第三節:『吸血鬼の噂』
「――あら、そういえばタク……私があげたリンゴちゃんはどこにやったのかしら?」
「あ、ああ……それなら、えっと――お腹が減っていたから、もう食べちゃったんだよ」
「――。アンタって、意外と食いしん坊なのね……」
僕がそうリンゴの不在を誤魔化すと、魔宮木さんに真面目な顔で驚かれてしまった。
まさか、先ほど突如として現れたあの隠密少女に、片手で握りつぶされたのだ――なんて、馬鹿正直に告げる勇気は僕には無かったのだ。
――あれから間もなく、魔宮木さんは手ぶらで落とし物センターからこの広場へと戻ってきた。
それはつまり、彼女の『魔法のステッキ』の捜索に関して、何らの成果も得られなかったことを意味することになる。
ちなみに僕が魔宮木さんの方に注意を逸らした瞬間、陰々蛇さんはいつの間にか煙のように姿を消していた。まあ予想はしていたが、やっぱり彼女らしい消え方である。
さて、魔宮木さんが持ち帰ってきた話によれば、「そのような小道具類の届け出は受けていない」――とのことだ。そしてそれに加えて、「小道具じゃなくて『魔法少女』の神聖な魔道具なんだけどね」と少し不機嫌そうに注釈を入れていたことも述べておく。
それはともかく——
「一度、情報を整理してみよう。君はこの広場のすぐ傍の、八百屋さんに買い物の用があった。その際、自分の『魔法のステッキ』はここに置いていったんだよね」
「ええ、そうね。偉大なる『魔法少女』は人様の敷地内に、武装して立ち入るなどという不敬は決して働かないのよ」
そう高らかに語って彼女は不遜に頷いた。
魔宮木さんって、変わっているところはあれど基本は良識的なんだよな——なんて、最近になってようやく彼女の人物像が見えてくるようになった僕である。
一ヶ月前のあの頃は。
僕は今ほど彼女のことを、
見れていなかった。
——甚だ見る気も、なかった。
「——どうしたのよタク、急に神妙そうな顔をして」
「ああ、いや……なんでもないよ。それで……そうして買い物を終えてこの広場に戻ってくると、君の『魔法のステッキ』は消えていた、と」
そして、仮に誰かがそれを紛失物だと勘違いして持っていったのだとしても、落とし物センターからの回答は、「そのような小道具類の届け出は受けていない」——ということ。
「……奇妙な状況だ。やっぱり僕は、君の不在の隙を突いて、誰かが盗んだとしか思えないんだけど」
「もちろん私だってその可能性は既に検討していたわ。——そして、落とし物センターに伺いに行っている途中、一つの心当たりを思い出したのよ」
「……へえ?」
一つの心当たり。
恐らく僕の知識にはない情報によるものだろうと、得意げに片目を瞑りながらそうのたまった彼女に、僕は先を促すように視線を送る。
「風の噂で聞いたのよ。最近この繁華街には——不届き物の『吸血鬼』が現れると言われているの」
「……『吸血鬼』?」
やけに突拍子も無いワードが出てきたなんて思いつつも——創作物ではお馴染みのあの吸血鬼、か。
鋭利な牙で人の血肉を食らい、大きな翼で夜空を舞い、その危うい美しさで万人を魅了し、永遠の命を生きる——上位存在。
だが……ここはあくまでも異能者の街である。
現実の延長線上に異能力という空想科学はあれど、吸血鬼だとか怪異だとかモンスターだとか……そうした幻想存在の入り込む余地は無い。
だから——
「……『吸血鬼』っていうのは、何かの比喩みたいなものなんだよね?」
そう僕が訊くと、魔宮木さんはこくりと首を縦に振って答える。
「そうね。言われているところのその『吸血鬼』は牙も持たないし、翼を生やして夜空を飛ぶことも無いし、誰かを魅了する力も、不老不死の力も持たないわ」
「じゃあなんで、『吸血鬼』なんて呼ばれてるの?」
「——それが、その人にとって血肉のように大事なものを奪うと言われているからよ」
「……」
奪う。
奪取。
「それは例えば、この偉大なる『魔法少女』にとっての『魔法のステッキ』のようにね」
* * *
例えば『吸血鬼』は、写真家からカメラを奪う。
例えば『吸血鬼』は、音楽家から楽器を奪う。
例えば『吸血鬼』は、演者から衣装を奪う。
それが無くては、自分が自分でなくなってしまうかのような、とても重要なアイテム。
それはもはや、その人にとっての象徴とも言える所有物を——『吸血鬼』は、掠め取るのだと言う。
「『写像』の異能者、『音霊』の異能者、そして『仮面劇場』か……」
「その三人が現状の主要な被害者らしいの。……聞き覚えがあったかしら?」
「一応、どんな能力かは知っているよ」
それどころか三人がどんな人物なのまで僕は諸事情により知り得ているが、この場ではわざわざそこまで言及することを僕はしない。
「それなら話は早いわね。その三人はそれぞれが固有の能力を持っているけれど、その十分な行使のためには専用の道具を必要とするわ。例えばこの『魔法少女』が、魔力の一部を『魔法のステッキ』に依存しているように」
「ふうん……」
「……アンタにはこの感覚、あんまり分からないようね。愛を込めて使っていれば、物を言わない道具にだって命があるように感じるものよ。それが自分の一部だと思えるくらいにはね」
胸に手を当てながら、魔宮木さんは誇らしげにその美学を語る。
生憎僕には、何かの道具を愛用したことなど無いし、そもそも重く自己投影出来るくらいに、一度でも何かを深く愛したことなどあっただろうか。
何にせよ、愛というものに通じていない僕のような冷たい人間には、魔宮木さんの美学は理解は出来ても共感はし難いところがある。
まあ、それはともかく——
「……やっていることは、普通にただの窃盗じゃないか。なんでそんな連続窃盗犯が、こんなに見逃され続けてるんだ?」
「ちょっとこの話はややこしいのよ」
そう素朴な疑問を口にした僕に、彼女は困ったよう形の良い眉を顰めて答える。
「厳密には、その三人の道具は、実際に盗まれているわけではないの」
「……どういうこと?」
「ある日唐突に写真家はカメラを持ち歩かなくなり、音楽家はその芸術表現に楽器を使わなくなり、そして演者はパフォーマンスの際に華美な衣装を好まなくなった。——現実に起きている事象は、そんなところよ」
「——それって」
それは例えば……『魔法少女』が『魔法のステッキ』を使わなくなる、というのとほとんど同じだ。
この場合、三者は愛用の道具を物理的に喪失したわけではなく、それを用いる習慣を、究極的にはその道具を大切にしていた『気持ち』を奪われた、ということになるのではないか。
「つまり、そういうことになるんでしょうね。三人は道具を使わなくなった。それに向ける関心を失った。日頃の習慣すら抜け落ちてしまったかのように、周りから指摘されて初めてその愛を忘れていたことに気が付くの」
「……気味が悪いな。ただ奪うのよりもずっと趣味が悪い」
「その三者は、口を揃えて『吸血鬼』を名乗る奇妙な人物に出遭ったというの。これがこの噂の始まりだと言われているわ。『吸血鬼』は無差別に通り魔のように才人の前に現れ、そしてその人の何かに向ける気持ちを吸い上げ——そして、何かが欠落したかのように……愛を失うんだわ」
「……」
魔宮木さんはそこまで説明して、目の前の虚空をキッと鋭く睨むようにし、沈黙の中で静かな怒りを露わにしていた。
あまりにも大きな愛は——もはや、その人の人間性を形作る重要な要素だ。
——それはあるいは、人格の一部とさえ言えるくらいに。
愛を失えば、自分を失う。自分を見失う。
それならば、と僕は思う。
それは人間性の一部とさえ言えるまでに大きな愛を失ったその人は、それ以前と同じ人間と果たして言えるのだろうか、と。
「……」
ちら、と隣で沈黙する少女に視線を送り、僕はまた思う。
——『魔法のステッキ』への愛を失った彼女を、僕はまだ『魔法少女』だと思えるのか、と。
* * *
「——さあタク、今日こそその不届き物の『吸血鬼』の首根っこを押さえてやるのよ。きっとヤツが蛮勇にも私の『魔法のステッキ』を盗んだんだわ!」
それからしばらくして、気持ちを切り替えるようにそう溌剌に叫んで立ち上がった魔宮木さんに続き、僕たちは夜の繁華街の人混みの中に繰り出すことになった。
「――もし怪しいヤツを見かけたら、どうするの?」
そもそもとして窃盗の犯人が件の『吸血鬼』であるのかも不明瞭だが、万が一言われているところの『吸血鬼』に行き遭ったとしたら、その犯人は危険な異能力を持っている可能性が高い。
生憎として平時の僕はほとんど無能力者みたいなものだし、魔宮木さんだって予期せぬ事態に強いというわけではないだろう。
そんな懸念の意味も込めてそう訊いた僕であるが、それに対して問われた彼女はよくぞ聞いてくれたわねと言わんばかりに得意げに胸を張って懐をまさぐり、
「偉大なる『魔法少女』には常に切り札の用意があるものなのよ」
そう言って色鮮やかな、十数枚の何かのカードを取り出した。
「……なにそれ?」
「それぞれにこの私の真心が……特殊な魔力が丹念に込められているの。『魔法のステッキ』を欠いても、この偉大なる『魔法少女』の偉力は損なわれていないのだと、その時が来たら教えてやるわ!」
「な、なるほど?」
「そうね……非力なアンタにも、念のため何枚かこのスペルカードを渡しておきましょう。ほらタク、私の慈愛を有難く頂戴なさい」
そうしてその中から彼女は雑に五枚を選んで、尊大にそれらのカードを僕の方に手渡してくる。僕はそれを黙って受け取りながら、まじまじとその五枚のカードを見つめてみるが……どこからどう見ても、それらはただカラフルに色が付いた紙切れのようにしか見えなかった。
うーむ、まあ。魔宮木さんは『魔法のステッキ』といいスペルカードやらと言い、突拍子もないものを取り出すのはいつもの事だ。それらは実際には何の意味もないのかもしれないが、『魔法少女』としては特別な意味がある。
とりあえず有難く受け取っておこう。栞とかに使えるかもしれないし。
……そんな奇怪なやり取りを済ませた後、彼女と連れ立って歩きながら、僕は往来を忙しなく行き交う群衆を見回して、率直な印象を口に出す。
「……うーん、でも。こんな人がごった返している中で、その『吸血鬼』も怪しいことは出来ないと思うけどね。そもそも、そいつはどんな見た目をしてるの?」
「ギャルみたいな派手な格好をしている時もあれば、部屋着のような全身ジャージを着込んでいる時もあると言われているわ。一番多いのは、学園の制服のミニスカートみたいだけど」
「その『吸血鬼』は、それじゃあ女の子なのか」
「恐らく学園の女子の誰かが犯人だろうとは言われているけど。ただ不思議なことに、出遭ったという人はそれぞれ、見た目の特徴について全然違う証言をしているのよ」
「情報が錯綜しているのは、それがまだ不確かな噂だからなのか……それとも、他に理由があったりしてね」
正体がバレないようにするため、だとか。
継続的な犯行で大きな成果を出す為には足跡が残らないことが一番であるが、僕のように人の目を引く特徴を持たなかったり、情報を撹乱させる事も非常に重要だ。
……しかし、逐一見た目を変えるというのは随分と周到だな。流石に僕だって、そこまで手の込んだ事はしなかった。
「一体その『吸血鬼』は、どうして人の愛の気持ちを奪っているのか——と、ああ、すみません」
「ぁ、いエ——」
その時、思考に沈んでいた僕の肩に、前から誰かが急いでいたのか、かなりの勢いでぶつかってきた。
学園の制服の上から赤色のダボダボのパーカーを重ね着していて、フードを深々と被っている、随分と小柄な少女だった。
ぶつかった時の衝撃で彼女はよろめいて、その場に勢い良く転んでしまう。僕が心配して駆け寄るが、彼女は聞き取れないくらいの小声で何かを口早に呟いてすぐに立ち上がり、
「今日の……『捕食』を、はやク……済まセにゃきャ」
「……うん?」
「――時間が、にゃイ」
そうしてそのまま早足で立ち去って行こうとするが、僕は彼女の、その特徴的な口調に強く引き付けられた。
だって。
その喋り方に、聞き覚えがあったから。
「――もしかして、猫又さん?」
「――にゃ、ァ」
そう僕が呼び掛けた瞬間、彼女はビクッと身体を震わせて振り返り、ちらと僕の方を振り返り。
そしてその丸い目を驚いたように見張って微かな息遣いを漏らしたのと同時、彼女は、いや……猫又さんは即座に踵を返し――猛然と駆け出した。
「まっ――」
『な、なな、なんだ、なんだァ!?』
『キャアアァ――ッ!?』
刹那、瞬く間に風のような速度で加速して駆けていく彼女の背に爆風が生じていき、その余波に当てられた群衆が悲鳴を上げる。――繁華街の真中に、見る見るうちにパニックの波が広がっていく。
なぜ彼女がいきなりこんな暴挙に出たのかは分からない。
でも今やらなければならないことは一つだ。
「どうにかして猫又さんを捕まえる――来いよ、役割の『借用』」
僕は駆け出しながら、遥か彼方まで距離を離した彼女の背を真っすぐと指差し、そして己の内の自分の異能を行使する。
――そして次の瞬間、身体が羽のように軽くなって僕の足は爆発的な加速を得た。
その爆発力に身を任せ、僕は遠く離れた彼女の背へと真っすぐと駆ける。僕が速くなった分、力を削がれた彼女は僅かに速度を落としている――今ならまだ、追いつける可能性がある。
先行して爆風を撒き散らした彼女のお陰もあり、コースは一通り群衆が道を逸れていてくれて随分と走りやすいものだった。視界がみるみる流れ、音を置き去りにしながら駆ける、駆ける、駆ける駆ける駆ける駆ける駆け――――
「――あ、れ」
そこで僕は何か不自然なものを感じて不意に足を止めた。
あまりに走りに夢中になり過ぎていて……『捕食者』の異能の全能感に身を任せ過ぎていて、今まで気づかなかったけれど。
群衆は確かに道を逸れてくれている。僕の走りの妨げにならないよう、道を開けてくれていた。――でも、それはあまりに過剰だった。
あまりに、異常だった。
「……どこだ、ここ」
気づけば辺りには人っ子一人いない。繁華街に蔓延していたあのパニックの波もどこにも無く、不気味なほどの静謐さが辺りには満ちている。
ただその一人きりの繁華街の真中に、夜が。
闇夜の気配が徐々に、しかし確実に辺りに忍び寄ってくるのを――本能が、感じ取る。
知らない街に、いつの間にか迷い込んでいた。
――誰もいない夜の世界に、迷い込んでいた。
第一章『猫と吸血鬼と異能者の街』、演目開始。
ここから章末まで毎日投稿していきますよ~!




