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死せる孔明、生ける現代サッカーを走らせる   作者: 膝栗毛


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第二話

引き継ぎお楽しみください

第六章 攻城戦の理

横浜サンライズ戦の勝利から一週間。東京チキンズの練習場には、これまでとは違う空気が流れていた。

「孔明さん、おはようございます!」

選手たちの挨拶にも、明らかに張りが出ている。あの一勝が、チーム全体に小さな、しかし確かな変化をもたらしていた。

孔明は、いつものように羽扇を片手に、練習場の中央に立っていた。その傍らには、分厚いファイルを抱えた太田の姿がある。

「孔明殿、次節の対戦相手の情報をまとめてきました」

「うむ、見せていただこう」

太田が差し出したのは、対戦相手――「相模原フォートレス」のスカウティング資料だった。リーグ屈指の堅守を誇るチームで、今期の被失点数は最少。守備を固めて、わずかなチャンスを生かすカウンター戦術が持ち味だ。

孔明は、その資料に目を通しながら、静かに頷いた。

「ふむ……これは、城を固く守る軍じゃな」

「城、ですか?」

「うむ。彼らは、自陣に厚く陣を構え、決して動かぬ。我らが攻め込めば、その堅牢な壁に跳ね返され、隙を見て一矢を返してくる――まさに、堅城を背にした守備よ」

孔明は羽扇を広げ、地面に図を描き始めた。

「太田殿。三国志において、堅城を攻め落とすには、いかなる策があったと思われるか」

太田は、三国志マニアとしての知識を総動員した。

「ええと……力攻めもありますが、それだと損害が大きい。なので、水攻めとか、地下道を掘るとか、あるいは長期の包囲で兵糧を断つとか……」

「正解じゃ。されど、最も効率的なのは――『城を出させる』ことよ」

「城を、出させる……?」

「いかに堅牢な城も、籠城していれば、いつかは兵糧が尽きる。さらに、城に籠るだけでは、戦の主導権は常に攻める側にある。城方にとって最も恐ろしいのは、『出ねば負ける』状況に追い込まれることじゃ」

孔明は、地面に描いた図の上に、もう一つの線を加えた。

「サッカーにおいても、同じ理が成り立つはず。守備を固める軍は、相手がボールを持つことを許容し、自陣で構える。これは、いわば『籠城』。されば――この『籠城』を、彼らにとって『地獄』に変えてやればよい」

「地獄……?」

「ボールを保持させながら、徐々に、徐々に、彼らの陣形そのものを締め上げていくのじゃ。彼らが『守れている』と感じている間に、実は彼らの選択肢は、一つ、また一つと失われていく。そして、ある瞬間――彼らは、『出る』しかなくなる」

孔明の目が、不敵に光った。

「出てきた瞬間――そここそが、最大の隙よ」

太田は、唾を飲み込んだ。

(これは……ポゼッションサッカーと、相手を誘い出す戦術の融合……? いや、孔明殿、本当にサッカーの戦術理論なんて知らないはずなのに、なぜこんな……)

太田の頭の中には、「策の元ネタ」が次々と思い浮かんでいた。

(これ……『南蛮征伐』の時の、孟獲を相手にした七度の捕縛と解放……何度も追い詰めて、心理的に「もう逃げられない」と思わせる、あの戦術と同じ理屈じゃないか……!)


第七章 関、という男

練習が一区切りついた頃、孔明はふと、グラウンドの隅で一人黒地のボールを蹴っている若い選手に目を留めた。

「あの者は、何者か」

孔明が指し示したのは、まだ二十歳前後と思われる、背の高い選手だった。一人、コツコツと黙々と、壁に向かってパス練習を繰り返している。

太田が資料を確認する。

「ああ、関選手ですね。(せき) 信吾(しんご)。うちの下部組織出身の選手で……ポテンシャルは高いと言われているんですが、なかなか試合に出れてないんです」

「なぜか」

「彼、ちょっと……自己主張が弱いというか。技術はあるんですが、試合の中で消えてしまうことが多くて。監督交代が続いた影響もあって、本人もちょっと、自信を失っているような感じで……」

孔明は、しばらく関の動きを観察していた。

その視線の先で、関は黙々とパスを繰り返している。一見、地味な作業のように見えるが、孔明の目には、その動きの中に確かな「型」が見えていた。

(……ほう)

孔明の表情が、わずかに変わった。

(あの足の運び、ボールの置き所――これは、儂が見てきた中でも、稀に見る『緻密さ』じゃ。されど、この者――自らの力を、自ら抑えておる)

孔明は、ゆっくりと関に近づいていった。

「関殿、と申されたか」

関は、突然声をかけられて驚いたように顔を上げた。

「は、はい! 関です」

「先程からの動き、拝見しておった。貴殿のパス――その正確さ、そして相手の動きを見て間合いを計る感覚、これは並の者にはない才よ」

「え……いや、そんな、自分なんて……」

関は、明らかに動揺し、目を逸らした。

「謙遜は無用じゃ。儂は、嘘は申さぬ」

孔明は、羽扇を軽く振った。

「貴殿の中に、儂は――かつて見た、ある若者の姿を見る」

「ある、若者……?」

姜維(きょうい)、という男じゃ」

「姜維……三国志の?」

関は、サッカー部出身ながら、子供の頃に少しだけ三国志のゲームに触れたことがあった。姜維という名前は、聞いたことがある。

「姜維は、もとは魏の将であったが、儂に降り、その後、蜀の柱石として、儂の後継者となった男よ。最初は皆、彼の真の力を知らなかった。されど、その緻密な用兵と、何よりも――『信じてくれる者』を得たことで、彼は大きく羽ばたいた」

孔明は、関の目をまっすぐに見た。

「関殿。貴殿には、まだ見せておらぬ力がある。儂には、それが見える」

関は、何も言えなかった。ただ、胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じていた。

(自分なんて……今までずっと、誰からも、そんなこと言われたことなかったのに……)

「儂は、貴殿に――次なる戦、相模原戦において、新たな役目を与えたいと考えておる。よいか」

「は、はい……! やります、やらせてください!」

関の目に、これまで見たことのない光が灯った。

その様子を、少し離れたところから見ていた阿部が、口元を緩めた。

「おいおい、関も、洗脳されたか」

「洗脳って言うなよ……」

中堂が苦笑する。

「でもまあ、確かに……あの監督と話すと、なんか、自分でも気づいてなかった力が出てくる気がするんだよな。不思議なもんだ」

「『士は己を知る者のために死す』、ってやつかね」

阿部が、ぼそりと呟いた。最近、阿部はこっそり三国志の本を読み始めていた。


第八章 相模原戦――誘い、そして崩壊

数日後。相模原フォートレスとの一戦。

相模原は、開始から予想通り、自陣に厚く構える守備的な戦術を採った。東京チキンズがボールを持つ時間が長くなるが、相模原のブロックは堅く、なかなか決定的なチャンスを作れない。

「やっぱり、固いな……」

ベンチで、太田が呟いた。

孔明は、静かにピッチを見つめていた。羽扇を持つ手は、微動だにしない。

(ふむ。彼らの陣形、確かに堅牢じゃ。されど――焦るには及ばぬ。これは、まだ『序盤』に過ぎぬ)

孔明が選手たちに与えていた指示は、こうだった。

「ボールを持つ時間を、惜しまず使え。されど、闇雲に攻めるな。彼らの陣形の中で、最も動きの少ない者――最も『疲れている』者を、見極めよ」

実際、孔明は試合前、相模原の過去の試合映像を見て、特定の選手――右サイドバックの選手が、前節、ほとんどフルタイムでハードワークしていたことに気づいていた。

(あの者、まだ前節の疲労が抜けておらぬ。動きが、明らかに鈍っておる)

孔明は、関にこう指示していた。

「関殿。貴殿には、この一戦、特定の役目を与える。常に、彼らの右サイドバック――あの動きの鈍い者の背後を狙い続けよ。決して焦るな。十回、二十回、無駄に終わってもよい。されど、必ず、その者は、貴殿の動きに引っ張られ続ける」

「は、はい……でも、それだけで、点が取れますか?」

「点は、貴殿が取るのではない。貴殿が、相手の陣形に『綻び』を生むのじゃ。その綻びを、最後に突くのは――」

孔明は、阿部の方を見た。

「阿部殿、貴殿の役目よ」


試合は、後半に入っても、スコアレスのまま進んでいた。

しかし、ピッチ上では、確かな変化が起きていた。

関は、孔明の指示通り、何度も何度も、相模原の右サイドバックの背後へ走り込みを繰り返していた。その大半は、パスが出ない、あるいはオフサイドになるなど、結果には繋がらない動きだった。

「あの十番、何度も同じ動きしてるな……無駄じゃないか?」

解説者が、首を傾げる。

しかし、相模原の右サイドバック――三十代のベテラン選手は、後半30分を過ぎた頃から、明らかに足が止まり始めていた。

「ハァ……ハァ……」

何度も背後を取られそうになることへの警戒、そして前節の疲労。その二つが、確実にこの選手の体力を奪っていた。

「今じゃ」

孔明が、静かに呟いた。

後半35分。中堂からのロングボールが、再び関の走り込んだスペースに送られる。

「またか……!」

相模原の右サイドバックは、慌てて対応しようとするが――足が、もう動かない。

関は、その瞬間、初めて――ボールに完璧に追いついた。

「あっ……!」

ゴールライン際から、関は素早く折り返しのクロスを送る。そこに、誰もマークしていない選手が一人。

阿部竜次――孔明の指示で、後半から最前線ではなく、あえて中央の少し後方に位置取り、誰にもマークされない「フリーマン」となっていた阿部が、走り込んでいた。

「阿部、決めろ!!」

阿部のヘディングシュートが、相模原のゴールネットに突き刺さった。

「ゴーーール!! 東京チキンズ! 阿部、これで2試合連続ゴール!!」

スタジアムが、再び大きな歓声に包まれた。

ベンチでは、関が、その場に立ち尽くしていた。

「俺の……俺のクロスが……」

「関、お前のおかげだぞ!」

阿部が、ベンチに向かって関を指差し、笑顔を見せた。

孔明は、静かに頷いた。

「うむ。『将を見て、兵を識る』――関殿、貴殿の働き、見事であった」

関の目に、涙が浮かんだ。

(俺、初めて……チームに必要とされた気がする……)


試合は、結局この1点を守り切り、東京チキンズが1-0で勝利。リーグ屈指の堅守を誇る相模原から、見事な勝利を挙げた。

「孔明監督、二戦目も勝利!」「これは、もう間違いなく何かが起きている」「あの関選手の動き、解説でも話題になってますね」

SNSでは、東京チキンズと孔明への注目が、さらに加熱していった。


試合後、孔明はベンチで静かに、選手たちの様子を眺めていた。喜び合う選手たちの輪の中に、阿部と関の姿があった。

太田が、孔明の隣に座った。

「孔明殿……二連勝です。最下位だったチームが、まさか二連勝するなんて……」

「うむ。されど、これはまだ、始まりに過ぎぬ」

孔明は、夜空を見上げた。星が、いくつか見える。

「太田殿。儂には、見えておる――この国における『天下』の構図が」

「天下の、構図……?」

「J1、そして――ACL、クラブW杯と申したか。これらは、まさに『天下三分の計』そのものよ」

太田の目が、輝いた。

「天下三分の計……!」

「現状、このリーグにおいて、絶対的な覇者は存在せぬ。されど、いずれ、その均衡は崩れる。その時――我らが、新たな『天下の鼎』の一角を担うのじゃ」

孔明は、羽扇を静かに広げた。

「J3最下位から、J1、そして世界へ。これこそ、儂が成すべき、最後の北伐よ」

太田は、感動のあまり、言葉を失っていた。

(孔明殿……本当に、何もかも分かっている……!)

しかし、太田が知らない事実が一つあった。

孔明が言う「天下三分の計」とは、本来、魏・呉・蜀の三国が天下を分割し、互いに牽制し合うことで、弱小であった蜀が生き残るための戦略だった。つまり、孔明にとっての「天下三分の計」の本質は――「いかにして、弱者が大国の間で生き残るか」という、サバイバル戦略に過ぎなかったのだ。

孔明自身は、極めて現実的に、「J3降格を回避し、できれば中位に定着する」程度のことを考えていたつもりだった。しかし、その言葉のスケール感が、周囲には全く別の意味で伝わっていた。

(続く)

次回もお楽しみに

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