第六節:『自堕落の腐食』
「――なんにゃァ、どうしテ、地面がドロドロに崩れテいくにゃ!?」
「――ッ」
みるみるうちに崩壊が進み、奈落の底へと沈んでいく大地の、その腐食の海に飲み込まれて身動きが取れなくなった猫又さんは悲鳴を上げていた。
――無意識の内に行使した魔法、『自堕落の腐食』が周辺の環境に及ぼした影響は絶大だった。
この繁華街の辺り一帯丸ごとを地図から消滅させる勢いで進行する、大地の腐食の大災害。地面のアスファルトが、街路に立ち並ぶ街灯が、全ての建造物が在るべき形を失って崩壊し、ドロドロに溶解してそれはまるでゼリーのように柔らかくなった大地に何もかもが飲み込まれていく。
見たことないレベルの災禍。
本当に自分がこれを起こしたのかと、現実が遠くに感じられる程の壮絶な光景。
――その渦中に、自分自身も呑まれているのだから尚更に。
「……ぁ」
猫又さんだけでなく、僕自身もその腐食の海に飲まれ身体をズブズブと深みに向かって沈ませていた。
逃れようと、抜け出そうと身体はジタバタと動く。だけど藻掻けば藻掻くほど、自重によってただ身体を堕落させていくだけの悪循環。自堕落の腐食とは何たる皮肉だろうと、ふかふかのベッドのように柔らかい腐食の大地の優しくも残酷な抱擁に、何だか頭が蕩けていくようで。
……あの『怠惰』の魔法を行使した直後、身体中の気力がゴッソリと削がれ、代わりに重く纏わりつくような倦怠感を流し込まれたような気がする。
それはこの災禍を結実させるための代償だったのか。
クソ……なんにせよ、どれだけ悔いてももう後の祭りだ。
決死のこの切り札は、あの『捕食者』を巻き込んだ自爆で終わる。それでも、どうにか闇﨑さんだけは逃げおおせるだろうと――
「――ニャヒヒヒヒ……こノ程度の崩落デ、あーしを倒せルとでも思っテるのかにゃァ?」
「くっ……っ!」
だが往生際の悪い『捕食者』はその瞬間、人外の脚力で力ずくに腐食の海を吹き飛ばして跳ね上がり、俊敏に落下していくコンクリート片を飛び移りながら、崩れ行く大地からの脱出を試み出した。
ダメだと、いうのか。
これだけの大災害でも、あの強大な『捕食者』にはあと一歩、届かないと言うのか!
「クソ……っ!」
「それじゃあサヨナラにゃァ、ゆうにゃん。後は一人寂しく沈んどけにゃ――」
「――いや、しずむのはおまえ一人」
――だがその瞬間、崩落の真中、上空から聞き馴染んだぶっきらぼうで無機質な声音が不意に木霊した。
まるで最初からそこにいたかのように、影から這い出てきたかのように、『彼女』は唐突にそこに存在した。
誰よりも目立たず、存在感の対極に位置し、影に愛され影に呪われる生来の『隠密』。
紙袋の少女――陰々蛇美影は、いつの間にか逃げ行く『捕食者』の頭上に姿を現していた!
陰々蛇さんはそのリンゴを握り潰せる怪力の拳を振り上げ、そしてそれと同時ようやく目前に迫っていた脅威に気付いた『捕食者』はぎょっと目を剥き、
「せーの」
「ちょ、ま――」
「えい」
——その顔面に、容赦の無い強烈な拳撃をぶち込まれた。
「ふざけんにゃアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!」
「ばいばい、へんなねこ」
断末魔のような絶叫を上げて奈落の底の闇へと堕ちていく『捕食者』に、陰々蛇さんは無慈悲にヒラヒラと手を振って別れを告げた。そしてそのまま何の感慨も無さそうに、同じく奈落に沈みかけている僕の方にトコトコと駆け寄ってきて、
「ユーバラ、さっきぶり。あぶない所だね」
「……陰々蛇さん、助かったよ」
「え?ぼく、まだおまえをたすけるなんていってないけど……」
彼女はきょとんと紙袋を傾かせる。
まさかここまで来て、僕は彼女に見殺しにされるのだろうか……。
それはちょっと、勘弁してほしいところだった。
「たすけてほしい?」
「助けて欲しい、かな」
「まだダメ。態度がなってない」
「助けて欲しい、です」
「語尾ににゃんがたりない」
「……助けて欲しい、です、にゃん」
僕は一体何をやらされているというのだろう。
紙袋の穴から覗く彼女の赤い目が、どうしてか愉しげに笑っているように見える。
「……アハッ、それじゃあ、次は――」
「……いいからさっさと助けろ、アホ紙袋」
「あう」
そんな彼女を後ろから、ヨロヨロと起き上がってきた闇﨑さんが引っぱたく。
どうやら彼女もようやく、身体を動かせるようになったみたいだった。
「陰々蛇、てめーもここに迷い込んでたのかよ」
「……う、うん。その、アンザキも……お昼ぶり」
「……お前」
何故かギロ、と闇﨑さんは陰々蛇さんを睨む。やけに剣呑とした雰囲気だった。もしかして僕が知らないところで、彼女らの間に何かのトラブルがあったのだろうか。
僕は午前中生徒会に居なかったから、詳しい事情は分からないのだが――
「――まあ、【あの件】は今は後回しだ。とにかく今は、目の前の問題を何とかしねーと」
「……うん。ユーバラまってて。今ひきあげにいく」
そんな風にひとまず矛を収めた闇﨑さんに、二人の間の緊張は解けたみたいだった。
そういうわけで。
窮地での陰々蛇さんの闖入により、奇しくもこの場には、異研学科生徒会一年の顔ぶれが一堂に会したわけであった。
パーティーメンバー。
僕。
『巻き戻し』の異能者、闇﨑古々見。
『隠密』の異能者、陰々蛇美影。
ああ後、それから――魔宮木さんから貰ったこの五枚のスペルカードも、パーティーに加えてもいいかもしれない。
淡く発光し、仄かな熱を放つ五つのカード。
黄、赤、桃、緑、ミントグリーンの五色のそれらのカードには、今は不思議と、先ほどまでは一切見えなかった白い文字が浮かび上がっている。
――『怠惰』『憤怒』『色欲』『忍耐』『純潔』と。
「魔宮木さん、君は――」
――本物の、『魔法少女』だったの?
その問いに答えてくれる人物は、今この場にはいない。
ただあの少女が僕に託した意志が、魔法だけが……この場にはある。
たとえ他の全てが嘘だとしても、それだけは揺らぐことのない真実だった。




