AI作品批判で思い出すボカロ草創期
最近のAI小説の議論、ちょっと既視感ありません?
歴史は繰り返すって、本当だなと思ってます。
今のAI創作の炎上や批判を見ていると、
どうしても思い出すんですよね。
初音ミクに代表される、
ボーカロイド草創期(2007〜2010頃)のこと。
あの頃も、かなり荒れてました。
・機械の声で歌うなんて音楽じゃない
・感情がない、魂がない
・素人が量産してクオリティが低い
・こんなの一過性のブームで終わる
……見覚えありません?
今のAI小説批判と、ほぼ同じ構図なんですね。
さらに言うと、
・誰でも作れるから価値が低い
・既存のクリエイターの仕事を奪う
・これは文化として認めるべきではない
このあたりも完全に一致。
で、じゃあその後どうなったか?
もう言うまでもないですよね。
良い作品だけが残って、文化として定着しました。
誰でも知ってるボカロP出身アーティストといえば、
ハチPは米津玄師さんとして大活躍中。
友人のwowakaさんもヒトリエとしてメジャーで活動されていました。
YOASOBIもあれボカロ畑出身ですよね。
結局、
「新しい表現は最初に叩かれる」
というだけの話ですね。
……ただ、AI創作の問題は、はボカロ草創期より、もっと混み入ってて面倒くさい。
今起きてる問題って、
単純な善悪じゃなくて、いろんな論点が混ざってる状態なんです。
だから一概にいえない。
スッキリしないのはそのせいです。
・作品のクオリティ
・著作権
・収益化
・倫理
・表現の自由
AI作品問題は、ぜんぶ一緒くたに語られてる。
人によって意見が違う。
だから議論が噛み合わない。
いまのAI創作の論議、どれも論調バラバラですよね。
(ただし2026年4月現時点では、否定的意見がやや優勢)
もう少しシンプルに見ると、結局これです。
「駄作は淘汰されて、良作は残る」
2:8の法則って知ってますか?
これはAIだろうが人間だろうが変わらない。
今はAI生成作品が一気に流入して、
ランキングが一時的に荒れてる状態。
読む価値のある作品が押し流されてるように見える。
でもこれ、長期で見ると必ず整理されます。
むしろ問題なのは、この“過渡期”で消耗すること。
しかも、今この瞬間もAI作品はどんどん作られてるし、
海外では人を雇って、ウケのいい作品を大量生産しているケースがすでにある。
止めようとしても止まることはないでしょう。
AIの台頭は時代の大きな奔流です。
私たち個人レベルからは、この流れを変えることは不可能です。
だったらどうするか?
――このビッグウェーブは乗りこなせ。
AI作品問題は、「表現の自由」の大枠の中で繰り広げられる、過渡期の現象。
だから、議論はほどほどでいい。
むしろ、攻撃性や他者批判の強い持論の展開には注意が必要です。
デジタルタトゥーとして残って、あとで自分の首を絞めかねません。
クリエイターがやるべきことはシンプルで、
自分の作品を作ること。
これに集中した方がいい。
結局、歴史的に見ても、
残るのは“ちゃんと面白い作品”だけなので。
そしてこれはAI時代でも変わらないと思っています。
じゃあ、
その「ちゃんと面白い作品」って何なのか?
AIでも作れるのか?
次はそこを、もう少し踏み込んで書いてみます。




