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第八話 皇太子殿下は、私よりも容赦がありません



 言葉の認識より先に手がピクリと震えて、レオンハルトに触れる寸前で止まる。


「っはあ……」


 首の圧迫感が消え去り、空に浮いた手がそっととられた。ぐああっとうめき声が目の前から聞こえるのに、視線は横一点にしか向かない。


「他の男に触れないでくれ」


 伏し目がちに覗き込んでくる魅惑的な紫の瞳。すっきりとした白い頬は陶器のようにまろやかで、通った鼻筋も血色の良い薄い唇も、究極の造形美だ。


(し、至高――――――――!)

  

 爪の先まで造形が整っている指がゆっくりと首元に伸び、労わるように優しく撫でた。ともすれば鋭利な冷たい美貌だけれど、私に触れる指先はいつも温かい。


 この人に触れられても、嫌な感覚なんて一ミリもない。ただ、ほっと肩が下りるだけ。ほんの少し、胸が高鳴るだけ。本当に少し、声が出ないくらい。


 ――こんなの、なんの誤魔化しにもならない。


 ふわりと魔法が発動して、痛みがすうっとなくなった。


 パチ、パチ、と緩慢に瞬きを繰り返すしかできない私を見かねて、その整った柳眉が困ったように下がる。


「勇敢なのはフィーナの魅力だが、たまには頼ることも覚えたほうがいい」


 そして彼の視線がペンダントを捉えたのがわかってしまった。だって、その瞳が蕩けるように細まったから。


「ち、違うんです。これは、そういうことじゃなくて、その……」


「わかった。あとで聞こう」


(くううう、包容力満点の微笑み〜〜)


 ――うん。覚悟した。

 私は、その誠意には応えないといけない。


 エドワード殿下は少し身をかがめ、乱暴者のせいで乱れた髪を耳にそっと掛けてくれた。


 その瞬間、ざわあ、とまた一段階強く会場がどよめいた。


 彼は穏やかに弧を描いていた唇を引き戻し、瞳に乗せた感情を消した。それだけで空気が凛と変わる。


 私は見たことがない顔。でもきっと、これが彼のいつもの顔。

  

 エドワード殿下の視線を追うと、腕を不自然に捩じ上げられたレオンハルトがいる。エドワード殿下の魔法だろうか。


「他国の夜会で騒ぎを起こすなど、王族の風上にも置けない。魔物の群の討伐を我が国に頼った身で、貴国は我が国を侮っているのだろうか」


 ……え!?

 やっぱりキャシー、浄化できてないじゃない!

 浄化のための略奪ですらなかったの? 呆れてものも言えない。


「エ、エドワード皇太子殿下っ! いえ、帝国を軽視する意図などありません! ただこの罪人が帝国に長くいるのはご迷惑かと」


 レオンハルトの慌てようったら、威厳も何もあったもんじゃない。ただ大きな声が騒いでいるだけ。

 エドワード殿下のひと言ひと言明瞭に発音する話し方と比べるのも烏滸がましいわ。決して大きな声じゃないのによく通る声が王者の風格だ。


 これが格の違いというやつね。

 そう思うのに、その口を塞ぎたくてしかたない。


 エドワード殿下は騎士の国でセラフィナにあったことを多分全部知ってる。だけど私の前で、改めて彼に言い聞かせないで欲しい。

 

 エドワード殿下はすっと瞳に剣呑な光を灯す。


「罪人?」


 あまりに冷たい声音で、私がびっくりした。


「は、はい。この女は俺が愛するこのキャシーの命を狙ったのです! っいだだだだっ!」

「レオ、レオ! 大丈夫? やめ、やめてください!」


「貴女には発言は許していないが。……そうだな。武力を行使するのはこちらの本意ではない」


 魔法が解かれた腕はだらんと垂れ下がり、レオンハルトは反対の手で庇うように握った。


 エドワード殿下はその様を冷ややかに一瞥する。

  

「ところでレオンハルト殿。貴殿の声は大きいな」  

「え?」

「独善的な態度もそうだ。貴殿はそうしてセラフィナ嬢の声を奪ってきたのだな」


 苦悶の表情で固まったレオンハルトは、額に粒の汗をかいている。


 痛みか、それとも至高の皇太子殿下の指摘についに己の業を自覚してきたのかしら。ぜひとも後者であってほしい。


 エドワード殿下が断定の物言いをするのはきっとわざとだ。彼の言葉がこの場の真実になっていく。


 セラフィナを不当に扱った彼らのことを『許しがたい』と言っていたけど、本当に怒ってたんだな。


 劣勢を悟ったのか、キャシーが必死の形相をする。

 皮肉なことにそれが、エドワード殿下の感慨の浮かばない平静な表情を引き立てた。

 

「違うわ! 言いがかりよ! だってレオは私に優しいわ!」


「貴女の優越感の誇示に意味はない。そのためにセラフィナ嬢を蔑ろにしていいわけもない」


「それはっ、その女が特別卑しいから! その女が私に何をしたと思う!?」


 一段と甲高い、ひび割れた声だ。

 エドワード殿下は労しげに伏し目になる。


(長いまつ毛が紫の瞳に影を作って、なんて色気なの……!)


 そしてすらりと美しい人差し指の関節を顎に当て、小首を傾げた。


「卑しい、ね。……貴女の恋人や友人は、貴女が魔法を使えることを知っているのだろうか?」

「――っ」


 キャシーは目を見開いて言葉を飲んだ。


(……そんな設定あった?)


「騎士の国では魔法は珍しいものだ。貴女が魔法で自作自演したところで気づける者はいたのだろうか」


(自作、自演……)


 まさか自作自演とは!

 あのとき、レオンハルトの腕に隠れて上がった口角はそういうことだったのね。


 魔法も知らず、戸惑い傷ついていくセラフィナを嘲笑っていたの。……そうなの。  

 

「キャシー、お前……」

「レオ、違うわ! 私は何もしていない! 本当にあの女がっ!」


 セラフィナ、見て。

 あなたを粗雑に扱った彼らの顔。真の愛とやらに裏切られた男と、正攻法では愛を勝ち取れなかった女の、成れの果て。


「私は憶測は言わない。中途半端は嫌いな質でね、貴殿と違い杜撰な調査もしない。この意味がわかるかな」


 ふふ、さすがです。エドワード殿下。

 キャシーの真実への釘刺しも、セラフィナへの不当な糾弾への非難もなんてスマートなのかしら。

 

「キャシー、俺に嘘をついたのか!」

「レオ!! あなたが望んだんでしょう!?」


 自業自得よ、ご苦労さま。

 真の愛の結末もあっけないものね。


「さて、ここで諍いをされても困る。本題だが、私は貴殿らがセラフィナ嬢を帰国させようとする意図を知っている」

「「!?」」


 ……中途半端は嫌いって言ってたけど、本当に容赦ないのね。やるならとことんってこと?


 優秀な為政者の追い込みって怖い。

 

「勢力を統制できず、執務も滞り、王太子の地位が危ぶまれているそうじゃないか。それで彼女に泣き縋るとは、何とも情けない姿だな」


 王太子から降格とは、想像以上だ。

 その窮地を脱しようとここまで赴いて取った手が、あの暴挙? お粗末すぎる。


 セラフィナ、この人はあなたが心を砕いて支える価値なんてない。あなたは傷つく必要、ないんだよ。


「――彼女が築いたものの重さを知れ」


 セラフィナの献身を包む低い声が、心の奥を揺らす。


「――っ、なぜ無関係の貴方にそんなことを言われなければならない!」

「無関係? 私が愛する人のことだ。婚約を一方的に解消し自由を許した貴殿こそ、本来無関係だろう。勘違いしないで頂きたい」

「いや、それは! ……え?」


 愛する、なんて言うからホール中の貴族の視線が私とエドワード殿下の間を行ったり来たりする。


 彼はそんなつよい言葉を使ってまでセラフィナを護ろうとしてくれるのか。

   

 愕然としたレオンハルトの表情はもはやどうでもいい。


 この人は、悔しいけど私以上に、セラフィナの積み上げたものを尊び、愛してくれてる。

 それなら怖いことなんて、きっとない。


「そうだな、一つ礼を忘れていた。貴殿がセラフィナ嬢との婚約を解消してくれたお陰で、私は彼女に愛を乞うことができる」

「は…………?」


 レオンハルトは吹いたら飛ばされそうなほど青白い顔で呆けているし、キャシーは血管がはち切れそうなほど真っ赤になっている。


 でもさすがに言い過ぎだ。私では応えられないのに。この人の不利益になるのは見過ごせない。そんなのは嫌だ。

 引き止めたくて袖を引っ張るが、彼は気づかないふりをする。

 

「そういうことで彼女は諦めてくれ。思慮深い彼女はなかなか口説かれてくれない。帰国してもらったら私が困るんだ。やっと頼ってくれるようになったところでね」


 エドワード殿下は、その鋭利な美貌を温かく緩ませて、私に向き直る。

 爪の先まで美しい指先で、繊細にペンダントを持ち上げた。


「……フィーナ、私の女神。貴女は自分の価値をもっとよく知ったほうがいい」

「……っ」


 熱を帯びた紫の瞳は、ぞくりとするほど魅惑的だ。

 その瞳に何もかも暴かれて、溶かされて、奪われてしまうような倒錯感。そうされたいと、心臓が激しく鼓動する。


 心をさらけ出すように唇を開いた、そのとき。


「あなただったんですね!」


 鈴が鳴るかのような可憐な声が突如割り込んだ。


「セラフィナ様、あなたが女神様だったのですね!」



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