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第十話 皇太子殿下の献身に溶かされた心は、神作画の無駄遣いを望みません



 鳴りやまない拍手を遠く聞きながら、至高の紫が気分のよい猫のように細まるのをどこか呆然と見ていた。


(まるで彼の独壇場だわ……) 


 この場を作り上げた当のエドワード殿下は、優雅に立ち上がった。すらりと高い背が真っ直ぐのび、平静の表情が鋭利な美貌を際立たせるのを、誰もが目を離せずにいる。


 私の目も馬鹿みたいに熱心に彼の動作を追うから、一つ一つの仕草がやけに鮮明だ。スローモーションみたい。


(え、ちょっと……!?)

 

 マントを払った腕が私の腰を引き寄せた。細身に見えるのにその腕は力強い。


 エスコートだと言い逃れできる範疇を超えている。もう手遅れかもしれないけど。彼はそれで後悔しないのだろうか。

 

「私はこれでも為政者だからね、好機は逃したくないんだ」

「……え?」


 彼の視線がある一点を向いた。


 レオンハルトが、がくりと落ちた肩で呆けたように私を見ている。完膚なきまでに後悔させてやろうと思っていたはずなのに、すっかり忘れてた。


 それにしても、こんなに覇気がない姿初めて見た。心無しかご自慢の筋肉も萎んで見える。


 いつも鬱陶しいほどベタベタとくっついていたキャシーとは距離があってむしろ新鮮でしかない。

  

「さて、レオンハルト殿。貴殿はこの様に聡明で勇敢な女性を無能だと罵り傷つけたわけだが、大した慧眼だったな。そこで呆けていてもいいが、これ以上その姿を晒して意味はあるのか? 貴殿は直ちに国へ帰り、己の身の振り方を考えたほうが良い」


 ぐう……、とレオンハルトが悔しげに喉を鳴らすのが聞こえた。


「フィーナは絶対に帰さない。貴殿の真の愛とやらと共に、彼女の過去の献身を思ってせいぜい後悔するんだな」

 

 がくりと大きな身体が膝をついたのを一瞥する。

 もっと達成感に満たされると思っていたのに、なんだか本当にどうでもいい。こんなちっぽけな存在に煩わされるなんて御免だ。セラフィナもそう思わない?


 

 温かい腕に促されるままホールを抜け、人気のないテラスに出た。月は見えないけど、星が天空を埋め尽くす。心地よい夜風が草木を揺らし、髪をふわりと掬い上げる。


(……終わったんだな)


「エドワード殿下、ありがとうございました」 


 彼は、自嘲するようにはっと息を漏らした。


「いや、私の後悔に付き合わせて悪かった」


 ……この人は、セラフィナのために怒ってくれる。助けられなかったと後悔までしてくれる。護るように、労るように寄り添ってくれる。

 ――彼は、眠りつくセラフィナが思った愛の形をしている。


 アメジストのペンダントが重たい。

 そっと指先で触れ、一度目を瞑り、彼を真っ直ぐ見た。


 彼と話さないといけないと思っていた。彼に、誠実でいないといけないと覚悟していた。


「これは、今日、どうしても着けたくなってしまったんです」


 今日が最後のシナリオの日だから。

 ボーナスタイムもとうに終わり、スキルは完全に沈黙している。


「本当に着けてもいいかわたくしでは分からなかったのですが……。見るたびに気持ちが揺さぶられて、着けないと絶対に後悔すると思いました」 

 

 指先が氷のように冷えてる。乾いた唇を湿らせて、震える喉でなんとか言葉を絞り出そうと唾を飲んだ。視線を反らしたくなる衝動を耐え、すうっと息を吸い込む。


「ごめんなさ……」

「待て」


 短い言葉が、どこか懇願のように聞こえた。

 彼は考え込むように少し俯く。


「貴女はあの時も『わたくしではお答えできません』と言った。貴女にしか返答できないはずなのに、その言葉がずっと不思議だった」


 身体がぎくりと固くなる。全身が警戒してる。

 彼は私を見やると、紫色の瞳を緩ませた。


「そう身構えなくていい。言いたくないことは言う必要はない。私は貴女の全てを暴きたいけれど、何より傷つけたくないんだ。大丈夫、ただ、答え合わせをしよう」


「答え合わせ……」


「そうだ。今の貴女は、私の知るセラフィナ嬢とは印象が違う。私の気の所為と言ったらそこまでだが、騎士の国でのことを調べていて確信した。貴女はあの卒業パーティーで突然人が変わったようになったようだな」


 エドワード殿下は一度言葉を切り、考えをまとめるようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「貴女は、傷ついたセラフィナ嬢を守るためにできた別の人格ではないか?」 

「――っ!」


 喉が引き攣れる。変わったと受け入れるのではなく、私がそもそもセラフィナじゃないって思われてたなんて。

 異世界転生を知らない彼は、それを多重人格として定義するのか。

 

 なんて合理的だろう。その洞察力も、自分の言葉でセラフィナを理解しようとする献身も、何もかも敵わない。


 ……きっとはやく、あなたのセラフィナに帰ってきてほしいよね。


 それがあるべき姿だって思う。私だってこの優しい世界をセラフィナに見てもらいたい。


 胸にぽっかり空洞ができたように寒いのも、その穴がシクシクと針で刺されるように傷むのも、呆れるほど身勝手だ。だって他でもない私が、セラフィナを裏切ってる。

 

「だけど、それにしては貴女は私の知るセラフィナ嬢のようでもある」 

「え……」 

「知識、マナー、話し方、考え方、趣味嗜好。それらはセラフィナ嬢のままだけれど、フィーナはもっと勇敢で行動力がある。まるで二人で一つのようだ」


 頬を撫でる穏やかな夜風のように低く柔らかい声が、ちぐはぐな心を掬い上げて、丸ごと全部包み込む。

 

「そう、見えますか?」

 

 するりと落ちた言葉は、みっともなく震えていた。

 そうなら嬉しい、なんて借り物の身体で何を自分勝手な。


 エドワード殿下は身をかがめ、何もかも見逃さないとでも言うように私の目を覗き込んでくる。

 その目で見られるのは怖い。


「フィーナは自分がいなくなると思っているのか?」

「――っ」


 私の傲慢な不安がどうしてわかるの。


 私の怯えを見切ったはずなのに、目の前の彼は表情も変えない。


「貴女の不安はこれか。心は肉体に宿るものだ。仮に貴女が別の人格だとして、セラフィナ嬢が望むからここにいるのだろう。その心配は杞憂だと思うが……」 

「望む……」

「そう感じたことはないか?」


 胸にそっと手を当てた。転生してからもうすぐ一年経つ。その間私を生かしてきた心臓は、いつも通り脈打っている。


「……ある。あります」

 

 胸の底が温かくなったり、まるで相槌のように鼓動したり……、そういえば拒絶されたと感じたことは今まで一度もなかったな。

 

「そうか」


 ただ冷静に淡々と感情の乗らない口調が、むしろ温かく私の葛藤を溶かしていく。重い重い重石がとれるような心地がして息がしやすくなった。


 彼の目尻が殊更優しく下がる。熱の籠もった紫色の瞳に対して、白皙の頬はわずかに震えたようだった。


「フィーナ。思慮深くも勇敢で、賢くも努力を惜しまない貴女が、私は好きだよ」


 すとん、と胸に落ちた。

 あなたがいうそれは、セラフィナと私、二人のことみたいだ。


 ずっと罪悪感が胸を占めていた。

 あなたの身体で勝手にごめん、って。


 でも今、心の奥底から温かい想いが溢れてくる。

 心地よいそれを余すことなく感じるようにそっと目を閉じた。


 穏やかな鼓動に身を任せていると、二人で一つの心が彼の想いで熱く満たされていく。それで漠然と不安になった。

   

「……もし私がいなくなったら、あなたは悲しんでしまわないですか?」

「それはそうだろうが……」


 彼は一瞬だけ逡巡すると、あけすけに言った。


「でも考えてみて欲しい。今貴女に振られても私は悲しむよ」


(……あれ? 確かに……?)


 私、病室のベッドでいつも『今一番やりたいことをやろう!』と意気込んで、セラフィナを愛でてなかった?

 そうよ、あの時は、未来のことを悩んでもどうもなんないじゃんって笑ってた。


「今、悲しみに暮れる私の顔を見たいか?」


 下がる柳眉、伏せられる長いまつ毛。無理に微笑もうとする頬はふるふると震え、涙の膜でより光を集める高貴な紫。

 ……想像だけでお腹いっぱいです!


 神作画の無駄遣いは避けなければ。もし万が一減ってしまったら人類の損失だ。

 畏れ多すぎて、首をブンブンと横に振った。


  

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