第十八節:『捧げ物』
「――ある日あーしハ、誰もいない静かな繁華街ニいつの間にか迷い込ンでいタにゃァ。
「最初は凄く怖かっタにゃ……どこまでいっテも、誰も見つからなイ。まるデ知らない間に世界が滅んデしまったみたいに、あーシは永遠に一人ぼっチになっテしまったみタいでにゃ。
「――でも不思議と、段々と居心地が良く感じるようになった。……のにゃ。
「だっテここでなら、どレだけ暴れても誰にも迷惑を掛けるこトがないにゃ。あーしノ呪いのような暴力衝動ヲどれだけ振り撒いても、それニ巻き込まれる人はどコにもいないんだからにゃ。
「……でもやっぱリ、あーしハどこまでも我儘な猫だったにゃ。一通りこノ街を破壊し尽くした後、残っタのは淋しさだけだった。つまらなかった。結局あーしは暴れたいンじゃなくて、ただ遊び相手が欲しいだけだッたんだって気づいたのにゃ。
「――だからあーしは、ここに『オトモダチ』を連れてくることにした。……のにゃ。
「この不思議な異空間ハ、きっと現実トは別の所にあるんだろウにゃ。どれだけ破壊と殺戮を繰リ返しても、観客を呼ンで盛大なコンサートを、舞台を、展覧会を開いテも、現実には何の影響も起きにャいし、誰もここデのことは覚エてないのにゃ。
「でモ別に、あーしはそれで構わないのにゃ。この夜の世界でなラ、『吸血鬼』ノ世界でならあーしは世界の誰よりモ自由でいられる。どんな我儘も許してくレる『オトモダチ』がいる。
「――ここにいれば、もうあーしの『捕食者』の暴力は誰も傷付けることがない。……のにゃ」
* * *
「――ユーバラ、ただいま」
「……っ。……おかえり、陰々蛇さん」
舞台の上の『捕食者』の演説に聞き入っていると、不意に耳元で聞き慣れた無抑揚でぶっきらぼうな声音が囁く――陰々蛇美影。ビクッと身体を震わせて振り返ると、そこには影から這い出て来たかのように、いつの間にか紙袋の少女が存在している。
「闇﨑さんからの情報は持ち帰ってこれた?」
「うん、ちゃんとおぼえてきた。でもぼくの言葉だとちゃんとつたわらない気がするから、アンザキのモノマネしながらはなす」
「う、うん……まあ、それで君が話しやすいなら」
そういえば昼に会った時、本人レベルの闇﨑さんの物真似をしていた気がするな――なんて思い返しながら、僕は彼女の言葉を静かに待つ。
すると陰々蛇さんは一度こほんと咳払いをして、次の瞬間――まるで人格が豹変したように、別人のように声音も口調も変えて喋り出した。
「『よっす、勇原。オレの暗号に気付いてくれてありがとうな。そのご褒美で後で陰々蛇のヤツがお前をぎゅってしてくれるらしいぞ。遠慮せず受け取れ、な?』」
「……闇﨑さん、絶対そんなこと言ってないよね」
そんな僕の突っ込みを咳払いで無視して、闇﨑さんによく似た声で彼女はまた喋り続ける。
「『――それで本題だ。お前が察してくれてる通り、オレは既にこの状況を何度もやり直してるし、お前らとも何度も顔を合わせて、全員が持ってる情報もほぼ全部揃え終わってる。にも関わらず、オレは『巻き戻し』の異能に何度も頼らざるを得なくなってんだ。なんでだか分かるか?』」
「……」
「『勇原、今お前が考えてんのはオレを引き連れてここから逃げ出す作戦なんだろ?ああ実際、お前が持ってるスペルカードを上手く組み合わせれば、この教会から脱出すること自体は何度も成功してる。――でもどうやっても、その先で詰むんだよ』」
ただの声真似だと言うのに、まるで本人の葛藤が伝わってくるかのように、彼女の語り口は切実だった。
「『はっきり言っておくぜ。この異空間に出口なんてねーよ。どれだけ逃げ回っても、探し回っても。どこまでも誰もいない繁華街が続いてるだけだ。そしてやがて、猫又の『捕食者』の異能で追いつかれて……それでもう、終わりだ』」
「……」
「『――つまりオレらに残された手は、猫又のヤツをぶっ倒すか、どうにかして説得するしかねーってことだ』……以上、アンザキからの伝言でした」
「……ありがとう、陰々蛇さん」
声真似を止めていつもの彼女に戻った陰々蛇さんは、紙袋を傾かせて少し心配そうにその赤い瞳で僕を見つめる。
「……ユーバラ、だいじょうぶ?」
「大丈夫……とは、簡単には言えないかもしれない」
「今度はちゃんと正直にこたえた。えらい」
と、彼女は褒めるように僕の頭をわしゃわしゃと粗雑に撫でるが、内心では頭を抱えたくなりそうな気分だった。
――出口が無い、だって?
これまで出来るだけ、僕らは正面戦闘を避けて迫る脅威から逃走を続け、何とか生き永らえてきた。唯一の例外が『演者』だが、あれに関しては状況的にやむを得ないから戦っただけで、勝ちの目を拾えたのも危うい綱渡りの結果でしかない。
だが、ここにきて状況は、正面戦闘を避けられない所にまで追いつかれた――しかも一度に、三人も相手にしなければならない。
「――ッ」
……『音楽家』と『写真家』なら、どうにか出来る算段はある。
でも。
――『捕食者』だけは、どうやっても勝てるビジョンが浮かばないんだ。
だから僕は、彼女との戦闘を放棄し、早々に戦場から逃げ出す作戦を頭の中で組み立てていた。しかし闇﨑さんの伝言によれば、その先に待っているのは緩やかな破滅でしかない。――この地獄の異空間に、蜘蛛の糸は無い。
そう、どうしようもない絶望に打ちひしがれそうになったとき。
だがそこで不意に、僕の頭を撫でていた陰々蛇さんが「あ」と何かを思い出したようにぽつりと呟いて、
「アンザキの伝言、もういっこわすれてた」
「……え?」
「『そんなに気負うなよ、勇原……何度だってお前の作戦に付き合ってやる。オレらは三人で一つのチームだろ?』――って。ぼくも、そうおもうよ?」
「……っ」
「もしまけちゃっても……しんじゃっても。ぼくはおまえの所為だなんてゼッタイにおもわない。他のどんな理由でしぬよりも、おまえががんばった結果でしぬ方が……ずっとしあわせだもん」
彼女のその真っすぐな言葉は、気持ちは。
僕の心には、あまりに重く圧し掛かる。
――どうして、なんだ。
こんな何者でもない人間が、一度だって誰かに何かを与えたことすら無く、いつだってどんなときだって、他の誰かのものを奪い続けてきた『奪取』の原罪を抱えている人間が――『愚か者』が。こんな全幅の信頼を彼女らから受け取らなければならない。
――愚か者。たとえ百万回挑んでも、あなたは私には勝てませんよ。
『彼女』にすら僕はどうやっても勝てなかった。勝ちようがなかった。
だから諦めた。自分の役回りを放棄した。
自分の本質を見失い、在りし日とは比べるべくもない、壊れモノの残骸のような力しか残っていない僕に、何が出来る。
誰しもが自分だけの役回りを背負っているこの世界で、真の意味で何者でもない僕に、これ以上何が出来る。
そうして、圧し掛かる気持ちの重さに心が深く沈みかけた時――だけど。
目の前の少女は唐突に、昔のことを語り出したのだ。
「……そういえばユーバラって最初にあった時、自分の力をかくしてたよね。人の異能をかりる……『借用』する力があること」
「――え?」
「それって、なんでだったの?」
「そ、それは……っ!」
「――まあ別に、もうきにしてないからなんでもいいけど」
思わず口ごもった僕に、しかしそれを訊いてきた彼女は思いの外あっさりと引き下がってふっと息を吐き出し、
「おまえはいつだって、自分に正直で嘘をつかなかった。『いいやつ』だった。そんなおまえだから、ぼくもアンザキもしんじられるんだもん」
「……信じるって、何を」
「おまえがあきらめないこと。――ぼくたちを、ゼッタイにみすてないこと」
「……」
そういつものように、ぶっきらぼうにそう言って彼女は、その白い手をすっと僕の方に差し出してくる。
「いこ、ユーバラ。おまえは最初から一人じゃ……なかったんだよ?」
「……分かったよ、陰々蛇さん」
今のこの胸にはあの日の罪悪も原罪も、消えない呪いのように刻み込まれているけれど。
どこまでいっても何者でもなく、どこの誰にも代替可能な役割の『借用』でしかなくとも、それでも誰かの何かにはなれる。そしてその『何か』を、目の前にいる少女が、この場にはいない少女が僕に望んでくれているというのなら。
――僕はそれを、この時だけでも受け取ろう。
ひび割れそうな心をぐっと堪えながら、僕は差し出された彼女の手を、力強く握り返した。
* * *
「――つまりあれか、てめーの要求は、オレにその『オトモダチ』の仲間に加われって所なのかよ?」
「そういうことにャ。さア、お前もあーしの眷属になれ。『吸血鬼』の契約ハとーっても簡単なのにゃァ。タだ一つだけ、あーしに『捧げ物』をしてくれるだけなンだからにゃ」
「何だよ、『捧げ物』って」
そう首を傾げながら訊いた広場の中央の闇﨑さんに、舞台上の『捕食者』はニタリと頬を歪めて答える。
「たとエば、写真家ならカメラ。音楽家ナら楽器で、演者ならソの衣装だったにゃ。ツまり……自分らしさノ象徴だとも言えるアイテムだにゃァ。お前の場合ハいつも着てるダボダボのパーカーだと思っタけど、どうやら外れだっタみたいだにゃ」
そう残念そうに言って、彼女は自身が着込んでいるダボダボの赤いパーカーをぐいぐいと雑に引っ張っている。その様子を見て合点が言ったようにぽんと手を打って口を開く。
「……なるほどな、つまりてめーはオレからそのパーカーを奪ったってわけか。どうりでダボダボのパーカーなんて着てた覚えが無いわけだぜ」
「返しテ欲しいにゃ?別にいいケど、その代わり他ノお前にとって大事なもノをあーしに教えルにゃ」
「――ふざけんな、泥棒猫」
闇﨑さんは白い歯を見せて凶悪に笑いながら、中指を突き立ててその要求をはっきりと拒絶する。
「てめーのお人形遊びなんかにオレが付き合ってやる義理はねーよ。黙って現実のクラスに来い、素行不良児。学級委員としてな……てめーみたいな問題児のクラスメイトは見逃せねーんだよ!」
「にゃ……ッ」
「こんなくだらねー夢の世界に、いつまでも閉じこもらせねーぞ……今だ、勇原ッ!!」
「――にゃァ!?」
――その合図が聞こえた瞬間、僕はぎょっと目を剥いた『捕食者』の頭上に、『隠密』の異能の効果から切り離されて唐突に姿を現す。
そして深く息を吸い込んで、力一杯に叫んだ。
『『『【 動 く な 】』』』
「――ッ!?」
――『憤怒』の魔法によって数倍に倍加された声量、それがそのまま凄まじい音圧の『音霊』となり、広間全体の空気をひび割れさせるように揺らしていた。




