほどまで境内を埋め尽くしていた霧が、朝の歩みに合わせるようにして、まるで道を譲るかのようにみるみる薄くなっていく。巫女は唇を噛んだ。
(まただ……)
初めてのことではなかった。
朝が本殿へと歩みを進めるたび、決まって天気は晴れ渡るのだった。
誰もがその奇跡に気づいていた。
拝殿に到着すると、朝は神聖な森に面した木製の祭壇の前で足を止めた。
ゆっくりと息を吸い込み、精度静かに目を閉じる。
両手を上げ、清められた一枝の榊を手に持った。
彼女の唇から、祝詞の調べが流れ始める。
その声はどこまでも平穏だった。
なぜなら、その祈りが捧げられるたびに、人々は言葉では言い表せない不思議な感覚を覚えるからだ。
空気がじんわりと温かくなる。
まだ咲くはずのない野の花の香りが、満ちていく。
そして、ざわついていた心が、いつの間にか凪いでいく。
だが、朝自身はそんな変化に気づいていない。
彼女にとってこの朝の祈りは、これまでの祈りと何ら変わらないものだった。
八百万の神々への、ただの感謝の現れに過ぎない。
祈りが終わると、彼女は目を開けた。
拝殿を静寂が包み込む。数ひらの梅の花びらが風に乗って舞い込み、祭壇の前でゆっくりと円を描いて落ちた。
朝はそれを愛おしそうに見つめ、小さく笑みをこぼした。
「ようやく、春が来ましたね」
まるですべての関心が、ようやく咲いたその花だけに向けられているかのように、安堵に満ちた声だった。
拝殿の外では、夜明け前から空を覆っていた分厚い雲がすっかり消え去っていた。
眩しい太陽の光が、神社の境内全体を隅々まで照らし出している。
年老いた神職がその空を長い間見つめ、ぽつりと呟いた。
「神々が、またあのお方の祈りにお応えになられた……」
すでに祭壇を後にして歩き出していた朝には、その言葉は聞こえなかった。
たとえ聞こえていたとしても、彼女はいつものように少し照れくさそうに笑って、こう言ったに違いない。
「夜が明ければ、晴れた日が来るのは当たり前のことでしょう?」
第1話をお読みいただきありがとうございました!
もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価(☆☆☆☆☆)で応援していただけると励みになります! 次回もお楽しみに。




