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死せる孔明、生ける現代サッカーを走らせる   作者: 膝栗毛


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第三話

引き継ぎお楽しみください

第九章 馬謖、現る

連勝の余波は、思った以上に大きかった。

東京チキンズの公式SNSアカウントは、いつもなら数十件程度の反応しかなかったが、相模原戦の勝利後、関のクロスと阿部のヘディングシュートの動画が、瞬く間に拡散された。

「これマジ? J3最下位のチームが、こんな組織的な崩し方できるの?」


「監督、三国志のコスプレしてるって聞いたけど、まさかガチで戦術指導してるのか……」


「相模原の右サイド、完全に崩壊してたよな。あれ、絶対狙ってやってるだろ」

スポーツメディアの一部も、この「コスプレ監督」の存在に注目し始めていた。

「孔明監督」――いつしか、ファンやメディアは、その姿そのままに、孔明をこう呼ぶようになっていた。本人は「監督」という言葉の意味を完全には理解していなかったが、「軍を率いる者」という意味だと太田から聞き、特に違和感は覚えていなかった。


そんな中、クラブハウスの一室で、太田が深刻な顔で電話を切った。

「孔明殿……ちょっと、相談したいことがあるんですが」

「うむ、何でござろうか」

「移籍市場の話なんですが……うちのクラブに、レンタル移籍の話が来ていまして」

「移籍、とは」

「他のクラブから、選手を一時的に借りる、という制度です。今は、シーズン中でも、一定の期間――『ウィンドウ』と呼ばれる時期に、選手の所属を移すことができるんです」

孔明は、興味深そうに頷いた。

「ふむ。他国から将を借り受ける、ということか。降将を受け入れるようなものじゃな」

「その通りです。それで……J1のクラブから、若手選手のレンタル移籍の話が来てるんです」

太田は、一枚の資料を取り出した。

「彼の名前は、来栖(くるす) (しょう)。J1の名門クラブの下部組織出身で、テクニックは素晴らしいんですが……」

「されど?」

「メンタル面に、少し課題があると言われています。プレッシャーに弱くて、大事な試合になると、いつものプレーができなくなる、という……。実際、ユース時代は『次世代のエース』なんて言われてたんですが、トップチームではあまり結果が出せていなくて」

孔明は、資料に目を通した。そこには、来栖のプレー映像のリンクと、彼の経歴が記されていた。

太田からタブレットを受け取り、孔明は映像を確認した。

そこに映っていたのは、確かに素晴らしい技術を持った選手だった。ドリブル、パス、シュート――どの要素も、J3のレベルでは間違いなく頭一つ抜けている。

しかし、孔明の目は、別の部分に注がれていた。

(……ふむ)

映像の中で、来栖が大事な場面――決定的なチャンスや、接戦の終盤になると、明らかに動きが小さくなる瞬間が、何度も見受けられた。

(これは……)

孔明の脳裏に、ある人物の姿が浮かんだ。

(馬謖……)

馬謖は、孔明にとって、苦い記憶のある人物だった。優秀な学者であり、戦略の議論においては非常に優れた才を見せたが、実戦経験に乏しく、自らの能力を過信していた。孔明は彼を重用し、街亭という重要な拠点の守備を任せた。しかし馬謖は、孔明の指示を無視し、自らの「理論」に固執した結果、大敗を招いた。

そして孔明は、軍規を保つため、泣きながら馬謖を処断した――「泣いて馬謖を斬る」という、後世にまで伝わる逸話である。

(この者――来栖殿は、確かに優れた才を持つ。されど、その才に、自身が振り回されておる。これは、まさに馬謖と同じ過ちを辿る危険がある)

「太田殿。この者、獲得することは可能でござるか」

「はい、向こうのクラブは、半年間のレンタルという形でうちに送りたいようです。J3で経験を積ませたい、という意図のようですね」

「ふむ……」

孔明は、しばし考え込んだ。

(この者を獲るか否か――それは、儂にとって、ある種の試練でもある。馬謖の轍を、再び踏むことになるのか、それとも――)

「太田殿。この者、獲得していただきたい」

「いいんですか? 確かに才能はありますが、扱いが難しいという評判もあって……」

「うむ。承知の上じゃ」

孔明は、羽扇を静かに閉じた。

「儂は、かつて――己の判断ミスにより、ある才ある若者を死に至らしめたことがある。此度は、その過ちを、繰り返さぬ」

太田には、その言葉の重みが、完全には理解できなかった。しかし、孔明の表情には、これまで見たことのない、深い決意のようなものが見て取れた。

「分かりました。獲得交渉を進めます」


第十章 第三戦、そして来栖の起用

来栖翔の加入が発表されると、再びSNSがざわついた。

「J1の超エリートが、まさかJ3に……?」「孔明監督、どうやってこの選手を使うんだ?」「正直、来栖って、メンタル面が課題って有名だったよな……J3で大丈夫か?」

東京チキンズに合流した来栖は、最初、明らかに戸惑いを見せていた。

「初めまして……来栖翔です。よろしくお願いします」

練習場に現れた来栖は、頭巾に羽扇という孔明の姿を見て、明らかに「は……?」という顔をしていた。J1のエリート環境からやってきた来栖にとって、この光景は、あまりにも異質だった。

(なんだ、ここ……コスプレした監督って、本当だったのか……正直、嫌な予感しかしないんだけど)

孔明は、来栖をしばらく観察した後、静かに口を開いた。

「来栖殿。貴殿の映像、すべて拝見した」

「あ、はい……」

「貴殿の技術、間違いなく、このチームの中で最も優れておる。されど――貴殿には、一つ、大きな『弱み』がある」

来栖は、思わず身構えた。これまで、何人もの指導者から「メンタルが弱い」「プレッシャーに負ける」と言われてきた。またその話か、と身構える。

「貴殿は、己の力を過信しておる」

「……え?」

予想とは違う言葉に、来栖は思わず聞き返した。

「過信、ですか? 自分、むしろ……自信がないって、ずっと言われてきたんですけど」

「いや。貴殿は『自信がない』のではない。貴殿は『失敗を恐れている』のじゃ。そしてそれは――貴殿が、己の力が『他者より優れている』ということを、深く自覚しておるからこそ生まれる恐怖よ」

来栖は、言葉を失った。

「己が優れていることを知っておるからこそ、『その優れた自分が、失敗してはならぬ』という思いに、自らを縛り付けておる。それは、過信の、もう一つの姿よ」

孔明の言葉は、来栖の心の奥深くにある、誰にも言えなかった感情を、静かに、しかし正確に言語化していた。

「貴殿は、これまで――『結果を出さねばならぬ』という重圧の中で、戦ってきたのではないか。されど、サッカーとは、本来、一人で戦うものではない」

孔明は、羽扇を広げ、グラウンドの選手たちを示した。

「貴殿の周りには、貴殿を支える者たちがいる。失敗を恐れる必要はない。むしろ――失敗を、味方に『見せる』のじゃ」

「見せる……?」

「貴殿が果敢に仕掛け、それが失敗に終わったとしても、その『仕掛け』そのものが、相手の陣形に歪みを生む。その歪みを、他の者が突く。それが、軍――いや、チームというものよ」

来栖は、その言葉を、何度も心の中で繰り返した。

(失敗を、見せる……一人で全部やらなきゃ、って思ってたけど……)

「儂は、貴殿に、次なる戦――いや、次の試合で、新たな役目を与えたいと思っておる」

「……はい。お願いします」

来栖の目に、これまでとは違う光が、わずかに見え始めていた。


数日後、リーグ第十八節。対戦相手は、中位に位置する「千葉アズールFC」。

孔明は、来栖をスタメンで起用した。これには、メディアもファンも、大きな注目を寄せた。

「来栖、まさかJ3デビューでスタメンか」「いきなりかよ、孔明監督、賭けに出たな」

試合が始まると、来栖は、これまでのプレースタイルとは明らかに違う動きを見せた。リスクのあるドリブルやパスを、躊躇なく仕掛けていく。

前半20分、来栖が中央でボールを受け、強引にドリブルで二人を引き連れる形で突破を試みた。しかし、最後はカットされ、ボールを失ってしまう。

「あ……」

来栖は、思わず立ち止まった。これまでなら、ここで気持ちが切れてしまい、その後のプレーにも消極性が出ていた。

しかし――

「来栖! ナイス、いいぞ、そのまま!」

声をかけたのは、阿部だった。来栖がボールを失ったことで生まれたスペースを、すでに阿部とその他の選手たちが利用し始めていた。

(失敗が……無駄になってない……?)

来栖が引き連れた二人の選手によって、千葉アズールの中央には大きなスペースが生まれていた。そこを、関が鋭く突き、ボールを引き出す。

「これだ……!」

関から中堂へ、中堂から阿部へ――そして、阿部のシュートが、ゴールに突き刺さった。

「ゴーーール!! 東京チキンズ! 阿部、これで三戦連発のゴール!!」

来栖は、その場に立ち尽くしていた。

(俺の……失敗が……得点に繋がった……?)

ベンチでは、孔明が静かに頷いていた。

(うむ。これでよし。来栖殿が『失敗を恐れず』動くことで、相手の陣形に『隙』が生まれる。その隙を、他の者が拾う――これこそが、儂の目指す『連環の陣』よ)

試合は、東京チキンズが3-1で勝利。来栖も、後半にはアシストを記録し、自身も生き生きとしたプレーを見せた。

三連勝――東京チキンズは、ついに最下位を脱出し、降格圏外へと順位を上げた。


第十一章 「泣いて馬謖を斬る」の真意

試合後のロッカールームで、来栖は、孔明の前に立った。

「孔明監督。ありがとうございました。今日、初めて……サッカーが、楽しいって思えました」

「うむ」

孔明は、静かに頷いた。そして、ふと、何かを思い出したように、遠い目をした。

「来栖殿。儂には、かつて――貴殿と同じ年頃の、優秀な部下がおった」

「……はい」

「その者は、優れた知略を持っておった。されど、儂はその者を、たった一度の重要な任務で、大きな失敗をさせてしまった。そして儂は、その者を……処断せざるを得なかった」

来栖は、言葉を失った。

「儂は、その時、こう思った――『あの者の才を、儂はもっと早くに、もっと適切な場で活かすべきであった』と。儂の、采配の誤りであった」

孔明は、来栖の目を見た。

「貴殿を見た時、儂は、その者を思い出した。されど――今日、貴殿は、儂の過ちを、繰り返させなかった」

「孔明監督……」

「これからも、貴殿の力を、儂は信じておる。されど、決して、一人で戦おうとするな。それが、貴殿に――そして、このチームに、最も必要なことよ」

来栖は、深く頭を下げた。

「はい。ありがとうございます」


その夜、太田は、自宅で一人、興奮を抑えきれずにいた。

(孔明殿……「泣いて馬謖を斬る」の故事を、こんな形で……「過去の過ちを繰り返さない」という教訓として、来栖選手に伝えたんだ……)

太田は、感動のあまり、その日のうちに、長文のブログ記事を書き上げていた。タイトルは――

『東京チキンズ・孔明監督の采配に見る、三国志の智慧 ~「泣いて馬謖を斬る」の真の意味とは~』

この記事は、翌日、サッカーファンと三国志ファンの双方から大きな反響を呼び、瞬く間にSNSで拡散されることとなった。

しかし、実際の孔明の意図は、もっと単純だった。

(儂は、ただ……来栖殿の不安を取り除き、その才を活かす方法を示したまで。馬謖の故事は、儂自身への戒めとして語ったに過ぎぬ)

孔明にとって、それは「采配の妙」などではなく、ごく自然な、軍師としての「人を見て、人を活かす」という、当然の務めだった。

しかし、世間では、孔明の一言一句が、まるで古代の兵法書から導かれた「現代サッカーの真理」として、次々と解釈され、拡散されていく。

東京チキンズの三連勝、そして「孔明監督」というキャラクターの存在は、もはやJ3という枠を超え、サッカー界全体の話題となり始めていた。

そして、その注目は――やがて、J1の名門クラブの、ある人物の耳にも入ることとなる。

(続く)

次回もお楽しみに

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