第七節B:『小休止』
「……っ、なに……っ!?」
陰々蛇さんは驚いたようにビクッと身体を震わせてそのカードを放り投げるが……そこから放出される桃色の光は、真っ直ぐに彼女の元へと向かっていく。
——『色欲』の魔法、『桃色の超感覚』。
頭の中から誰かが声高にその魔法を詠唱するのが聞こえた気がして、そして次の瞬間その桃色の光は——陰々蛇さんの全身を逃さず包み込んだ。
そして——
「あ、あう……っ」
「んだこりゃ!?陰々蛇の全身が、真っピンクになっちまったぞ!?」
驚いて目を剥いた闇崎さんの言葉通り、彼女は本当に全身が、上からペンキで塗りたくられたかのようなピンク色に豹変していた。その紙袋も衣服も、肌さえ区別せず一面が——ピンク色に染まり上がっている。
「い、陰々蛇さん?大丈夫——」
「ひゃ……っ!?」
フラフラと今にも倒れそうな彼女が心配になって、僕はその桃色の肩を支えようとそっと手で触れる——が、僕の手の平が触れた瞬間、彼女はビクビクと肩を震わせて、堪え切れなくなったかのように甲高い悲鳴を上げて飛び退く。
「だ、だめ……っ!い、いま……さわら、ないで……っ!」
「んだよ、いつもはうぜーくらいにベタベタしてその無駄にでっけーの押し付けてくるクセによ」
「で、でででも……いま、なんか、ぼくの身体……へん……っ!全身が、『ムズムズ』する……っ!」
「全身が、ムズムズだ?」
「お、おまえの声すら……キンキンして、耳がかゆくなる……っ!」
「……いや、訳分かんねーよ」
プルプルと震えて耳を(ちゃんと紙袋の中に手を突っ込んで)塞いだピンクの彼女に、闇崎さんは呆れたように冷めた目を向ける。
しかし、今の陰々蛇さんの様子は……傍から見ていても、明らかに異常だった。
「目がチカチカするし、耳はキンキンするし、鼻はツンツンするし、口の中はピリピリするし……っ、何より、全身がムズムズする……っ!」
「へっ、よく分かんねーけどざまーみやがれ。それ、ツン」
「やっやめ……くすいから、バカになっちゃう……っ!」
「ツン、ツン、ツン、ツン、ツン」
「や、やあっ……たすけ、ユーバラ……っ!」
「……」
まるで日頃の鬱憤を晴らすかのように、闇崎さんは悶絶するピンク陰々蛇さんを指先で次から次へと突き刺しまくっていた。
ガクガクと全身を痙攣させてその場にうつ伏せに倒れ込んだ彼女は、紙袋の中から例の『魔法少女』へのあらん限りの憎悪を垂れ流している。
「あ、あうぅ……。あの魔女、ゼッタイにゆるさない……っ。今度あったら、た、ただじゃおかない……っ!」
「すげーな、その魔宮木のピンクカード。マジモンの魔法が起こせんじゃねーかよ。このアホ紙袋をおもちゃに出来るぜ」
「……闇崎さん、そろそろ陰々蛇さんをイジメるのは止めてあげて」
「へいへい。それで、今の魔法はどんな効果だったんだろうな?」
「分からないけど……見た感じ、刺激に敏感になるような効能なのかな」
「……謎な効果だな。こっちはこっちである意味すげーけど、それでもさっきの大災害に比べたら地味じゃねーか?」
先ほど行使した『怠惰』の魔法は、周囲一帯の環境そのものを変異させ、そして崩壊へ導く壮絶な結果をもたらした。
それに対し、今の桃色の魔法——『色欲』の魔法は、陰々蛇さんを刺激に敏感にさせ、そして悶絶に至らせただけ、といえば確かに、スケールダウンした感はいまいち否めない。
……だけど、見てくれのインパクトが大きい能力よりも、一見すれば地味でしょぼそうな能力の方が、意外に応用が利いて使いやすいことも多いんだよな。
「それにしても魔宮木のヤツ、こんな隠し札を持ってやがったなんてな。他のカードの魔法も見せてくれよ」
「いや、僕も具体的な内容は聞いてないんだけど……」
「なら実際に実験して確かめてみるしかねーだろ。ほら、この赤色のカードなんて結構強そーじゃね?」
そう言って闇﨑さんは地面に散らばった五枚のカードの内の一つ――赤色のカードを拾い上げ、ワクワクと少年のように笑っている。
すると……また、その赤色のカードが激しい光を辺りに放出した!
――『憤怒』の魔法、『血色の超興奮』。
「お……おおっ?なんか急に力が……漲ってきたぞッ!?」
カードから放出された赤色の光が闇﨑さんを包み込み、今度は彼女の全身が真っ赤に染まり上がる。
真っ赤になった彼女は肌のあちこちに血管が浮き出て、まるで有り余る活力を抑えきれなくなったかのように握った拳をブルブルと振るわせて、その両目をくわっと見開き――そして。
次の瞬間、地面に亀裂を走らせ、彼女は高く跳ね上がった。
——優に数メートルは、軽々と。
「身体が軽ィ!すげーなこの魔法ッ!今なら何でもできちまいそうだぜッ!」
「こ、こっちの魔法は……単純な身体能力の強化、なのか!?」
「アンザキ、ずるい……っ!ぼくはこんなに酷い目にあってるのに……っ!」
僕と陰々蛇さんがそれぞれ、一瞬で数メートルの跳躍を可能とする超人と化した彼女に驚愕と嫉妬の視線を向ける。だがそんな僕らの視線に当の彼女は意味が分からなそうに小首を傾げて、
「あー?お前ら今何か言ったかッ?声がちっさくて聞こえねーよッ!」
「……あれ?」
「なんかあいつも、へん……?」
と、ぴょんぴょんと高く跳ねながらどこか乱暴な大声でそう訊き返してくる。常の彼女の、勝ち気ながらも地に足が着いた態度が豹変したように――節操も無く、耳がキンキンするような大声を無遠慮に僕らにぶつけてくる。
「だークソ、身体は軽ィのに目がショボショボして気持ち悪ィ!なんか耳も水が入ったみてーで音が聞こえにくいし……なんかイライラしてきたぞッ!」
「あう……アンザキ、もうちょっと声おさえて……」
「くっ……こっちの『憤怒』は、『色欲』とは全然効果が違うな。――闇﨑さん!他に身体の異常はある!?」
「あーーーー……。ちょっとずつ、マシになってきた……ぜッ。なんか、全身の感覚がふわふわして曖昧な感じだなッ。身体は軽ィが、視界がぼやけるし、耳も遠くなって最悪だ……ッ!」
全身の感覚を敏感にした『色欲』に対し、『憤怒』は全身の感覚を曖昧にした……ということか。
――恐らくそれぞれの魔法には、何らかの制約がある。
先ほどの『怠惰』の魔法を行使した際にも、僕の全身は尋常ならざる倦怠感に堕落しかけた。それと同じように……『色欲』も『憤怒』も、行使者に何らかの負担を掛ける可能性がある。
「……無闇やたらに、このスペルカードは使うべきじゃないな」
「ユーバラ、その魔女の危険物は生徒会の立場としてやっぱりみすごせない。そのカードは、特にそのピンクのヤツはこのぼくが責任をもってあずかる。ちょーだい」
と、『色欲』の魔法の効果が薄くなってきたのか、身体の色が徐々に元に戻りつつある陰々蛇さんは、なぜか物欲しそうにさっと手を差し出してくる。
しかし、先ほどと言っていることが丸変わりしてはいないだろうか。
「……うん?さっきは処分するって言ってなかった?」
「そ、それは……ほら。兵器運用、とか、できるかも……だし。癪だけど、使い道はあるかも……だし?」
「確かに、上手く使えば敵を攪乱させることも可能かもしれないね。流石だよ、陰々蛇さん」
「そ、そう……っ。ぼくはちょうどそれをかんがえてた……っ!だから、『有事の際』にそなえて大事にとっとく……っ!」
なぜか鼻息を荒くしながら興奮して詰め寄ってくる彼女であるが、そもそもとしてこれは魔宮木さんの所有物なのだから、どのみち他の誰かに無断で明け渡すことなど出来ないのだった。
魔宮木さん……彼女が何を思ってこれを僕に託してくれたのかは分からないが。
それぞれのカードには、特殊な魔力が込められているのだと彼女は言っていた。あの時は、それはいつもの彼女らしい、『魔法少女』の誇大広告に過ぎないのだろうと、あまりその言葉を真面目に受け止めてはいなかった。
しかし今となっては……このような奇想天外な特異的事象、まさに『魔法』の数々を実際に目にした今では、僕の中では一つの信仰が淡く浮かび上がりつつある。
――魔宮木イツキは、本物の『魔法少女』なのではないかと。
それは一か月前の僕では決して持ち得なかった信仰。
彼女を『実効性』の異能者だとしか見ていなかったあの時の僕では。
だから僕はまた見失う。
彼女の正体を見失う。
仮に彼女が本物の『魔法少女』だとするなら、その本質はどこにあるのか――――
「――なにか、くる」
「……え?」
だがそこで、思考の海に沈んでいた僕を現実に引き戻すように、不意に目の前の陰々蛇さんがぽつりと何かを呟いた。
そしてそのまま――何かを直感したかのようにビクッと身体を震わせ、刹那――短く叫んで僕の身体を強引に突き飛ばした。
「……っ、あぶない……っ!」
「ぐっ――」
その瞬間、記憶に焼き付いていたあの『嫌な音』が、空間を席巻するように木霊した。
――カシャッと、シャッターが切れるようなあの音が。
そして――次の瞬間、異変は目の前で起きた。
「あ……?お前ら、一体なに顔色変え――テ?」
「アンザキ……っ!」
「闇﨑さん!」
陰々蛇さんの警告が耳に入らず、その場に立ち尽くしたままだった彼女は恐らく『あれ』の餌食に掛かり、糸が切れたようにその場にどっと倒れ込んで沈黙した。
まるで時間が止められたかのように、死んだようにぴくりとも動かなくなる。
――この現象には、既視感がある。
さっきも聞こえた、あのシャッター音。あれが聞こえた瞬間……意識がぷつんと途切れ、目を覚ますと身体が鉛のように重くなって動かなくなっていた。
どうして、あれを失念していた。
あの『捕食者』を退けたところで、まだ警戒すべき脅威は残っていたというのに――
「――さあ、これで一名小休止ですわ」
「……っ、だれ……っ!?」
――どこか呑気な、優雅な美声が戦場の注目を席巻するように響き渡ったのはまさにそのときだ。
カツカツと軽快に靴音を鳴らし、その人物は不意に僕らの目の前に姿を現す。
場違いにも金色に輝くフルートをその手に携えた、純白のロングドレスを身に纏った小柄な少女の人影。
――そしてそれは、文字通りの『人の影』だった。
暗闇の中で、それはまるで幽体のように朧気に、その輪郭を曖昧に揺らしながら、ドレスの少女の白いシルエットだけが、ゆらゆらと暗闇の中に浮かんでいる。
その中で。
彼女が握る、はっきりとした実体を持って見える、その精巧な造りの金色のフルートだけが――異様な存在感を放っていた。
「君は……何なんだ」
「私は見ての通りの『音楽家』。音に祝われ、音に愛された存在ですわ」
「『音楽家』?それって――」
どこか聞き覚えのある単語に、僕の頭の中で何かが電撃的に繋がりかけた――だがその前に、その白い少女の次の言葉に、ゾッとするようなその美しくも冷たい声音に、思考が凍り付く。
「――そして今は、『捕食者』に最も近しい眷属の一人ですのよ」
「――ッ!?」
「ユーバラ、やばい……っ、なにか、くる……っ!」
陰々蛇さんが何かの危機を察知したかのように焦燥に駆られて短く叫ぶが、時すでに遅くその白い少女は、『音楽家』はその手のフルートを、そっと口元に近づけており――そして、次の瞬間。
『『『『【 死 の 狂 騒 を 】』』』』
「ぐっ……あぁぁぁあぁあぁあぁッ!?」
――頭が割れるような、脳を侵すような超音波が、激しい衝撃波と共に戦場を覆い尽くしていた。
さあ、異能バトルの開幕だ!




