第四話
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第十二章 分析官の戦慄
J1リーグの強豪クラブ「FC東京スターズ」の分析室。
大型モニターには、東京チキンズの直近三試合の映像が、繰り返し再生されていた。
「これは……」
分析担当のマルコ・ベルナルディが、眉間に皺を寄せながら、何度も同じ場面を巻き戻していた。イタリア人の彼は、ヨーロッパの名門クラブで分析官としての経験を積み、戦術理論にも深い知見を持つ人物だった。
「マルコ、どうした。何かあったか」
声をかけたのは、FC東京スターズの監督、ヴィットリオ・ロッシ。元イタリア代表のミッドフィルダーで、引退後はヨーロッパの強豪クラブで指導者としての経験を積み、今季から日本のJ1で指揮を執っている、リーグ屈指の名将である。
「ロッシ監督、これを見てください。J3の東京チキンズという、最下位だったクラブの試合です」
「ああ、噂のコスプレ監督のチームか。SNSで話題になっているな」
ロッシは、軽い笑みを浮かべながら画面を見た。最初は、興味本位の確認だった。
しかし――
「これは、相模原戦の後半35分の場面です。見てください、この選手の動き」
映像には、関が何度も同じ動きで、相手のサイドバックの背後を狙っている様子が映っていた。
「同じ動きを、繰り返している……ように見えるが」
「最初は、私もそう思いました。しかし、よく見てください。この選手の走るタイミング、ポジショニング――10回以上、ほとんど同じ動きをしているのに、相手の選手は、毎回、わずかに反応速度が遅くなっています」
ロッシの目が、わずかに変わった。
「……疲労蓄積を狙っている、と?」
「それだけではありません。この相手選手は、前節フル出場していました。チキンズのスタッフは、明らかにこの選手の疲労状況を事前に分析し、この一点を狙い続けたんです。そして――」
ベルナルディは、決勝シーンを再生した。
「相手の体力が限界に達したこの瞬間に、初めてパスが通っています。10回以上の『無駄』とされた動きが、すべて、この1回のための布石だったんです」
ロッシは、椅子に深く座り直した。
「……それは、相当に高度な分析と準備が必要だな。たまたまではない、と?」
「もう一つ、見てください」
ベルナルディは、来栖のプレー映像を表示した。
「この選手――来栖は、J1の下部組織出身で、メンタル面に課題があるとされていた選手です。チキンズに来てから、明らかに『リスクを取る』プレーが増えています。そして――」
来栖が突破を試み、ボールを失う場面。それによって生まれたスペースを、他の選手が即座に利用する場面が、連続して再生される。
「彼の『リスクのあるプレー』は、成功・失敗にかかわらず、必ず相手の陣形に『歪み』を生んでいます。そして、その歪みを、周囲の選手が組織的に利用する。これは……」
「個人の能力に依存しない、チーム全体としての『仕組み』だな」
ロッシが、静かに呟いた。
「ロッシ監督。私は、ヨーロッパの様々なクラブの分析データを見てきましたが……これに近い概念は、確かにあります。『カオス理論』をベースにした戦術分析や、相手の心理状態を含めた包括的なゲームモデル――しかし、それを、J3のクラブが、こんな短期間で、しかも極めて精密に実行しているという事実が、信じられません」
ロッシは、立ち上がり、窓の外を見た。
「……三国志、か」
「監督、ご存知なんですか?」
「いや、詳しくは知らない。だが――『孫子の兵法』なら知っている。ビジネススクールでも、戦略論の教材として使われることがあるからな」
ロッシは、しばらく考え込んでいた。
「マルコ。この東京チキンズの試合、すべて見れるか?」
「過去の試合も含めて、用意できます」
「すべて見せてくれ。この監督――何者なのか、私自身の目で確認したい」
第十三章 太田、メディアの渦中へ
一方、東京チキンズのクラブハウスでは、別の意味での「騒動」が起きていた。
「太田社長! 取材のオファーが、また来てます!」
クラブの広報担当が、息を切らせながら太田のもとに駆け込んできた。
「今度はどこから?」
「全国ネットのスポーツニュース番組です! あと、ビジネス系の雑誌からも、『弱者の戦略』というテーマで、孔明監督への取材依頼が……」
太田は、机の上に積まれた取材依頼の山を見て、思わずため息をついた。三連勝という結果が、こんな騒動を引き起こすとは、誰も予想していなかった。
「孔明殿、すみません……取材の対応、お願いできますか?」
孔明は、書類――というより、太田が用意した次節の対戦相手の分析資料を読んでいたが、ふと顔を上げた。
「取材、とは何でござろうか」
「ええと……世間に対して、自分たちの考えや、戦術について説明する、ということです」
「ふむ。それは、いわば――他国の使者に対して、自軍の方針を語る、ということか」
「まあ、そんな感じです」
「承知した。儂は、隠す事など何もない。問われれば、すべて語るのみよ」
太田は、内心で少し不安を覚えた。孔明の発言は、いつも本人にとっては「当然のこと」を述べているだけなのだが、それが世間には「深遠な戦術理論」として受け取られてしまう。果たして、メディアの前でも、同じことが起きるのか――
その日の夕方、全国ネットのスポーツニュース番組のインタビューが行われた。
「東京チキンズの孔明監督に、お話を伺います。まず、三連勝という結果について、率直な感想をお聞かせください」
孔明は、羽扇を手にしたまま、静かにカメラの前に座っていた。
「うむ。この三戦、いずれも、敵の陣形における『綻び』を見出し、そこを的確に突いた結果よ。我が軍――いや、我がチームの選手たちが、儂の説いた『八陣の理』を、よく理解し、実践してくれたおかげじゃ」
「『八陣の理』、ですか。これは、どういった戦術理論なんでしょうか」
「八陣とは、古来より伝わる布陣の術。敵の動きに応じて、八つの陣形が連環し、攻めと守りが、常に一体となって機能する仕組みじゃ。これを現代風に申せば――選手一人ひとりが、独立して動くのではなく、常に他者との『連環』を意識して動く、ということになろうか」
司会者は、頷きながらメモを取っている。
「実は、サッカー戦術の専門家からも、この『連環』という考え方が、現代の『ポジショナルプレー』という戦術理論と、非常に近いものがあると指摘されているんです」
「ぽじしょなるぷれー、とは初めて聞く言葉じゃが――要するに、味方の位置取りによって、敵の選択肢を制限する、ということであれば、その通りであろうな」
「では、来栖選手の起用についてですが――『失敗を恐れず、リスクを取る』というプレースタイルへの転換は、非常に話題になりました。これは、どういった意図があったのでしょうか」
「来栖殿には、優れた才がある。されど、その才に、本人が縛られておった。儂は、ただ――その縛りを解き、本来の力を発揮できる『場』を整えたまでよ」
「『場』を整える、というのは、具体的には……?」
「彼一人で戦わせるのではなく、彼の挑戦が失敗した時にも、それを活かせる仕組みを、チーム全体で作る、ということじゃ」
司会者は、感心したように頷いた。
「つまり、個人の『心理的安全性』を、チーム戦術のレベルで確保する、ということですね……これは、現代の組織論やマネジメント理論にも通じる考え方ですね」
孔明は、その言葉の意味を完全には理解していなかったが、おおむね自分の言いたいことと相違ないと判断し、頷いた。
「うむ、左様じゃ」
このインタビューは、放送後、大きな反響を呼んだ。
「孔明監督の言葉、深すぎる……」「これ、サッカーの話だけじゃなくて、ビジネスにも通じる話だよな」「『心理的安全性』って単語、まさかこんな文脈で出てくるとは思わなかった」
ビジネス系メディアでも、「孔明監督の組織論」として、特集記事が組まれるほどの注目を集めることとなった。
太田は、この騒動を見て、もはや何も言えなかった。
(孔明殿は……本当に、ただ、思ったことをそのまま話しているだけなんだよな……それが、なぜか、全部『深い理論』として受け取られる……)
太田は、ふと、自分のスマートフォンを確認した。そこには、件のFC東京スターズの監督、ヴィットリオ・ロッシ氏の公式アカウントから、フォローが届いていることが表示されていた。
「えっ……ロッシ監督が、うちのクラブをフォロー……?」
太田の胸に、何か新しい予感が広がった。
第十四章 八陣図、起動
東京チキンズは、リーグ第十九節を迎えた。対戦相手は、リーグ中位に位置する「岐阜マウンテンファング」。これまで対戦経験はないが、機動力を活かした素早い攻撃が特徴のチームだった。
孔明は、試合前のミーティングで、選手たちに新たな図を示した。
「諸君ら。此度は、これまでとは異なる陣形を採る」
ボードに描かれたのは、これまでよりもさらに複雑な、八つのブロックが互いに連結されたような図形だった。
「これは……」
中堂が、その図を見て息を呑んだ。
「『八陣図』――八つの陣形が、互いに連環し、一つが動けば、他の七つも連動して形を変える。敵がいかなる方向から攻めようとも、常に最適な対応が、自動的に生まれる仕組みじゃ」
「自動的に……?」
「うむ。これまでの試合では、儂が個々の選手に、特定の役割を指示してきた。されど、此度は――諸君ら自身が、互いの位置関係から、自らの役割を判断する。儂が口で指示するまでもなく、陣形そのものが『生きた』ものとなる」
選手たちは、互いに顔を見合わせた。
「それって……かなり高度な要求じゃないですか?」
「うむ。されど、諸君らはもう、その域に達しておる。この三戦、諸君らは儂の指示を実行するだけでなく、その『理』そのものを、体で理解し始めておる」
孔明は、羽扇を閉じた。
「此度の試合、儂は、ほとんど指示を出さぬ。すべては、諸君らに託す」
選手たちは、一瞬の沈黙の後、互いに頷き合った。
「やってみよう」「俺たちなら、できる」
阿部が、不敵に笑った。
「監督、これ、めちゃくちゃ面白いことになりそうじゃん」
試合が始まると、東京チキンズの動きは、これまで以上に流動的だった。一人が動けば、それに応じて他の選手たちが、まるで一つの生命体のように形を変えていく。
「これは……何だ、この連動性は……」
岐阜マウンテンファングの監督は、ベンチで愕然としていた。攻撃の起点を抑えようとすれば、別の場所に新たな起点が生まれる。守備のラインを上げれば、その背後に新たなスペースが生まれ、そこを的確に使われる。
「まるで……パズルのピースが、自動的に組み合わさっていくような……」
そして、前半30分。中堂、関、来栖、阿部――四人が、目に見えない連携によって、岐阜の守備陣を完全に崩壊させた。
最後は、来栖がリスクを冒してドリブルで仕掛け、それによって生まれたわずかなスペースを、阿部が冷静に突いてゴールへ流し込む。
「ゴーーール!! 東京チキンズ! 四戦連続ゴールの阿部!!」
東京チキンズは、この試合も2-0で勝利。四連勝を達成し、ついにリーグ中位まで順位を上げた。
試合後、孔明は静かに、ピッチで喜び合う選手たちを見ていた。
(うむ。八陣図、見事に機能した。これで――この軍は、もう、儂が一つ一つ指示を出す必要はない)
孔明の表情には、深い満足感が浮かんでいた。
(さて……これより先は、いよいよ――)
孔明の視線が、観客席の一角に向けられた。そこには、双眼鏡を構え、熱心に試合を観察している一人の男の姿があった。
ヴィットリオ・ロッシ――FC東京スターズの監督が、自ら、この試合を視察に来ていたのだった。
ロッシは、試合終了後、双眼鏡を下ろし、深く息を吐いた。
「……これは、本物だ」
ロッシの隣にいたベルナルディが、緊張した表情で尋ねた。
「監督……どう思われますか」
「マルコ。我々は、次節――東京チキンズと対戦することになる」
「えっ……それは……」
「カップ戦の組み合わせで、対戦が決まったばかりだ。J1の我々が、J3のクラブと、公式戦で対戦する」
ロッシは、不敵に――しかし、どこか興奮を抑えきれない様子で、微笑んだ。
「これは、面白くなりそうだ」
(続く)
次回もお楽しみに




