第七節A:『小休止』
『怠惰。
それは在るべきを失い、怠けて自堕落に屈すること。
気力そのものの減退。魂そのものの腐敗。
まったく、この偉大なる『魔法少女』からは最も遠い悪徳ね。
怠けも惰性も、どんな魔法使いにも付いて回るもの。日々の研鑽を怠り、惰性に甘んじることが無いなんて言うつもりは更々無いけれど。
それでも私はどんな時だって変わらぬ『魔法少女』で在り続けるわ。
なぜなら私は生まれながらの真正の魔法使い。
責務も矜持もその偉力も、この魂に深く刻み込まれているもの。
怠惰ごときの悪徳で――この偉大なる『魔法少女』を腐らせることが出来るなどと、思い上がらないことね。
……はあ。
喋ってたらなんか、疲れてきたわ。
』
* * *
「——皆、何か言った?」
「……あ?別に何も言ってねーけど」
「なにもいってない」
その僕の問いかけに、目の前の二人の少女は……闇崎さんと陰々蛇さんは揃って首を横に振り、訝しげに僕を見返した。
今何か、誰かの声が聞こえたような気がしたのだが……ただの気のせいか。疲れていれば、まあそういう事もあるだろう。
さて、あの強大な『捕食者』をどうにか退け——そうはいっても奈落の底に沈んでいった彼女がその後どうなったのかは分からないのだが——僕ら三人はあの災害の現場から離れ、少し開けた広場に場所を移し、そこで小休憩をしているところだった。
どうにかしてこの異空間から抜け出す為の作戦会議も兼ねてだ。
「つーか陰々蛇、お前はいつからここに迷い込んでたんだよ。オレと勇原は……猫又のヤツを追っかけてたら、訳も分からずここに来ちまったんだが」
と、闇崎さんは新規参入した陰々蛇さんに話の矛先を向ける。確かにその点については、僕も気になっていたところだった。
僕も彼女もここに迷い込んだ原因がはっきりと分かっていない。だから新しく陰々蛇さんの例を聞けば、この状況を打開する方策も見えてくる可能性がある。
そんな僕らの期待を受けた彼女だが、いつもと変わらず無機質かつぶっきらぼうに話す彼女の答えは次のようなものだった。
「なんかへんな『グニャグニャ』があったから」
「……変な『グニャグニャ』、というのは?」
「……説明がむずい。なんか……時空の歪みみたいなのがみえたから、なんだとおもってさわったら、そこにすいこまれた。そしたら、この誰もいない繁華街にきてた」
「そしてその後……窮地の僕らを見つけて、助けに来てくれたってこと?」
「うん」
彼女はこくりと頷く。だが、予想もしていなかったその新情報に、僕と闇崎さんは当惑して互いに顔を見合わせるしかなかった。
「……でも」
と、陰々蛇さんはそこで紙袋を俯かせて、しゅんと項垂れたように、ぽつりと零す。
「……ぼくなんかより、コクレイとかが助けにきたほうが、ずっとよかったよね」
「……あ?なんで急に姐さんを引き合いに出すんだよ」
「だってぼくはただの……『隠密』のゴミ袋。でもコクレイは……あいつは……学園『最強』じゃん」
「……」
この学園には、あまりに多様な異能者がいる。
猫又豹子は『捕食者』で、闇崎古々見は『巻き戻し』で、この僕でさえ役割の『借用』で、魔宮木イツキは『魔法少女』だ。
だから、学園『最強』。
そのような図抜けた理不尽も——残酷なまでに存在する。
この場において、『隠密』と『最強』。冷徹な視点ではどちらが有用なのか——それは、議論の余地すら無く明らかなのかもしれない。
だけど——
「——姐さんには姐さんにしかできねーことがあるけど、お前にだってお前にしかできねーことがあるだろ」
「え……」
そう闇崎さんは、白い歯を見せて笑いながら握った拳を陰々蛇さんの胸に優しく添える。
「大体そんなこと言ったら、オレも勇原も立場が無くなるじゃねーかよ。あの人が指一本で全部ぶっ壊して、それで終いだ」
「それは……そうだけど」
「それでも今のオレらは三人で一つのチームだろ。オレが巻き戻して、勇原が奪って、そしてお前が隠密で隙を付けば、一回くらいは『最強』の背を取れるかもしれねえじゃねーか。なあ、勇原?」
「そうだね。闇崎さんの言う通りだよ」
思うところが無いでは無かったが、僕はこくりと首を縦に振る。
「だから陰々蛇、そんなつまらねーこと言うんじゃねーよ。オレらは皆三者三様に馬鹿でも、一馬鹿より二馬鹿で、二馬鹿より三馬鹿だ。頼りにさせてくれよ、日陰馬鹿」
「あう……バカがおおすぎてバカバカになりそう」
「じゃあこれでめでたく四馬鹿だ」
「……おまえってホントバカ。でも——」
と、そうぽつりと零した彼女は闇崎さんの腕にぎゅっと抱き着き、身体を密着させて嬉しそうに口を開く。
「ぼく、おまえのそういうとこすき……っ」
「だーもう、ベタベタすんなよ!オレはてめーのそういうとこ嫌いだ!本当に面倒くせーヤツだな、てめーは!」
怒りか恥辱か(恐らく前者が主だろうが)、抱き着かれた彼女はいつものように顔を真っ赤にして怒鳴り散らかすのだった。
先ほどは何らかの確執があったのか、二人の間にはどこかピリピリとした緊張感が流れていたが、今となってはそんな険悪な雰囲気の原因なんて最初から何も無かったかのように、二人の会話は嘘のような雪解けを見せていた。
何らの余韻すら残さず二人が完全に気持ちを切り替えているのは傍から見ていてどこか奇妙なところもあったが、部外者の僕がそれをわざわざ蒸し返すのは野暮だろう。そう思って僕も努めていつも通りに彼女らに接することにするのだった。
それにしても、変な『グニャグニャ』……時空の歪み。
果たして僕らはそんなものを観測していただろうか。
僕らが見逃していただけの可能性もあるが——
「……それで、陰々蛇の言うその時空の歪みってのが、この異空間への入り口みてーなもんなのか?逆に言えばそれが、ここから抜け出す出口になり得るかもしれねーってことだな」
抱き着いてくる陰々蛇さんを引き剥がした闇崎さんは、形の良い眉を顰めながらそう話題を戻す。
「そうだね……少し休んだら、それを探しに行くのも良いかもしれない。陰々蛇さん、またその時空の歪みを見つけたら教えてほしい」
「りょーかい」
落ち着いた彼女はぶっきらぼうにサムズアップ。そんな訳で、ひとまず当面の目標は僕ら三人の中で固まったわけだが——
「つっても……猫又のヤツ、流石にくたばってねーよな。あの奈落の底で伸びてるだけならいーんだが……」
「あのへんなねこ、だれ?なんかやばそうだったから、とりあえずぶんなぐったけど」
そう陰々蛇さんが、紙袋の頭を闇崎さんの方へと向けて訊く。
「オレの同クラだよ。Aクラスだから、お前は面識がねーかもな。名前は猫又豹子で、称号は『捕食者』。オレとは違って、完全にバトル向きの異能者だぜ」
「つよいの?」
「一年の中では、タイマンなら五本指に入る最強格の一人だ。さっきお前が勝てたのも、てめーの『隠密』で運良く不意を打てたからだな」
「ぼくの陰のうすさも、たまには役にたつ。……ほめて?」
「へいへい、良い所で助けに来てくれてありがとうよ」
そう闇崎さんは、粗雑に紙袋の頭をわしゃわしゃと撫でる。顔色は相変わらず窺えないが、陰々蛇さんはどこか嬉しそうに見える。
「それにしても、猫又さんは本当にどうしちゃったんだろうね。まるで彼女が彼女じゃないみたいだったよ」
「少なくとも普段のアイツは、問答無用で人の首を撥ね飛ばすようなサイコヤローじゃねえしな……」
「え?首を撥ね飛ばすって?」
「……いや、なんでもねー。それよりも勇原、オレはお前に訊きたいことがあんだよ」
と、闇崎さんはその細い指先を僕の方へ真っ直ぐと向けて言う。
「さっきの手品は何だったんだよ。人の異能をパクるてめーの力だけであんな大災害、起こせねーだろ」
「……それ、ぼくもおもってた。物陰からあのねこを闇討ちするタイミングをうかがってたけど……ユーバラが急に地面をドロドロにしだしたからビックリした」
「ああ、それは。いまいち、僕もよく分かってないんだけど——」
二人の少女から注目を向けられ、僕はポケットの中に仕舞い込んでいた五枚のカードを取り出し、それらを二人に見せる。
「魔宮木さんから、この魔法のカードを貰ったんだよ」
「……魔宮木のヤツから?ただの紙切れにしか見えねーけど」
「僕も最初はそう思ってたよ。でもさっき……その内の一枚がいきなりピカッと光って、そして気付いたら——あの大災害が起きてたんだ。だから——」
と、僕は続きを説明しようとしたのだが、そこで言葉が止まってしまう。
だって。
目の前の紙袋の中から、いつの間にやら凄まじい憎悪の念が溢れているのを、粟立つ肌が警鐘を鳴らしていたから。
「……あの嘘つき魔女からって、今いった?」
「陰々蛇、さん……?」
「さっきいったよね。あの魔女に変なことされたら、遠慮なくぼくにいえって」
「変なことって……魔宮木さんは本当に厚意でこれを僕にくれたんだよ」
「……詐欺師の常套手段。へんなブツを相手におしつけて、後から高額請求を通知してくる悪徳商法……だよ」
「てめーは魔宮木を何だと思ってんだよ……」
隣の闇崎さんは呆れたようにそう零すが、それでも彼女の憎悪は止まらない。
「ユーバラ、その呪符ぼくにかして。ぼくが責任をもって、処分するから……っ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ陰々蛇さん、一回落ち着いて——」
だが彼女は僕の言葉など聞こえていないかのようにグイグイと詰め寄ってきて、無遠慮にその身体を——ある柔らかい一部分を——押し付けてきながら、僕の手の中のスペルカードを無理やり奪おうとしてくる。
「——はやくよこせ」
「……っ!」
無機質で甲高いその声音で耳元に囁かれ、言いようの知れない危機感に全身が総毛立った僕は、思わずカードを手放してしまった。
そして彼女は素早く、その内の一枚を——桃色のカードをその手中に収める。
「……よし。これでもう安心」
そうして彼女はそのカードをぎゅっと握り締め——だが、その瞬間だった。
——彼女が握るカードが、まるで意志を持っているかのように桃色の光を放出した。




