第八節:『音楽家』
『色欲、憤怒。
何時如何なる時も理知と理性の下にあり、高貴で寛大なこの偉大なる『魔法少女』には縁遠い悪徳であることは言わずもがなだけど。
この二つはどこか似通ったところがあるように思えるのよね。
快楽に溺れるのも、暴威に呑まれるのも。
自分を見失い、在るべき魂の形から離れた獣性に屈するんだわ。
桃色も血色も同じ色相の下にあるのなら、両者はどこかで入り混じり――そして均衡を得ることでしょうね。
――あぁ、魔力が足りない……満たされないわっ!
――早く魔力を寄越しなさいよっ!イライラするわねっ!
』
* * *
『『『『【 死 の 狂 騒 を 】』』』』
『『『『【 死 の 狂 騒 を 】』』』』
『『『『【 死 の 狂 騒 を 】』』』』
『『『『【 死 の 狂 騒 を 】』』』』
『『『『【 死 の 狂 騒 を 】』』』』
「ぐっ……っ!」
金色のフルートが繰り返し奏でるその凶悪な戦慄が、常軌を逸したその超音圧が辺りの空気をひび割れさせながら蔓延し続けている。
まるで空気そのものが音に塗り替えられたかのように、フィールド全体がその白い少女の……『音楽家』の独壇場に様変わりしていた。
――頭が、割れる。
このまま彼女を自由にさせていては、気が狂ってしまう。
ガクガクと、震え切った足に喝を入れて、どうにか立ち上がろうとした――そのときだった。
「……え」
「あ、あう、ああ、う、あ、あ……え」
ふと、冷たい指先が……気づけば背後に立っていた陰々蛇さんの桃色の手が、ブルブルと震えて僕の首元を撫でていた。――いや、指先だけでなく全身が、その声までも極寒に晒されているかのように震え切っている。
「陰々蛇さん……?大丈夫?」
「――き、は…………なきゃ」
「……え?」
「てきは……ころさ、なきゃ」
「――ぐ……ッ!?」
その瞬間だった。不意に彼女の桃色の手が僕の首を逃さぬように包み込み、そのままぎゅっと――その怪力で、締め上げるように力が込められる。
「ころさなきゃ、ころさなきゃ、ころさなきゃ、ころさなきゃ、コロサナ、キャ――」
そのまま彼女は、藻掻く僕を強引に押し倒して上から馬乗りになり、更に首を締め上げる力を強めてきながら、取り憑かれたように虚ろに何かをブツブツと呟いてその紙袋の穴から覗く血色の双眸が狂喜的に爛爛と輝き焦点の合っていない瞳に見られ射抜かれ息がつまりいき息がとまってくるしくるくるくるしく、く、く、るし、し、し、し、い、い、い、あ、い、い、い、き、いき、いきいきききいいいきききききいきいいききききいきいきいきいきいき――――
「勇……原。な、にか……おしえ……ろ。つ、ぎは――」
視界の端で、ガクガクと震えながら顔を起こした少女が、決死の表情で何かを訴えかけているのが見えて。
僕はほとんど無意識の中に、唇を動かした。
『――音霊、だ』
その次の瞬間、首を締め上げる力が更に強くなり――――。
* * *
「ユーバラ、やばい……っ、なにか、くる……っ!」
陰々蛇さんが何かの危機を察知したかのように焦燥に駆られて短く叫ぶが、時すでに遅くその白い少女は、『音楽家』はその手のフルートを、そっと口元に近づけており――そして、次の瞬間。
『『『『【 死 の 狂 騒 を 】』』』』
「ぐっ……あぁぁぁあぁあぁあぁッ!?」
頭が割れるような、脳を侵すような超音波が、激しい衝撃波と共に戦場を一気に覆い尽くした。
僕は訳も分からず、その凶悪な戦慄に耳を必死に塞ぐしかなかった。だがすぐに、隣からその音圧に負けない大声を響かせて顔を上げる少女がいる。
「勇……原ッ!あ、れは……音霊、だッ!」
「あ、闇﨑さん!?」
「オ、レは……動けねーけど、耳が、遠いから……平気だッ!で、も……陰々蛇……のヤツが、やべえッ!」
「……っ!」
そう叫んだ彼女が指差した先、僕と同じく耳を塞ぐ陰々蛇さんは、明らかに何かの異常をきたしている様子で、全身をブルブルと震わせて蹲っていた。
「あ、あう、ああ、う、あ、あ……っ」
「――くっ」
――恐らく闇﨑さんは、『巻き戻し』の異能で情報を持ち帰ってきた。
音霊……『音霊』の異能。
戦場の真ん中であの白い少女が撒き散らす音波に、【死の狂騒】の悪意が込められているのだとするなら――
「――てきは、ころさなきゃ」
「勇……原、来る、ぞッ!!」
「……っ!」
闇﨑さんの警告が甲高く響くのと同時、身構えた僕にゆらりと立ち上がった彼女は、いきなり我を失ったように僕に向かって襲い掛かってきた。
やはり……あの凶悪な旋律に、呑まれて操られてしまっている!
――『音霊』の異能は、自身が発する音に意志を込める。
恐らく戦場に蔓延する音波には、仲間割れを誘発させる洗脳作用のような効果が付加されている。このまま【死の狂騒】の演奏が続けば、更に洗脳は強まり、いずれ僕すらもその悪意に呑まれてしまうかもしれない。
だから――
「――頼む、役割の『借用』!」
僕は戦場の中心で優雅にも残酷な演奏を続ける『音楽家』の、金色に輝くフルートを指差し、己の異能を行使した。
その瞬間、フルートの輝きが僅かに失われ、その『音霊』の力が僕の中へと流れ込んできたのを確かに感じる。
そして僕は――ブルブルと震えながら襲い掛かってくる、悪意の旋律に支配された少女の洗脳を打ち消すように、必死に声を張り上げた。
『【――陰々蛇さん!正気に戻るんだ!】』
「あ……う?」
僕の声が届いたように、彼女の身体の震えが止まり、その声色と瞳に微かに正気が戻る。
だが――
『『『【 死 の 狂 騒 を 】』』』
「あう……やっぱり、ころさ、なきゃ……」
「勇、原ッ、音圧が……足りてねー!もっと声を……張り上げろ!」
「クソっ……!」
根本的な出力の違いで、再び辺りに木霊した『音楽家』の旋律に、僕の音霊が掻き消され、洗脳状態に逆戻りした陰々蛇さんはまたブルブルと震えながら襲い掛かってくる。
「ち……くしょうッ。なんで……よりにもよって……《《陰々蛇だけ》》が、操られん……だよッ!」
「……確かに、僕と闇﨑さんは全然平気なのに」
襲い掛かってくる彼女をいなしながら、その傍で倒れ伏した闇﨑さんが悔し気に歯を剥いているのが見える。
彼女の言う通り、僕らは同じ場所で同じ音を聞いているはずなのに、まるで個人差でもあるかのように真っ先に陰々蛇さんが洗脳されて――
――待てよ、個人差?
よくよく思い返してみれば、『色欲』の魔法の効果が残留する陰々蛇さんの全身は未だピンク色、対し『憤怒』が残る闇﨑さんは赤色だ。
『色欲』の魔法は感覚を敏感にし、『憤怒』の魔法は感覚を曖昧にした。
――つまり陰々蛇さんは、僕らに比べて五感が鋭敏な状態にある。
そうか、それなら――
「――桃色を血色で上書きする!『血色の超興奮』!」
「あ、う……っ!?」
刹那、僕は懐から取り出したその赤色のカードを取り出し、即座に詠唱――襲い来る眼前のピンク色の少女に向かって、眩い赤光を真っすぐに放出した。
その赤光は即座に少女を包み込み、彼女の全身はやや赤みの強い、桃色が入り混じったコーラルピンクの様な色に豹変する。
真っピンクではない……感覚過敏が『憤怒』の色によって和らいだ今なら、近くにいる僕の『音霊』がより強く届く!
『【陰々蛇さん!僕の声が聞こえる!?】』
「あ……れ?ユーバラ……今ぼく、なにして……」
今度は完全に身体の震えが止まり、彼女はハッと我に帰ったように足を止めてくれた。
正気に戻った彼女は、怪訝に自分の体色の変化を見回しながらぶっきらぼうに口を開く。
「……なんか、身体がちょっとあかくなってる……なにこれ」
「洗脳を解いたんだ!今の内に逃げよう、陰々蛇さん!」
「クソ……わ、りぃ。身体がまだ重くて……自分で動けねー。オレ、足手纏いだ……っ!」
僕は未だに途切れ途切れに苦しそうに言葉を紡ぐ闇﨑さんに肩を貸しながら、戦場の中心に尚も佇む『音楽家』の狂騒曲に背を向け、当惑した様子の陰々蛇さんに指示を飛ばす。
「……にげるの?」
「長時間あの音を聴き続けると洗脳される!ここに居続けるのは危険なんだ!」
「りょーかい、それならぼくにまかせて」
「……え?」
「――今、身体がすごいかるい」
と、彼女はそこで粗雑に僕と闇﨑さんにその両手を伸ばしてきて――
「――せーの、えい」
「う、おぉぉぉぉぉおぉッ!?」
「――ッ!?」
――次の瞬間、僕らの身体を軽々とつまんで、戦場から天高く跳躍していた。
ここまでの魔法をざっくり整理すると、
『怠惰』(黄色)→地面ドロドロ
『色欲』(桃色)→感覚を過敏にする
『憤怒』(赤色)→感覚を鈍くする代わりに、身体能力が向上する
『忍耐』(緑色)→???
『純潔』(ミントグリーン)→???
という感じの効果ですね。




